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9話

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信じられない。少なくとも1ヶ月前の俺が見たら泡吹いて倒れると思う、確実に。
時刻は午前11時。土曜日の渋谷は人通りが多く、道行く人達からチラチラと見られる。そのうち、1人の人が近づいてきて、ああ今日6回目だ。

「あの、すみません。私こういう者なのですが、芸能界など興味ございますか?」

差し出されたのは日本を代表するような大手事務所。うわー、まじか。

「ですって、水津先生。」
「さっきから何回も言ってるけど、俺こう言うの本当に興味ないから。木元先生が貰えば?」

カッチーン!本当に信じられない。1ヶ月前なら誰といても声をかけられるのは俺。なのに、なぜ俺が引き立て役になっているんだ?なんなら今の声かけられた事務所の名刺はもらったことがない。
それよりもなによりも

「水津先生、早いですって!」

1ヶ月前の俺が泡吹いて倒れそうなのはこの状況もだ。学校が休みの土曜日、お昼前のこの時間に俺は水津先生と渋谷にいる。なんでって?
それはあの雨の日。

『木元先生は駅だよね。』

当たり前のように傘に入って一緒に歩いてきた中で、突然水津先生が当たり前のように呟いた。

『はい。なんで知ってるんですか?』
『‥‥勘。』
『あ、そうなんですね。あ、ていうか水津先生は教員寮借り上げしてるから電車ですよね。』

ピッと定期券を改札に翳し入ると、続いて水津先生も入る。えーっと、水津先生は教員寮だから俺と反対方向だよな。

『いや、違う。自転車。』
『やっぱそうですよね、あと2分で電車が‥‥って自転車!?』
『はい。今日は雨だから電車に乗るけど。』

え、自転車!?え!?
意外すぎる通勤スタイルに驚いてしまう。

『なんか水津先生が自転車って想像つかないです。』
『そう?俺BMXの試合とか見ちゃうタイプ。』
『意外です。』
『来週の土曜日渋谷に新作の自転車見に行くんだけど来ます?』
『え、』
『別にどっちでもいいけど来るなら渋谷駅に10時30分。くれぐれもリアルハチ公になんないように。』
『えっ、は!?!?』

待って、今俺もしかして誘われた?
あれこれしてるうちに、水津先生は階段を降りてホームに行ってしまう。こればっかりはすぐに到着した電車を恨む。
いや、そもそも連絡先すら結局交換できなかったのにどうやって待ち合わせするんだよ、なんて思いつつも結局渋谷駅に行ってしまった。結論から言うと、俺の方が早く着いたんだけど改札から出てきた水津先生があまりにも色んな人に声をかけられていたからすぐに見つかったのてある。

「ん、ここ。」

結構早歩きな水津先生になんとか着いていって到着した店。すごく小洒落た店で、看板に“sole”と書いてある。
水津先生の後に続いて入店すると、男ならときめいてしまうようなカッコいい自転車が沢山並んでいた。

「おー、かっけー。」

全く無縁のマウンテンバイクでさえカッコいい。値段はもっとカッコよくなくていいと思うけど。

「水津先生。先生が言ってたやつどれで、」

すか?
の2文字が言えなかったのは、振り返った視界に飛び込んできた光景のせいだった。

「‥‥‥‥。」

視界の先で、店主と思われる若い男性と話をしている水津先生。その店主は普通に水津先生の頭や頬を撫でるが、水津先生は全く動じない。最後にぽんぽん、と水津先生の頭を撫でると近くにあった自転車を押してバックヤードに消えていった。
撫でられた頭を手で押さえる水津先生。その指先は遠目でもわかるくらい、ほんのり赤色に色づいていて。
あの2人はどういう関係?

心臓の奥に黒い雲が発生した気分で唾を飲み込んだ。
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