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「取材開始」
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「取材開始」
夏子と陽菜が駅前の大手スーパーに制服として着られるブラウスを買いに行って戻るまでの30分の間、稀世は唯から12年前の話を聞いた。当時4歳だった唯の話はあやふやな部分も多かったが、生まれてすぐ心臓の病気が発覚しアメリカで移植手術を受けたとのことだった。
父親は手術前に失踪し、それ以降、行方不明で母親は手術後亡くなったという事だった。かすかに父母の記憶は残るものの、記憶の殆どは児童養護施設のグループホームハッピーハウスに入所してからのものしかないと唯は語った。
過呼吸や不整脈、ましてや心停止になったことは過去になく、今回の急性心不全の原因は全く思いつかないという事だった。唯は、胸の傷を自分の指で上から下へ沿わせながら呟いた。
「それにしても、いきなり稀世姉さんにはご迷惑をおかけしました。そちらのおばさまもありがとうございました。お二人のおかげで命拾いしました。何かお礼を…。」
千円札と小銭しか入っていない財布を開く唯に、直は一言返すとビールの残りをグラスに注いだ。
「気にせんでええ。あんた、まりあちゃんの店の子やろ。まりあちゃんの店の子やったら家族みたいなもんや。まあ、「義を見て為さざりは勇無きなし」やし「情けは人の為ならず」ってなもんや。次に、あんたが困った人を見かけた時にその人を助けてたってくれたらええねや。」
稀世は唯に財布をしまわせ、ジャケットの胸元を両手で閉じた。
「直さんはこの商店街の「女黄門様」やからな。この場に直さんがおったんは運が良かったと思うで。越えてきた「修羅場」の数が違うからなぁ。直さんの心マと人工呼吸があったが故のAEDでの蘇生やからな。
それにしても唯ちゃんは大変な子供時代を過ごしたんやなぁ…。また、こんな症状が出たら困るから一回診察は受けておいた方がええやろな。」
と声をかけたところ、夏子と陽菜が買い物袋を提げて戻ってきた。
親しげに唯と話す稀世に夏子が「唯ちゃん、このおっぱい大きいお姉さんと知り合いなん?凄いカッコいい人やん!そっちのおばあちゃんも凄かったけど…。」と言いかけた瞬間、「誰がおばあちゃんやねん!」と直が投げつけたビールのキャップが夏子の額に「びしっ」と当たった。
「あ痛っ!何すんねんこのババア!」
と夏子が叫び直につかみかかろうとした瞬間、合気道の「空気投げ」が決まり、夏子の身体は空中でちょうど1回転して着地した。夏子が目をくるくる回していると、直にデコピンされ尻もちをついた。
お好み焼きがんちゃんの店長の徹三が床にお尻をついた夏子に忠告した。
「なっちゃん、この直さんは「国士無双」の合気術の師範やから逆らわんほうがええぞ!直さんに勝とうと思ったらゴジラか戦車でも持って来なあかんで。カラカラカラ。」
夏子が直と絡んでいる間に、陽菜は新しいブラウスを唯に手渡し着替えさせていた。改めて、陽菜は稀世と直に頭を下げた。
「唯ちゃんの命を救ってくれてありがとうございました。私となっちゃんではどうしようもなかったです。私は仲田陽菜、こっちは坂川夏子。唯ちゃんの1年上の門工2年生です。今後、お付き合いよろしくお願いしますね!」
夏子もぴょこんと起き上がると陽菜の横で一緒に頭を下げた。
「まあ、夏子の口の悪さはともかく、お前ら二人ともええ奴やないか。今後、唯ちゃんになんかあったらすぐに救急車くらいは呼べるようにしとってくれよ。」
直は、二人を褒めるともう一本ビールのおかわりを頼んだ。
