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「2013年12月の「焼飯の金将」社長射殺事件」とは…」
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「2013年12月の「焼飯の金将」社長射殺事件」とは…」
凜は、「次の資料をプリントさせてもらいますね。」と創業者社長から殺された4代目社長を挟んで現在の社長までの資料を次に持ち出した。
創業者社長の「佐藤麻紀」の説明は、現在、凜の学費や生活費を補助してくれている「公益財団法人佐藤麻紀国際奨学財団」の説明から始まった。前身の「財団法人」が1993年12月1日に設立され、2010年12月15日に今の「公益財団法人」に引き継がれている。
「ん、創業社長の資料を見ると生まれは1924年7月10日で、1993年6月4日に亡くなってることになってるで。財団設立は社長が死んだ後やで。これは、何か怪しいんとちゃう?」
稀世が「佐藤麻紀」の資料にチェックを入れて質問を投げた。
「財団立ち上げは、一般法人と違って「審査」、「申請」、「認可」やなんやで時間がかかるもんや。「名誉職」ってなもんやからそこにはあんまりこだわらんでもいいんとちゃうか?まずは、創業者の生い立ちからザクっとさらっていこうや。」
直に促されて、再度、3人は資料に目を落とした。
創業社長の佐藤麻紀は1924年に神奈川西部の貧しい山村で小さな鮮魚店の息子として生まれた。9歳から家計を助けるために新聞配達に始まり、ありとあらゆる子供でもできる仕事を行った。「俺が稼いで父ちゃんと母ちゃんに旨い物食わせてやるんだ。」と自分自身に誓った。
尋常小学校を卒業後、本格的に働き始め、開戦前の1941年には中国山西省臨汾で飲食店を営む長兄の後を追い大陸に渡った。調理の仕事に目覚め、洋食を覚えるために帰国し、大阪の梅田にあるアサヒビール(※当時の「大日本麦酒株式会社」)のビアホールでコック見習いとなるも、1944年に徴兵され中国に出征する。
帰国後、料理店や進駐軍食堂コックだけでなく、行商人、小口金融屋、連れ込み宿経営等を行い、「薪炭商」をしているときに「小西松子」と知り合い、結婚した。1950年に長男「靖」、1953年に次男「謹二」を授かる。
苦難の二十代、三十代を乗り切り、40歳頃に仕事は安定しつつあり、43歳を迎えた時に家族経営で「金将」を立ち上げた。
麻紀が鍋を振り、松子が会計、息子が出前に走る毎日だったとの事。店は他店の3分の2の低価格路線が受け入れられ繁盛し、2号店では「10人前食べたら無料」を目玉サービスに一気に客を呼び込んだ。
多店舗展開を進める中、「この世で扱いにくいんは「運転手」と「職人」やな。「手」に「職」を持ってるやつは、気に入らんことがあるとすぐにやめてしまいよる。」と後年のインタビューで語った麻紀は、「高給与」を前面に打ち出し人材の確保に努めた。
「今まで以上に儲けた分はみんなにくれてやるから、好きにせえ!」の掛け声で従業員に「火」がついたと語っているエピソードが綴られていた。
「へー、参考で書いてくれてる「金将」の新卒初任給が凄いな。2023年度で「22万6300円」でも、「メディアクリエイト」よりかなりええのに、2024年は5万2千円アップで「27万8500円」やて!在籍してる従業員も賃上げ率11.5%で4万円弱のアップやて。従業員を大事にする会社なんやなぁ…。」
稀世は自分の給与と比べ、一瞬「転職」を考え、次のページをめくると大きな目をさらに大きく見開いた。
そこには1975年時点の大卒者の初任給が平均8万9300円の時代に「15万円」。1979年には全国の大卒平均初任給が10万9500円に対し「20万円」と記載され、更に「毎月」の昇給が「4千円」あり、基本給が30万円に到達すると「基本給40万円」の「店長」に昇格し、開業資金の1割を用意できる者はFC店を持つこともでき、1972年にFC1号店が開店したとあり、他の飲食チェーンと違い「高収入」と「独立」を目指した大学新卒採用が圧倒的に多かったとのことだった。
