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第二部 第四章「女神の雫」(7)
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7
応接室をエスパダ警察隊が取り囲んでいる。
すでにみんなは二階に退避していて、室内には僕しかいない。
「これはこれは、警察隊の皆さん。こんな大勢で我が屋敷になんの御用ですか?」
僕は葉巻を吸いながら、警察隊の隊長らしき屈強な男に尋ねた。
キムみたいな体型だけど、黒い制服からせり上がる筋肉は、しなやかさというか、どちらかというとレオさんやゾフィアみたいなものを感じる。
まるで猛禽類のような雰囲気だ。
「エスペランサ侯爵。貴様に逮捕状が出ている。同行してもらおうか」
「へぇ、どちらまで?」
「来ればわかる」
「行かなきゃわかんないの?」
僕は苦笑しながら、葉巻の灰を少しだけ灰皿に落とす。
アサヒの魔法タバコなんかと違って、葉巻の灰は基本的に落とさないらしい。
そうすると、灰のフィルターによって入ってくる空気が濾過されて燃えすぎを防ぎ、味わいをさらに深くしてくれるのだそうだ。
……アウローラのおかげで、おじさんのような知識ばっかり身についている気がする。
「あんたらも僕の魔法伝達は聞いたんだよね? 僕の逮捕を命じた国家元首の正体がエスパダで暗躍するマフィアの親玉だって知ってなお、あんたらは僕を逮捕しようとするわけ?」
僕がそう言うと、警察隊の隊長は冷ややかな笑みを浮かべた。
「ペロンチョ様の正体がなんであれ、エスパダの未来を担うべき御方。貴様のような他所者の好きにはさせん」
「……なるほど。民主主義って難しいんだね」
「何?」
僕の言葉に否定的意見以外の何かを感じ取ったのか、警察隊長が聞き返してきた。
「だって、あなたの『ペロンチョ様は偉大な御方』みたいな考え方って、どちらかというと民主主義というより、帝国軍人みたいな考え方でしょ。これからみんなで民主主義で生きていきましょうっていう時に、君たちのような考え方をする人が国家の中枢にいるのは、なんというか、いつまでも取り除けない腫瘍のようなものだと思わない?」
「フッ……否定はせんよ」
激昂した部下が前に出ようとするのを制止しながら、警察隊長が片側だけ口元を歪めて笑った。
妙に凄みのある笑い方だ。
「でもさ、その一方でこう思うわけ。……君たちのような極端な考え方の人ですら許容されるのもまた、民主主義というものなのかなって」
僕がそう言うと、警察隊長は少し驚いたような顔を見せた。
「エスペランサ侯爵。貴様は話で聞いていたより好感が持てる。個人的には貴様と酒でも飲みながら国家論などを大いに論じ合いたいものだが、残念ながらそうもいかん」
「いや、それはこっちがゴメンだよ。国家論なんて論じるぐらいなら、爆笑伯爵ベルゲンくんを読んでいたほうがまだマシだ」
僕はそう言いながら、葉巻を灰皿に置いた。
「どうせ連行した先にペロンチョがいるんだろ? 連れてこいよ、ここに。……どうせ奴はもう終わりなんだから」
「クックック……、いるぜぇ、ここに」
「っ!?」
警察隊長の口調が変わったかと思うと、その姿がみるみる変貌し、屈強な身体だった男が、小太りの男の姿へと変わっていく。
「まさか……変身魔法!?」
「ククク、そんな立派なもんじゃねえよ。こいつはただの変装だ。言っただろ? 街でおめぇを見た時に変装してたって」
小太りの男がそう言って自分の頭に手を掛けると、黒々としたカツラが取れて、はげ頭のてっぺんにほんのちょっとだけ髪が乗った、謁見の間にいたペロンチョの姿になった。
「あーあー、ウチの社員をザックリやってくれやがって……。おい、リットン、生きてるか?」
「……ドン……、すいやせん……。クソみてぇに強い執事にやられました……」
「おめぇが遅れを取るたぁ、よっぽどヤベェ番犬を飼ってやがるんだな……。 おめぇら、運んでやれ」
「へい!」
すっかりマフィアの子分の地を出して答えた警官数名が、リットンを外に運び出しはじめる。
「こいつら、ニセ警官なの?」
「いや、こいつらは警官さ。ただ、ウチの社員もやってるだけだ」
「なるほどね」
ペロンチョは部下たちを立たせたまま、悠然とした足取りで僕の左隣、さっきヴェンツェルが座っていた椅子にどかっと座り込んだ。
「……にしても、やってくれたな、若造。十年以上隠していた俺の正体が、てめぇのせいであっという間に国中にバレちまった」
「あんたが、ナメたことするからだよ」
僕は答える。
いろんな人から肝が据わっているって言われるけど、正直、今の僕はかなり無理して答えた。
ペロンチョはリットンのような鋭い目で睨むわけでも、特に凄んでいるわけでもない。
口調も穏やかで、何一つとしてわざとらしい仕草はない。
いや、もしそんな態度が少しでもあったら、きっと僕はここまでビビってない。
これまでに踏んできた圧倒的な場数の差、見てきた地獄の差なんだろうか。
ただただ、このハゲ散らかしたおっさんがそこにいるだけで、威圧されてしまう。
情けないことに、足が震えそうになるのを抑えるだけでも一生懸命だ。
(アウローラ、ビビらずに済む魔法とかないの?)
