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きうちゃん1 すでに帰りたい (エロ無)
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きうちゃんは早くうちに帰りたかった。それでもご主人様からの命令を敢行しなければと、涙を呑んで人間たちの跋扈する街をさまよい歩いていた。
肌の上を湿度の高いぬるい風がゆるゆると流れていく。ワンピースのひらひらした袖から覗く少女の腕は白くか細い。コウモリのような聴覚も、オオカミの嗅覚も持たないきうちゃんが出来ることなど、人間となんにも変わらない。
はあ、と弱々しくため息をつく。夏の夜の田舎町でも、ほんの数刻前までは、通りや飲み屋の店先はそれなりの賑わいを見せていた。まだ通りに人の姿が見られたあの時分、暗がりでもわかるくらいに顔を真っ赤に染めた酔っ払いは、きうちゃんのぼんやりとした視線に気づくとこう言った。
「お嬢ちゃん! 若い娘がひとりでぇ、こんなとこウロウロしてちゃあダメだよー」
「えっ、あ………」
「はいはい山田さん、ちょっかい出さない。ヨーコちゃんのとこ行くんでしょ?」
きうちゃんに絡むそぶりを見せた酔っ払いは、連れの男性に捕まって飲み屋の連なる道を引き摺られて行った。ただ呆然とそれを眺めるしかできないでいたことを思い出す。せめてあのときに勇気を出して声をかけることができていたら、今の状況は起こらなかったのかもしれない。
吸血鬼であるご主人様は、定期的に人間の血液を摂取する必要がある。きうちゃんがご主人様から賜った命令はひとつ。おなかを空かせたご主人様のために、なんでもいいから人間を連れてくること。ご主人様のために人間を誘惑してお城へ連れて行くことが、吸血鬼の眷属として存在するきうちゃんのお仕事だった。
ちょっと前までグラビアを見てはこの女性を連れてこいとか、純潔の乙女でないと認めないとか言っていたものだが、あの様子ではとうとう背に腹を変えられなくなってきたらしい。きうちゃんもご主人様の無茶ぶりに、毎回泣きながらゼロ成果帰還を繰り返していた。おかげで人間を調達できたことなどただの一度もないのだ。
今夜、意気揚々と人間の町に降り立ったきうちゃんは、そこでようやく気が付いた。これまで誘惑どころかまともに人間と接触したことのないきうちゃんにとって、初対面の人間に怪しまれないよう話しかけることなど、どうすればいいのか皆目見当もつかない。
困ったきうちゃんはただひたすら夜の深まる町をぐるぐると徘徊しつづけ、気づいた時には人通りも店の灯もぐんと少なくなってしまっていた。
今夜は人間を連れていくことなんてできそうにない。あきらめが大きくなるとともに、きうちゃんの目頭がじわりと熱くなる。思い出すのは最後にお城を出発したときのこと。ご主人様は寝台の上で起き上がることもままならず、心配そうに見守るきうちゃんに弱々しく呟いた。
「………このままでは俺は餓えて死んでしまうだろう」
「そんな……しっかりしてくださいご主人様!」
きうちゃんよりもずっと背の高いご主人様だが、その体は骨ばって頼りない。吸血鬼という存在の宿命である肌の青白さは、人間の少女となんの遜色もないほど艶々で血色の良いきうちゃんの前では酷く病的に見える。きうちゃんは力なく告げるその手をとり、涙ながら誓ったのだ。
「わたしが何としてもご主人様をお助けします!」と。
いまごろかわいそうなご主人様は、ひもじさと孤独で泣いているかもしれない。貴重な水分が涙となって流れてしまっては、ただでさえもやしのようなご主人様の体は干物よろしく干からびてしまう。
わたしの身を差し出すことができればどんなにいいか。そう思ってまたすすり泣いた。ご主人様の力で現界しているきうちゃんから体液を摂取したとして、その体は回復しないのだ。空腹を紛らわす気休めにしかならない。
ただ、いまきうちゃんが元気に夜の町を徘徊できているということは、ご主人様の体はまだ深刻な状態ではないということでもあった。ぼんやりとした感覚ではあるが、眷属であるきうちゃんはご主人様との繋がりを感じることができる。そしてそれはまだ途切れてはいない。
