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第二部 第一章「高く付いた指輪」(2)
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2
(な、なにやってるのよ!! 早くして!)
船尾でシュコシュコと一生懸命装置を上下させている僕に、後ろからユキが小さい声で怒鳴った。
(そ、そんなこと言ったって……、思ったより空気が入らないんだよー)
倉庫整理の時にキムに見せた、黒いブヨブヨとした物体に空気入れ装置を差して、僕は必死に空気を吹き込んでいた。
黒いブヨブヨは、耐水性の強い水牛の皮をつなぎ合わせたものだ。
空気入れ装置は「T」に「凸」をくっつけたような形をしていて、装置の「ー」の部分を握って上に動かすことで、空気を取り入れて、下に押すことで圧縮空気がチューブ状の皮の中に入って、風船のように空気が入っていく仕組みなんだけど、思った以上に水牛の皮が大きくて、なかなか膨らんでくれない。
(くぅ……こんなことなら、キムに空気を入れさせるんだった)
「おい! テメェらそこで何やって……むぐぅっ!?」
海賊の一味が僕たちを見つけて、ゾフィアがすかさず鳩尾に剣の柄をめりこませて昏倒させる。
「ん? おい、どうした?!」
(殿、まずいぞ……! 連中がやってくる!)
(まっちゃん! 早く! もっと早くできないの!?)
(や、やってるよぉ……)
(もっとよ!! 気合入れてもっと早く動かしなさいよ!!)
「くっそおおおお!!!!」
ユキに言われて、僕は渾身の力をこめて空気入れを動かした。
シュコシュコシュコシュコシュコシュコシュコ!!!!
ぽきっ。
「「「あ」」」
根本で折れて、Tの字の棒だけになった物体を見て、僕とユキ、ゾフィアが思わず声を上げた。
「うわあああああ、おしまいだああああ!!」
「ちょ、ちょっと、あんた、何やってんのよ!!」
「ユキが気合入れてやれって言うからぁぁ!!」
「だ、だからって、何も折っちゃうことはないでしょ?! ど、どーすんのよこれぇ!?」
僕は半泣きになりながら、足元に転がる、黒いブヨブヨを眺めた。
「ユキの口で吹き込んだから、いけたりしないかな?」
「いけるわけないでしょ?!」
「僕がやったらたぶん、何時間もかかるけど、ユキならきっと……」
「私を何だと思ってんの?! 私だってそのぐらいかかるわよ!!」
「お、おい、どうした?! 大丈夫か?! てめぇらがやりやがったのか?!」
物音を聞きつけた海賊の一人が、昏倒している海賊を発見し、こちらに向かって怒りの形相を向けた。
「おい、おめぇら!! ちょっとこっちに来てくれ!!」
海賊が仲間を呼び、ぞろぞろと一味が集結していく。
船尾にいる僕たちには完全に逃げ場がない。
「と、殿……どうする?!」
ゾフィアに問われて、僕は決意を固めた。
「え、ええーい、ままよー!!」
僕は中途半端に空気の入った水牛の皮を海に向かってぶん投げた。
本当はちょっとボートのようにいい感じに浮くはずだったんだけど、中途半端に空気が入った巨大な水牛の皮は、まるで昆布の化物の死体のように、ぷかぁ、と海上を漂っている。
「え? え? あ、あれを、どうするの?!」
「ユキ、ごめんね。ちょっと抱きつくよ」
もう判断も躊躇もしている時間はない。
僕はユキの腰に手を回して抱き上げた。
「きゃっ?! ちょ、ちょっと?!」
(おっぱいのことは気にしない。おっぱいのことは気にしない。今、一瞬でも気にしたら僕は海賊じゃなくてユキに殺される)