『ふふっ、可愛いことを言うな。キュンときてしまうではないか』
アウローラとしゃべっていると少し落ち着いてきた。
『こいつは虎だ。虎を前にビビらん人間などおらん。ただ、食われぬようにビビらんフリをするだけだ』
(おお、なるほど。わかりやすい)
「なぁ、聞かせてくれよ。……どうして、おめぇは、俺がトスカーニだってわかったんだ?」
ペロンチョが笑いながら僕に聞いてきた。
……その笑顔だけでも正直怖い。
「謁見の間での授与式の時から、おかしいとは思ってた」
「ククク、おいおい、マジかよ……」
「まぁ、その時はドン・トスカーニなんていう存在は知らなかったから、ただの違和感だったんだけどね」
「違和感たぁ、なんだ?」
「あんたの人心掌握っぷりだよ。ペロンチョ派の議員たちがあんたを心酔しているのはもちろんなんだろうけど、なんていうのかな……、徹底されたものを感じたのさ」
こんなハゲ散らかした人の良さそうなオッサンなら、もっといじり甲斐があっていいはずだ。
あの時のペロンチョには、多少の冗談だったら笑って許してくれそうな雰囲気があったし、実際そのはずだ。
なのに、周囲の議員は野次一つ飛ばさず、ペロンチョが何かを言う時は静かに傾聴し、その言葉にうんうんとうなずいていた。
あの妙なアットホームな雰囲気が、最初はエスパダ流なのかと思ったけど、あの時に感じた違和感が、時間が経てば経つほどに不気味に思えてきていたのだった。
普通の人望とか、人柄がいいとか、そういうのではないと感じた。
人間を支配することが天才的に上手い男だというのが、僕のペロンチョに対する最初の感想だった。
「そんだけか?」
「いや、色々さ」
「聞かせてくれよ。おめぇの考えたことをぜぇ~んぶ、よう」
部下に葉巻を付けさせながら、ペロンチョが言った。
僕は吸わずに、灰皿に置いたまま。
今吸うと、指が震えちゃいそうだからだ。
「まず、あんたはすげぇ悪い人なんだろうなって最初から思ってた」
「なんでだよう! ペロンチョはめちゃくちゃ良い奴だっただろぉ?!」
「いい奴すぎるんだよ。あんないい人がいるわけないでしょ。……ましてや、国民から投票で選ばれるような奴がさ」
「わっはっはっは!!! おめぇはずいぶんひねくれた野郎だな!!」
ペロンチョが腹をゆすって愉快そうに笑った。
その笑い方に、オルビアンコのようなわざとらしさはない。
「だが、その通りだ。国民ってのはわかりやすい奴を好むからな」
「……にしても、やりすぎだ。ウチのソリマチっていうおっちゃんも、こんないい奴見たことないってぐらいのいい人だけど、あんたほど人畜無害な感じには見えない」
僕は言った。
「あんたのは『全力のいい奴』だったんだ。そんな全力でいい奴を演じる奴なんて、全力のワルに決まってる」
「……おいおい、まさか、そんな思い込みだけで俺の正体を見破ったわけじゃねぇだろうなぁ?」
「だから言っただろ、色々だよ」
少し落ち着いてきて、僕は苦笑しながら葉巻を手に取った。
ゆっくり葉巻を吹かしながら、モンテ・クリスタニアの香りを楽しむ。
「てめぇ! ちゃんとドンの質問に答えねぇか!!」
警官の一人が僕に怒鳴る。
僕はそいつのことを振り向かずに、煙を吐き出しながら言った。
「……伝説のマフィアのボスにしちゃ、部下のしつけがなってないようだ」
「ああ、すまねぇな。俺が現役の頃だったら今のでソイツの首を飛ばしちまってるところなんだが、いまどきの若ぇ連中ってのは、ちぃとばかし自由でよ」
ペロンチョがそう言うと、怒鳴った男の顔がみるみる蒼白になる。
「部下の人がかわいそうだから、もったいぶらずに言うけど。まず、そもそものオレンジの話。あんたのことだから、オルビアンコとかいうチンピラと、あんたの反対派議員のデメトリオたちがつるんでるってのは、最初からわかってたんでしょ?」
「まぁな」
「あんたがただの国家元首だったら、その証拠を暴いて反対派議員をぶっ潰すチャンスだと思うんだよね。逆にただのマフィアの親分だったら、オルビアンコみたいな小者、いつでも潰せたはず」
「……おもしれぇ話になってきたな。それで?」
「なのにそれをせずに、エスパダに上陸したばかりの僕みたいな若造をオレンジ流通に一枚噛ませようとしたのはなぜか。……最初はおかしいと思いながら、その理由が全然わからなかった」
僕は一旦言葉を切ってから、言った。
「そもそも、この国に来た時からおかしいと思っていたことがあった。エスパダはちょっと前まで貴族が好き勝手するようなひどい国だったわけ。それが女王陛下の代になって変わった。……この話、ちょっと長いけど、続けていいの?」
「おめぇの残りの人生だと思って、しゃべんな」
ペロンチョが笑いながら言った。
「普通、社会体制が大きく変わる時というのは、前の支配者が革命や暗殺で失脚した時だ。だけど、女王陛下は自分から国政を議会に移譲して民主化を宣言したから、今でも国民から慕われているという。……おかしいでしょ」
「なにがおかしいんだ? 国民のために自分から権力を捨てるような君主サマなら、国民から好かれて当然じゃねぇか」
「そっちじゃないよ。なんで女王陛下は『革命』なしにエスパダの改革ができたのさ。王家の権威が衰えていたから、貴族が好き勝手に振る舞っていたわけでしょ」
「……クク、なるほどなぁ」