約30分、稀世は直と夏子、陽菜と唯の様子を見守ったが、その後は過呼吸も不整脈も出なかったので「じゃあ、私は仕事があるんで行くわな。」と断りを入れて、メディアクリエイトに帰社した。デスクの太田にお好み焼き屋で起こったことを話すと、太田は唯のことに非常に興味を持った。
「稀世ちゃん、その唯っていう子は昼のワイドショー見てて過呼吸になったんやな?そんでもって12年前に心臓の移植手術をアメリカで受けたんは間違いあれへんねんな?そんで父親は失踪で、母親は死んでる…。」
太田は稀世を前にして呟くとノートパソコンを叩きだした。しばらく、モニタ―を目で追うと複合機の前に向かった。打ち出されてきた4枚のコピー用紙を稀世に手渡した。「文秋オンライン」の文字が最上段にあり、その下に「森小路副幹事長の12年前の「民自党裏金横領犯自殺事件」の疑惑に迫る①」の見出しが印刷されていた。
太田に促され、稀世は記事に目を通した。平成24年の7月に当時28歳だった森小路衆議院議員の第1秘書が民自党の「献金」、「政治資金パーティー」で集めた「帳簿外」の10億円を横領したとされる当時の記事が短くまとめられており、その後ろに「当時の事情を知るもの」として「匿名」のインタビュー記事が続いていた。
「文秋」らしい、「小出し」記事でA4用紙4枚では結論には至らないが、その中に「自殺した秘書」の名前は「土居将司」とあり、横領した10億円の使い道として「女遊び」、「博打」以外に、当時4歳の「長女のアメリカでの手術代」の文字が目に入った。手術内容については詳しくは記されていないが、国内でできなかった「移植手術」との記載があり、その推定手術費は3千万円とあった。文末に、秘書の土居は富士山の青木ヶ原樹海入り口で遺書が見つかり、妻は後に自殺したとあった。(これって、唯ちゃんの言ってたことと重なってる…。)稀世は2度繰り返し読み、太田に向かって顔を上げると、太田が間髪空けずに言った。
「稀世ちゃん、ハッピーハウス行くぞ。カメラとボイスレコーダー用意せえ!なんかスクープの匂いがするで!」
1時間後、稀世は太田と共にハッピーハウスの古い応接セットに座っていた。以前の事件で顔見知りになった年配の女性職員が対応してくれていた。
この春、卒園したばかりの唯が「過呼吸」と「不整脈」を起こしたことに対し非常に大きなショックを見せた。「ここ、10年そんなことは無かったのに…。」と言葉を詰まらせた。
「ここ10年ってことは、以前はそういう症状があったんですか?今後の唯ちゃんの為にも何か知っていることがあったら教えてください。」
稀世が質問を投げかけ、前のめりになった。女性職員は、「少し失礼します。」と席を外し、過去の入所者台帳を持って出てきた。表紙に「北浜唯 平成24年9月1日入所」とシールが貼られている。テーブルの上に置くと稀世と太田に呟いた。
「これが唯ちゃんの入所時に所長が残した記録です。ここに来たきっかけはそりゃ可哀そうで…。」
表紙をめくった先にあった当時の所長の入所者カルテによると「北浜」というのは唯の母方の姓であることが記されていた。太田が予想した通り、父親は12年前に「裏金横領事件」の犯人で富士の樹海で自殺したとされる「土居将司」だった。家族のスナップ写真や唯の当時の診断書なども一緒にファイルされていた。
その中に平成27年7月8日に樹海入り口のガードレール支柱に残されていたと言われているワープロ打ちの「土居」の「遺書」が掲載された週刊誌の記事のスクラップも一緒に保管されていた。