自分の胸に当たる感触に対する意識を全力で封殺して、僕はユキを船尾から昆布の化物に向かって放り投げた。
「きゃああああああああっ!!!」
「ゾフィアは飛び込める?」
「もちろんできるが、できれば私も、殿にお願いしたい!」
目をキラキラさせて、ゾフィアが言った。
……そんな状況じゃないってのに、なんちゅー神経の図太さだ……。
「じゃ、いくよ」
恥じらう乙女というより、高い高いをせがむチビっ子のようなワクワクした顔で、ゾフィアが抱きついてきた。
……ユキに言ったらぶち殺されそうだけど、ゾフィアの方がだいぶ軽い。
「それっ!!」
ライムの残り香をふわっと残して、ゾフィアが美しい弧を描きながら海に向かって跳躍した。
「ああっ、僥倖だ……!! このまま溺れ死んでもかまわん!!」
縁起でもないことを言いながら、ゾフィアが僕に放り投げられた。
「おい、女たちが海に逃げたぞ!!」
「かまやしねぇ! こんな海流で生きていられるわけがねぇ! いい女だったのは惜しいが、そいつが伯爵だ! そいつの身柄さえ押さえちまえば、金はガッポリ手に入るぜ!」
見覚えのある男が僕を指して言った。
船倉で会ったネズミ野郎だ。
「そいつだけは海に落とすなよ……、一気に押さえ込むぞ!!」
十人ほどの海賊たちが、じりじりと間合いを詰めながらこっちに向かってくる。
(ちぃっ、面倒な……。あんまり時間をかけたくないってのに…)
僕はユキから受け取っていた腰の小鳥遊に手をかける。
その時……。
「っらあああああああっ!!!」
「ぐわあっっ!!!」
側面から盾で突撃した大柄の男が、海賊の集団に強烈な体当たりを食らわせ、一団ごと大きく倒れ込ませた。
グレーのだぼっとしたスウェットの上下にサンダルという、休日のおっさんスタイルの男が握る大盾には、魔法金属の魔法光で、「御存知!! 最強タンク、キムラMK2参上!!」という文字が浮かび上がっている。
「……なぁ、お前の作戦ってこれなのか?」
「キム! いいところに!!」
キムが僕を守るように盾を構えながら苦笑する。
「僕はこのままここから飛び降りるから、後のことは頼んだよ」
「お、おいおい!? 海賊がうじゃうじゃしている船にオレだけ置いていく気かよ?!」
「仕方ないでしょ、キムの体重で乗ったら全員沈んじゃうもん」
「理由になってねぇぞ!! お前、そういう奴だったんだな?! ピンチになったら女だけ連れて親友を置いて逃げるような、そんな奴だったんだな!?」
「そうか……、キムは僕のこと、親友だと思ってくれてたんだ……」
「いやいやいや、しんみりしてるヒマがあったらオレも助ける方法を考えろよ!!」
「大丈夫! 君は一人じゃない!」
「『いつも心の中でそばにいるから』みたいな言い方してんじゃねぇよ!! そういうのってだいたい無責任な気休めなんだぞ!!」
キムが泣き笑いみたいな顔で言った。
「わはは! 本当に一人じゃないんだって! 甲板に行けばわかる! あと、指輪は持ってる?」
「ああ、ポケットに入ってるぜ」
「それ、はめといて。それじゃ!」
僕はそれだけ言うと、船尾から身を乗り出し……。
「ま、待ちやがれ!! 逃げんじゃねぇ!!」
ネズミ野郎の一言で、ピタ、と動きを止めた。
「お、おい、どうした?」
僕が船のへりから身体を戻し、くるりと引き返すと、あれだけ引き止めていたキムが不安そうに声をかける。
「……あいつだけは、絶対許さん」
僕はすたすたと歩いて、よろめきながら起き上がったネズミ野郎のこめかみに右フックを叩き込んだ。
「ぐぇっ!?」
