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第八話 悪役令嬢はデート初体験

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 私の顔は今……鏡を見なくても分かる。だって、こんなにも心音が大きくなっているのだから……。

 ──ドクン、ドクン……。

 何が起きたの、お願い止まってよ。体が熱い……こんなの、私じゃないよ。だって、これじゃ、何も変わってないもの。男なんて……どうせ最後には、私を裏切るだけの存在なのよ。

 ミシェル王子からの婚約破棄が、私を闇へといざなった。男など利用するだけでいい、それが私のたどり着いた結論だった。それなのに……どうして、心がこんなにも揺らいでしまうのよ。

「トーマス、いいこと、ぜ~たいにっ、おいた・・・をしたら許しませんからねっ。一族、すべてに地獄の苦しみを与えるわよ」
「お任せください、私はレイチェルを悲しませない。必ず、笑顔にしてみせますゆえ」
「そっ、分かっていれば、いいわ」
「はい。あっ、レイチェル、動かないで……」
「──!? こ、ここで何を……」

 だ、ダメ、トーマスを払い除けなくちゃ。でも、力が…入らないよ。心をしっかり持つのよ、レイチェル。ここで流されたら……意味がないんですからっ。

 急に顔を近づけるトーマスに、私は頭が真っ白となる。必死に抵抗するも、体が思うように動かない。そして、想いに反し、私は自然と目を閉じてしまった。
 まるで心が何かを期待するように……。

 緊張の中で、頬に優しく柔らかい何が触れる。それが何かはまったく検討がつかなかった。だって今の私には……胸の鼓動しか聞こえなかったのですから。

「終わったよ、レイチェル。汚れっぱなしじゃ、綺麗な顔が台無しだよ」
「ふぇっ!? えっ、あっ……そ、そうね、ご苦労なことですこと。これくらいできて、当然ですわ」

 もぅビックリさせないでよね。いくらなんでも、こんなところで……キスするわけないわ。いえ、違うわね、だって初めて会ったときに、手の甲とはいえ、私にキスをした前科があるんですから。
 この男、どこまで私を翻弄すればいいのよ、ばかっ。

 トーマスの存在を一緒忘れ、私はもうひとりの自分と対話していた。この動揺は彼のせいであって、私のせいではない。そう何度も言い聞かせる。
 他の男どもと同じ態度が取れるよう、自己暗示をかけていると……。

「──チェル、レイチェル。目的地に着きましたよ」
「と、トーマス!? つ、着いたのね、そう、やっと着きましたのね。それにしても、この街は……」
「なんでも、若いカップルに人気のデートスポットです。とは言いましても、レイチェルに仕える前に聞いた話なのですが」
「デート……スポット……。そう、ですよね、私、トーマスとデートを……」
「どうされましたか、レイチェル?」
「な、なんでもないわよっ。ほら、早くこのレイチェルをデートに連れていきなさいよね?」

 ち、ちょっと待って。デートって、ち、違う、間違いよ、本当は護衛っていうつもりだったのです。だってそうでしょ、今日の目的はあくまでも護衛ですし、デートだなんて……。
 で、でも、今日一日はトーマスの想い人になるって言ってしまいましたし、護衛と言い切ってしまうのも、なんだか違和感がありますから。

 私は自分の中で、理由を考え納得しようとする。
 今日はレイチェルであって、レイチェルではない。あくまでも、トーマスの想い人なのだと……。

「レイチェル、その、手を握ってもよろしいでしょうか?」
「あ、当たり前じゃないのっ。今日一日はアナタの想い人なんですからねっ。これは、レイチェルとしての命令よ。その……ちゃんと楽しませなさいよっ、でないと、処刑じゃ許さないですからね」

 初めて感じたトーマスの温もり。
 それは私の心に何かを刻む。

 笑顔を崩さない彼に連れられ、私は初めてのデートへ繰り出そうとしていた。
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