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第二章 第二部「エスパダ動乱」(1)

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「お、おい、ヤベェぞこれ!!」

 キムが可変盾を大盾に変えて、エスパダ人が投げつけた火炎瓶を防いだ。

「お前、怒らせすぎだろう!」
「いや、ここまで怒らせているのはキムだと思うけど……」
「俺? 俺は何もやってねぇだろ?!」

 彼はまだ、自分の盾に書かれている「御存知!! 最強タンク、キムラMK2参上!!」がさらに民衆の感情を逆撫でしていることを知らない。

 逆上したエスパダの市民たちが声高にののしりながら、僕たちを取り囲んでいる。

「……ふむ、卿よ、こうなったら鎮圧するしかないのではないか?」
「ダメ。このメンバーの中の三分の一はヴァイリスの貴族だ。エスパダ市民に大ケガでもさせたらシャレにならない」

 ジルベールの提案に、僕は首を振った。

「……ならば私の出番だな」

 ヒルダ先輩が僕の肩に手をかけて、市民たちの前に躍り出た。
 右手に握った特殊警棒は雷属性付与で帯電している。
 相手を痺れさせるスタンロッドとして用いるつもりらしい。

「ヒルデガルド先輩、どうしてそんなにノリノリなんですか……」

 スタンロッドをくるくる振り回しながら軽く笑っているヒルダ先輩に、ミスティ先輩が声を掛ける。

「なに、このあいだのパレードの花火ではないが、一度炎上してしまったならとことん燃え上がったほうが面白いかと思ってな」
「あんなに常識人だった先輩が……、すっかりベルくんの悪影響を受けちゃって……」

 失礼なことを言わないでほしい。
 ヒルダ先輩は元からむちゃくちゃなところがあるじゃないか。

 ……それにしても、今日は本当にさんざんな一日だ。

「あーあ、どうしてこうなっちゃったんだろ」
「なに他人事みたいに言ってんの!! 完全にあんたのせいでしょ!!」

 僕がつぶやくと、後方からユキの全力のツッコミが飛んできた。
 今は、その声でユキが背中を守ってくれているのだとわかるだけでもありがたい。

「だ、だから、は僕じゃないんだってば……」
「私も、あれはベルじゃないと思う。いかにもやりそうだけど、あそこまでする人じゃないわよね」
「ああ、僕のことをわかってくれるのはアリサだけだよ……」
「……お兄様、最近ちょっとアリサ様だけひいきしすぎじゃありません?」
「おいテレサ、そんなこと言っている場合か! 全力で殿をお守りするのだ!」

 アリサとテレサもすぐ後ろにいる。
 ゾフィアは側面に。

「みんな、はぐれないでね! ルッ君みたいになるからね!」
「……まじで死ぬかと思った」

 僕たちからはぐれてエスパダ市民からボコボコにされかけたルッ君が言った。
 エスパダのお姉さまにモテようとセットしていた髪が、よくしぼらないまま天日干ししたボロ雑巾みたいになって、ちょっと面白い。

「あーん、モォ!! せっかくエスパダでお買い物ざんまいしようと思ってたのに!! プンプンしちゃうわよ!!」
「お願いだからジョセフィーヌ、今は絶対プンプンしちゃだめだからね? 死人が出ちゃうからね?」

 対立しあっていたエスパダ市民の二つの勢力が、いつのまにか、完全に僕たちを共通の敵として見てしまっている。

「お前は結局どっちなんだ!! 議会派か、女王派か!!!」

 激昂しているエスパダ市民の一人が、僕を指差して言った。

「どっちも興味ない派だよ!! あんたらで勝手に騒いでればいいだろ!!」
「ふ、ふざけやがって!!! あんなことしやがったくせに!!」
「うわっ、と!!」

 額に向かって飛んできた石に向かって左手を上げる。
 腕から水晶龍の盾が出現して、投石を勢いよく跳ね返し……

「あだっ?!」

 跳ね返った石がルッ君の頭にゴンッ、と当たった。

「ご、ごめん」

 頭をさするルッ君に思わず笑ってしまいそうになりながら、僕はあやまった。
 盗賊シーフって、職業柄、幸運度ラックが上がりやすいって聞いたことがあるけど、ルッ君ってけっこう、幸運なことより、こういう悲惨な目に遭うことの方が多い気がする。

 それにしても……。
 火炎瓶に石まで投げてくるとは……。
 ルッ君はともかく、女の子の顔にでも当たったらどうするんだ。

 ふぅ……。
 いいかげん、頭に来たぞ……。 
 
 僕は深呼吸をしながら、これまでの顛末てんまつを思い出した。



 きっかけは、ばあさんだった。
 といっても、メルのおばあちゃんみたいな、上品で理知的な、美しい貴婦人ではなく、ハエがたかっていそうなボロボロの衣服を身にまとい、歯もボロボロ、シミとシワだらけで、腰はひん曲がっているんだけど、やたらすばしっこい、きったねぇ婆さんである。