「しかもだよ? いくら民主化を成立させたと言っても、それまでのエスパダはひどすぎたわけでしょ。普通の感覚だったら、ちょっと油断したらまた元のエスパダに逆戻りしちゃうかもって思うでしょ? あの女王陛下はイカれてると思うけど、バカじゃない」
「そうかもな」
僕の話を、まるで孫の話でも聞くように、ペロンチョが楽しそうにうんうんと頷いた。
「なのに、女王陛下は民主化を強行して、さっさと国政を議会に丸投げしてしまった。そんなの、よっぽど『こいつに任せておけば大丈夫だ』って任せられる奴がいないとできないと思ったんだよね。王政の国なら宰相。そして、民主化した国なら……」
「国家元首ってわけかい」
僕はうなずく代わりに、ゆっくりと葉巻の煙を天井に吐いた。
「でも、あの謁見の間でのペロンチョは、女王陛下が安心して国政を丸投げできる人物にはとても思えなかった。もし、見た目通りのすげぇいい奴なら、いろんな人間の利権や思惑が入り交じる世界でそんな大任はとても任せられない」
「へへ、若ぇのに、よくわかってるじゃねぇか」
「お手本になる腹黒い政治家の師匠がいるもんで」
もちろん、アルフォンス宰相閣下のことだ。
「でも、あんたのことを教えてくれたおばあちゃんが言ってたんだよ。女王陛下の時代になってエスパダは一気に活気づいたけど、その下地を作ったのは間違いなく、ドン・トスカーニのおかげだったと」
「クク、なかなか話のわかるババアじゃねぇか」
「それを聞いて、僕がこの国に来てからずっとおかしいと思っていた疑問が一気に解決したんだ」
僕は葉巻をくゆらせながら、続ける。
「ペロンチョの正体がドン・トスカーニだったから、女王陛下は安心して丸投げできるんじゃないかって。国政を丸投げどころか、うんこ投げてたからね、あの女王陛下」
「わっはっは!!! エスパダはババアが強い国なんだよ」
ペロンチョが豪快に笑う。
「あんたはペロンチョとして表舞台に出た。女王陛下が丸投げするぐらいだから、あんたもきっと、ワルとしてじゃなくて、エスパダを良くするためにそうしたんだろう」
「ああ、そうさ」
「でも、それで問題が出てきた。ペロンチョが表に出るということは、ドン・トスカーニの姿が消えるということ。目の上のたんこぶがいなくなって、オルビアンコみたいな連中が無茶なことをやりはじめた」
「その通りだ」
苦虫を噛み潰すように、ペロンチョが言った。
「あんたは立場上、昔の古巣であるマフィアに迂闊に手は出せない。そんなことをして、うっかりあんたの正体が露見しちゃえば、女王陛下に頼まれて国を内側から変えようとしてきた今までの苦労が水の泡だ」
「へぇ……、そこまで『見えて』たのか、おめぇは」
ペロンチョの緊張感の感じられなかった目が、急激に細まった。
怖い怖い。
本気で怖い。
(アサヒ、本物はやっぱり、やっべぇぞ)
「そこまでわかっていながら、おめぇは俺の苦労を一瞬で水の泡にしたってんだな?」
「まぁ、そっスね」
「ブチ殺してやる前に聞かせてくれや……。なぜ、あんな最後っ屁をぶちかましやがったのか。それをネタに俺に脅しをかけりゃ、まだてめぇが生き延びる目もあったってのによ」
「ムカついたからだよ」
「はぁ?」
僕は葉巻を灰皿にぶん投げて、言った。
そう、言っているうちに、改めて腹が立ってきた。
「謁見の間であんたが言ったように、僕はエスパダの文化が好きだ。この国に来たのは仲間を迎えに来たからだけど、その文化に触れるのを楽しみにしてきた」
僕は言った。
「そんな僕を、女王陛下とあんたはいいようにこき使った。まず本物のマテラッツィ・マッツォーネを僕の元に送り込んで引き合わせた上で、市街に噂を流して、マテラッツィ・マッツォーネを名乗る怪盗団を僕に差し向けて……」
「お、おいおい待て待て……、マテラッツィ・マッツォーネだと?! そんなことは俺は知らん。ババアが勝手にやったんだろう」
「まぁ、そうだろうね。……あの人、たぶん、マテラッツィ・マッツォーネの娘だよ」
「はぁ!? ってか、奴は生きてやがったのか……」
「生きていて、この屋敷の管理をさせていたんだよ。で、僕が警官にマテラッツィ・マッツォーネと間違えられたのを面白がって、この屋敷を僕にやって、足を洗って自分の側近をしていたご本人を引き合わせた。で、その後、あのばあさんが『アフロディーテの邂逅』の絵の噂とか色々流したせいで、マテラッツィ・マッツォーネを名乗る別の怪盗から僕の屋敷に予告状が届いたりして……、僕がそうしたアレコレでひぃひぃいってるのをどこかでカラスか何かにでも化けて、腹を抱えて笑いながら見てたんだろうさ」
「へっ、国政を俺にぶん投げて、よっぽどヒマなんだな。あのババア……」
実際に盗みを実行したことがない怪盗団の存在を知っていたぐらいなんだから、あの女王陛下の市井を見る目や情報収集は、相当なものだろう。
案外、今の僕たちのやりとりも、どこかで見ているのかもしれない。
「わかる? 僕はこの国に着いた早々、あのばあさんに財布をスリ盗られそうになって、次に命を狙われ、一緒に警察に追いかけ回され、あげくの果てに僕が投げたように装ってデモ隊に馬の糞を投げて騒動に巻き込まれたんだ」
「クククッ、そうやって改めて聞くとたしかに、とんだ災難だわなぁ」
「それでお詫びでもしてくれるのかと王宮まで行ってみたら、ばあさんとあんたの二人の企みにまんまと乗せられて、チンピラマフィアと汚職議員の相手をさせられたわけだ」