アサヒに色々教わったんだけど、今の所、僕が使い物になりそうなのはこれだけだ。
ネズミ野郎は壁に吹き飛んでしたたかに鼻を打ち、鼻血を噴き出しながら、ふらふらと身体を揺らしてこちらに倒れ込んでくる。
「はぁ、ちょっとスッキリ」
「お、お前……、こいつに一発入れるためにわざわざ戻ってきたのか?!」
「そうだよ」
「そうだよってお前……」
僕はキムに笑って、ネズミ野郎に向き直った。
「……お前はよくわかってないだろうけど、お前はさ、僕を完全に怒らせちゃってるんだよね」
「え……」
脳震盪を起こして足腰が立たなくなっているネズミ野郎を抱きとめるようにして、僕は耳元でささやいた。
「おめでとう。君はこのまつおさん・フォン・ベルゲングリューンを、この世で一番敵に回しちゃっている、とっても命知らずで、かわいそうな男なんだ」
「て、てきっ……ろ、ろういう……ことだ……」
うまく呂律が回らないネズミ野郎に、僕は言葉を続けた。
「僕を本気で怒らせるとどういうことになるか、君はこれから存分に思い知ることになるだろう」
僕はそれだけ言って、他に起き上がろうとしていた海賊数人の頭を蹴り飛ばしてから、荷物をユキとゾフィアが乗っている昆布の化物みたいな水牛の皮に投げ落として、キムに「じゃ、後はよろしく! 甲板に行って! 指輪はめといてね!」と言い残して、船尾から飛び込んだ。
「きゃあっ?!」
僕が飛び込んだ水しぶきがかかって、ユキが悲鳴を上げる。
「はは、ひどい見た目だけど、なんとか浮いてるじゃん、これ」
「……浮いてるけど、これでどうするの? これじゃまったく動かないわよ……」
ユキもゾフィアも、上着が濡れて、なんというか、ちょっとセクシーな感じになっているんだけど……、そんなことを気にしていたらユキに海の底に沈められかねないから、僕はなるべく外の景色を眺めることにした。
「かなり当初の計画と異なるようだが……、殿のことだ、何か考えがあるのだろう?」
「考えがあるというか……、実は当初の計画から何も変わってないんだ」
「絶対うそでしょ……、このブヨブヨがあんたの計画ってわけ?」
僕はユキの言葉に苦笑しながら、説明する代わりに、水牛の皮のへりをパンパン、と叩いた。
「わわっ、う、動いた?!」
ユキが驚きの声を上げ、ゾフィアが目を丸くして僕を見る。
それもそのはずだ。
人力で漕いでもどうにもならないような昆布の化物が、その辺の小型船もかくやというスピードで推進しはじめたのだ。
「な、なにこれ?! ど、どうなってるの?!」
「よかったら、海面に顔を付けて覗いてみてごらん。あ、落ちないでよ?」
僕に言われて、ユキがおそるおそる、海面に顔を近づけた。
……まぁ、落ちても大丈夫なんだけど。
「うわあああぶっ!! ご、ごほっ、ごほっ!!」
海中を見て驚いたユキが海水を飲み込み、咳き込みながら顔を上げる。
「ちょ、ちょっと!! びっくりして心臓が止まるかと思ったでしょ!! こんなことになってるなら先に言いなさいよ!!」
「わはは、ごめんごめん」
僕は苦笑しながら、心臓に手を当てているユキに謝った。
「ユ、ユキ殿、海中に何があったのだ……?」
海に慣れていないゾフィアがおそるおそる尋ねた。
「リザーディアンよ……、それもたくさん……。この海域を、リザーディアンがうようよしているの……」
「な、なんだと……?!」
「この水牛の皮も、海中でリザーディアンたちが運んでくれているのよ……、だからこんな、ぷぷっ……バカみたいに早いのよ……!!」
ユキが思わず笑い出しながら言った。
