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竹束(1575年、長篠の戦い)
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天正三年(1575年)五月二十〇日(7月8日)。奥三河の山中。
平三郎は、竹を見、手にした鉈を握りなおす。
高さからみて二才ほど。若い竹だ。目分量する。四回。いや、五回か。
鉈を大きく振り上げ、鋭く振り下ろす。五回目に、竹を裂く感触が拳に届いた。
平三郎は内心で、よし、とつぶやき、顔にはださず作業を続けた。
足元に竹が並ぶ。主人の四郎二郎に目で問う。
「あと一本」
「うっす」
平三郎は、数えで十五才。
四郎二郎も、数えで十五才だ。
牧野家の鉄砲足軽である四郎二郎は、ふだんは猟師をして生活している。平三郎は、牧野家の家人だ。いつもは四郎二郎について、勢子を鳴らし、獲物を担いで運ぶ。身分差はあるが、幼馴染でもある。ふたりきりでの、互いのやり取りは気安い。
「鉄砲一丁につき、竹束ひとつ。頼むぞ、平三郎」
「うっす」
平三郎は切った竹束を縛り、肩に担ぐ。
長い竹束は、痩身の平三郎にとっては邪魔っけだが、猪を担いで歩くのに比べれば、どうということはない。
山を降りたところで、四郎二郎が後ろを振り返り、顔をしかめた。平三郎も後ろを振り返った。竹林は、さんざんに荒らされ、ひどいことになっていた。
「丸坊主じゃないか」
「やべえっす」
山と竹林は寺社が管理している。平時であれば、禁制が出ているので荒らされることはない。だが、その禁制は大戦でまとめて刈り取るためのものでもある。
「南無阿弥陀仏」と四郎二郎。
「なんまんだ」と平三郎。
ふたりは、手を合わせて念仏を唱える。
牧野家は、伊勢の出だ。鉄砲と玉薬を求められたので、織田軍に鉄砲足軽を出している。鉄砲足軽は、三十人で備えをひとつ作る。三十人の鉄砲足軽には、供人がそれぞれひとりつく。
「いよいよ、戦が近いな」
「あっちにも鉄砲、あるんすか」
「竹束を用意しろってことは、あるだろうなぁ」
「うっす」
鉄砲足軽は、戦場における要だ。
鉄砲は威力が大きく。音も大きい。馬が怯えて逃げるほどだ。それゆえ敵の鉄砲は、味方の鉄砲の優先目標となる。
鉄砲足軽とて人間である。鉄砲の音が聞こえ、自分が狙われてると思えば、動きがぎこちなくなる。鉄砲は弾込めから何から作業が多い。
だから竹束は、安心をもたらすためのものでもある。鉄砲足軽が弾込めをしている間、竹束を前に出して身を隠し、狙われないようにするのだ。
鉄砲足軽の陣は、斜面の中腹にある。堀の代わりに小川が流れており、さらに向こう側に武田の旗が見え隠れしている。
陣に上がると、奥には筵を敷いた寝床があり、手前には大きな鍋があった。
火にくべられた鍋が、ぐつぐつと煮立っている。
「おう、牧野んところの四郎二郎と平三郎も戻ってきたか。これで全員だな」
足軽小頭が、鍋を注視したまま、ふたりに声をかけた。
たいしたもので、足軽小頭は備えにいる六十人、全員の名前を覚えている。
「もうすぐ飯が炊きあがる。準備しろ」
平三郎は竹束を地面に置いた。炊きたての飯は、二日か三日に一回だけ。その合間は、冷えた搗き米を握り飯にして食べる。
「やったな、平三郎。炊きたてが食えるぞ」
主の四郎二郎は、にこにこ顔だ。炊きたての握り飯を素直に喜んでいる。
「そっすね」
平三郎は、ますます戦が近いのだと思う。本当なら、冷えた搗き米の握り飯がもう一日分、あったはずだ。それを後にまわし、炊きたてを食わせる理由は、合戦の準備とみて、間違いない。うまい飯を食わせて士気をあげるのだ。
うまいうまいと、ボリボリと搗き米の握り飯をかじる四郎二郎。平三郎は、自分も握り飯をかじりながら、竹束の位置を目で確認した。
五月二十一日(7月9日)。黎明。
平三郎は、薄暗がりの中で目覚めると、這うようにして進み、竹束を掴んだ。
「平三郎か。早いな」
背中に聞こえる足軽小頭の声に、平三郎は、ぞっ、とした。
