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第一章 高校二年生編

第69話 城ヶ崎美咲は旅立たない

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 春が近づく音が聞こえる。
 まだまだ寒い日も多いが、徐々に暖かい日が増えてきた今日この頃。
 三月一日。卒業式を迎えた。

『卒業生代表、城ケ崎美咲』

「はい」

 名前を呼ばれた美咲先輩が壇上に上がると紙を広げる。
 ……卒業生代表答辞の台本だ。

「やわらかな日差しがそそぐこの頃――」

 ありきたりな答辞。
 しかし、美咲先輩だから言える言葉だった。
 文章自体は定型文と、それに続いて美咲先輩からの言葉を混ぜている。
 こういったものは大体同じようなもので、中学生の頃は特に何も感じなかった。

 強いて言えば、美咲先輩が卒業するのが寂しいと少し思ったくらいだ。
 ただ、高校ではこうして再開することができた。
 そうでなくとも家は近所のため、別の学校でも会おうと思えばいつでも会えた。

 ――今までは。

 これからは違う。
 美咲先輩は大学生になって、この地から離れるのだ。
 決して遠い距離でもないが、気ままに会える距離ではない。
 そう思うと、俺の心に沸々ふつふつと湧き出すを感じた。



 在校生の中で参加いているのは二年生が全員と、一年生は一部。
 成績上位者や部活で結果を残している生徒のように、学年を代表するような生徒たちだ。
 その中に双葉はいた。
 双葉は泣いていた。
 部活もあった分、先輩たちに思い入れもあるのだろう。
 式の最中に声も出せず、無言の声を上げて涙を零している。

 他の周りの在校生たちは涙ぐんでいる生徒もいる。
 みんな、お世話になった先輩たちとの別れを惜しんでいるのだ。
 俺は泣くことはしない。
 それでもやはり、今日で会うのは最後……ではないとはいえ、三年生が桐ケ崎高校の生徒として会えるのは最後だった。
 美咲先輩の答辞が終わり、式は進行していく。
 ――このまま卒業式が終わらなかった良いのに。
 そんなことさえ思ってしまっていた。



「美咲先輩、卒業おめでとうございます」

 俺は美咲先輩を探し、声をかける。
 誰かから受け取った花束を持っており、晴れやかな顔をしていた。

「颯太くんか……」

「俺じゃ不満でしたか?」

「いや、そんなことはない。むしろ嬉しいよ。……ありがとう」

 自然に不自然な笑顔を浮かべる美咲先輩。
 どこか無理をしているのがわかってしまう。

「みさきせん――」

「颯太くん」

 俺の言葉は美咲先輩によってかき消される。

「今から少しあいさつ回りがあるんだ」

「そう、ですか」

 もう少し話をしたかったが、仕方がない。
 そう思ってこの場を離れようとする。
 しかし、美咲先輩に引き留められた。

「私はもっと話をしたい。せっかくだからね。……今は時間はなくて申し訳ない。後で少し時間をくれないかな?」

 高身長な美咲先輩。
 俺よりも少し低いくらいで普段の目線はほとんど変わらないが、わずかな身長差から美咲先輩は上目遣いをしてくる。
 狙ってはないだろう。
 その目戦にもっと話したかった俺は、断るはずもなかった。

「わかりました。どこで話しましょうか?」

 俺がそう尋ねると、いたずらっ子のような笑みを浮かべた美咲先輩はポケットから何かを取り出す。
 ……それは鍵だった。
 鍵に通してあるリングを指にかけ、美咲先輩はにやりと笑う。

「まさかそれって……」

「多分、思っている通りのものだよ」

 屋上の鍵だ。
 思い入れのある鍵がないとは入れない場所というところは特に思いあたらない。
 唯一可能性がある生徒会室であれば、その鍵だとわかる札が付いている。
 しかしその鍵には付いていない。
 それは俺たちが普段使うような場所の鍵ではないということだった。

「今まで優等生としてやってきたんだ。卒業する今日くらい、少しだけ悪い子になってもいいかと思ってね。……まあ、先生から借りたものだけど。三年間の信頼があったからだろうね」