いつもなら僕の思い付きにドン引きするところなんだけど、今回はちょっとドン引きの壁を突き抜けちゃったみたいだ。
「あんた……もしかして、甲板に並べた樽の中って……」
ユキの問いに、僕はうなずいた。
「うん。50個の樽に、リザーディアンたちがみっしりと……」
「相変わらず、えげつないことを考えるわね……」
さっき合流するちょっと前ぐらいに、キムを外に追い出して、船倉で僕が召喚した。
この時にために、僕は魔力を乱用せず、ビンビンに溜めておいたのだ。
彼らにはヒルダ先輩の特殊警棒の発想をパクった、伸縮式の槍を持たせている。
「今頃は、かわいそうな海賊たちがひぃひぃ言ってる頃だと思うよ」
どんどん離れていく船から、海賊たちの怒号と、キンキンと響く金属音が聞こえ始めている。
「でも、たった50でしょ? あの海賊たちって、たしか相当有名な海賊団なんでしょ? その10倍ぐらいは兵力差があるんじゃ……」
「ふっふっふ、連中がどんな手練れの海賊団だとしても10倍ぐらいじゃ相手になんないと思うよ」
「え?!」
驚くユキと、頷くゾフィア。
そう、少数精鋭の強みは、帝国猟兵出身のゾフィアならわかるはずだ。
「ユキ殿、船は足場が悪い場所が多く、高所もたくさんある上に、海に落ちれば普通は交戦不能だ」
「うん」
「だが、リザーディアン達は指に襞状の鱗があり、垂直に立つ樹木であっても容易に登ることができ、海に落ちれば交戦不能どころか、向かう所敵なしだ。正面で戦っても強敵なのが、上からも下からも、壁面からも襲ってくるのだぞ」
「う、うわぁ……」
「人間や亜人にとって船上での50体のリザーディアンというのは、考え得る限り最悪の部類に入る強敵だろう」
「そんな連中が突然、樽から一斉に出てきたら、そりゃ大変なことになるわね……」
今度は完全にドン引きした目で、ユキが僕を見た。
「でも、それで勝てないとなったら……、連中は船に戻って、砲撃で船ごと沈めてしまおうとするんじゃ……あっ」
そこまで言って、ユキは顔を上げた。
「そういうこと」
僕はにっこり笑いながら、ユキに言った。
「だから、僕たちがここにいるんだよ」
(な、なにやってるのよ!! 早くして!)
船尾でシュコシュコと一生懸命装置を上下させている僕に、後ろからユキが小さい声で怒鳴った。
(そ、そんなこと言ったって……、思ったより空気が入らないんだよー)
倉庫整理の時にキムに見せた、黒いブヨブヨとした物体に空気入れ装置を差して、僕は必死に空気を吹き込んでいた。
黒いブヨブヨは、耐水性の強い水牛の皮をつなぎ合わせたものだ。
空気入れ装置は「T」に「凸」をくっつけたような形をしていて、装置の「ー」の部分を握って上に動かすことで、空気を取り入れて、下に押すことで圧縮空気がチューブ状の皮の中に入って、風船のように空気が入っていく仕組みなんだけど、思った以上に水牛の皮が大きくて、なかなか膨らんでくれない。
(くぅ……こんなことなら、キムに空気を入れさせるんだった)
「おい! テメェらそこで何やって……むぐぅっ!?」
海賊の一味が僕たちを見つけて、ゾフィアがすかさず鳩尾に剣の柄をめりこませて昏倒させる。
「ん? おい、どうした?!」
(殿、まずいぞ……! 連中がやってくる!)
(まっちゃん! 早く! もっと早くできないの!?)
(や、やってるよぉ……)
(もっとよ!! 気合入れてもっと早く動かしなさいよ!!)
「くっそおおおお!!!!」
ユキに言われて、僕は渾身の力をこめて空気入れを動かした。
シュコシュコシュコシュコシュコシュコシュコ!!!!