輪郭も曖昧な暗闇で、平三郎が見分けられた理由は、ひとつだけ。足軽小頭は、三十人の鉄砲足軽と、三十人の中間がどこで寝ているかを記憶しているのだ。
「……うす」
平三郎は小声でいい、頭をわずかに下げた。
「その竹束。お前が昨日、取ってきたやつか。同じやつを選んだな」
「うす」
「竹束に違いはあるまい。呪いでもかけてあるのか?」
「竹じゃないっす。縄っす」
「縄?」
隠す必要もないので、平三郎は素直に答えた。
一ヶ月前のこと。陣触れがあり、四郎二郎について出征することになった平三郎は、出発直前に幼馴染のひらに呼び止められた。ひらは、数えで十一才になる。
ひらが腰をくねくねしながら平三郎に渡したのが、縄だった。
「無事に戻ってこられるよう、社で願をかけてくれたそうで」
「ほほう。願かけしてくれたのか。母ちゃんじゃなくて、幼馴染が。ほうほう」
足軽小頭の声が、笑みを含んでゆらぐ。
「そりゃあ、しょうがないわな。お前らもそう思うだろ?」
足軽小頭が声をかけたのは、三人の従者だった。
「うす」「へい」馬の口取りが二人。
「……」荷物持ちが一人。
三人とも、警戒を隠そうとしていない。
平三郎は内心で、むぅ、と唸る。牧野家が急ぎの陣触れを受け、熱田神宮で合流してから半月。あちこちをうろつく間に、少しずつ三人の警戒は下がっていった。ところが、今は出会ったばかりに近い警戒ぶりだ。
「今日ってことっすか」
「そうだ」
平三郎はひとりごとのつもりだったが、足軽小頭はまじめな声で同意した。
従者の三人と違い、足軽小頭の態度はこの半月で、まったく変わっていない。表面上は親しみやすい兄貴分の顔をしている。つまり、嘘の顔だ。三人の手下をのぞく全員を信用しておらず、それを表情に出すこともない。
「わかるんすか」
「炊事の煙でな」
足軽小頭は鍋を叩いた。臨時の備えだからか、日々の飯は足軽小頭が配る。
「昨日は武田の陣からも、炊事の煙があがってた」
「まじっすか」
平三郎は東をみた。山の端が白くなりつつある。旗が動いている様子はない。
「お前は、主をしっかり守れよ」
「そりゃ、守りますが……こっちから、いくんすか。武田から、くるんすか」
「おれに、わかるものかよ」
足軽小頭はケラケラと笑った。
「どっちでもやれるよう、心構えだけはしとけ、ってことだ」
「うっす」
太陽の下が、地平線から離れる。
登る日を背に武田の旗をつけた徒歩武者が走る。物見だ。
走りながら、武士は周囲に目を配る。起伏があれば、すぐに駆け込む。西の様子を伺い、また走り出す。
伏兵はいない。矢も鉄砲も飛んでこない。
地に伏せたまま、徒歩武者は背負った旗を地面に立てた。少し前までなら、堂々と立ったまま背の旗をみせる剛の者もいた。だが、鉄砲が普及するようになると、物見の死傷率が跳ね上がった。動いている間は狙われない距離であっても、動きを止めたとたん、集中砲火をくらうのだ。
後方から、隊列を整えた武田軍が動きだす。旗の位置まで安全が確保されているから、集団であっても動きは早い。
「まだだ。まだだぞ」
足軽小頭は、鉄砲隊の後ろをゆっくり歩きながら、繰り返す。
ここにいるのは、各地から集められた臨時編成の鉄砲放ちだ。鉄砲を狩猟に使うことは巧みでも、戦争のやり方は素人だ。
「お前ら、こんな戦、さっさと終わらせて帰りたいだろ。なら、最初の一発は全員でだ。まとめて撃つんだ。山猿の度肝を抜いてやれ」
何度も口にした言葉だ。抑揚のきいた節で、歌うように繰り返す。
実際には、足軽小頭は隊の誰が怯えているか、ということだけ注意を払っている。ひとり逃げだせば、残りの皆が動揺する。自分の隊が崩れれば、他の隊も逃げ支度だ。
全員に一斉に撃たせるのは、待ってる間の怯えをなくすためだ。
じゃーん、じゃん、じゃん。
銅鑼の音が聞こえてきた。武田の足軽隊からだ。前の兵が背負った銅鑼を、後ろの兵が鳴らす。士気を鼓舞させ、音の節に合わせて前に進ませようというのだ。
織田も武田も、足軽小頭は兵を前に歩ませるため全力を尽くす。ぶつかった後のことなど、しったことではない。ひとたび衝突すれば、兵は勝手に食い合う。