 優等生の美咲先輩。
 常に成績は上位で、何度か一位を取っているほどだ。
 それでいて生徒会長までしていた。
 先生からの信頼は絶大だった。

「わかりました。適当にぶらついているので、大丈夫になったらメッセージでも入れといてください」

「りょーかい」

 砕けた笑顔を浮かべた美咲先輩。
 その笑顔は自然なものだった。

 優等生。
 生徒会会長。
 元生徒会会長。

 そんなベールを少しずつ脱ぎ始めているのが今の美咲先輩だ。
 少なくとも、俺にはそう見えた。



 美咲先輩から連絡が来るまで、俺は少しだけ校内を歩いていた。
 なんとなく花音たちと合流するつもりになれない。
 若葉も部活の先輩といるところを見かけたため、花音と虎徹は二人きりだろう。
 どんな会話をしているのか、そんなことを考えながら廊下を歩いていると……、

「……双葉?」

「……先輩」

 双葉が泣き腫らした後という顔をしていた。
 別れを惜しみ、先輩たちと話をした後なのだろう。

「何してるんですか?」

 もう泣くだけないたというように、双葉は笑って俺に問いかける。

「まあ、ちょっとぶらぶらと……」

「そうなんですねー」

 この後に美咲と会うということを、何故か俺は言えなかった。
 そして双葉もいつもなら突っ込んでくるところだが、今日ばかりは何も言ってこない。

「それなら、少し話しません?」

 双葉はそう言い、俺たちは比較的人気ひとけがない校舎裏に移動した。



 比較的人は少ないが、チラホラといるにはいる。
 そこではやはり、最後ということもあって告白をしているシーンもあった。

「ひゃー、大胆ですねー」

「俺らが覗いてるだけだけどな……」

 興味津々の双葉だが、俺はこういった覗きは気が引ける。
 ――いや、興味はあるが。
 他人に見られたくないからこそ、わざわざこういった場所を選んでいるのだ。
 公開告白ならまだしも、恥ずかしいところを見られるのは嫌な人も多いだろう。

「……言いふらすなよ?」

「当然ですっ!」

 心の内で留めておくなら、『まあ、いいだろう』という判断だ。
 見られたくなくとも、結局公然の場所で告白している時点で見られるリスクはあるのだから。

「先輩って、告白したい派ですか? されたい派ですか?」

「えぇ……、なにそれ」

 そういう話なのかとツッコミたくもなるが、要は能動的なのか受け身なのかという話だ。

「んー……、まあ、男としては告白したいけど、フラれるのはやっぱり怖いしされた方が気持ち的には楽かなぁ……」

 男だ女だというのは正直関係ない話ではあるが、やはり自分から言いたいのは言いたい。
 フラれるのは怖いため、もし両想いなら少しくらい女子の方からアピールしてほしいという気持ちもある。
 ……ただ、花音のようにアピールかと思いきや、全く違うなんてこともあるため、俺としても相手がどういうつもりなのか悩むところはあった。
 もちろん、好きな人がいたらという『仮』の話だが。