ご主人様が無事なのであれば、自分がするべきことはひとつしかない。一刻も早く人間の生き血を届けることだ。きうちゃんは大きく息を吸って、あふれそうになっていた涙を指先で拭う。そう、ご主人様を助けることができるのは自分しかいない。
次に目に入った人間がいたら、それがどんなに恐ろしい外見をしていようと、どんなに威圧的に自分に罵声を浴びせかけても、絶対にご主人様のもとへ連れて帰るのだと、きうちゃんはそう決意を固めた。
「あの……君、大丈夫?」
背後からの声とともに、きうちゃんの肩に人の手が置かれる。いきなりのことに声にならない悲鳴が喉の奥で響いた。もつれる足でぎこちなく振り返ると、眉根を寄せた若い男の顔が街灯のあかりに浮かんで見えた。
「あ、えっと……」
しゃくりあげながらなんとか言葉を紡ごうとするが、心の準備ができておらず言うべき言葉がみつからなかった。
「こんな夜中に女の子がひとりじゃ危ないよ。どうしたの終電逃した?」
「わたし………、その」
自分から声をかけることしか想定していなかった彼女は、彼からかけられる質問に思考が追い付かない。
「家は近く? なにかあったの?」
「あ、あの! 今から一緒にうちまで来てくれませんか?」
会話を放棄したきうちゃんは、単刀直入に用件だけ突きつけることにした。声をかけてきた人間は大仰に驚いたようなそぶりを見せる。
「おっとぉ。ええっと? 今からって家このへんなの?」
「ちょっと遠いところにあるんですけど、夜明けまでには着きますから!」
「いや無理でしょう。どっかに足停めてるのかもしれないけど………てか君、未成年だよね?」
「だ、大丈夫です。人間の足では行けなくても私がお連れしますので」
「ええ……、ほかに連れも居なそうだけど………、ひとまずうち近くだからちょっとそこで話聞いていいかな」
「え、あ、はい。そうですねご説明します………」
一言二言言葉を交わし、目の前の人間はそんなに怖くないような気がする、ときうちゃんの緊張は若干落ち着きを見せた。この人ならご主人様の元へ連れて行けるかもしれない。そう思うと落ち込んでいた気持ちも少し明るくなる。
きうちゃんは何の疑いももたず、彼の案内するまま薄明かりに照らされる民家の間の道をひたひたと歩いて行った。
肌の上を湿度の高いぬるい風がゆるゆると流れていく。ワンピースのひらひらした袖から覗く少女の腕は白くか細い。コウモリのような聴覚も、オオカミの嗅覚も持たないきうちゃんが出来ることなど、人間となんにも変わらない。
はあ、と弱々しくため息をつく。夏の夜の田舎町でも、ほんの数刻前までは、通りや飲み屋の店先はそれなりの賑わいを見せていた。まだ通りに人の姿が見られたあの時分、暗がりでもわかるくらいに顔を真っ赤に染めた酔っ払いは、きうちゃんのぼんやりとした視線に気づくとこう言った。
「お嬢ちゃん! 若い娘がひとりでぇ、こんなとこウロウロしてちゃあダメだよー」
「えっ、あ………」
「はいはい山田さん、ちょっかい出さない。ヨーコちゃんのとこ行くんでしょ?」
きうちゃんに絡むそぶりを見せた酔っ払いは、連れの男性に捕まって飲み屋の連なる道を引き摺られて行った。ただ呆然とそれを眺めるしかできないでいたことを思い出す。せめてあのときに勇気を出して声をかけることができていたら、今の状況は起こらなかったのかもしれない。
吸血鬼であるご主人様は、定期的に人間の血液を摂取する必要がある。きうちゃんがご主人様から賜った命令はひとつ。おなかを空かせたご主人様のために、なんでもいいから人間を連れてくること。ご主人様のために人間を誘惑してお城へ連れて行くことが、吸血鬼の眷属として存在するきうちゃんのお仕事だった。
ちょっと前までグラビアを見てはこの女性を連れてこいとか、純潔の乙女でないと認めないとか言っていたものだが、あの様子ではとうとう背に腹を変えられなくなってきたらしい。きうちゃんもご主人様の無茶ぶりに、毎回泣きながらゼロ成果帰還を繰り返していた。おかげで人間を調達できたことなどただの一度もないのだ。
今夜、意気揚々と人間の町に降り立ったきうちゃんは、そこでようやく気が付いた。これまで誘惑どころかまともに人間と接触したことのないきうちゃんにとって、初対面の人間に怪しまれないよう話しかけることなど、どうすればいいのか皆目見当もつかない。