「まだだー、まだだぞー。まだ早いぞー」
足軽小頭は、陣の後ろから全員の様子をみる。
三十人の鉄砲放ち。三十人の竹束もち。
男たちは、陣の中にまちまちに散っている。
全員が、足軽小頭の号令を待っている。
武田軍の先頭が、渡河のため、川岸をこえて降りはじめた。足場が悪い。隊列が乱れ、動きが淀む。頃合いはよし。
「火蓋、切れぇっ!」
大音声の号令を聞き、四郎二郎が火蓋を開く。
流れるように滑らかな動きで、鉄砲を構える。狙う。
「南無阿弥陀仏」
念仏を唱える。引き金を引く。衝撃。轟音。熱い滓が顔に散る。
竹束をかまえた平三郎が前に出る。
四郎二郎は背中合わせになって、鉄砲を装填する。
「当たったか?」
「倒れたっす。でも四郎二郎様の玉かまでは、わかんねえっす」
「みんな、同時に撃ったからなあ」
四郎二郎は火縄をはずして腰に挟む。銃口から上薬を入れ、玉を詰め、朔杖で突き固める。
背中を預けた平三郎に問いかける。
「どんな塩梅だ?」
「混乱して、後ろに引いてます」
「そうか」
火皿に口薬を入れ、火蓋を閉める。
火縄を振って色と匂いを確認し、火挟に差し込む。
何度が鋭く破裂する音が聞こえてくるのは、武田側の鉄砲か。このあたりに織田の鉄砲がいると警戒し、牽制しているのだ。
四郎二郎は、懐をおさえた。鉛玉は残り八発。
四郎二郎は、ふう、と大きく息を吐いた。後ろを見ずとも、平三郎と竹束が自分を守ってくれていると、信じられる。
瞼を閉じ、頭を巡らせる。伊勢を出て、尾張で合流し、三河に入った。この山中に陣を敷いて二日は何もなく、四郎二郎は平三郎と一緒にあちらこちらをみて回った。物見遊山ではなく、地形を読むためだ。
味方の鉄砲の音が、聞こえてくる。二発。三発。四発。ばらついた音の具合から、どこを狙っているか想像できる。武田勢は、まだ混乱状態だ。混乱している獲物は、動きが読めないし、撃っても当たらない。意識を研ぎ澄まし、しばし待つ。
再び、味方の鉄砲の音。発射音が重なってくる。武田勢が、近づいている。
音が。
調和した。
四郎二郎は瞼を開いた。
「平三郎」
「っす」
平三郎が竹束を持ったまま姿勢を低くし、邪魔にならぬようにする。
鉄砲を構えて立ち上がる。そこに来る、と考えていた場所に、銃口を向ける。
いた。
引き金を引く。衝撃と轟音。火皿から飛び散る口薬の滓が頬につく。
「南無阿弥陀仏」
念仏を唱え、しゃがむ。竹束を構えた平三郎が身体を起こす。
「どうだ?」
「当たったっす。ひっくり返って……あ、這って逃げてるっす」
「念仏が遅れたか」
竹束をもつ平三郎は、背中で次の玉を装填する四郎二郎にかわって、戦場全体の様子を伺う。設楽原の北からも南からも、鉄砲の音が木霊する。
どちらが優勢か、平三郎にわかるはずもない。平三郎が気にしてるのは、もし逃げることになったら、どこをどう逃げるかだけだ。
武田に恨みはなく、織田にも徳川にも恩はない。同じ陣にいる鉄砲足軽には、それなりの絆を感じているが、それでも自分と四郎二郎の命が最優先だ。足軽小頭と三人の手下が警戒してるのも、当然のことだ。
四郎二郎がさらに一発を撃ったところで、武田勢の動きが止まった。波が退いていくように、足軽の姿が消える。入れ替わりに、武田の鉄砲の音が大きくなる。こちらの射撃で、陣の位置がばれたのだ。
「武田の鉄砲、どんな感じだ?」
「位置はわかりましたが、竹束が多いっす」
「当たらんか」
「っす」
足軽小頭もまた、戦場の様子を伺っている。
平三郎と同じく、どちらが優勢かは足軽小頭にもわからない。だが、足軽小頭には味方が劣勢になった時のために、握り飯という武器があった。
昨日、まとめて炊いた飯の残りは、握りにしてある。これをいつ配るかは、足軽小頭の裁量だ。予備の玉薬より、予備の握り飯こそが兵の脱走を防ぐ切り札となる。
足軽小頭のみたところ、戦況は膠着状態だ。武田は仕寄りつつも、手強いとみれば即座に退いた。
決着がつくのは、まだ数日は先かと足軽小頭が踏んだところで、異変が起きた。
東の方角に、煙があがったのだ。
──長篠城が落ちたか?