太田は老眼鏡を取り出し、稀世の横で記事の中にあった写真の遺書を読み上げた。遺書は3枚あり、文章の一部には黒塗りがされていた。1枚目には、民自党の献金、パーティー収入を横領し、個人的に使用した内容とそれに対する「党」および「派閥」、そして「森小路」代議士にあてたと思われる「詫び」が書かれていた。2枚目はマスコミにあてたものであり、「今回の事件はすべて自分に非があり、党や伏字になった「森小路」には内緒で自分一人でやったことであると書かれていた。その中に、「長女の海外での心臓移植の手術」費用だけ横領するつもりが、つい金に目がくらみ必要以上の遊行に使用してしまったことが綴られていた。3枚目は家族にあてたもので妻と長女に対する先立つ不幸と将来的に犯罪者の家族と誹りを受けることを避けるために「死亡宣告」を出す前に提出する様にと「土居」の記名捺印の済んだ離婚届が同封されていたと記載され、名前、住所にモザイクのかかった離婚届の画像も掲載されていた。
記事はほぼ100%、土居が悪者として記されており、当時の所長の記録にあった「母 精神疾患で入院中」を2本の横線で消し、「9月7日入院先の病院内で死去」の記載を裏付ける記事のスクラップもあった。
9月3日の別の週刊誌に「土居の妻「康子」の浪費癖と男の影」のタイトルの記事は妻の「行動」が数多くの証言と共に赤裸々にさらされていた。9月17日の週刊誌には「疑惑の張本人「土居将司」の妻「康子」の自殺により事件の真相は闇の底へ!」との記事には、妻の康子の自殺記事が掲載されていた。その後の記事は、土居夫婦の行動に対する「罵詈雑言」が並ぶものばかりだった。
稀世は太田がその記事を読み終わると手に取って読んだ。土居の残した遺書の「写真」にある違和感を感じたがそれが「何」であるかははっきりとしなかった。(なんか違う…。これって本当に唯ちゃんのお父さんが書いたもんなん?)とのどに刺さった小魚の骨のような気持ち悪さが残りつつも、その画像をデジカメに収めた。
何を尋ねていいかわからない稀世に代わって太田が女性職員に当時の唯について質問を繰り返した。事件のあった7月上旬に渡米し、心臓移植手術を終えた唯と康子は8月中旬に帰国した。
妻康子は収拾しない土居への攻撃的な報道に心を病み精神科に入院することになったという。元所長の知人である入院先のソーシャルワーカーから唯を一時的にハッピーハウスで預かれないものかと依頼を受け、短期入所として受け付けたが、9月10日の康子の自殺により「北浜唯」として中学卒業の今年3月までこの場で暮らすことになった話は稀世の心を重くした。
入所以前、唯が父親の事件をどのように知っていたのかは不明だが、帰国後短い期間とはいえ母親と二人で国内で暮らしていた間に、母親から何かを聞いていたのかは誰にもわからない。
唯の心臓移植手術の経過は順調で、拒絶反応は全く出ず手術からひと月もすると日常生活上、支障ない身体になっていたというのは、病院関係者からの証言で元所長の記録に残っている。
次に体の不調が記録されているのは、夕食後のテレビの時間だった。番組途中で過呼吸になった記録が数回残っていた。丁寧に日時も記されていたので稀世は丁寧にメモを取った。
ただ、その症状の記録は年末までの間で終わり、その後、同様の症状発症が表記されることは無く、女性職員の記憶にも無いという事だった。
約2時間の面談を終え、ハウスの夕食準備の時間になったとのことで、稀世と太田は丁寧に女性職員にお礼を伝えた。時計を見ると午後6時になっていた。
「稀世ちゃん、もしかしたら「金の鉱脈」を見つけてきたんかも知れへんぞ。この間の「関目大介」と「土居将司」を繋ぐ「森小路雄太」…。今日発表の記事で「文秋」がどこまで掴んでるんかわからんけど、ハッピーハウスまでは来てへんよな。もしかしたら「逆転ホームラン」の可能性もあるんとちゃうか?