「いやー、「金将」が伸びる理由がよくわかった気がするなぁ。レスラーでも「給料のいい」団体はいい選手が残るけど、バイトしながらでないと生活できへんインディーズやと「転籍」か「引退」しかあれへんかったもん。才能ある子が辞めざるを得なかったんをよおさん見送ったもんな…。」
稀世が昔を思い出しながら呟くと、直が稀世にその先を読むように勧めた。そこには、「高収入」の裏にある厳しい「労働」の実態が生々しく綴られていた。
1日の平均労働時間は「14時間」。当時は「休日」は基本的に無し。月額2万5千円の「皆勤手当て」は1日でも休めば「0円」になる。各店舗に支給される最高「9万円」から最低「千円」の「順位賞」も1日でも休むと半額になるとのことだった。
さらに店長職の給与が「50万」の時のエピソードで、麻紀自身による店舗点検で店の清掃や容器の洗い方等の不備があると社長自ら「1万から5万円の減給」を決定した事や、本部に客からクレームが入ると店長は監督責任で「10万円」の減給になったという。
そんな創業者社長の「モーレツ」経営を支持する「従業員」と徹底管理された「早く」、「旨く」、「めっちゃ安い」方針を貫く「焼飯の金将」は幅広い顧客に背を押された。麻紀自身は1980年代から上場を考えていた中、グループの年間売上は100億、200億と伸びていき、300億に手が届こうかとする1990年12月には称号を「株式会社金将フードサービス」とし、1993年に上場を果たすと、その年の6月10日に麻紀社長は68歳の若さで急逝した。
「あー、亡くなったとき社長はどない思ったんやろな。「やり切った!」なのか「まだ頑張りたかった…。」なんかどっちやろな。68歳いうたらわしと同じやからなぁ…。まぁ、わしは商売はもう譲ったから後は稀世ちゃん達と「悪い奴」を「成敗」しながら、面白おかしく100歳を迎えたいけどな。稀世ちゃん、今回もしっかりと「わし」の余生を楽しませてくれよ!カラカラカラ。」
と直は初代社長のレポートを読み終え笑っていた。
2代目の社長からのレポートは創業者と違い「薄い」レポートだった。「KFS」2代目社長は、創業者がアサヒビールからスカウトしてきた副社長の「落月国雄」が1993年6月に昇格することとなった。
上場前後の諸雑務や金融機関や監査法人との打ち合わせをてきぱきとこなし、更に「金将グループ」の業績を伸ばした。元上場会社の職歴は取引業者から好評であったにもかかわらず、1年での退任となり、「取締役会長」の席に追いやられた。
凜のレポートも「落月」に関しては、半ページで終わっている。
次のページからは、「超重要!」の朱書き文字が最上部に入った1994年6月に「代表取締役社長」に就任した創業者佐藤麻紀の長男「佐藤靖」と「代表取締役専務」になった次男の「佐藤謹二」の連名のページになっていた。
2代目の「落月」の本音は何処にあったかはわからないが、創業者一族がほとんどの株を所有していた「店頭公開」時代に「株主総会」はもちろんの事、「取締役会」でも創業者実子の兄弟の意見に「ノー」を言えるものは居なかったという事が、1年での社長入れ替えの真実であろうとのビジネス雑誌の記事のあとに十余りの類似記事が抜粋されていた。
「あれ?凜ちゃん、この2人については、雑誌の引用ばっかりなん?」
稀世が記事に目を通す前に凜に尋ねた。
「は、はい…。この2人、2013年に殺された4代目さんが社長になられた2000年4月までの5年10カ月は「代表権」を持ってたんですけど、正式な「金将」側からの紹介記事や大手メディア、有名ビジネス誌への露出が少なくて、そこに張り付けてる記事も「4代目」の「小西社長」が亡くなった後の「メディア記事」なんです。
