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第一部 運命の人の出会いは突然に

その2

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 どうして気づかなかったんだろ。
 なんで忘れてたんだろ。

 そうだよ、少なくとも小学生のときは、失敗したって怒られたりはしなかった。当然悪いことしたら怒られたけど、暴力なんて振るわれたことは一度もない。

 怒鳴られることだってなかったのに。
 あの頃は叱られてるけど、そこに確かな愛を感じていた。
 でも、今のお父さんからは──愛なんて感じたことがなかった。

 そっか、私の家庭が異常だったんだ。そうだよね、普通は失敗したぐらいで怒られないもんね。多分だけど……。

「ごめんなさい、私、それが日本の文化かどうかは、わからないんです。少なくとも、私の家ではそれが普通としか言えません」
「そうだったんですねー。それと、謝らなくたっていいんでーす。琴音は何も悪くないんですかーら」
「ごめんなさい、私──」
「ほーら、また謝ってるよー。だいたい、琴音には笑顔が一番似合うと僕は思いまーす。でないとー、可愛いポニーテールが台無しでーす」

 可愛い……?
 私のどこが可愛いって言うのよ。

 中学生の頃に告白されたことなんて一度もない。もちろん、高校に進学してからもだよ。むしろ、私なんて存在していないような扱いなんだし。
 ひょっとして、ミシェルは私をからかっているのかな。そうよ、絶対そうに決まってるよ。だって、あのときもそうだったから──。


 それは中学一年生の夏休み前。
 私の下駄箱に一通の手紙が入ってたの。真っ白な入れ物でハートのシールが付いていて、すぐにラブレターだとわかったんだ。

 裏面には名前が書いてなかったけど、きっと恥ずかしいからなんだって、私は勝手に思い込んでしまったの。だって、ラブレターなんて貰ったことなかったから。

「えっと、なんて書いてあるんだろ」

『放課後に大切な話があります。琴音さんが来るまで、ずっと待っていますから』

「丁寧な字だよね。でも、いったい誰からだろ。ううん、誰であれ、いかないと可哀想だよね」

 そのときの私はなんの疑いもなく、その手紙を信じきっていた。だから、放課後その場所へ向かったの。
 でも、そこには誰もいなくて──。

「きっと、急用で遅くなってるんだよね。もし私がここで帰っちゃったら、その人が悲しむもんね。だから、少しだけ、待とうかな」

 心の中は浮かれていたんだ。
 だって、家では私の居場所がなかったし、これでようやく居場所が出来るって。本当に心から期待してたんだ。

 結局、何時間待ったのかな。
 夕陽が校舎を照らし始めても、その人は来なかった。
 それでも私は信じて待ち続けたの。
 月明かりが私を照らすまで、ずっと……。

 次の日、学校に行ったら、私のことがウワサになっていた。ううん、ウワサじゃない、私なんかに告白するヤツなんているかって?そんな罵倒が飛び交ってた。

 私はようやく気がついたの。
 あっ、騙されたんだって。

 クラスメイトは全員が私を嘲笑い、私は悔しくてトイレでひとり泣いてた。何時間もずっとひとりで……。
 その日を境に、私はクラスで孤立してしまった。

 家に帰ってもお父さんに怒られるだけ。
 学校では誰も話し相手がいない。
 だから私は、感情を殺して誰も信じなくなったの。二度と騙されないように……。


「ミシェル、からかってもダメです。私は可愛くなんてないのです」
「僕は、からかってなんかいないでーす。本当のことを──」
「やめて! そんなの聞きたくないよっ」
「ごめん、言い過ぎたようだね。本当にごめん、琴音」

 押し殺していた感情が、思わず表に出ちゃったよ。だって、ミシェルが悪いのよ、私をからかおうとするから。

 でも、ミシェルは本当にからかっていたのかな。あの顔、凄く沈んでるように見えるよ。少し強く言い過ぎたかも──ううん、そんなことないもん。私は誰も信じないって決めたんだもん。

 そうよ、誰も信じなければ、二度と騙されることなんてないし、恥をかくことなんて絶対にないんだから。

「ミシェル、少し遠回りさせちゃったけど、もう少しで目的地に着くよ」
「ありがとうでーす、本当に助かりまーした。あっ、そうでーす、ひとつ聞いていいですかー?」
「何ですか、私に聞きたいことって……」