なれば、武田は引く。織田と徳川は、兵を送って長篠城を奪い返す。
足軽小頭が率いる鉄砲隊は、長篠城まで出向いて城攻めだ。一ヶ月はみておく必要がある。鉛と硝石は足りるが、米が足りない。どこかで調達する必要があった。
足軽小頭の頭の中に、他の諸隊との貸し借り表が出てくる。すべてを持ち運べる牛馬を用意できない以上、事前に貸し借りの形で恩を売ったり買ったりしておかねば、こういう時に詰むのだ。
──今日の戦で、被害が大きかった足軽隊は後方に下がるはず。そいつらに声をかけ、余った米俵を借り受けるしかあるまい。
足軽小頭が考えているうちに、武田に動きがあった。いよいよ撤退するかと思っていたら、向かってきた。
理由はわからないまま、足軽小頭は迎撃を指示する。こちらから攻めるのではなく、待って戦うだけなら、面倒は少ない。寄せ集めの鉄砲隊を率い、竹束を構えて戦場を右往左往するとか、想像するだけで胃が痛くなる。
武田軍の攻撃は散発的ながら、執拗なものだった。
足軽小頭は、昼過ぎには今日の前進はもうあるまいと踏み、握り飯を配った。
その頃になると、長篠城が落ちたのではなく、武田が残した鳶ヶ巣山の砦が奇襲され、火付けにあったのだとわかった。長篠城を支援する目的で、数日前から山中に伏せていた二十人ほどの徳川方の忍者が、手薄になった武田側の警戒線を突破したのだ。
前日まで長篠城は武田軍の重囲下にあった。潜り込んで警備の隙を伺おうとした忍者のひとりが捕まって磔刑にあったほどである。何日も現地に伏せていた忍者たちは織田の援軍も、設楽原の戦いのことも知るよしもなかったが、武田勢が薄くなった気配は敏感に察し、奇襲を成功させたのだ。
磔刑にあった忍者の名を、鳥居強右衛門という。
幾度目かの武田の仕寄りが終わった。
鉄砲の音が遠ざかり、聞こえなくなる。
夏の日が傾いて影が伸びていく。空はまだ白い。
「どうやら、勝ったらしいぞ」
「ほんとっすか」
「たぶん、な」
諸手抜で集められた臨時編成の鉄砲足軽に、味方の伝令が来るのはよほどの場合だ。
日が落ちる頃合いになっても、伝令も敵もこないのだから、これは勝ったとみなしていいだろう。
四郎二郎も、平三郎も、安堵の息をつく。
「残った玉は、一発だけだ」
「じゃあ、暗くなる前に作っとくっす」
「頼む。わたしは銃の掃除をして、火薬を調合しておく」
今日が無事に終わったとしても、何もかもが終わったわけではない。
武器の手入れ。玉と火薬の調合。明日もまた、今日と同じくらいの戦があるかもしれないのだ。
平三郎は、一日でぼろぼろになった竹束を結んだ縄を、ほどいた。竹束に命中した玉のうち、残っているのは二発。どちらも竹を割り、中まで食い込んでいる。
「うわっ……よく耐えてくれたなあ」
「ひらの願掛けのおかげっす」
「自分の髪の毛を縄に織り込んだと聞いたぞ」
「ありがたいっす」
平三郎は、縄を拝む。
願掛けというより呪いに近いだろ、と四郎二郎は思ったが、口には出さないでおく。ひらが時おり自分に向ける泥のような目玉が怖かったせいもあるが、ひらが家人の平三郎と仲良くなってくれるのは、よいことだからだ。
平三郎は、割れた竹をより分け、残った竹で少し小さな竹束を作る。
「ちょっと細くなったな」
「体を斜めにすりゃ、大丈夫っす」
竹束をどう運び、どう構え、どう体を隠すか。あれこれと試行錯誤する。
四郎二郎は、狙う側の視点で、竹束をもつ平三郎に、あれこれと口出しする。
ふたりの顔に浮かぶのは、笑顔だ。負け戦なら、最初に捨てる心の余裕が、ふたりを笑顔にしていた。
奥三河に、夜の帳が、おりてくる。
平三郎は、竹を見、手にした鉈を握りなおす。
高さからみて二才ほど。若い竹だ。目分量する。四回。いや、五回か。
鉈を大きく振り上げ、鋭く振り下ろす。五回目に、竹を裂く感触が拳に届いた。
平三郎は内心で、よし、とつぶやき、顔にはださず作業を続けた。