今後の稀世ちゃんの活躍に期待して今日は奮発してなんかええもんでも食いに行こか?幸い、今のところ「取材費」かかってへんから好きなもん言うてええぞ!」
の太田の言葉に
「じゃあ、「向日葵寿司」連れて行ってください!大将の長井さんから、夜でも「お寿司はいつでもランチ価格にしますよ!」って言ってもらってるんで。お酒代は太田さん持ちでお願いしますね!さーあ、今日はたっぷり飲ませてもらおうかな!ケラケラケラ。」
と稀世は無理して笑った。
稀世は向日葵寿司大将の「長井三朗」に電話を入れ、席の空きを確認して向日葵寿司に着くと、三朗はカウンターの中から満面の笑みで迎えてくれた。
「いらっしゃい!稀世さん、今日は「がんちゃん」で大活躍やったらしいじゃないですか?がんちゃんと直さんから聞いてますよ!まずは僕からサービスです。稀世さんも太田さんも「生」でいいですか?」
「ありがとう。」と頷いてカウンター席に二人で座ると、三朗が冷たいおしぼりを渡してくれた。梅雨明け前の7月の蒸し暑さに、ヒヤッとした感触が気持ちよかった。
「「あがり」はいつでも出しますんで、まずは「冷たいもの」でのどを潤してくださいね。」
と二杯の生ビールとおぼろ豆腐の冷奴に塩昆布とごま油がかかった「お通し」が先に出された。太田は「まずは乾杯」といって稀世のジョッキに「コツン」とあてると一気に半分を飲み干した。
「稀世ちゃん、ハッピーハウスで浮かない顔してたけどなんかあったんか?」
の問いに稀世は何も答えられなかった。
「稀世ちゃんの「直感」っていうか「野生の勘」は当たるからな。まあ、慌てんと取材を広げて行こか。難し顔してたら「お寿司」に失礼やからな。まあ、しっかりと美味しいお寿司と酒で頭をほぐすんやな」
太田は優しく稀世に言葉をかけると「大将、ええ純米酒あったら「冷」で出してや。おちょこは2つな!」と三朗に注文を入れた。
夏子と陽菜が駅前の大手スーパーに制服として着られるブラウスを買いに行って戻るまでの30分の間、稀世は唯から12年前の話を聞いた。当時4歳だった唯の話はあやふやな部分も多かったが、生まれてすぐ心臓の病気が発覚しアメリカで移植手術を受けたとのことだった。
父親は手術前に失踪し、それ以降、行方不明で母親は手術後亡くなったという事だった。かすかに父母の記憶は残るものの、記憶の殆どは児童養護施設のグループホームハッピーハウスに入所してからのものしかないと唯は語った。
過呼吸や不整脈、ましてや心停止になったことは過去になく、今回の急性心不全の原因は全く思いつかないという事だった。唯は、胸の傷を自分の指で上から下へ沿わせながら呟いた。
「それにしても、いきなり稀世姉さんにはご迷惑をおかけしました。そちらのおばさまもありがとうございました。お二人のおかげで命拾いしました。何かお礼を…。」
千円札と小銭しか入っていない財布を開く唯に、直は一言返すとビールの残りをグラスに注いだ。
「気にせんでええ。あんた、まりあちゃんの店の子やろ。まりあちゃんの店の子やったら家族みたいなもんや。まあ、「義を見て為さざりは勇無きなし」やし「情けは人の為ならず」ってなもんや。次に、あんたが困った人を見かけた時にその人を助けてたってくれたらええねや。」
稀世は唯に財布をしまわせ、ジャケットの胸元を両手で閉じた。
「直さんはこの商店街の「女黄門様」やからな。この場に直さんがおったんは運が良かったと思うで。越えてきた「修羅場」の数が違うからなぁ。直さんの心マと人工呼吸があったが故のAEDでの蘇生やからな。
それにしても唯ちゃんは大変な子供時代を過ごしたんやなぁ…。また、こんな症状が出たら困るから一回診察は受けておいた方がええやろな。」