 何を聞かれても適当に誤魔化そう。
 どうせ案内が終われば、それまでの縁なんですし。

 これ以上、深く関わったら私の平穏が崩壊しちゃう。私は人並みの幸せなんて望んでいない。傷つつくことなく、ただ平穏に暮らしたいだけなのよ。

「どうして琴音は、褒められると怒るんですかー?」
「褒められたくないだけです」
「本当にそうですかー? 他に理由がある気がしまーす。でもー、僕は深く詮索はしませーん。ただ、その悲しい瞳が気になっただけでーす」
「私は悲しんでなんか──」

 ウソ……どうして、私は泣いているの?
 涙なんてとっくに枯れてたはず。
 散々大泣きして、悲しくても涙が出なくなったあの日に。


 この日も、お父さんに暴力を振るわれ、地下室に閉じ込められていた。これは私にとって、毎日のイヤなルーティンのひとつだったの。

 閉じ込められる理由なんて思いつかない。
 少なくとも今日は、怒られるようなことは一切していないはず。

 もし、ひとつだけ理由をあげるとしたら、弟を泣かせてしまったこと。これは私が何かしたわけじゃない。お父さんが目を離した隙に、弟が大ケガをしてしまったの。

 ケガの原因は覚えたてのハイハイで、階段から落ちてしまったこと。当然だけど私はその場にはいなかった。それなのに……お父さんは、私が見てないせいだと言ってきたんだ。

 薄暗く狭い空間で恐怖から大泣きするも、その声は分厚い壁に阻まれ外には漏れることはない。

 私が弟に何をしたというのよ。
 悪いのは目を離したお父さんじゃないの。
 なんで、私だけがこんな目にあわないといけないの。
 なんで……。

 閉ざされた空間では時間の感覚が失われ、気づいたときには周囲を暗闇が支配していた。とめどなく流れていた涙は完全に枯れ果て、瞳からは潤いが完全に消えてしまったの。

 うぅ、怖いよ、悲しいよ……でもなんで涙がでないのよ。
 どうして──。

 
 そうよ、私はあの日から涙を失ったんだよ。
 それなのに、この頬に伝わる感触はいったい……。

「何に対して泣いてるのか、僕にはわからないけど、琴音に涙は似合わないよ。だから、これで涙を拭いてくれないかな?」
「だから、私は泣いてなんか──!?」

 えっ……いったい何が起きたの?
 何か白いモノが、私の顔を優しく撫でてくれた。
 まさかこれって──。

 数秒のラグを挟み、私は自分の身に何が起きたのか、ようやく理解した。だって、私の瞳から涙が消えていたのだから……。

「ほら、これで可愛い顔に戻りまーした。あっ、それは禁句でしたね。僕としたことが、ジェントルマン精神を欠いてしまいました。申し訳ありませーん」

 ずるい、そんな顔されたら、怒るに怒れないじゃない。
 外国の人って、誰にでもこんなことするのかな?
 それとも、本当にミシェルは私を可愛いと思っているの?

 ううん、きっと外国のスキンシップに違いないよ。
 私だけ特別なんて思っちゃダメなの。
 だから、『勝手に触らないで』ってハッキリ言わないと──。

「ミシェル、あ、ありがとう。それと、本当に私は可愛いの、かな?」
「これくらい普通でーす。なので、気にしないでくださーい。それに、琴音は僕が今まで出会った中で、一番の可愛さでーす」

 あれっ、私は今なんて言ったのよ。
 ちゃんと『勝手に触らないで』って言ったよね。
 それなら、なんでミシェルはあんなことを……。

 待って、冷静になってもう一度思い出すのよ。私がミシェルに対して言ったのは──『本当に私は可愛いの、かな?』。

 うぅ、恥ずかしすぎて顔が火照っちゃうよ。
 なんで私はあんなことを言っちゃったんだろ。
 そんなこと、心の中じゃ全然想っていないのに。

 でも、ミシェルから『可愛い』って言われると、悪い気分じゃないかも。最初に言われたときは、からかわれたと思ったから怒っちゃったけど。

 ひょっとしたらミシェルは、私が知ってる人たちとは違うのかもしれない。だけど、もうすぐ着いちゃうから、ミシェルともお別れね。少しだけ、寂しいかなっ。
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