足元に竹が並ぶ。主人の四郎二郎に目で問う。
「あと一本」
「うっす」
平三郎は、数えで十五才。
四郎二郎も、数えで十五才だ。
牧野家の鉄砲足軽である四郎二郎は、ふだんは猟師をして生活している。平三郎は、牧野家の家人だ。いつもは四郎二郎について、勢子を鳴らし、獲物を担いで運ぶ。身分差はあるが、幼馴染でもある。ふたりきりでの、互いのやり取りは気安い。
「鉄砲一丁につき、竹束ひとつ。頼むぞ、平三郎」
「うっす」
平三郎は切った竹束を縛り、肩に担ぐ。
長い竹束は、痩身の平三郎にとっては邪魔っけだが、猪を担いで歩くのに比べれば、どうということはない。
山を降りたところで、四郎二郎が後ろを振り返り、顔をしかめた。平三郎も後ろを振り返った。竹林は、さんざんに荒らされ、ひどいことになっていた。
「丸坊主じゃないか」
「やべえっす」
山と竹林は寺社が管理している。平時であれば、禁制が出ているので荒らされることはない。だが、その禁制は大戦でまとめて刈り取るためのものでもある。
「南無阿弥陀仏」と四郎二郎。
「なんまんだ」と平三郎。
ふたりは、手を合わせて念仏を唱える。
牧野家は、伊勢の出だ。鉄砲と玉薬を求められたので、織田軍に鉄砲足軽を出している。鉄砲足軽は、三十人で備えをひとつ作る。三十人の鉄砲足軽には、供人がそれぞれひとりつく。
「いよいよ、戦が近いな」
「あっちにも鉄砲、あるんすか」
「竹束を用意しろってことは、あるだろうなぁ」
「うっす」
鉄砲足軽は、戦場における要だ。
鉄砲は威力が大きく。音も大きい。馬が怯えて逃げるほどだ。それゆえ敵の鉄砲は、味方の鉄砲の優先目標となる。
鉄砲足軽とて人間である。鉄砲の音が聞こえ、自分が狙われてると思えば、動きがぎこちなくなる。鉄砲は弾込めから何から作業が多い。
だから竹束は、安心をもたらすためのものでもある。鉄砲足軽が弾込めをしている間、竹束を前に出して身を隠し、狙われないようにするのだ。
鉄砲足軽の陣は、斜面の中腹にある。堀の代わりに小川が流れており、さらに向こう側に武田の旗が見え隠れしている。
陣に上がると、奥には筵を敷いた寝床があり、手前には大きな鍋があった。
火にくべられた鍋が、ぐつぐつと煮立っている。
「おう、牧野んところの四郎二郎と平三郎も戻ってきたか。これで全員だな」
足軽小頭が、鍋を注視したまま、ふたりに声をかけた。
たいしたもので、足軽小頭は備えにいる六十人、全員の名前を覚えている。
「もうすぐ飯が炊きあがる。準備しろ」
平三郎は竹束を地面に置いた。炊きたての飯は、二日か三日に一回だけ。その合間は、冷えた搗き米を握り飯にして食べる。
「やったな、平三郎。炊きたてが食えるぞ」
主の四郎二郎は、にこにこ顔だ。炊きたての握り飯を素直に喜んでいる。
「そっすね」
平三郎は、ますます戦が近いのだと思う。本当なら、冷えた搗き米の握り飯がもう一日分、あったはずだ。それを後にまわし、炊きたてを食わせる理由は、合戦の準備とみて、間違いない。うまい飯を食わせて士気をあげるのだ。
うまいうまいと、ボリボリと搗き米の握り飯をかじる四郎二郎。平三郎は、自分も握り飯をかじりながら、竹束の位置を目で確認した。
五月二十一日(7月9日)。黎明。
平三郎は、薄暗がりの中で目覚めると、這うようにして進み、竹束を掴んだ。
「平三郎か。早いな」
背中に聞こえる足軽小頭の声に、平三郎は、ぞっ、とした。
輪郭も曖昧な暗闇で、平三郎が見分けられた理由は、ひとつだけ。足軽小頭は、三十人の鉄砲足軽と、三十人の中間がどこで寝ているかを記憶しているのだ。
「……うす」
平三郎は小声でいい、頭をわずかに下げた。
「その竹束。お前が昨日、取ってきたやつか。同じやつを選んだな」
「うす」
「竹束に違いはあるまい。呪いでもかけてあるのか?」
「竹じゃないっす。縄っす」
「縄?」