長男は、まずメディアでは名前は出てこないですし、マスコミが「4代目射殺」の「キーマン」の一人とする「次男」は海外在住みたいで何も情報が拾えないんですよ。」
と自信ない表情で俯いてしまったので、稀世は(とりあえず、最後まで読むか…。)と「3代目」時代の「金将」について語るメディア記事を読み流していった。
そして射殺された「4代目社長「小西貴志」のレポートに進んだ。「小西」は創業者社長の嫁の「松子」の16歳年下の弟で、「関西経理専門学校」中退で「小西商事」という個人事業を営んでいたが1969年8月、28歳で開業3年目の「金将」1号店に迎え入れられている。後のインタビューで「経理専門学校」に入学したのは創業者の麻紀のアドバイスがあったと語っている。
1978年「営業本部長」、1980年「取締役」、1984年「常務取締役」、1993年「専務取締役」、1995年「取締役副社長」と出世し、2000年4月に「代表取締役」に就任し、2005年には「金将焼飯大連餐飲有限公司」の「董事長」も兼任している経歴が記されていた。
その下に、ウィキペディアの「金将社長射殺事件」のページ抜粋で毎朝の本社の門や駐車場の掃除、昼のトイレ掃除などのエピソードや、直営店、FC店長の顔写真を部屋に貼り、全員の顔と名前を覚えて、従業員の誕生日には自ら選んだ「啓発本」を送り、その配偶者の誕生日には花束を送っていた事が記載されていた。更に地元の「高校サッカー部」が2012年に全国高校サッカー選手権大会で準優勝を果たした際には、自らの財布から30万円支払い、近隣の金将直営店舗を半分貸し切りにして、選手や関係者100名を招いてのお祝いの逸話が記されていた。
故人の人柄を示すエピソードの後には、射殺事件の後、および実行犯逮捕後の大手新聞のオンライン版の記事が貼り付けられていた。
「へー、どの新聞も「人柄のいい社長」が創業者の息子たちの残した「負の遺産」の整理に尽力した結果、「何者」かにより「殺されたかも?」って話やな。
社長を3代目の息子兄弟から引き継いだ時点で息子兄弟のゴルフ場開発投資や本業以外の不動産や金融商品投資の失敗でできた債務超過状態の460億円の負債を2007年から小西さんが「整理」に入ってとある関係者とその関連企業グループで「260億円」の資金の不正流出が発覚して、うち「170億円」が回収不能になった…。
そこに社長自らメスを入れて「膿」を出そうとしてたところ、2022年に捕まったやくざのヒットマンに「バキュン、バキュン、バキュン、バキュン」と撃たれてしもたって流れやねんな。
記事によっては、創業者の頃から付き合いのある関係者っていうのが大阪の「同和のドン」の「A氏」とかそのオーナー会社の「B社」とか出てるやん。この「A氏」ができの悪かった3代目社長兄弟と一緒になって、自分らのやらかした「悪事」がばれてしまうからって「正義の味方」の「4代目社長」を「殺し屋」を使って亡き者にしたって話やねんな。」
稀世がレポートを前後しながら、自分なりのストーリーを整理すると凜が
「私も、最初は稀世姉さんと同じように思いました。ただ、これだけ大手マスメディアが共通の記事を公表する中、未だに「実行犯」以外の逮捕者は出ていません。
記事によると「実行犯」は筋金入りの「ヒットマン」で被害者の小西社長とのコンタクト歴は認められず、本人は2年経った今でも完全黙秘で「小西社長の殺害を依頼した者の名前どころか、その黒幕に関する自供は全く得られてないって話です。
日本の警察は世界一優秀で有能だと聞きます。マフィアとの「シガラミ」や悪者からの「賄賂」を受け付ける国の警察とは違うんですよね。その日本の警察が「A氏」を任意聴取しても「逮捕」できなかったってことは、他に「黒幕」がいるって事ではないでしょうか?
