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「血まみれのスイートルーム」

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「血まみれのスイートルーム」

 現地に着くと、先に到着していた洋孝たちがスイートルームで支配人と二人のホテルスタッフが待っていた。支配人の話によると、前日、止まっていたカップルの痴話喧嘩から発展した刃傷事件で切り付けられた男は3部屋を逃げまくり、叫び声に気付いた隣室客からの通報があった。
女を取り押さえた時には男は瀕死状態で消防隊員同志の会話から、出血致死量に近い3リットル以上の出血があったらしいことが伝えられ、掃除に入った自社社員が「湯拭き」したため、絨毯の血液が凝固してしまっていることが確認できた。
 リビングの大理石の床の変色とカーテンの素材を確認すると、延長コードをバスルームに引き込み、副島が車内で混ぜていたポリタンクの水溶液をミキサーで攪拌させると、ハンディー霧吹きに流し込んだ。
蘭は自分の指先を針で突き、自前の赤いハンカチで血を拭き取ったが、周りの者にはその血痕はハンカチの色に溶け込み見えなかった。
 
 「ちょっと照明落としてもらえますか?」
とホテルスタッフに頼み、バスルームの照明を薄暗くしてもらった。ハンカチに「霧吹き」でスプレーすると暗闇に青紫の光が「ぽうっ」と浮かんだ。
「これは「窒素含有複素環式化合物」、通称「ルミノール」に「過酸化水素水」、通称「オキシドール」を混ぜたいわゆる「ルミノール試薬」です。殺人事件もののドラマで鑑識が血痕を探すときに使うものと言えばわかりますかね。このスイートルーム全体をクリーニングすることは時間的に不可能ですので、血痕が残る部分を確定し、そこを集中してクリーニングかけていきます。皆さんで各部屋満遍なく吹きかけていただいて、発光反応が出た部分を10センチほど余裕を持たせて養生テープで囲っていってください。」
との蘭の説明でホテルの支配人とスタッフ2名、洋孝とまかせて屋のスタッフの計5人が各部屋に散った。

 バスルームに残った蘭と副島は、20本の大根を縦の細切りにしては洗面器に入れていった。森はその大根をミキサーに放り込み、次々と大根おろしを作っていった。
「蘭ちゃん、カーテンは一通り終わったで。ちょっとチェックしてもらえるかな?」
 リビングから洋孝の声が聞こえたので蘭が様子を見にいくと、発光しているカーテンは2枚。床は予想以上の広い範囲が発光していた。支配人に言い、発光しているカーテン2枚を外してもらい、洗面台にバスタオルを敷き、発光面を広げ大根おろしの汁をしみこませた白いタオルで叩かせた。
「大根おろしに含まれる「ジアスターゼ」は血液中のたんぱく質を分解させるから下処理として、大まかな「血抜き」は済ませてください。タオルも下に敷いたバスタオルも赤く染まってきたら、随時、白い部分に使用箇所を変えて、溶けだした血がカーテンに戻らないようにして下さい。
 タオルで叩いて血液が出なくなったら、再度、ルミノール試薬をかけてチェックしてください。反応が弱くなったら、バスタブに敷いてもらって2リットルのコーラをひたひたになるくらい注いでください。
 炭酸、リン酸、クエン酸を含むコーラが繊維の奥に染み込んだ血液を溶かします。2時間程漬け込んだらペットシートで挟み込んで踏みつけて脱水してください。そして再度ルミノール試薬テストです。もし反応が残っていれば一度水洗いして、最後にセスキ酸ソーダ水に5時間漬け込みます。これでたぶん大丈夫ですが、もし、それでも反応が出るようでしたらその時は人海戦術で化粧落としパッドでひたすら叩きます。よろしくお願いします。」
 作業工程を説明すると、2名のホテルスタッフを洗面所に残し、蘭はリビングの大理石の床に支配人を連れて移動した。