隠す必要もないので、平三郎は素直に答えた。
一ヶ月前のこと。陣触れがあり、四郎二郎について出征することになった平三郎は、出発直前に幼馴染のひらに呼び止められた。ひらは、数えで十一才になる。
ひらが腰をくねくねしながら平三郎に渡したのが、縄だった。
「無事に戻ってこられるよう、社で願をかけてくれたそうで」
「ほほう。願かけしてくれたのか。母ちゃんじゃなくて、幼馴染が。ほうほう」
足軽小頭の声が、笑みを含んでゆらぐ。
「そりゃあ、しょうがないわな。お前らもそう思うだろ?」
足軽小頭が声をかけたのは、三人の従者だった。
「うす」「へい」馬の口取りが二人。
「……」荷物持ちが一人。
三人とも、警戒を隠そうとしていない。
平三郎は内心で、むぅ、と唸る。牧野家が急ぎの陣触れを受け、熱田神宮で合流してから半月。あちこちをうろつく間に、少しずつ三人の警戒は下がっていった。ところが、今は出会ったばかりに近い警戒ぶりだ。
「今日ってことっすか」
「そうだ」
平三郎はひとりごとのつもりだったが、足軽小頭はまじめな声で同意した。
従者の三人と違い、足軽小頭の態度はこの半月で、まったく変わっていない。表面上は親しみやすい兄貴分の顔をしている。つまり、嘘の顔だ。三人の手下をのぞく全員を信用しておらず、それを表情に出すこともない。
「わかるんすか」
「炊事の煙でな」
足軽小頭は鍋を叩いた。臨時の備えだからか、日々の飯は足軽小頭が配る。
「昨日は武田の陣からも、炊事の煙があがってた」
「まじっすか」
平三郎は東をみた。山の端が白くなりつつある。旗が動いている様子はない。
「お前は、主をしっかり守れよ」
「そりゃ、守りますが……こっちから、いくんすか。武田から、くるんすか」
「おれに、わかるものかよ」
足軽小頭はケラケラと笑った。
「どっちでもやれるよう、心構えだけはしとけ、ってことだ」
「うっす」
太陽の下が、地平線から離れる。
登る日を背に武田の旗をつけた徒歩武者が走る。物見だ。
走りながら、武士は周囲に目を配る。起伏があれば、すぐに駆け込む。西の様子を伺い、また走り出す。
伏兵はいない。矢も鉄砲も飛んでこない。
地に伏せたまま、徒歩武者は背負った旗を地面に立てた。少し前までなら、堂々と立ったまま背の旗をみせる剛の者もいた。だが、鉄砲が普及するようになると、物見の死傷率が跳ね上がった。動いている間は狙われない距離であっても、動きを止めたとたん、集中砲火をくらうのだ。
後方から、隊列を整えた武田軍が動きだす。旗の位置まで安全が確保されているから、集団であっても動きは早い。
「まだだ。まだだぞ」
足軽小頭は、鉄砲隊の後ろをゆっくり歩きながら、繰り返す。
ここにいるのは、各地から集められた臨時編成の鉄砲放ちだ。鉄砲を狩猟に使うことは巧みでも、戦争のやり方は素人だ。
「お前ら、こんな戦、さっさと終わらせて帰りたいだろ。なら、最初の一発は全員でだ。まとめて撃つんだ。山猿の度肝を抜いてやれ」
何度も口にした言葉だ。抑揚のきいた節で、歌うように繰り返す。
実際には、足軽小頭は隊の誰が怯えているか、ということだけ注意を払っている。ひとり逃げだせば、残りの皆が動揺する。自分の隊が崩れれば、他の隊も逃げ支度だ。
全員に一斉に撃たせるのは、待ってる間の怯えをなくすためだ。
じゃーん、じゃん、じゃん。
銅鑼の音が聞こえてきた。武田の足軽隊からだ。前の兵が背負った銅鑼を、後ろの兵が鳴らす。士気を鼓舞させ、音の節に合わせて前に進ませようというのだ。
織田も武田も、足軽小頭は兵を前に歩ませるため全力を尽くす。ぶつかった後のことなど、しったことではない。ひとたび衝突すれば、兵は勝手に食い合う。
「まだだー、まだだぞー。まだ早いぞー」
足軽小頭は、陣の後ろから全員の様子をみる。
三十人の鉄砲放ち。三十人の竹束もち。
男たちは、陣の中にまちまちに散っている。