稀世姉さん、私もまだ調べ始めて数か月です。もちろん、素人の初めての追跡調査です。でも、稀世姉さんは「プロ」の「スクーパー」ですよね!一緒にこの謎を解き明かしましょう!お願いします!」
凜は改めて稀世に丁寧に頭を下げた。返事に詰まった稀世の横で直が稀世の大きな胸を指でつついておちょくった。
「ほれ、先輩スクーパーとして「マンガの「名探偵少年」やドラマの「ノッポのイケメン探偵」には負けへんで!「顔は子供やけど大人の頭脳以上の「超大人」おっぱいの名探偵稀世に任しとかんかい!」くらい言うたれよ。もしかしたら稀世ちゃんの「引き寄せ体質」が今年最初の奇跡を呼び込むかもしれへんぞ。カラカラカラ。」
会議室の時計は既に夜の7時を回っていた。かれこれ5時間以上、資料をまとめていたことになる。(えらい気楽に言うけど、私が狙って取った「スクープ」ならええけど、直さんの言う「引き寄せ体質」って言うんが「実際」やから、凜ちゃんの前でそんなえらそうなこと言われへんわ…。)と思った瞬間、テーブルの上に置いた稀世のスマホが点灯した。
(がおっ!これは「天啓」や!)と思った稀世の見た画面には、太田からのライン着信で「坂井が8時には仕事明けで来てくれることになった。「お好み焼きがんちゃん」に集合!」とメッセージが入ってきた。
「おまけ」
凜は、「次の資料をプリントさせてもらいますね。」と創業者社長から殺された4代目社長を挟んで現在の社長までの資料を次に持ち出した。
創業者社長の「佐藤麻紀」の説明は、現在、凜の学費や生活費を補助してくれている「公益財団法人佐藤麻紀国際奨学財団」の説明から始まった。前身の「財団法人」が1993年12月1日に設立され、2010年12月15日に今の「公益財団法人」に引き継がれている。
「ん、創業社長の資料を見ると生まれは1924年7月10日で、1993年6月4日に亡くなってることになってるで。財団設立は社長が死んだ後やで。これは、何か怪しいんとちゃう?」
稀世が「佐藤麻紀」の資料にチェックを入れて質問を投げた。
「財団立ち上げは、一般法人と違って「審査」、「申請」、「認可」やなんやで時間がかかるもんや。「名誉職」ってなもんやからそこにはあんまりこだわらんでもいいんとちゃうか?まずは、創業者の生い立ちからザクっとさらっていこうや。」
直に促されて、再度、3人は資料に目を落とした。
創業社長の佐藤麻紀は1924年に神奈川西部の貧しい山村で小さな鮮魚店の息子として生まれた。9歳から家計を助けるために新聞配達に始まり、ありとあらゆる子供でもできる仕事を行った。「俺が稼いで父ちゃんと母ちゃんに旨い物食わせてやるんだ。」と自分自身に誓った。
尋常小学校を卒業後、本格的に働き始め、開戦前の1941年には中国山西省臨汾で飲食店を営む長兄の後を追い大陸に渡った。調理の仕事に目覚め、洋食を覚えるために帰国し、大阪の梅田にあるアサヒビール(※当時の「大日本麦酒株式会社」)のビアホールでコック見習いとなるも、1944年に徴兵され中国に出征する。
帰国後、料理店や進駐軍食堂コックだけでなく、行商人、小口金融屋、連れ込み宿経営等を行い、「薪炭商」をしているときに「小西松子」と知り合い、結婚した。1950年に長男「靖」、1953年に次男「謹二」を授かる。
苦難の二十代、三十代を乗り切り、40歳頃に仕事は安定しつつあり、43歳を迎えた時に家族経営で「金将」を立ち上げた。
麻紀が鍋を振り、松子が会計、息子が出前に走る毎日だったとの事。店は他店の3分の2の低価格路線が受け入れられ繁盛し、2号店では「10人前食べたら無料」を目玉サービスに一気に客を呼び込んだ。
多店舗展開を進める中、「この世で扱いにくいんは「運転手」と「職人」やな。「手」に「職」を持ってるやつは、気に入らんことがあるとすぐにやめてしまいよる。」と後年のインタビューで語った麻紀は、「高給与」を前面に打ち出し人材の確保に努めた。
「今まで以上に儲けた分はみんなにくれてやるから、好きにせえ!」の掛け声で従業員に「火」がついたと語っているエピソードが綴られていた。