 きったねぇ婆さんなんて言うと、すごく言葉が悪い感じがする。
 僕はおばあちゃんっ子だったから、あんまりそういう言い方は好きじゃないんだけど、本当にきったねぇ婆さんとしか言いようがない婆さんなのだ。

 つまり、婆さんだからきったないということではなくて、きったない子供でも、きったないおっさんでも、きったない美少女でも、とにかくきったないものはきったないとしか表現のしようがないのだ。

 僕はその婆さんと、エスパダの港町にして首都である、この広い「エル・ブランコ」の街で三度も会ったのだった。

 最初に会ったのは、エスパダに上陸した直後。

 僕たちの船が港に着いたのは早朝だった。
 メルとおばあちゃんに会いに行くにはさすがに早すぎるし、いくら朝が早い港町とはいえ、まだ開いているお店も少なく、市場も閉まっている。

 さてどうしようかと、キムと花京院が荷降ろししているのを見ながら考えていると、その婆さんが僕の横を通り過ぎようとして、身体がぶつかった。

「おっと、ごめんよ」

 それだけ言い残して立ち去ろうとする婆さんの背中に、僕は語りかけた。

「おばあちゃん、おイタはダメだよ」
「……」
「別に中身はあげてもいいからさ、財布だけは返してくれないかな? 仲間たちからもらった大切なものなんだ」

 僕が婆さんの背中に向かってそう言うと、財布をスリった老婆は背を向けたまま、ぴたり、と止まった。

 僕はどんくさい方だと思うけど、僕の服はアウローラそのもの。決して手放すことのできない呪われた服だ。
 そんな服のポケットに入れていたものがなくなれば、いくら僕だってすぐにわかる。
 
「ほぅ……嫌だと言ったら、どうなるってんだい?」
躊躇ちゅうちょせずに殺すよ」

 僕は即答した。

「ふぇっふぇっふぇっ、背中を向けた見知らぬババアを斬り殺すなんて、若いのにずいぶん業の深い男だねぇ」
「その財布は僕にとって、背中を向けた見知らぬババア一人の命より大事なんだ」
「ふん……やれるもんなら……」

 婆さんは背中を向けながら、しわがれた声でそうつぶやき。

「やってみなッ!!」
「――っ?!」
「殿ッ!! 危ないっ!!」

 僕に背中を向けていたはずの老婆の声が突然自分の後ろから聞こえて、僕は戦慄した。
 振り向けば、死ぬ。
 とっさの判断で、僕はその場で身体を落とし、地面に手を付きながら身体を回転させ、後ろにいる老婆に向かってかかとから足払いをかけた。

 ミスティ先輩との試合や、ユキが使っていた後掃腿こうそうたいだ。
 見様見真似でその場で出したにしては強烈な遠心力がかかり、僕は老婆相手に手加減できなかったことを一瞬後悔する。

 だが……。

「ふぇっふぇっふぇっ……、やるではないか……」

 老婆は驚くべき跳躍力で飛び下がりながら僕の足払いをかわし、次の瞬間、シュッ、と自らの姿をかき消し……、そのまま完全に姿を消した。

「……なんなんだ、今の婆さん……」

 突然の刺客に、仲間たちが駆け寄ってくる中、僕はふと、ポケットの違和感に気がついた。
 ポケットに手を入れると……、財布が入っていた。
 後ろに回り込んだ時に、老婆が僕のポケットに戻したのだろう。

 つまり、僕を殺そうと思えば、簡単に殺せたということだ。 

 一瞬で命の危険に晒されたことに、僕の身体は少し震え、首筋から背中にじとっとした汗がつたった。


 二度目に婆さんと会ったのは、それから数時間後だ。

 近くの食堂が開いたので、キムが絶対食べると言い出した。
 でも、僕はせっかくだから、お腹を空かせてエル・ブランコの市場が開くのを待って、今後のお商売のリサーチも兼ねてエスパダ料理を食べ切れるだけ食べてみたかったので、キムやユキといった食いしん坊組には食事をさせて、他のみんなにも軽食を取ってもらっている間に、一人でエル・ブランコの少し内陸側にある王宮を見学に行ったのだった。
 
「おおお……、これが噂に名高いアレハンドロ宮殿か……」

 緑豊かな小高い丘に鮮やかな赤煉瓦れんがを積み上げて作られた美しい大きな宮殿は、かつては宮殿ではなく城塞として使われていたということもあってか、宮殿の華々しさに質実剛健とか、威風堂々という言葉を連想させるような、どっしりとした作りになっている。

 この巨大な宮殿の中に、さらに女王陛下の居住区間である宮殿や庭園があるばかりか、政庁や議事堂、裁判所、軍事施設、エスパダ警察の本部などがぎっしり詰まっているというのだから驚きだ。

「……勝手に入って見学したりしても大丈夫なのかな?」

 民主主義の国だから、もしかしたら、庭園ぐらいは市民にも一般開放されていたりして……。
 そんな期待を胸に、僕はにこやかな笑みを浮かべて、直立不動の姿勢を取っている二人の門番の方へと近付いた。

 ピィー!!! ピピーッ!!!