「そういう双葉はどうなんだ?」

「そうですねー……、告白されたいですけど、ガツガツ来る人じゃなかったら自分からいってもいいのかなって思ってます」

 可愛い双葉は告白されることも少なくはないだろう。
 それでも彼氏がいないというのは、バスケに夢中なだけなのか、意中の相手に告白されていないからだと考えられる。

「あー、双葉はなんか想像できる。……ってか、好きな人いるの?」

「うーん……、内緒です」

 可愛らしくウインクをしながら言う双葉。

「それって好きな人いるって言ってるようなもんなんじゃ……」

 いなければいないと言えるし、いるから内緒にするのだろう。
 そう思ったのだが、どうもそうではないらしい。

「好きって言うか、気になってる人ならいますよ」

「へぇー、俺が知ってる人?」

 なんとなく興味本位で聞いてしまったが、わざわざ答えるわけもないだろう。
 ……というか、双葉の交友関係で俺の知ってる男となれば、虎徹か中学生の頃の人くらいだ。

「先輩ですよー」

 そう言って抱きつこうとする素振りを見せる双葉の頭を押さえる。

「はいはい、ありがとうありがとう」

「適当すぎません?」

 突進は依然としてやめないが、双葉は頬を膨らませている。
 そんな時、ポケットに入っている携帯が震えた。

「あ、ちょっと待って」

 俺がそう言えば律儀に双葉は動きを止める。
 こういう素直なところはありがたいのだが……。
 そして携帯を確認してみると、美咲先輩からだった。

『今用事は終わったから、屋上に向かってるよ』

 そのメッセージを見て、俺は双葉の頭をポンポンとする。

「ちょっと呼ばれたから、行ってきていいか?」

「わかりましたー」

 今日の双葉はいつもよりも素直だ。そんな気がする。
 頭の上に置いてあった手でそのまま撫で、俺は手を離した。

「じゃあ、ちょっと行ってくるよ」

 名残惜しそうに頭を手で抑える双葉。

「……いってらっしゃい」

 そう言って見送ってくれた双葉は、どこか寂しそうな表情をしていた。



「お待たせしました」

「いや、私もちょうど来たところ」

 美咲先輩は徐々に桐ヶ崎高校としての生徒としての立場……優等生や元生徒会長といった重圧が抜けたのか、いつもよりも砕けた様子だ。

 中学生の頃、出会った時から堅かった美咲先輩の、初めて見る柔らかい雰囲気だ。
 どうしても冷たいような、少し周りとは違った真面目な印象の強い美咲先輩だが、俺は今のような美咲先輩も知っている。
 今まで頻繁に見てきたわけではなくても、年相応の幼さというのは美咲先輩も持ち合わせており、たまに垣間見せていたから。

「話したいこと……と言うより、伝えたいことがあるんだよね。私が門を潜って桐ヶ崎高校の生徒でなくなる前に、伝えたいんだ」

 美咲先輩はそう切り出した。
 先ほど告白シーンを目にしてしまったため、どうしてもそれが頭から離れない。
 しかし、俺は拍子抜けした。……そういった話ではなかったから。

「颯太くん、私は君に感謝してるんだよ」

「そう、なんですか。……でも、いつもお世話になっているのは俺の方ですよ?」

「そうでもないよ。確かに最近勉強をおしえたけどあ、颯太くんならなんだかんだ言っても自分で切り抜けられるからね」

 どうやら美咲先輩は俺のことを高く買ってくれているようだ。
 確かになんとかしようとはしていたかもしれない。
 それでも、美咲先輩がいなかったらテストはもっと悲惨になっていたのは目に浮かぶ。
 それに、テスト以外にも色々とあった。

「文理選択とかも、虎徹や若葉にも相談しましたけど、決め手は美咲先輩でしたし」

「いやいや、文理のメリットデメリットくらいしか言ってないからね。……でも、参考になっていたなら良かった」

 お世話になったエピソード自体はそこまで多くはないが、ちょっとしたことで声をかけてくれたり、ちょっとした悩みも聞いてくれた。
 部活をしていない俺からすると、唯一話ができる先輩として、ありがたい存在だったのだ。

「それなら、私もたまに生徒会の仕事を手伝ってもらったり、普段も面白い話をしてくれたり、……あとはクリスマスの時だって」

 臨時で生徒会の手伝いをすることはあった。
 それも雑用がほとんどのため、大した力になれていたのかはわからない。
 面白い話もできていたのかはわからないが、普段の話をしているだけで喜んでくれていたのなら、俺はそれが嬉しかった。
 クリスマスは、俺だって楽しんだ。
 美咲先輩だけのためじゃない。

 色々と伝えたいことは多くても、俺の語彙力じゃ伝えきれない。
 それでも俺は美咲先輩のことを尊敬していて、感謝していた。

「……改めて言わせてほしい。私は颯太くんに感謝している。今まで二年間……中学の時も合わせるともう五年間だね、ありがとう」

 美咲先輩は涙を流していた。
 今日、初めて見る美咲先輩の涙だ。
 今までの全てがこもった涙だった。

「これからも、たまに会ってくれると嬉しい」

「もちろんですよ」

 距離は離れてしまうが、会えないほどの距離ではない。
 会おうと思ってすぐに会える距離ではないが、会いたいと思えば会える距離だった。
 そして美咲先輩は言った。

「颯太くん、私は――」
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