「へー、参考で書いてくれてる「金将」の新卒初任給が凄いな。2023年度で「22万6300円」でも、「メディアクリエイト」よりかなりええのに、2024年は5万2千円アップで「27万8500円」やて!在籍してる従業員も賃上げ率11.5%で4万円弱のアップやて。従業員を大事にする会社なんやなぁ…。」
稀世は自分の給与と比べ、一瞬「転職」を考え、次のページをめくると大きな目をさらに大きく見開いた。
そこには1975年時点の大卒者の初任給が平均8万9300円の時代に「15万円」。1979年には全国の大卒平均初任給が10万9500円に対し「20万円」と記載され、更に「毎月」の昇給が「4千円」あり、基本給が30万円に到達すると「基本給40万円」の「店長」に昇格し、開業資金の1割を用意できる者はFC店を持つこともでき、1972年にFC1号店が開店したとあり、他の飲食チェーンと違い「高収入」と「独立」を目指した大学新卒採用が圧倒的に多かったとのことだった。
「いやー、「金将」が伸びる理由がよくわかった気がするなぁ。レスラーでも「給料のいい」団体はいい選手が残るけど、バイトしながらでないと生活できへんインディーズやと「転籍」か「引退」しかあれへんかったもん。才能ある子が辞めざるを得なかったんをよおさん見送ったもんな…。」
稀世が昔を思い出しながら呟くと、直が稀世にその先を読むように勧めた。そこには、「高収入」の裏にある厳しい「労働」の実態が生々しく綴られていた。
1日の平均労働時間は「14時間」。当時は「休日」は基本的に無し。月額2万5千円の「皆勤手当て」は1日でも休めば「0円」になる。各店舗に支給される最高「9万円」から最低「千円」の「順位賞」も1日でも休むと半額になるとのことだった。
さらに店長職の給与が「50万」の時のエピソードで、麻紀自身による店舗点検で店の清掃や容器の洗い方等の不備があると社長自ら「1万から5万円の減給」を決定した事や、本部に客からクレームが入ると店長は監督責任で「10万円」の減給になったという。
そんな創業者社長の「モーレツ」経営を支持する「従業員」と徹底管理された「早く」、「旨く」、「めっちゃ安い」方針を貫く「焼飯の金将」は幅広い顧客に背を押された。麻紀自身は1980年代から上場を考えていた中、グループの年間売上は100億、200億と伸びていき、300億に手が届こうかとする1990年12月には称号を「株式会社金将フードサービス」とし、1993年に上場を果たすと、その年の6月10日に麻紀社長は68歳の若さで急逝した。
「あー、亡くなったとき社長はどない思ったんやろな。「やり切った!」なのか「まだ頑張りたかった…。」なんかどっちやろな。68歳いうたらわしと同じやからなぁ…。まぁ、わしは商売はもう譲ったから後は稀世ちゃん達と「悪い奴」を「成敗」しながら、面白おかしく100歳を迎えたいけどな。稀世ちゃん、今回もしっかりと「わし」の余生を楽しませてくれよ!カラカラカラ。」
と直は初代社長のレポートを読み終え笑っていた。
2代目の社長からのレポートは創業者と違い「薄い」レポートだった。「KFS」2代目社長は、創業者がアサヒビールからスカウトしてきた副社長の「落月国雄」が1993年6月に昇格することとなった。
上場前後の諸雑務や金融機関や監査法人との打ち合わせをてきぱきとこなし、更に「金将グループ」の業績を伸ばした。元上場会社の職歴は取引業者から好評であったにもかかわらず、1年での退任となり、「取締役会長」の席に追いやられた。
凜のレポートも「落月」に関しては、半ページで終わっている。
次のページからは、「超重要!」の朱書き文字が最上部に入った1994年6月に「代表取締役社長」に就任した創業者佐藤麻紀の長男「佐藤靖」と「代表取締役専務」になった次男の「佐藤謹二」の連名のページになっていた。
2代目の「落月」の本音は何処にあったかはわからないが、創業者一族がほとんどの株を所有していた「店頭公開」時代に「株主総会」はもちろんの事、「取締役会」でも創業者実子の兄弟の意見に「ノー」を言えるものは居なかったという事が、1年での社長入れ替えの真実であろうとのビジネス雑誌の記事のあとに十余りの類似記事が抜粋されていた。
「あれ?凜ちゃん、この2人については、雑誌の引用ばっかりなん?」