 化学薬品で変色した大理石を間近で目視確認すると、支配人に言った。
「この染みは、大理石が化学反応をした結果なので消せません。ポリッシャーと目の細かいコンパウンドで削ります。経験上、コンマ1ミリも削る必要はないと思いますので利用者さんが段差や傾斜を感じることはないと思いますので研磨することを許可してもらえないでしょうか?」
支配人は黙って頷いた。

蘭はまかせて屋のスタッフに声をかけ、作業手順を丁寧に説明し、最後に励ました。
「まずは1000番で荒砥ぎ。そしてタオルで拭き取って支配人さんに「色目」を確認してもろたら3000番で仕上げやで。ポリッシャーは常に左右並行に当てること。膝つきでの前傾姿勢で大変やろうけど、この面積やったら30分程で荒砥ぎは終わるし、仕上げはもっと早いから頑張って。」

 3人が各々の作業に手をかけ始めたころ、洋孝から蘭に声がかかった。
「絨毯のチェック終わったで!再チェックしてもらえるかな?」
 まず蘭は発光部分の形を確認した。早く次の行程に進もうという洋孝の意見に「ちょっと待って。」とだけ話すと瞼を閉じ、イメージを追いかけ始めた。副島が横に来て
「羽藤さん、しっかりと事件をシミュレーションしてや。暴れながら刃物で切られた出血は思わぬところに飛ぶことがあるんやろ。おいちゃんらの素人チェックやと見落としがあるかもしれへんからな…。」
と囁き、ルミノール試薬の入った霧吹きを手渡した。
 その後、蘭がスプレーをかけた数か所から新たな発光反応が見られたため、結果的に蘭が全て再チェックすることになった。

 蘭がチェックを済ませた場所の中で、湯拭きしてしまい、血液が固く凝固した部分から、洋孝と森がペアで大根おろし液を多めにまいて回った。30分ごとにペットシートを上からかけては、まな板を並べ太った副島がそれを踏みつけては再度、洋孝と森が大根おろし液で絨毯をほぐしていく作業を繰り返していった。その作業は永遠に終わらない気がしたが、誰一人文句を言わずに作業を続ける姿に蘭は「プロ」の意識を見た気がした。

 作業を始めて6時間。時計の針は午前0時を越えた。支配人が気を利かし、ルームサービスを申し出てくれた。夕食を取らずにこの場に直行した事を思い出し、握り飯とサンドイッチとエナジードリンクの差し入れを受け入れた。
 幸いにしてカーテンは、コーラに漬けた後、午後10時の時点でほとんど発光が見られなくなったので予定通りセスキ炭酸ソーダ水に漬け込み、午前4時にリネン室で大型の洗濯機で弱アルカリ洗剤で水洗いし、乾燥させれば間に合うことが期待できた。
 大理石の床も同様に一回目の研磨で変色部分は削り取ることができ、仕上げ研磨の後のクオリティーに「これなら全く気付かないと思います。さすがプロの仕事ですね。」と支配人も太鼓判を押してくれた。

 やはりネックは吸水力の高い羊毛と分厚い下地に大量の血液が染み込んだペルシャ絨毯だった。軽い被害だった部分は、ホテルのスタッフを「まかして屋」スタッフが指示して、第2工程の「弱アルカリ性洗剤」、第3工程の「コーラ散布」を済ませ、第4工程の「クエン酸」を染み込ませたシーツをかけて30分放置する。各工程施工後、ペットシートと乾布を敷いては、まな板を載せ踏んで水分を吸い取り、都度、ルミノール試薬でチェックすることを繰り返した。

 皆の頑張りの甲斐もあり、午前2時に第1工程での「最後の大根おろし」を使い切った時点で一番の難敵だった絨毯の羊毛の「ごわごわ感」はほぼ薄れた。
「完全に乾燥させて、絨毯の「毛」をブラシで起こすのに2時間かかるとして、ルームメイクのリミットは最短チェックインが午後4時とするならば午後3時半。あと13時間半。みんな頑張って!」
 蘭の飛ばす「激」に洋孝と店のスタッフと森は元気に応えるが、常日頃「朝型人間」を公言している副島は明らかに動きが鈍り、あくびを連発している。
 ホテルのスタッフは、午前2時で新しく若い男女のメンバーに入れ替わり、淡々と作業を続けてくれている。