腹が立ってきたせいか、ペロンチョのことが怖くなくなってきた。
そうだ。殺すなら殺してみやがれ。
「その僕の怒りがどれほどのものだったか、あんたにわかるか? あんたも女王陛下も、僕にぶち殺されていなかっただけありがたく思うべきだよ」
「はっはっは、そりゃまた、ずいぶん大きく出たもん……」
鷹揚に笑いながら言うペロンチョは、自分の喉元に軍刀の刃が突きつけられていることに気づいて、途中で言葉を止めた。
白刃の周囲を覆う、古代魔法金属の赤い光。
僕が小鳥遊の刃を抜いたのだ。
「やるじゃねぇか……太刀筋が見えなかったぜ」
「素人に見えてたまるかよ」
僕はペロンチョの部下が動き出すよりも前に、小鳥遊を鞘に戻す。
マフィアとしてどれだけ場数を踏んでいたか知らないけど、僕だって士官学校に入学以来、いろんなすごい奴らと戦ってきたんだぞ。
「若造の減らず口じゃないってことは、わかってもらえたかな」
「ああ。おめぇがその気になりゃ、殺れるってことはな」
「それはよかった」
僕はペロンチョに微笑んでから、椅子に深く座り直した。
「あんたと女王陛下がどんな思いでこの国を立て直そうとしてきたか。そんなことは僕には一切関わりのないことだ。僕はただ、僕をコケにした落とし前をつけただけだ」
「まぁ、そう言うなよぉ」
ペロンチョは笑いながら言った。
「国ってのはよ、マフィアと同じなんだよ。どういうことかわかるか?」
「人々から搾取しないと生きていけないってことかな」
僕がそういうと、ペロンチョはヒュー、と口笛を吹いた。
「お前、わかってんねぇ。俺の息子にならねぇか? 二代目ペロンチョっつってよ」
「……せめて二代目トスカーニにしてくんない?」
「わはははは!! 決まりだな!」
「決まってねぇよ!!」
肩をバシバシ叩いたペロンチョに、僕は思わずツッコんだ。
和やかに話しているけれど、ペロンチョから殺意は消えていない。
どのみち、ここで僕を殺すということに変更はないということだろう。
「民主主義ってぇバカげた理想を実現するにはよ、うまく国民から搾取するシステムってやつを作らなきゃならねぇんだ。国家元首にでもなりゃ、それが実現できると思ってたんだがよ……おめぇのおかげでパアにされたんだ」
「オレンジ1個が高くついたね」
「まったくだぜ……」
ペロンチョはそう言うと、僕の灰皿に向かって吸いかけの葉巻を放り投げた。
「さ、楽しいおしゃべりは終いだ。さっきみてぇに俺を殺すなら、好きにしな。ただ、残念だが、おめぇにはここで死んでもらう」
「それはまぁいいんだけどさ、殺す理由は、僕があんたの正体を国民にバラしたから?」
僕の不特定多数に飛ばした魔法伝達がどのぐらいの人に広まったかまではわからないけど、少なくとも近隣のエル・ブランコの市民には届いたはずだ。
それと、今回の襲撃や僕が死んだということがわかれば、ペロンチョの正体についての噂はまたたく間に市中に広まり、エスパダの全土に広がるだろう。
そうまでして、僕の命を取ろうとするのは、ただムカついたからなのか、それとも、マフィアのメンツというやつなのか。
「そうじゃねぇよ。……俺はな、どのみち、引退するつもりだったのさ」
「マフィアを? それとも国家元首?」
「両方だよ、両方。隠居してのんびり家庭菜園でもやるつもりだったんだ」
どこかの国の宰相閣下みたいなことを言ってるな。
……国政に疲れたオジイはみんなそうなるんだろうか。
「おめぇが言う通り、俺はこの国の腫瘍みてぇなもんだ。いつかいなくなった方がいいに決まってる。……だがよ、残念ながら、生まれたばかりのこの国じゃ、今はその腫瘍じゃなきゃできねぇことがいくつか残ってやがるのさ」
「まぁ、そうなんだろうね」
「他人事みてぇに言うなよ。おめぇもその腫瘍なんだよ」
「へ、僕? なんで? こんなに温厚で人畜無害なのに」
「ぎゃはははは!!! アホ言ってんじゃねぇよ! おめぇこの国に来て何日なんだよ?」
「一週間経ってないぐらいかな。そろそろ学校に帰らないと単位がやばいんだ」
「……あのな?」
ペロンチョは呆れたように頭をぽりぽりとかいてから、諭すように僕に言った。
「この国に来て一週間足らずのおめぇは、ただムカついたってだけでこの国の国家の中枢機能をズタズタにしてみせやがったんだぜ?! そんな歩くメテオストームみてぇな奴を国家元首として生かしておけると思うか?」
「そういや、ヴァイリスでもクラスメイトの姉ちゃんから歩く核爆発魔法って言われたなぁ……」
「まぁそういうこった。悪いが、この国の未来のために死んでくれや」
「うーん、どうしようかな……」
僕は少し考えてから、言った。
「いいよ」
「え、いいの?」
ペロンチョが思わず素で聞き返した。
「いいよ」
「俺はおめぇと刺し違える覚悟だったんだが……」
「その代わりさ、これ使ってくんない? 切れ味すごいから、多分、ラクに逝けると思うんだよね」
僕は小鳥遊を抜いて、ペロンチョに渡した。
「さっき見た時も思ったが……すげぇ業物じゃねぇか」
「ジェルディクの帝国元帥からいただいた物だよ。ちゃんと僕の墓に一緒に入れてね。じゃないと化けて出てやるからな」
「おめぇ、あのバケモンに気に入られてんのか……、なるほど、若ぇのに俺と平然と話ができるわけだぜ」
「いいや、どうせもう死ぬから言うけど、めちゃくちゃビビっておしっこチビリそうだったよ」