と声をかけたところ、夏子と陽菜が買い物袋を提げて戻ってきた。
親しげに唯と話す稀世に夏子が「唯ちゃん、このおっぱい大きいお姉さんと知り合いなん?凄いカッコいい人やん!そっちのおばあちゃんも凄かったけど…。」と言いかけた瞬間、「誰がおばあちゃんやねん!」と直が投げつけたビールのキャップが夏子の額に「びしっ」と当たった。
「あ痛っ!何すんねんこのババア!」
と夏子が叫び直につかみかかろうとした瞬間、合気道の「空気投げ」が決まり、夏子の身体は空中でちょうど1回転して着地した。夏子が目をくるくる回していると、直にデコピンされ尻もちをついた。
お好み焼きがんちゃんの店長の徹三が床にお尻をついた夏子に忠告した。
「なっちゃん、この直さんは「国士無双」の合気術の師範やから逆らわんほうがええぞ!直さんに勝とうと思ったらゴジラか戦車でも持って来なあかんで。カラカラカラ。」
夏子が直と絡んでいる間に、陽菜は新しいブラウスを唯に手渡し着替えさせていた。改めて、陽菜は稀世と直に頭を下げた。
「唯ちゃんの命を救ってくれてありがとうございました。私となっちゃんではどうしようもなかったです。私は仲田陽菜、こっちは坂川夏子。唯ちゃんの1年上の門工2年生です。今後、お付き合いよろしくお願いしますね!」
夏子もぴょこんと起き上がると陽菜の横で一緒に頭を下げた。
「まあ、夏子の口の悪さはともかく、お前ら二人ともええ奴やないか。今後、唯ちゃんになんかあったらすぐに救急車くらいは呼べるようにしとってくれよ。」
直は、二人を褒めるともう一本ビールのおかわりを頼んだ。
約30分、稀世は直と夏子、陽菜と唯の様子を見守ったが、その後は過呼吸も不整脈も出なかったので「じゃあ、私は仕事があるんで行くわな。」と断りを入れて、メディアクリエイトに帰社した。デスクの太田にお好み焼き屋で起こったことを話すと、太田は唯のことに非常に興味を持った。
「稀世ちゃん、その唯っていう子は昼のワイドショー見てて過呼吸になったんやな?そんでもって12年前に心臓の移植手術をアメリカで受けたんは間違いあれへんねんな?そんで父親は失踪で、母親は死んでる…。」
太田は稀世を前にして呟くとノートパソコンを叩きだした。しばらく、モニタ―を目で追うと複合機の前に向かった。打ち出されてきた4枚のコピー用紙を稀世に手渡した。「文秋オンライン」の文字が最上段にあり、その下に「森小路副幹事長の12年前の「民自党裏金横領犯自殺事件」の疑惑に迫る①」の見出しが印刷されていた。
太田に促され、稀世は記事に目を通した。平成24年の7月に当時28歳だった森小路衆議院議員の第1秘書が民自党の「献金」、「政治資金パーティー」で集めた「帳簿外」の10億円を横領したとされる当時の記事が短くまとめられており、その後ろに「当時の事情を知るもの」として「匿名」のインタビュー記事が続いていた。
「文秋」らしい、「小出し」記事でA4用紙4枚では結論には至らないが、その中に「自殺した秘書」の名前は「土居将司」とあり、横領した10億円の使い道として「女遊び」、「博打」以外に、当時4歳の「長女のアメリカでの手術代」の文字が目に入った。手術内容については詳しくは記されていないが、国内でできなかった「移植手術」との記載があり、その推定手術費は3千万円とあった。文末に、秘書の土居は富士山の青木ヶ原樹海入り口で遺書が見つかり、妻は後に自殺したとあった。(これって、唯ちゃんの言ってたことと重なってる…。)稀世は2度繰り返し読み、太田に向かって顔を上げると、太田が間髪空けずに言った。
「稀世ちゃん、ハッピーハウス行くぞ。カメラとボイスレコーダー用意せえ!なんかスクープの匂いがするで!」