ぽきっ。
「「「あ」」」
根本で折れて、Tの字の棒だけになった物体を見て、僕とユキ、ゾフィアが思わず声を上げた。
「うわあああああ、おしまいだああああ!!」
「ちょ、ちょっと、あんた、何やってんのよ!!」
「ユキが気合入れてやれって言うからぁぁ!!」
「だ、だからって、何も折っちゃうことはないでしょ?! ど、どーすんのよこれぇ!?」
僕は半泣きになりながら、足元に転がる、黒いブヨブヨを眺めた。
「ユキの口で吹き込んだから、いけたりしないかな?」
「いけるわけないでしょ?!」
「僕がやったらたぶん、何時間もかかるけど、ユキならきっと……」
「私を何だと思ってんの?! 私だってそのぐらいかかるわよ!!」
「お、おい、どうした?! 大丈夫か?! てめぇらがやりやがったのか?!」
物音を聞きつけた海賊の一人が、昏倒している海賊を発見し、こちらに向かって怒りの形相を向けた。
「おい、おめぇら!! ちょっとこっちに来てくれ!!」
海賊が仲間を呼び、ぞろぞろと一味が集結していく。
船尾にいる僕たちには完全に逃げ場がない。
「と、殿……どうする?!」
ゾフィアに問われて、僕は決意を固めた。
「え、ええーい、ままよー!!」
僕は中途半端に空気の入った水牛の皮を海に向かってぶん投げた。
本当はちょっとボートのようにいい感じに浮くはずだったんだけど、中途半端に空気が入った巨大な水牛の皮は、まるで昆布の化物の死体のように、ぷかぁ、と海上を漂っている。
「え? え? あ、あれを、どうするの?!」
「ユキ、ごめんね。ちょっと抱きつくよ」
もう判断も躊躇もしている時間はない。
僕はユキの腰に手を回して抱き上げた。
「きゃっ?! ちょ、ちょっと?!」
(おっぱいのことは気にしない。おっぱいのことは気にしない。今、一瞬でも気にしたら僕は海賊じゃなくてユキに殺される)
自分の胸に当たる感触に対する意識を全力で封殺して、僕はユキを船尾から昆布の化物に向かって放り投げた。
「きゃああああああああっ!!!」
「ゾフィアは飛び込める?」
「もちろんできるが、できれば私も、殿にお願いしたい!」
目をキラキラさせて、ゾフィアが言った。
……そんな状況じゃないってのに、なんちゅー神経の図太さだ……。
「じゃ、いくよ」
恥じらう乙女というより、高い高いをせがむチビっ子のようなワクワクした顔で、ゾフィアが抱きついてきた。
……ユキに言ったらぶち殺されそうだけど、ゾフィアの方がだいぶ軽い。
「それっ!!」
ライムの残り香をふわっと残して、ゾフィアが美しい弧を描きながら海に向かって跳躍した。
「ああっ、僥倖だ……!! このまま溺れ死んでもかまわん!!」
縁起でもないことを言いながら、ゾフィアが僕に放り投げられた。
「おい、女たちが海に逃げたぞ!!」
「かまやしねぇ! こんな海流で生きていられるわけがねぇ! いい女だったのは惜しいが、そいつが伯爵だ! そいつの身柄さえ押さえちまえば、金はガッポリ手に入るぜ!」
見覚えのある男が僕を指して言った。
船倉で会ったネズミ野郎だ。
「そいつだけは海に落とすなよ……、一気に押さえ込むぞ!!」
十人ほどの海賊たちが、じりじりと間合いを詰めながらこっちに向かってくる。
(ちぃっ、面倒な……。あんまり時間をかけたくないってのに…)
僕はユキから受け取っていた腰の小鳥遊に手をかける。
その時……。
「っらあああああああっ!!!」
「ぐわあっっ!!!」
側面から盾で突撃した大柄の男が、海賊の集団に強烈な体当たりを食らわせ、一団ごと大きく倒れ込ませた。
グレーのだぼっとしたスウェットの上下にサンダルという、休日のおっさんスタイルの男が握る大盾には、魔法金属の魔法光で、「御存知!! 最強タンク、キムラMK2参上!!」という文字が浮かび上がっている。