「それを態度に出さねぇのが、本物のマフィアってやつよ。おめぇ、いいマフィアだったぜ」
ペロンチョはそう言いながら、小鳥遊を振り上げた。
赤い剣気を漂わせた白刃が、僕に振り下ろされる。
「そんなこと言われても、ちっとも嬉しくな……」
首筋に、焼けるような熱い感触が走って、僕の視界は真っ暗になった。
応接室をエスパダ警察隊が取り囲んでいる。
すでにみんなは二階に退避していて、室内には僕しかいない。
「これはこれは、警察隊の皆さん。こんな大勢で我が屋敷になんの御用ですか?」
僕は葉巻を吸いながら、警察隊の隊長らしき屈強な男に尋ねた。
キムみたいな体型だけど、黒い制服からせり上がる筋肉は、しなやかさというか、どちらかというとレオさんやゾフィアみたいなものを感じる。
まるで猛禽類のような雰囲気だ。
「エスペランサ侯爵。貴様に逮捕状が出ている。同行してもらおうか」
「へぇ、どちらまで?」
「来ればわかる」
「行かなきゃわかんないの?」
僕は苦笑しながら、葉巻の灰を少しだけ灰皿に落とす。
アサヒの魔法タバコなんかと違って、葉巻の灰は基本的に落とさないらしい。
そうすると、灰のフィルターによって入ってくる空気が濾過されて燃えすぎを防ぎ、味わいをさらに深くしてくれるのだそうだ。
……アウローラのおかげで、おじさんのような知識ばっかり身についている気がする。
「あんたらも僕の魔法伝達は聞いたんだよね? 僕の逮捕を命じた国家元首の正体がエスパダで暗躍するマフィアの親玉だって知ってなお、あんたらは僕を逮捕しようとするわけ?」
僕がそう言うと、警察隊の隊長は冷ややかな笑みを浮かべた。
「ペロンチョ様の正体がなんであれ、エスパダの未来を担うべき御方。貴様のような他所者の好きにはさせん」
「……なるほど。民主主義って難しいんだね」
「何?」
僕の言葉に否定的意見以外の何かを感じ取ったのか、警察隊長が聞き返してきた。
「だって、あなたの『ペロンチョ様は偉大な御方』みたいな考え方って、どちらかというと民主主義というより、帝国軍人みたいな考え方でしょ。これからみんなで民主主義で生きていきましょうっていう時に、君たちのような考え方をする人が国家の中枢にいるのは、なんというか、いつまでも取り除けない腫瘍のようなものだと思わない?」
「フッ……否定はせんよ」
激昂した部下が前に出ようとするのを制止しながら、警察隊長が片側だけ口元を歪めて笑った。
妙に凄みのある笑い方だ。
「でもさ、その一方でこう思うわけ。……君たちのような極端な考え方の人ですら許容されるのもまた、民主主義というものなのかなって」
僕がそう言うと、警察隊長は少し驚いたような顔を見せた。
「エスペランサ侯爵。貴様は話で聞いていたより好感が持てる。個人的には貴様と酒でも飲みながら国家論などを大いに論じ合いたいものだが、残念ながらそうもいかん」
「いや、それはこっちがゴメンだよ。国家論なんて論じるぐらいなら、爆笑伯爵ベルゲンくんを読んでいたほうがまだマシだ」
僕はそう言いながら、葉巻を灰皿に置いた。
「どうせ連行した先にペロンチョがいるんだろ? 連れてこいよ、ここに。……どうせ奴はもう終わりなんだから」
「クックック……、いるぜぇ、ここに」
「っ!?」
警察隊長の口調が変わったかと思うと、その姿がみるみる変貌し、屈強な身体だった男が、小太りの男の姿へと変わっていく。
「まさか……変身魔法!?」
「ククク、そんな立派なもんじゃねえよ。こいつはただの変装だ。言っただろ? 街でおめぇを見た時に変装してたって」
小太りの男がそう言って自分の頭に手を掛けると、黒々としたカツラが取れて、はげ頭のてっぺんにほんのちょっとだけ髪が乗った、謁見の間にいたペロンチョの姿になった。
「あーあー、ウチの社員をザックリやってくれやがって……。おい、リットン、生きてるか?」
「……ドン……、すいやせん……。クソみてぇに強い執事にやられました……」
「おめぇが遅れを取るたぁ、よっぽどヤベェ番犬を飼ってやがるんだな……。 おめぇら、運んでやれ」
「へい!」
すっかりマフィアの子分の地を出して答えた警官数名が、リットンを外に運び出しはじめる。
「こいつら、ニセ警官なの?」
「いや、こいつらは警官さ。ただ、ウチの社員もやってるだけだ」
「なるほどね」
ペロンチョは部下たちを立たせたまま、悠然とした足取りで僕の左隣、さっきヴェンツェルが座っていた椅子にどかっと座り込んだ。
「……にしても、やってくれたな、若造。十年以上隠していた俺の正体が、てめぇのせいであっという間に国中にバレちまった」
「あんたが、ナメたことするからだよ」
僕は答える。
いろんな人から肝が据わっているって言われるけど、正直、今の僕はかなり無理して答えた。
ペロンチョはリットンのような鋭い目で睨むわけでも、特に凄んでいるわけでもない。
口調も穏やかで、何一つとしてわざとらしい仕草はない。
いや、もしそんな態度が少しでもあったら、きっと僕はここまでビビってない。
これまでに踏んできた圧倒的な場数の差、見てきた地獄の差なんだろうか。
ただただ、このハゲ散らかしたおっさんがそこにいるだけで、威圧されてしまう。
情けないことに、足が震えそうになるのを抑えるだけでも一生懸命だ。
(アウローラ、ビビらずに済む魔法とかないの?)