1時間後、稀世は太田と共にハッピーハウスの古い応接セットに座っていた。以前の事件で顔見知りになった年配の女性職員が対応してくれていた。
この春、卒園したばかりの唯が「過呼吸」と「不整脈」を起こしたことに対し非常に大きなショックを見せた。「ここ、10年そんなことは無かったのに…。」と言葉を詰まらせた。
「ここ10年ってことは、以前はそういう症状があったんですか?今後の唯ちゃんの為にも何か知っていることがあったら教えてください。」
稀世が質問を投げかけ、前のめりになった。女性職員は、「少し失礼します。」と席を外し、過去の入所者台帳を持って出てきた。表紙に「北浜唯 平成24年9月1日入所」とシールが貼られている。テーブルの上に置くと稀世と太田に呟いた。
「これが唯ちゃんの入所時に所長が残した記録です。ここに来たきっかけはそりゃ可哀そうで…。」
表紙をめくった先にあった当時の所長の入所者カルテによると「北浜」というのは唯の母方の姓であることが記されていた。太田が予想した通り、父親は12年前に「裏金横領事件」の犯人で富士の樹海で自殺したとされる「土居将司」だった。家族のスナップ写真や唯の当時の診断書なども一緒にファイルされていた。
その中に平成27年7月8日に樹海入り口のガードレール支柱に残されていたと言われているワープロ打ちの「土居」の「遺書」が掲載された週刊誌の記事のスクラップも一緒に保管されていた。
太田は老眼鏡を取り出し、稀世の横で記事の中にあった写真の遺書を読み上げた。遺書は3枚あり、文章の一部には黒塗りがされていた。1枚目には、民自党の献金、パーティー収入を横領し、個人的に使用した内容とそれに対する「党」および「派閥」、そして「森小路」代議士にあてたと思われる「詫び」が書かれていた。2枚目はマスコミにあてたものであり、「今回の事件はすべて自分に非があり、党や伏字になった「森小路」には内緒で自分一人でやったことであると書かれていた。その中に、「長女の海外での心臓移植の手術」費用だけ横領するつもりが、つい金に目がくらみ必要以上の遊行に使用してしまったことが綴られていた。3枚目は家族にあてたもので妻と長女に対する先立つ不幸と将来的に犯罪者の家族と誹りを受けることを避けるために「死亡宣告」を出す前に提出する様にと「土居」の記名捺印の済んだ離婚届が同封されていたと記載され、名前、住所にモザイクのかかった離婚届の画像も掲載されていた。
記事はほぼ100%、土居が悪者として記されており、当時の所長の記録にあった「母 精神疾患で入院中」を2本の横線で消し、「9月7日入院先の病院内で死去」の記載を裏付ける記事のスクラップもあった。
9月3日の別の週刊誌に「土居の妻「康子」の浪費癖と男の影」のタイトルの記事は妻の「行動」が数多くの証言と共に赤裸々にさらされていた。9月17日の週刊誌には「疑惑の張本人「土居将司」の妻「康子」の自殺により事件の真相は闇の底へ!」との記事には、妻の康子の自殺記事が掲載されていた。その後の記事は、土居夫婦の行動に対する「罵詈雑言」が並ぶものばかりだった。
稀世は太田がその記事を読み終わると手に取って読んだ。土居の残した遺書の「写真」にある違和感を感じたがそれが「何」であるかははっきりとしなかった。(なんか違う…。これって本当に唯ちゃんのお父さんが書いたもんなん?)とのどに刺さった小魚の骨のような気持ち悪さが残りつつも、その画像をデジカメに収めた。
何を尋ねていいかわからない稀世に代わって太田が女性職員に当時の唯について質問を繰り返した。事件のあった7月上旬に渡米し、心臓移植手術を終えた唯と康子は8月中旬に帰国した。