「……なぁ、お前の作戦ってこれなのか?」
「キム! いいところに!!」
キムが僕を守るように盾を構えながら苦笑する。
「僕はこのままここから飛び降りるから、後のことは頼んだよ」
「お、おいおい!? 海賊がうじゃうじゃしている船にオレだけ置いていく気かよ?!」
「仕方ないでしょ、キムの体重で乗ったら全員沈んじゃうもん」
「理由になってねぇぞ!! お前、そういう奴だったんだな?! ピンチになったら女だけ連れて親友を置いて逃げるような、そんな奴だったんだな!?」
「そうか……、キムは僕のこと、親友だと思ってくれてたんだ……」
「いやいやいや、しんみりしてるヒマがあったらオレも助ける方法を考えろよ!!」
「大丈夫! 君は一人じゃない!」
「『いつも心の中でそばにいるから』みたいな言い方してんじゃねぇよ!! そういうのってだいたい無責任な気休めなんだぞ!!」
キムが泣き笑いみたいな顔で言った。
「わはは! 本当に一人じゃないんだって! 甲板に行けばわかる! あと、指輪は持ってる?」
「ああ、ポケットに入ってるぜ」
「それ、はめといて。それじゃ!」
僕はそれだけ言うと、船尾から身を乗り出し……。
「ま、待ちやがれ!! 逃げんじゃねぇ!!」
ネズミ野郎の一言で、ピタ、と動きを止めた。
「お、おい、どうした?」
僕が船のへりから身体を戻し、くるりと引き返すと、あれだけ引き止めていたキムが不安そうに声をかける。
「……あいつだけは、絶対許さん」
僕はすたすたと歩いて、よろめきながら起き上がったネズミ野郎のこめかみに右フックを叩き込んだ。
「ぐぇっ!?」
アサヒに色々教わったんだけど、今の所、僕が使い物になりそうなのはこれだけだ。
ネズミ野郎は壁に吹き飛んでしたたかに鼻を打ち、鼻血を噴き出しながら、ふらふらと身体を揺らしてこちらに倒れ込んでくる。
「はぁ、ちょっとスッキリ」
「お、お前……、こいつに一発入れるためにわざわざ戻ってきたのか?!」
「そうだよ」
「そうだよってお前……」
僕はキムに笑って、ネズミ野郎に向き直った。
「……お前はよくわかってないだろうけど、お前はさ、僕を完全に怒らせちゃってるんだよね」
「え……」
脳震盪を起こして足腰が立たなくなっているネズミ野郎を抱きとめるようにして、僕は耳元でささやいた。
「おめでとう。君はこのまつおさん・フォン・ベルゲングリューンを、この世で一番敵に回しちゃっている、とっても命知らずで、かわいそうな男なんだ」
「て、てきっ……ろ、ろういう……ことだ……」
うまく呂律が回らないネズミ野郎に、僕は言葉を続けた。
「僕を本気で怒らせるとどういうことになるか、君はこれから存分に思い知ることになるだろう」
僕はそれだけ言って、他に起き上がろうとしていた海賊数人の頭を蹴り飛ばしてから、荷物をユキとゾフィアが乗っている昆布の化物みたいな水牛の皮に投げ落として、キムに「じゃ、後はよろしく! 甲板に行って! 指輪はめといてね!」と言い残して、船尾から飛び込んだ。
「きゃあっ?!」
僕が飛び込んだ水しぶきがかかって、ユキが悲鳴を上げる。
「はは、ひどい見た目だけど、なんとか浮いてるじゃん、これ」
「……浮いてるけど、これでどうするの? これじゃまったく動かないわよ……」
ユキもゾフィアも、上着が濡れて、なんというか、ちょっとセクシーな感じになっているんだけど……、そんなことを気にしていたらユキに海の底に沈められかねないから、僕はなるべく外の景色を眺めることにした。
「かなり当初の計画と異なるようだが……、殿のことだ、何か考えがあるのだろう?」
「考えがあるというか……、実は当初の計画から何も変わってないんだ」