『ふふっ、可愛いことを言うな。キュンときてしまうではないか』
アウローラとしゃべっていると少し落ち着いてきた。
『こいつは虎だ。虎を前にビビらん人間などおらん。ただ、食われぬようにビビらんフリをするだけだ』
(おお、なるほど。わかりやすい)
「なぁ、聞かせてくれよ。……どうして、おめぇは、俺がトスカーニだってわかったんだ?」
ペロンチョが笑いながら僕に聞いてきた。
……その笑顔だけでも正直怖い。
「謁見の間での授与式の時から、おかしいとは思ってた」
「ククク、おいおい、マジかよ……」
「まぁ、その時はドン・トスカーニなんていう存在は知らなかったから、ただの違和感だったんだけどね」
「違和感たぁ、なんだ?」
「あんたの人心掌握っぷりだよ。ペロンチョ派の議員たちがあんたを心酔しているのはもちろんなんだろうけど、なんていうのかな……、徹底されたものを感じたのさ」
こんなハゲ散らかした人の良さそうなオッサンなら、もっといじり甲斐があっていいはずだ。
あの時のペロンチョには、多少の冗談だったら笑って許してくれそうな雰囲気があったし、実際そのはずだ。
なのに、周囲の議員は野次一つ飛ばさず、ペロンチョが何かを言う時は静かに傾聴し、その言葉にうんうんとうなずいていた。
あの妙なアットホームな雰囲気が、最初はエスパダ流なのかと思ったけど、あの時に感じた違和感が、時間が経てば経つほどに不気味に思えてきていたのだった。
普通の人望とか、人柄がいいとか、そういうのではないと感じた。
人間を支配することが天才的に上手い男だというのが、僕のペロンチョに対する最初の感想だった。
「そんだけか?」
「いや、色々さ」
「聞かせてくれよ。おめぇの考えたことをぜぇ~んぶ、よう」
部下に葉巻を付けさせながら、ペロンチョが言った。
僕は吸わずに、灰皿に置いたまま。
今吸うと、指が震えちゃいそうだからだ。
「まず、あんたはすげぇ悪い人なんだろうなって最初から思ってた」
「なんでだよう! ペロンチョはめちゃくちゃ良い奴だっただろぉ?!」
「いい奴すぎるんだよ。あんないい人がいるわけないでしょ。……ましてや、国民から投票で選ばれるような奴がさ」
「わっはっはっは!!! おめぇはずいぶんひねくれた野郎だな!!」
ペロンチョが腹をゆすって愉快そうに笑った。
その笑い方に、オルビアンコのようなわざとらしさはない。
「だが、その通りだ。国民ってのはわかりやすい奴を好むからな」
「……にしても、やりすぎだ。ウチのソリマチっていうおっちゃんも、こんないい奴見たことないってぐらいのいい人だけど、あんたほど人畜無害な感じには見えない」
僕は言った。
「あんたのは『全力のいい奴』だったんだ。そんな全力でいい奴を演じる奴なんて、全力のワルに決まってる」
「……おいおい、まさか、そんな思い込みだけで俺の正体を見破ったわけじゃねぇだろうなぁ?」
「だから言っただろ、色々だよ」
少し落ち着いてきて、僕は苦笑しながら葉巻を手に取った。
ゆっくり葉巻を吹かしながら、モンテ・クリスタニアの香りを楽しむ。
「てめぇ! ちゃんとドンの質問に答えねぇか!!」
警官の一人が僕に怒鳴る。
僕はそいつのことを振り向かずに、煙を吐き出しながら言った。
「……伝説のマフィアのボスにしちゃ、部下のしつけがなってないようだ」
「ああ、すまねぇな。俺が現役の頃だったら今のでソイツの首を飛ばしちまってるところなんだが、いまどきの若ぇ連中ってのは、ちぃとばかし自由でよ」
ペロンチョがそう言うと、怒鳴った男の顔がみるみる蒼白になる。
「部下の人がかわいそうだから、もったいぶらずに言うけど。まず、そもそものオレンジの話。あんたのことだから、オルビアンコとかいうチンピラと、あんたの反対派議員のデメトリオたちがつるんでるってのは、最初からわかってたんでしょ?」
「まぁな」
「あんたがただの国家元首だったら、その証拠を暴いて反対派議員をぶっ潰すチャンスだと思うんだよね。逆にただのマフィアの親分だったら、オルビアンコみたいな小者、いつでも潰せたはず」
「……おもしれぇ話になってきたな。それで?」
「なのにそれをせずに、エスパダに上陸したばかりの僕みたいな若造をオレンジ流通に一枚噛ませようとしたのはなぜか。……最初はおかしいと思いながら、その理由が全然わからなかった」
僕は一旦言葉を切ってから、言った。
「そもそも、この国に来た時からおかしいと思っていたことがあった。エスパダはちょっと前まで貴族が好き勝手するようなひどい国だったわけ。それが女王陛下の代になって変わった。……この話、ちょっと長いけど、続けていいの?」
「おめぇの残りの人生だと思って、しゃべんな」
ペロンチョが笑いながら言った。
「普通、社会体制が大きく変わる時というのは、前の支配者が革命や暗殺で失脚した時だ。だけど、女王陛下は自分から国政を議会に移譲して民主化を宣言したから、今でも国民から慕われているという。……おかしいでしょ」
「なにがおかしいんだ? 国民のために自分から権力を捨てるような君主サマなら、国民から好かれて当然じゃねぇか」
「そっちじゃないよ。なんで女王陛下は『革命』なしにエスパダの改革ができたのさ。王家の権威が衰えていたから、貴族が好き勝手に振る舞っていたわけでしょ」
「……クク、なるほどなぁ」