稀世が記事に目を通す前に凜に尋ねた。
「は、はい…。この2人、2013年に殺された4代目さんが社長になられた2000年4月までの5年10カ月は「代表権」を持ってたんですけど、正式な「金将」側からの紹介記事や大手メディア、有名ビジネス誌への露出が少なくて、そこに張り付けてる記事も「4代目」の「小西社長」が亡くなった後の「メディア記事」なんです。
長男は、まずメディアでは名前は出てこないですし、マスコミが「4代目射殺」の「キーマン」の一人とする「次男」は海外在住みたいで何も情報が拾えないんですよ。」
と自信ない表情で俯いてしまったので、稀世は(とりあえず、最後まで読むか…。)と「3代目」時代の「金将」について語るメディア記事を読み流していった。
そして射殺された「4代目社長「小西貴志」のレポートに進んだ。「小西」は創業者社長の嫁の「松子」の16歳年下の弟で、「関西経理専門学校」中退で「小西商事」という個人事業を営んでいたが1969年8月、28歳で開業3年目の「金将」1号店に迎え入れられている。後のインタビューで「経理専門学校」に入学したのは創業者の麻紀のアドバイスがあったと語っている。
1978年「営業本部長」、1980年「取締役」、1984年「常務取締役」、1993年「専務取締役」、1995年「取締役副社長」と出世し、2000年4月に「代表取締役」に就任し、2005年には「金将焼飯大連餐飲有限公司」の「董事長」も兼任している経歴が記されていた。
その下に、ウィキペディアの「金将社長射殺事件」のページ抜粋で毎朝の本社の門や駐車場の掃除、昼のトイレ掃除などのエピソードや、直営店、FC店長の顔写真を部屋に貼り、全員の顔と名前を覚えて、従業員の誕生日には自ら選んだ「啓発本」を送り、その配偶者の誕生日には花束を送っていた事が記載されていた。更に地元の「高校サッカー部」が2012年に全国高校サッカー選手権大会で準優勝を果たした際には、自らの財布から30万円支払い、近隣の金将直営店舗を半分貸し切りにして、選手や関係者100名を招いてのお祝いの逸話が記されていた。
故人の人柄を示すエピソードの後には、射殺事件の後、および実行犯逮捕後の大手新聞のオンライン版の記事が貼り付けられていた。
「へー、どの新聞も「人柄のいい社長」が創業者の息子たちの残した「負の遺産」の整理に尽力した結果、「何者」かにより「殺されたかも?」って話やな。
社長を3代目の息子兄弟から引き継いだ時点で息子兄弟のゴルフ場開発投資や本業以外の不動産や金融商品投資の失敗でできた債務超過状態の460億円の負債を2007年から小西さんが「整理」に入ってとある関係者とその関連企業グループで「260億円」の資金の不正流出が発覚して、うち「170億円」が回収不能になった…。
そこに社長自らメスを入れて「膿」を出そうとしてたところ、2022年に捕まったやくざのヒットマンに「バキュン、バキュン、バキュン、バキュン」と撃たれてしもたって流れやねんな。
記事によっては、創業者の頃から付き合いのある関係者っていうのが大阪の「同和のドン」の「A氏」とかそのオーナー会社の「B社」とか出てるやん。この「A氏」ができの悪かった3代目社長兄弟と一緒になって、自分らのやらかした「悪事」がばれてしまうからって「正義の味方」の「4代目社長」を「殺し屋」を使って亡き者にしたって話やねんな。」
稀世がレポートを前後しながら、自分なりのストーリーを整理すると凜が
「私も、最初は稀世姉さんと同じように思いました。ただ、これだけ大手マスメディアが共通の記事を公表する中、未だに「実行犯」以外の逮捕者は出ていません。
記事によると「実行犯」は筋金入りの「ヒットマン」で被害者の小西社長とのコンタクト歴は認められず、本人は2年経った今でも完全黙秘で「小西社長の殺害を依頼した者の名前どころか、その黒幕に関する自供は全く得られてないって話です。
日本の警察は世界一優秀で有能だと聞きます。マフィアとの「シガラミ」や悪者からの「賄賂」を受け付ける国の警察とは違うんですよね。その日本の警察が「A氏」を任意聴取しても「逮捕」できなかったってことは、他に「黒幕」がいるって事ではないでしょうか?