妻康子は収拾しない土居への攻撃的な報道に心を病み精神科に入院することになったという。元所長の知人である入院先のソーシャルワーカーから唯を一時的にハッピーハウスで預かれないものかと依頼を受け、短期入所として受け付けたが、9月10日の康子の自殺により「北浜唯」として中学卒業の今年3月までこの場で暮らすことになった話は稀世の心を重くした。
入所以前、唯が父親の事件をどのように知っていたのかは不明だが、帰国後短い期間とはいえ母親と二人で国内で暮らしていた間に、母親から何かを聞いていたのかは誰にもわからない。
唯の心臓移植手術の経過は順調で、拒絶反応は全く出ず手術からひと月もすると日常生活上、支障ない身体になっていたというのは、病院関係者からの証言で元所長の記録に残っている。
次に体の不調が記録されているのは、夕食後のテレビの時間だった。番組途中で過呼吸になった記録が数回残っていた。丁寧に日時も記されていたので稀世は丁寧にメモを取った。
ただ、その症状の記録は年末までの間で終わり、その後、同様の症状発症が表記されることは無く、女性職員の記憶にも無いという事だった。
約2時間の面談を終え、ハウスの夕食準備の時間になったとのことで、稀世と太田は丁寧に女性職員にお礼を伝えた。時計を見ると午後6時になっていた。
「稀世ちゃん、もしかしたら「金の鉱脈」を見つけてきたんかも知れへんぞ。この間の「関目大介」と「土居将司」を繋ぐ「森小路雄太」…。今日発表の記事で「文秋」がどこまで掴んでるんかわからんけど、ハッピーハウスまでは来てへんよな。もしかしたら「逆転ホームラン」の可能性もあるんとちゃうか?
今後の稀世ちゃんの活躍に期待して今日は奮発してなんかええもんでも食いに行こか?幸い、今のところ「取材費」かかってへんから好きなもん言うてええぞ!」
の太田の言葉に
「じゃあ、「向日葵寿司」連れて行ってください!大将の長井さんから、夜でも「お寿司はいつでもランチ価格にしますよ!」って言ってもらってるんで。お酒代は太田さん持ちでお願いしますね!さーあ、今日はたっぷり飲ませてもらおうかな!ケラケラケラ。」
と稀世は無理して笑った。
稀世は向日葵寿司大将の「長井三朗」に電話を入れ、席の空きを確認して向日葵寿司に着くと、三朗はカウンターの中から満面の笑みで迎えてくれた。
「いらっしゃい!稀世さん、今日は「がんちゃん」で大活躍やったらしいじゃないですか?がんちゃんと直さんから聞いてますよ!まずは僕からサービスです。稀世さんも太田さんも「生」でいいですか?」
「ありがとう。」と頷いてカウンター席に二人で座ると、三朗が冷たいおしぼりを渡してくれた。梅雨明け前の7月の蒸し暑さに、ヒヤッとした感触が気持ちよかった。
「「あがり」はいつでも出しますんで、まずは「冷たいもの」でのどを潤してくださいね。」
と二杯の生ビールとおぼろ豆腐の冷奴に塩昆布とごま油がかかった「お通し」が先に出された。太田は「まずは乾杯」といって稀世のジョッキに「コツン」とあてると一気に半分を飲み干した。
「稀世ちゃん、ハッピーハウスで浮かない顔してたけどなんかあったんか?」
の問いに稀世は何も答えられなかった。
「稀世ちゃんの「直感」っていうか「野生の勘」は当たるからな。まあ、慌てんと取材を広げて行こか。難し顔してたら「お寿司」に失礼やからな。まあ、しっかりと美味しいお寿司と酒で頭をほぐすんやな」
太田は優しく稀世に言葉をかけると「大将、ええ純米酒あったら「冷」で出してや。おちょこは2つな!」と三朗に注文を入れた。
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