「しかもだよ? いくら民主化を成立させたと言っても、それまでのエスパダはひどすぎたわけでしょ。普通の感覚だったら、ちょっと油断したらまた元のエスパダに逆戻りしちゃうかもって思うでしょ? あの女王陛下はイカれてると思うけど、バカじゃない」
「そうかもな」
僕の話を、まるで孫の話でも聞くように、ペロンチョが楽しそうにうんうんと頷いた。
「なのに、女王陛下は民主化を強行して、さっさと国政を議会に丸投げしてしまった。そんなの、よっぽど『こいつに任せておけば大丈夫だ』って任せられる奴がいないとできないと思ったんだよね。王政の国なら宰相。そして、民主化した国なら……」
「国家元首ってわけかい」
僕はうなずく代わりに、ゆっくりと葉巻の煙を天井に吐いた。
「でも、あの謁見の間でのペロンチョは、女王陛下が安心して国政を丸投げできる人物にはとても思えなかった。もし、見た目通りのすげぇいい奴なら、いろんな人間の利権や思惑が入り交じる世界でそんな大任はとても任せられない」
「へへ、若ぇのに、よくわかってるじゃねぇか」
「お手本になる腹黒い政治家の師匠がいるもんで」
もちろん、アルフォンス宰相閣下のことだ。
「でも、あんたのことを教えてくれたおばあちゃんが言ってたんだよ。女王陛下の時代になってエスパダは一気に活気づいたけど、その下地を作ったのは間違いなく、ドン・トスカーニのおかげだったと」
「クク、なかなか話のわかるババアじゃねぇか」
「それを聞いて、僕がこの国に来てからずっとおかしいと思っていた疑問が一気に解決したんだ」
僕は葉巻をくゆらせながら、続ける。
「ペロンチョの正体がドン・トスカーニだったから、女王陛下は安心して丸投げできるんじゃないかって。国政を丸投げどころか、うんこ投げてたからね、あの女王陛下」
「わっはっは!!! エスパダはババアが強い国なんだよ」
ペロンチョが豪快に笑う。
「あんたはペロンチョとして表舞台に出た。女王陛下が丸投げするぐらいだから、あんたもきっと、ワルとしてじゃなくて、エスパダを良くするためにそうしたんだろう」
「ああ、そうさ」
「でも、それで問題が出てきた。ペロンチョが表に出るということは、ドン・トスカーニの姿が消えるということ。目の上のたんこぶがいなくなって、オルビアンコみたいな連中が無茶なことをやりはじめた」
「その通りだ」
苦虫を噛み潰すように、ペロンチョが言った。
「あんたは立場上、昔の古巣であるマフィアに迂闊に手は出せない。そんなことをして、うっかりあんたの正体が露見しちゃえば、女王陛下に頼まれて国を内側から変えようとしてきた今までの苦労が水の泡だ」
「へぇ……、そこまで『見えて』たのか、おめぇは」
ペロンチョの緊張感の感じられなかった目が、急激に細まった。
怖い怖い。
本気で怖い。
(アサヒ、本物はやっぱり、やっべぇぞ)
「そこまでわかっていながら、おめぇは俺の苦労を一瞬で水の泡にしたってんだな?」
「まぁ、そっスね」
「ブチ殺してやる前に聞かせてくれや……。なぜ、あんな最後っ屁をぶちかましやがったのか。それをネタに俺に脅しをかけりゃ、まだてめぇが生き延びる目もあったってのによ」
「ムカついたからだよ」
「はぁ?」
僕は葉巻を灰皿にぶん投げて、言った。
そう、言っているうちに、改めて腹が立ってきた。
「謁見の間であんたが言ったように、僕はエスパダの文化が好きだ。この国に来たのは仲間を迎えに来たからだけど、その文化に触れるのを楽しみにしてきた」
僕は言った。
「そんな僕を、女王陛下とあんたはいいようにこき使った。まず本物のマテラッツィ・マッツォーネを僕の元に送り込んで引き合わせた上で、市街に噂を流して、マテラッツィ・マッツォーネを名乗る怪盗団を僕に差し向けて……」
「お、おいおい待て待て……、マテラッツィ・マッツォーネだと?! そんなことは俺は知らん。ババアが勝手にやったんだろう」
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「へっ、国政を俺にぶん投げて、よっぽどヒマなんだな。あのババア……」
実際に盗みを実行したことがない怪盗団の存在を知っていたぐらいなんだから、あの女王陛下の市井を見る目や情報収集は、相当なものだろう。
案外、今の僕たちのやりとりも、どこかで見ているのかもしれない。
「わかる? 僕はこの国に着いた早々、あのばあさんに財布をスリ盗られそうになって、次に命を狙われ、一緒に警察に追いかけ回され、あげくの果てに僕が投げたように装ってデモ隊に馬の糞を投げて騒動に巻き込まれたんだ」
「クククッ、そうやって改めて聞くとたしかに、とんだ災難だわなぁ」
「それでお詫びでもしてくれるのかと王宮まで行ってみたら、ばあさんとあんたの二人の企みにまんまと乗せられて、チンピラマフィアと汚職議員の相手をさせられたわけだ」
腹が立ってきたせいか、ペロンチョのことが怖くなくなってきた。
そうだ。殺すなら殺してみやがれ。
「その僕の怒りがどれほどのものだったか、あんたにわかるか? あんたも女王陛下も、僕にぶち殺されていなかっただけありがたく思うべきだよ」
「はっはっは、そりゃまた、ずいぶん大きく出たもん……」
鷹揚に笑いながら言うペロンチョは、自分の喉元に軍刀の刃が突きつけられていることに気づいて、途中で言葉を止めた。
白刃の周囲を覆う、古代魔法金属の赤い光。