全員が、足軽小頭の号令を待っている。
武田軍の先頭が、渡河のため、川岸をこえて降りはじめた。足場が悪い。隊列が乱れ、動きが淀む。頃合いはよし。
「火蓋、切れぇっ!」
大音声の号令を聞き、四郎二郎が火蓋を開く。
流れるように滑らかな動きで、鉄砲を構える。狙う。
「南無阿弥陀仏」
念仏を唱える。引き金を引く。衝撃。轟音。熱い滓が顔に散る。
竹束をかまえた平三郎が前に出る。
四郎二郎は背中合わせになって、鉄砲を装填する。
「当たったか?」
「倒れたっす。でも四郎二郎様の玉かまでは、わかんねえっす」
「みんな、同時に撃ったからなあ」
四郎二郎は火縄をはずして腰に挟む。銃口から上薬を入れ、玉を詰め、朔杖で突き固める。
背中を預けた平三郎に問いかける。
「どんな塩梅だ?」
「混乱して、後ろに引いてます」
「そうか」
火皿に口薬を入れ、火蓋を閉める。
火縄を振って色と匂いを確認し、火挟に差し込む。
何度が鋭く破裂する音が聞こえてくるのは、武田側の鉄砲か。このあたりに織田の鉄砲がいると警戒し、牽制しているのだ。
四郎二郎は、懐をおさえた。鉛玉は残り八発。
四郎二郎は、ふう、と大きく息を吐いた。後ろを見ずとも、平三郎と竹束が自分を守ってくれていると、信じられる。
瞼を閉じ、頭を巡らせる。伊勢を出て、尾張で合流し、三河に入った。この山中に陣を敷いて二日は何もなく、四郎二郎は平三郎と一緒にあちらこちらをみて回った。物見遊山ではなく、地形を読むためだ。
味方の鉄砲の音が、聞こえてくる。二発。三発。四発。ばらついた音の具合から、どこを狙っているか想像できる。武田勢は、まだ混乱状態だ。混乱している獲物は、動きが読めないし、撃っても当たらない。意識を研ぎ澄まし、しばし待つ。
再び、味方の鉄砲の音。発射音が重なってくる。武田勢が、近づいている。
音が。
調和した。
四郎二郎は瞼を開いた。
「平三郎」
「っす」
平三郎が竹束を持ったまま姿勢を低くし、邪魔にならぬようにする。
鉄砲を構えて立ち上がる。そこに来る、と考えていた場所に、銃口を向ける。
いた。
引き金を引く。衝撃と轟音。火皿から飛び散る口薬の滓が頬につく。
「南無阿弥陀仏」
念仏を唱え、しゃがむ。竹束を構えた平三郎が身体を起こす。
「どうだ?」
「当たったっす。ひっくり返って……あ、這って逃げてるっす」
「念仏が遅れたか」
竹束をもつ平三郎は、背中で次の玉を装填する四郎二郎にかわって、戦場全体の様子を伺う。設楽原の北からも南からも、鉄砲の音が木霊する。
どちらが優勢か、平三郎にわかるはずもない。平三郎が気にしてるのは、もし逃げることになったら、どこをどう逃げるかだけだ。
武田に恨みはなく、織田にも徳川にも恩はない。同じ陣にいる鉄砲足軽には、それなりの絆を感じているが、それでも自分と四郎二郎の命が最優先だ。足軽小頭と三人の手下が警戒してるのも、当然のことだ。
四郎二郎がさらに一発を撃ったところで、武田勢の動きが止まった。波が退いていくように、足軽の姿が消える。入れ替わりに、武田の鉄砲の音が大きくなる。こちらの射撃で、陣の位置がばれたのだ。
「武田の鉄砲、どんな感じだ?」
「位置はわかりましたが、竹束が多いっす」
「当たらんか」
「っす」
足軽小頭もまた、戦場の様子を伺っている。
平三郎と同じく、どちらが優勢かは足軽小頭にもわからない。だが、足軽小頭には味方が劣勢になった時のために、握り飯という武器があった。
昨日、まとめて炊いた飯の残りは、握りにしてある。これをいつ配るかは、足軽小頭の裁量だ。予備の玉薬より、予備の握り飯こそが兵の脱走を防ぐ切り札となる。
足軽小頭のみたところ、戦況は膠着状態だ。武田は仕寄りつつも、手強いとみれば即座に退いた。
決着がつくのは、まだ数日は先かと足軽小頭が踏んだところで、異変が起きた。
東の方角に、煙があがったのだ。
──長篠城が落ちたか?