「絶対うそでしょ……、このブヨブヨがあんたの計画ってわけ?」
僕はユキの言葉に苦笑しながら、説明する代わりに、水牛の皮のへりをパンパン、と叩いた。
「わわっ、う、動いた?!」
ユキが驚きの声を上げ、ゾフィアが目を丸くして僕を見る。
それもそのはずだ。
人力で漕いでもどうにもならないような昆布の化物が、その辺の小型船もかくやというスピードで推進しはじめたのだ。
「な、なにこれ?! ど、どうなってるの?!」
「よかったら、海面に顔を付けて覗いてみてごらん。あ、落ちないでよ?」
僕に言われて、ユキがおそるおそる、海面に顔を近づけた。
……まぁ、落ちても大丈夫なんだけど。
「うわあああぶっ!! ご、ごほっ、ごほっ!!」
海中を見て驚いたユキが海水を飲み込み、咳き込みながら顔を上げる。
「ちょ、ちょっと!! びっくりして心臓が止まるかと思ったでしょ!! こんなことになってるなら先に言いなさいよ!!」
「わはは、ごめんごめん」
僕は苦笑しながら、心臓に手を当てているユキに謝った。
「ユ、ユキ殿、海中に何があったのだ……?」
海に慣れていないゾフィアがおそるおそる尋ねた。
「リザーディアンよ……、それもたくさん……。この海域を、リザーディアンがうようよしているの……」
「な、なんだと……?!」
「この水牛の皮も、海中でリザーディアンたちが運んでくれているのよ……、だからこんな、ぷぷっ……バカみたいに早いのよ……!!」
ユキが思わず笑い出しながら言った。
いつもなら僕の思い付きにドン引きするところなんだけど、今回はちょっとドン引きの壁を突き抜けちゃったみたいだ。
「あんた……もしかして、甲板に並べた樽の中って……」
ユキの問いに、僕はうなずいた。
「うん。50個の樽に、リザーディアンたちがみっしりと……」
「相変わらず、えげつないことを考えるわね……」
さっき合流するちょっと前ぐらいに、キムを外に追い出して、船倉で僕が召喚した。
この時にために、僕は魔力を乱用せず、ビンビンに溜めておいたのだ。
彼らにはヒルダ先輩の特殊警棒の発想をパクった、伸縮式の槍を持たせている。
「今頃は、かわいそうな海賊たちがひぃひぃ言ってる頃だと思うよ」
どんどん離れていく船から、海賊たちの怒号と、キンキンと響く金属音が聞こえ始めている。
「でも、たった50でしょ? あの海賊たちって、たしか相当有名な海賊団なんでしょ? その10倍ぐらいは兵力差があるんじゃ……」
「ふっふっふ、連中がどんな手練れの海賊団だとしても10倍ぐらいじゃ相手になんないと思うよ」
「え?!」
驚くユキと、頷くゾフィア。
そう、少数精鋭の強みは、帝国猟兵出身のゾフィアならわかるはずだ。
「ユキ殿、船は足場が悪い場所が多く、高所もたくさんある上に、海に落ちれば普通は交戦不能だ」
「うん」
「だが、リザーディアン達は指に襞状の鱗があり、垂直に立つ樹木であっても容易に登ることができ、海に落ちれば交戦不能どころか、向かう所敵なしだ。正面で戦っても強敵なのが、上からも下からも、壁面からも襲ってくるのだぞ」
「う、うわぁ……」
「人間や亜人にとって船上での50体のリザーディアンというのは、考え得る限り最悪の部類に入る強敵だろう」
「そんな連中が突然、樽から一斉に出てきたら、そりゃ大変なことになるわね……」
今度は完全にドン引きした目で、ユキが僕を見た。
「でも、それで勝てないとなったら……、連中は船に戻って、砲撃で船ごと沈めてしまおうとするんじゃ……あっ」
そこまで言って、ユキは顔を上げた。
「そういうこと」
僕はにっこり笑いながら、ユキに言った。
「だから、僕たちがここにいるんだよ」
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