僕が小鳥遊の刃を抜いたのだ。
「やるじゃねぇか……太刀筋が見えなかったぜ」
「素人に見えてたまるかよ」
僕はペロンチョの部下が動き出すよりも前に、小鳥遊を鞘に戻す。
マフィアとしてどれだけ場数を踏んでいたか知らないけど、僕だって士官学校に入学以来、いろんなすごい奴らと戦ってきたんだぞ。
「若造の減らず口じゃないってことは、わかってもらえたかな」
「ああ。おめぇがその気になりゃ、殺れるってことはな」
「それはよかった」
僕はペロンチョに微笑んでから、椅子に深く座り直した。
「あんたと女王陛下がどんな思いでこの国を立て直そうとしてきたか。そんなことは僕には一切関わりのないことだ。僕はただ、僕をコケにした落とし前をつけただけだ」
「まぁ、そう言うなよぉ」
ペロンチョは笑いながら言った。
「国ってのはよ、マフィアと同じなんだよ。どういうことかわかるか?」
「人々から搾取しないと生きていけないってことかな」
僕がそういうと、ペロンチョはヒュー、と口笛を吹いた。
「お前、わかってんねぇ。俺の息子にならねぇか? 二代目ペロンチョっつってよ」
「……せめて二代目トスカーニにしてくんない?」
「わはははは!! 決まりだな!」
「決まってねぇよ!!」
肩をバシバシ叩いたペロンチョに、僕は思わずツッコんだ。
和やかに話しているけれど、ペロンチョから殺意は消えていない。
どのみち、ここで僕を殺すということに変更はないということだろう。
「民主主義ってぇバカげた理想を実現するにはよ、うまく国民から搾取するシステムってやつを作らなきゃならねぇんだ。国家元首にでもなりゃ、それが実現できると思ってたんだがよ……おめぇのおかげでパアにされたんだ」
「オレンジ1個が高くついたね」
「まったくだぜ……」
ペロンチョはそう言うと、僕の灰皿に向かって吸いかけの葉巻を放り投げた。
「さ、楽しいおしゃべりは終いだ。さっきみてぇに俺を殺すなら、好きにしな。ただ、残念だが、おめぇにはここで死んでもらう」
「それはまぁいいんだけどさ、殺す理由は、僕があんたの正体を国民にバラしたから?」
僕の不特定多数に飛ばした魔法伝達がどのぐらいの人に広まったかまではわからないけど、少なくとも近隣のエル・ブランコの市民には届いたはずだ。
それと、今回の襲撃や僕が死んだということがわかれば、ペロンチョの正体についての噂はまたたく間に市中に広まり、エスパダの全土に広がるだろう。
そうまでして、僕の命を取ろうとするのは、ただムカついたからなのか、それとも、マフィアのメンツというやつなのか。
「そうじゃねぇよ。……俺はな、どのみち、引退するつもりだったのさ」
「マフィアを? それとも国家元首?」
「両方だよ、両方。隠居してのんびり家庭菜園でもやるつもりだったんだ」
どこかの国の宰相閣下みたいなことを言ってるな。
……国政に疲れたオジイはみんなそうなるんだろうか。
「おめぇが言う通り、俺はこの国の腫瘍みてぇなもんだ。いつかいなくなった方がいいに決まってる。……だがよ、残念ながら、生まれたばかりのこの国じゃ、今はその腫瘍じゃなきゃできねぇことがいくつか残ってやがるのさ」
「まぁ、そうなんだろうね」
「他人事みてぇに言うなよ。おめぇもその腫瘍なんだよ」
「へ、僕? なんで? こんなに温厚で人畜無害なのに」
「ぎゃはははは!!! アホ言ってんじゃねぇよ! おめぇこの国に来て何日なんだよ?」
「一週間経ってないぐらいかな。そろそろ学校に帰らないと単位がやばいんだ」
「……あのな?」
ペロンチョは呆れたように頭をぽりぽりとかいてから、諭すように僕に言った。
「この国に来て一週間足らずのおめぇは、ただムカついたってだけでこの国の国家の中枢機能をズタズタにしてみせやがったんだぜ?! そんな歩くメテオストームみてぇな奴を国家元首として生かしておけると思うか?」
「そういや、ヴァイリスでもクラスメイトの姉ちゃんから歩く核爆発魔法って言われたなぁ……」
「まぁそういうこった。悪いが、この国の未来のために死んでくれや」
「うーん、どうしようかな……」
僕は少し考えてから、言った。
「いいよ」
「え、いいの?」
ペロンチョが思わず素で聞き返した。
「いいよ」
「俺はおめぇと刺し違える覚悟だったんだが……」
「その代わりさ、これ使ってくんない? 切れ味すごいから、多分、ラクに逝けると思うんだよね」
僕は小鳥遊を抜いて、ペロンチョに渡した。
「さっき見た時も思ったが……すげぇ業物じゃねぇか」
「ジェルディクの帝国元帥からいただいた物だよ。ちゃんと僕の墓に一緒に入れてね。じゃないと化けて出てやるからな」
「おめぇ、あのバケモンに気に入られてんのか……、なるほど、若ぇのに俺と平然と話ができるわけだぜ」
「いいや、どうせもう死ぬから言うけど、めちゃくちゃビビっておしっこチビリそうだったよ」
「それを態度に出さねぇのが、本物のマフィアってやつよ。おめぇ、いいマフィアだったぜ」
ペロンチョはそう言いながら、小鳥遊を振り上げた。
赤い剣気を漂わせた白刃が、僕に振り下ろされる。
「そんなこと言われても、ちっとも嬉しくな……」
首筋に、焼けるような熱い感触が走って、僕の視界は真っ暗になった。
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