なれば、武田は引く。織田と徳川は、兵を送って長篠城を奪い返す。
足軽小頭が率いる鉄砲隊は、長篠城まで出向いて城攻めだ。一ヶ月はみておく必要がある。鉛と硝石は足りるが、米が足りない。どこかで調達する必要があった。
足軽小頭の頭の中に、他の諸隊との貸し借り表が出てくる。すべてを持ち運べる牛馬を用意できない以上、事前に貸し借りの形で恩を売ったり買ったりしておかねば、こういう時に詰むのだ。
──今日の戦で、被害が大きかった足軽隊は後方に下がるはず。そいつらに声をかけ、余った米俵を借り受けるしかあるまい。
足軽小頭が考えているうちに、武田に動きがあった。いよいよ撤退するかと思っていたら、向かってきた。
理由はわからないまま、足軽小頭は迎撃を指示する。こちらから攻めるのではなく、待って戦うだけなら、面倒は少ない。寄せ集めの鉄砲隊を率い、竹束を構えて戦場を右往左往するとか、想像するだけで胃が痛くなる。
武田軍の攻撃は散発的ながら、執拗なものだった。
足軽小頭は、昼過ぎには今日の前進はもうあるまいと踏み、握り飯を配った。
その頃になると、長篠城が落ちたのではなく、武田が残した鳶ヶ巣山の砦が奇襲され、火付けにあったのだとわかった。長篠城を支援する目的で、数日前から山中に伏せていた二十人ほどの徳川方の忍者が、手薄になった武田側の警戒線を突破したのだ。
前日まで長篠城は武田軍の重囲下にあった。潜り込んで警備の隙を伺おうとした忍者のひとりが捕まって磔刑にあったほどである。何日も現地に伏せていた忍者たちは織田の援軍も、設楽原の戦いのことも知るよしもなかったが、武田勢が薄くなった気配は敏感に察し、奇襲を成功させたのだ。
磔刑にあった忍者の名を、鳥居強右衛門という。
幾度目かの武田の仕寄りが終わった。
鉄砲の音が遠ざかり、聞こえなくなる。
夏の日が傾いて影が伸びていく。空はまだ白い。
「どうやら、勝ったらしいぞ」
「ほんとっすか」
「たぶん、な」
諸手抜で集められた臨時編成の鉄砲足軽に、味方の伝令が来るのはよほどの場合だ。
日が落ちる頃合いになっても、伝令も敵もこないのだから、これは勝ったとみなしていいだろう。
四郎二郎も、平三郎も、安堵の息をつく。
「残った玉は、一発だけだ」
「じゃあ、暗くなる前に作っとくっす」
「頼む。わたしは銃の掃除をして、火薬を調合しておく」
今日が無事に終わったとしても、何もかもが終わったわけではない。
武器の手入れ。玉と火薬の調合。明日もまた、今日と同じくらいの戦があるかもしれないのだ。
平三郎は、一日でぼろぼろになった竹束を結んだ縄を、ほどいた。竹束に命中した玉のうち、残っているのは二発。どちらも竹を割り、中まで食い込んでいる。
「うわっ……よく耐えてくれたなあ」
「ひらの願掛けのおかげっす」
「自分の髪の毛を縄に織り込んだと聞いたぞ」
「ありがたいっす」
平三郎は、縄を拝む。
願掛けというより呪いに近いだろ、と四郎二郎は思ったが、口には出さないでおく。ひらが時おり自分に向ける泥のような目玉が怖かったせいもあるが、ひらが家人の平三郎と仲良くなってくれるのは、よいことだからだ。
平三郎は、割れた竹をより分け、残った竹で少し小さな竹束を作る。
「ちょっと細くなったな」
「体を斜めにすりゃ、大丈夫っす」
竹束をどう運び、どう構え、どう体を隠すか。あれこれと試行錯誤する。
四郎二郎は、狙う側の視点で、竹束をもつ平三郎に、あれこれと口出しする。
ふたりの顔に浮かぶのは、笑顔だ。負け戦なら、最初に捨てる心の余裕が、ふたりを笑顔にしていた。
奥三河に、夜の帳が、おりてくる。
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