 午前7時、窓の外が明るくなりかけたころ「血液除去」作業は大詰めを迎えていた。床に敷かれたセスキ炭酸ソーダ水を含ましたバスタオルの面積は作業開始時と比べると3分の1になり、プラズマクラスターから伸びたフレキシブルチューブで乾燥された部分はホテルの女性スタッフが竹串とソフトブラシで毛を起こしている。支配人は「すみませんが私は朝のミーティングがありますので失礼します。何とかお願いします。」と丁寧に頭を下げると部屋を出ていった。
 そんな中、ついに副島が眠気に耐えられず倒れた。森が起こそうとするが、蘭が「おっちゃん凄く頑張ってくれたよ。タオルケット掛けて少し寝かせてあげて。」と労ってくれたので、そのまま副島はいびきを立てて眠り続けた。

 午前8時、洗濯、乾燥が終わったカーテンが戻ってきた。血液が染み込んでどうしようもなかったマットレスは、同じフロアの客がチェックアウトしたことを確認して、入れ替えられたため、従来の部屋の雰囲気が戻ってきた。
 除血作業面積はあと一畳ほどを残すだけとなり、仕上げにかかった。乾燥済みの部屋に大型の掃除機が入り、大根おろしのカスや薬剤の粉末化したものを吸い取ってでいった。

 午前10時、部屋中のカーテンが閉められ、落された照明の中で最後のセスキ炭酸ソーダ水のシーツが取り払われ最後のルミノール試薬検査が行われた。
「発光認められず!除血作業完了。プラズマクラスターで脱臭、乾燥後、掃除機で吸引。プラズマクラスター全開で稼働させて、大型ファンで部屋全体を換気。作業終了予定午後1時。
 あー、何とか間に合ったー!洋孝兄ちゃん。お疲れ様!」
(あっ、思わず「兄ちゃん」って呼んでしもた!)と思い、気まずい表情で洋孝に目を向けると、店のスタッフと一緒に白目をむいて仰向けに倒れていた。
「蘭ちゃん、お疲れ様でした。蘭ちゃんも少し仮眠取らしてもらったら?それとも朝の差し入れのサンドイッチでもお腹に入れておく?」
と唯一、起きている森が優しく声をかけてくれた。

 ホテルスタッフが支配人に連絡を入れてくれると、支配人は一通りの作業結果を確認すると
「後はうちの者にやらせますから、良かったら向かいのスイートルームで少しお休みください。
 おかげさまで「やくざの親分」に撃ち殺されることも無さそうですので、次回はディナー付きでスイートをご用意させていただきますので是非ともお越しください。」
と労われた瞬間、蘭の意識も闇の中に落ちていった。

 ホテルスタッフが運んでくれたのか、午後2時にふかふかのベッドの上で目が覚めると隣の部屋から副島と森の笑い声が響いていた。もう一つのベッドルームでは洋孝とスタッフが寝息を立てているのが見えた。
 リビングではリッチな絨毯にあぐらをかいた副島は冷酒を飲み、森はビールを飲んでいた。
「おっ、羽藤さん、目が覚めたか。すまんな、おいちゃん先に沈没してしもて…。みんな10時まで作業してたんやて?おいちゃんは日の出までしか記憶があれへんねん。申し訳ない。」
 詫びる副島に「部屋は仕上がったんですか?」と尋ねると冷酒を飲み干し笑った。
「ウルトラマン大活躍で、余裕のゴールやったみたいやわ。原先生もやくざの親分に謝りに行かんで済んで助かったってお礼言うといてってなことや。
 今日の報酬は80万円やとさ。まあ、しんどかったけど悪い話やなかったやろ。カラカラカラ。」


「おまけ」






「おまけのおまけ」(ボツ供養(笑))



さすがにこのカッコでは「特殊清掃」はできないでしょ(笑)。
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