 その時、宮殿内からけたたましい警笛の音が鳴り響いて僕は思わず足を止め、門番たちも何事かと後ろを向いた。

 黒ずくめの制服とワークキャップを被った屈強な男たちが、こちらに向かってものすごい勢いで走ってくる。
 みんなキムみたいな体型なのに、走るスピードがむちゃくちゃ早い。
 きっとこれがヒルダ先輩が言っていた、エスパダ警察の隊員たちだろう。

「おい、きたねぇババアを見なかったか?!」
「ババア? いや、見てないが……お前、見た?」
「エスパダにババアはごまんといるが、今朝は一人も見てないぞ」

 警察隊員に問いかけられて、門番たちはそう答えてから、ふと、近寄ろうとしたままの姿勢でぼへーと突っ立っている僕の方を振り向いた。

「……君、ナニ?」
「あ、いえ、その……、僕はですね……」

 話しかけるタイミングを完全に失っていた僕は、門番の一人に逆に問いかけられてしまって、なんと答えたものかと、思わず口ごもってしまった。
 そんな僕を怪訝そうな目で見て、近付いてきた門番の一人の頭上から……。

 婆さんが降ってきた。

「ぐへぇっ!!」

 宮殿の外壁から飛び降りた婆さんに頭を踏んづけられた門番の兵士が、まるでスローモーションのように、ぐらぁっと崩れ落ちる様を、僕は唖然あぜんとして眺めてしまった。

「逃げるぞ!」
「は? い、いや、ちょ、ちょっと?!」

 婆さんに手を引っ張られて、僕は慌てて抵抗する。

「貴様……、そのババアの一味か!!」
「い、一味?! い、いや、あのですね、待って! 僕の名はまつお……だから
待ってったら! 僕の名はまつぉ……」
「何っ?!」

 槍を構えて距離を詰めようとする、気絶していない方の門番に僕がそう言うと、門番と駆けつけた警官たちは目を大きく見開いて、互いの顔を見合わせた。

 ……ふぅ、良かった。僕のことを知っているようだ。
 ふふ、どうやら、僕の偉業の数々はエスパダにまで広まっているらしいな。

「マテラッツィ・マッツォーネだと!?」
「は?」
「なんだと?! あの大怪盗のか!! てめぇ、のこのことこんなところまで顔を出しやがって!!!」
「言ってない!! 言ってないから!!!」

 僕の発音で「待てったら!」と「まつお」って言ったら、エスパダの人にはマテラッツィ・マッツォーネって聞こえるんだろうか。

 マテラッツィ・マッツォーネって誰!?
 とにかく、取り返しのつかない誤解をされたことだけは、なんとなくわかる。

「ぷぷっ、言ったじゃろう!! ほれ、早く逃げるぞ!!」
「あんたが笑ってんじゃねぇよ!! どうすんだよこれ!! どうしてくれるんだよー!!」
「ええから、早うせい!!」

 婆さんが僕の腕を取り、宮殿前の生け垣の中に飛び込んで、ジグザグに走りながら岩や荷車、畑の用水路など、さまざまな遮蔽物を利用して、身を隠しながら逃走の手引をした。

 ……この婆さん、ゾフィアぐらい足音がしない。
 しかも、息一つ乱れていない。

 しわしわでヨボヨボの、いつアヴァロニアの神々からお迎えが来てもおかしくない婆さんとは思えないほどの体力と身体能力だ。

(婆さんと逃避行……)

 僕は全力疾走しながら、泣きたくなってしまった。

 こんな突然の出会いから始まるドラマティックな逃避行は、もっとすっごく美人の謎の女性とか、どこかのお姫様とかだったりするのが定番なんじゃないだろうか。

 何が悲しゅうて、着いたばかりの土地で、こんなきったねぇ婆さんと手を繋いで、無実の罪で逃げ回らなくちゃならないんだ。

 それも、よくよく考えてみたら、さっき僕から財布を盗もうとしただけでなく、命まで取ろうとした婆さんだ。

「ひゃっひゃ、おまえさんとは奇縁があるようじゃな」
「……そうみたいだね。付き合っちゃおっか」

 半ばヤケクソになった僕が婆さんにそう言うと、婆さんは目を丸くしてこちらを見て、握っていた手をぱっと放した。

「て、照れんなよ……いい年して……。こっちが恥ずかしくなるだろ」
「こんな汚いババアに冗談でもそんなこと言う奴がおるとは思わなんだ」
「でも、意外といい匂いするよね。汚いババアのくせに」
「誰が汚いババアじゃ」
「あんたが自分で言ったんだろ……」

 街道沿いの森林に入ったところで、追手の気配はすっかりしなくなっていた。

「それで、あんたは王宮に忍び込んで何を……」

 僕がそう言って振り返ると、婆さんの姿はどこにもいなくなっていた。
 こうして、婆さんとの二度目の遭遇は終わったのだった。
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