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二百五十五話

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 北東に位置する寧彙でいは、未だ開拓の手が伸びていない大森林地帯だった。
 閑泉から軍を進めること五日、なんら問題もなく北の軍は寧彙へと入った。

 それまでに揃えられた兵数は三百人程度。
 実に中隊規模ではあるが相手は得体の知れない魔物だ……種族に差による個々の戦闘能力差において、人族が劣るのは火を見るよりも明らかだ。
 頼みの綱ではあるガリュウ軍の動向は、以前としてハッキリと掴めていない。
 噂では、すでに南の都、満願まんがんを出立したとされている。
 いずれにせよ……ガリュウ軍の現在位置が分からない以上は、闇雲に突き進むのは危険である。

 それは、北の当主であるモンドロトにも分かりきっていることだ。

「全体! 進軍停止せよ。各班、点呼後に陣を敷け! 敵の出方が分からぬ以上、ここから先は援軍が合流するのを待つ。それまでの間、ここに中心とした野戦となるだろう……魔物が、いつ攻めてきても動けるように総員、戦闘の準備は怠るな!!」

 モンドロトが本陣として選んだのは、周囲の見通しが利く丘陵きゅうりょうだった。
 そこから一キロメートル先には、生い茂った林木がずらりと立ち並び、燃えるような真紅のカーテンとなっていた。

「これで問題はないか? ナンダ」

「はい、今のところは……ですが」

「その様子だと、まだ気がかりなことがあるようだな?」

 主の問いにナンダは言葉を詰まらせた。
 確証がない以上……不要な発言は余分な不安をあおるだけ……。
 このままモンドロトに伝えていいものか? と頭を抱え込む。
 かといって……返答せずにいるのも不自然だ。
 結局は口頭で伝えることになる。

「ここまで、一匹たりとも魔獣、魔物の類に遭遇しませんでした。それどころか、野生動物の気配もなく、空を飛ぶ鳥や龍の姿も見かけません。モンド様……これは、異常事態なのではないでしょうか? 自分の知る限りでは、百鬼万来……他所では、スタンピードと呼ばれる怪現象の兆候に酷似しているかと思いまして……」

「ふっ……お前も心配性よのう。考えてみろ、大群を動かすには指揮役が必要だ! もし、魔物の中に指揮する者が現れたとしても所詮、奴らの知性は七~八歳児なみだ。とてもではないが、円滑に我が陣へ攻め入ってくるとは想像もしがたいぞ」

「失礼ながら、一時的にも後退した方が……ここは周囲の見通しが良い分、相手の方からも丸見えなので!」

「愚か者め。北の戦士とあろう者が、臆したのか? 後退はせぬ、魔物が攻めてくるというのであれば返り討ちにしてやるだけよ!」

 予想と寸分たぐわぬ主の言葉に、それ以上は語ることもないとナンダは下がった。
 決してモンドロトの考え方が間違っているわけでない……。
 たんに自分の思い過ごしなのだと納得しようと努めた。

 ナンダの悪い胸騒ぎは、この時点で的を射ていた。
 皮肉なことにも、事件が発生したのは、その十二時間後のことだった……。
 寝静まった北の本陣から慌ただしい叫び声が飛び交う。

 何事かと急いで天幕を飛び出すナンダに駆けつけた兵士が、懸命に伝える。

「報告します。今しがた、賊の襲撃を受け……食料庫に火が放たれました」

「賊だと……いったい、どこから現れた? このような、人里離れた場所で活動する賊など聞いたこともないぞ。それで被害状況は? 賊はどうなったのだ!?」

「確認できたところでは、死傷者は出ておりません。ですが、申し訳ございません……逃亡を許してしまいました。ただいま、他の兵士たちで奴の足取りを追跡しておりますが……どうやら、奴は最初から従軍して紛れていたようです」

「わかった。このこと、モンド様にもお伝えしろ! ワシは食料庫の様子を確認してくる。他にも怪しい動きをする兵はいないか、チェックし報告をしろ」

 してやられた……未だ、燃え盛る食料庫の天幕を前に、ナンダの顔から血の気が退いてゆく。
 魔物のことばかりに気を取られて、内に潜む脅威に気づけなかった。

 モンスターには一軍を束ねる能力はない……。
 だが、統率が取れている以上、裏を返せば人の介入は充分にあり得る話だ。
 その証拠に真っ先に生命線である兵糧を狙われてしまった。
 この損失により、軍が持ち出した食料の半分が失われてしまった。

 明らかなほどの作為……この掃討戦自体が、北の守護であるモンドロトを陥れようとする罠だ。
 どうやら東都は、今の北の体制を快く思ってはいないらしい。
 目に見えぬカタチをしながら、黙過もっかの中で北地域への侵略が為されている。

「モンド様、今すぐ撤退すべきです。この状況……我々は東の者たちに謀られた可能性があります。現在、閑泉は手薄な状態……万が一、魔物の大群が押し寄せてきたら民を守る術はありません!」
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