困ったきうちゃんはただひたすら夜の深まる町をぐるぐると徘徊しつづけ、気づいた時には人通りも店の灯もぐんと少なくなってしまっていた。
今夜は人間を連れていくことなんてできそうにない。あきらめが大きくなるとともに、きうちゃんの目頭がじわりと熱くなる。思い出すのは最後にお城を出発したときのこと。ご主人様は寝台の上で起き上がることもままならず、心配そうに見守るきうちゃんに弱々しく呟いた。
「………このままでは俺は餓えて死んでしまうだろう」
「そんな……しっかりしてくださいご主人様!」
きうちゃんよりもずっと背の高いご主人様だが、その体は骨ばって頼りない。吸血鬼という存在の宿命である肌の青白さは、人間の少女となんの遜色もないほど艶々で血色の良いきうちゃんの前では酷く病的に見える。きうちゃんは力なく告げるその手をとり、涙ながら誓ったのだ。
「わたしが何としてもご主人様をお助けします!」と。
いまごろかわいそうなご主人様は、ひもじさと孤独で泣いているかもしれない。貴重な水分が涙となって流れてしまっては、ただでさえもやしのようなご主人様の体は干物よろしく干からびてしまう。
わたしの身を差し出すことができればどんなにいいか。そう思ってまたすすり泣いた。ご主人様の力で現界しているきうちゃんから体液を摂取したとして、その体は回復しないのだ。空腹を紛らわす気休めにしかならない。
ただ、いまきうちゃんが元気に夜の町を徘徊できているということは、ご主人様の体はまだ深刻な状態ではないということでもあった。ぼんやりとした感覚ではあるが、眷属であるきうちゃんはご主人様との繋がりを感じることができる。そしてそれはまだ途切れてはいない。
ご主人様が無事なのであれば、自分がするべきことはひとつしかない。一刻も早く人間の生き血を届けることだ。きうちゃんは大きく息を吸って、あふれそうになっていた涙を指先で拭う。そう、ご主人様を助けることができるのは自分しかいない。
次に目に入った人間がいたら、それがどんなに恐ろしい外見をしていようと、どんなに威圧的に自分に罵声を浴びせかけても、絶対にご主人様のもとへ連れて帰るのだと、きうちゃんはそう決意を固めた。
「あの……君、大丈夫?」
背後からの声とともに、きうちゃんの肩に人の手が置かれる。いきなりのことに声にならない悲鳴が喉の奥で響いた。もつれる足でぎこちなく振り返ると、眉根を寄せた若い男の顔が街灯のあかりに浮かんで見えた。
「あ、えっと……」
しゃくりあげながらなんとか言葉を紡ごうとするが、心の準備ができておらず言うべき言葉がみつからなかった。
「こんな夜中に女の子がひとりじゃ危ないよ。どうしたの終電逃した?」
「わたし………、その」
自分から声をかけることしか想定していなかった彼女は、彼からかけられる質問に思考が追い付かない。
「家は近く? なにかあったの?」
「あ、あの! 今から一緒にうちまで来てくれませんか?」
会話を放棄したきうちゃんは、単刀直入に用件だけ突きつけることにした。声をかけてきた人間は大仰に驚いたようなそぶりを見せる。
「おっとぉ。ええっと? 今からって家このへんなの?」
「ちょっと遠いところにあるんですけど、夜明けまでには着きますから!」
「いや無理でしょう。どっかに足停めてるのかもしれないけど………てか君、未成年だよね?」
「だ、大丈夫です。人間の足では行けなくても私がお連れしますので」
「ええ……、ほかに連れも居なそうだけど………、ひとまずうち近くだからちょっとそこで話聞いていいかな」
「え、あ、はい。そうですねご説明します………」
一言二言言葉を交わし、目の前の人間はそんなに怖くないような気がする、ときうちゃんの緊張は若干落ち着きを見せた。この人ならご主人様の元へ連れて行けるかもしれない。そう思うと落ち込んでいた気持ちも少し明るくなる。
きうちゃんは何の疑いももたず、彼の案内するまま薄明かりに照らされる民家の間の道をひたひたと歩いて行った。
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