稀世姉さん、私もまだ調べ始めて数か月です。もちろん、素人の初めての追跡調査です。でも、稀世姉さんは「プロ」の「スクーパー」ですよね!一緒にこの謎を解き明かしましょう!お願いします!」
凜は改めて稀世に丁寧に頭を下げた。返事に詰まった稀世の横で直が稀世の大きな胸を指でつついておちょくった。
「ほれ、先輩スクーパーとして「マンガの「名探偵少年」やドラマの「ノッポのイケメン探偵」には負けへんで!「顔は子供やけど大人の頭脳以上の「超大人」おっぱいの名探偵稀世に任しとかんかい!」くらい言うたれよ。もしかしたら稀世ちゃんの「引き寄せ体質」が今年最初の奇跡を呼び込むかもしれへんぞ。カラカラカラ。」
会議室の時計は既に夜の7時を回っていた。かれこれ5時間以上、資料をまとめていたことになる。(えらい気楽に言うけど、私が狙って取った「スクープ」ならええけど、直さんの言う「引き寄せ体質」って言うんが「実際」やから、凜ちゃんの前でそんなえらそうなこと言われへんわ…。)と思った瞬間、テーブルの上に置いた稀世のスマホが点灯した。
(がおっ!これは「天啓」や!)と思った稀世の見た画面には、太田からのライン着信で「坂井が8時には仕事明けで来てくれることになった。「お好み焼きがんちゃん」に集合!」とメッセージが入ってきた。
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今作も「メール」は受け付けていますので
「よーろーひーこー」(⋈◍>◡<◍)。✧♡
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
『80年を超越した恋~令和の世で再会した元特攻隊員の自衛官と元女子挺身隊の祖母を持つ女の子のシンクロニシティラブストーリー』
M‐赤井翼
現代文学
赤井です。今回は「恋愛小説」です(笑)。
舞台は令和7年と昭和20年の陸軍航空隊の特攻部隊の宿舎「赤糸旅館」です。
80年の時を経て2つの恋愛を描いていきます。
「特攻隊」という「難しい題材」を扱いますので、かなり真面目に資料集めをして制作しました。
「第20振武隊」という実在する部隊が出てきますが、基本的に事実に基づいた背景を活かした「フィクション」作品と思ってお読みください。
日本を護ってくれた「先人」に尊敬の念をもって書きましたので、ほとんどおふざけは有りません。
過去、一番真面目に書いた作品となりました。
ラストは結構ややこしいので前半からの「フラグ」を拾いながら読んでいただくと楽しんでもらえると思います。
全39チャプターですので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
それでは「よろひこー」!
(⋈◍>◡<◍)。✧💖
追伸
まあ、堅苦しく読んで下さいとは言いませんがいつもと違って、ちょっと気持ちを引き締めて読んでもらいたいです。合掌。
(。-人-。)
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
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