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22.親子
しおりを挟むジィー、ジリジリジリ。ジィー、ジリジリジリ。
アブラゼミの騒がしい鳴き声を聞きながら瑞雲寺霊園の階段を上る。足元に咲く紫色のウツボグサは花穂の先が茶褐色になり始めている。
「遅くなってごめんなさいね」
楠木家之墓の前に来るとすぐ千勢は稔に謝った。手を合わせ、線香に火を付ける。
(ちーちゃん、ずいぶん遅いじゃない)
「実はね、昨日みーちゃんが怪我しちゃってね」
(怪我? どうしたの?)
「見ていなかったから分からないんだけど、木から落ちたのかも。帰ったら縁側の下で丸くなってて、足に傷があって。なんか私、みーちゃんの血を見たら『死なないで』って慌てちゃって」
「そりゃ、びっくりするね」
「うん、でもおかしいよね。私は子宮がんを抱えて死ぬのを待っているのに、みーちゃんには死んでほしくないなんて。すごい矛盾。ほんと自分勝手すぎてビックリしちゃう」
そして千勢はふぅとため息をついた。
「でも、もう大切な存在を失う辛さは味わいたくないのよ」
(ごめんな、ちーちゃん。オレも辛いよ)
「ううん、仕方ないよ。それでね、昇さんが動物病院に連れて行ってくれて、手当てしてもらったんだけど、もうすっかり元気になったよ」
(そうか、安心したよ)
「そのお礼にね、午前中に昇さんのトマトの出荷作業を手伝ったのよ。収穫がなんか楽しくてね。昇さんにもスジがいいって褒められて」
(すごいじゃん。ちーちゃんは料理や掃除の手際がいいからな)
「ふふ。あとね、商品名が書かれたカードが味気なかったから、アイデアを出してみたらいいねって採用してくれたんだよ」
(ちーちゃん、ずいぶん仕事が出来るんだな)
そしてポモロンの収穫方法や梱包作業など、まるで稔に教えるかのように細かく説明した。
「あ、もうそろそろ行かないと」
線香の束はまだ半分ほど残っている。朝から晩までいる時は1束終わってしまうのに。
「ごめんなさいね。今日はあんまり時間がなくて」
稔のそばに少しでも長くいたいと思って引っ越してきたはずなのに、最近は何かと忙しくなって滞在時間が短くなっている。
それなのに、どうしようもない寂しさは薄らいでいる気がする。ただそれを自覚するのは稔に申し訳なくて千勢は考えないようにした。
「じゃ、また明日来るからね」
最後の線香の火が消え、煙がすっと風に揺れた。
「いらっしゃいませー」
墓参りの帰りにスーパーストーンへ行くと、佑樹はレジで接客をしていた。千勢に気づくとにっこり笑みを送ってくれた。
店内に他のお客さんがいたため、千勢は買い物をしながら人がいなくなるのを待った。しばらくすると佑樹が陳列棚の前に来た。
「佑樹さん、昨日は動物病院を教えて頂いて、ありがとうございました」
「いえいえ、お安い御用ですよ。みーちゃん、怪我はどうですか?」
「はい。かすり傷程度で大したことないとのことです。大騒ぎしてすみません」
「そう。無事で何よりです」
「病院に電話しておいてくれたおかげですぐに診てもらえましたし、先生もすごく親切でした」
「お役に立ててよかったです。安田先生は信頼できる先生ですから」
「そういえば、昇さんに電話借りた時に佑樹さんが石田って知ってビックリしちゃって。てっきりゆうきって苗字かと勘違いしてました」
「あはは。やっぱりなぁ。イントネーションが違ったからもしかしてとは思ってましたけどね」
「名札がひらがなで書かれているから。結ぶ城の結城とか優しい木の優木とか」
「この店は親父とお袋がやってて、全員石田だからネームプレートは下の名前にしてるんですよ。あ、親父が『たかや』でお袋が『よしみ』だからみんな苗字と間違えられる可能性あったりして……」
「ほんと! 私だったら家族って気付かないかも」
「あー、気付かなそー」と佑樹が同意して、2人で声を出して笑った。
一拍置いて、千勢はあっと思った。もう一つ昨日初めて知ったことがある。
「あと、石田っていうと瑞雲寺の向かいに住んでいる石田さんの……?」
「あぁ、じいちゃん? 親父の親父。え? ちーちゃん、それも知らなかったんすか?」
目を丸くして佑樹が聞いた。千勢は上目遣いでコクンとうなづく。
「うそ!? じいちゃんから聞いてない? だって丘の上の家はじいちゃんから買ったんでしょ?」
「そうだけど。不動産屋さんいたし。石田さんの家族のことなんて聞いたりしないですよ」
「そっか。だとしても田舎だから噂話とかで知っているもんだと思うじゃないですか」
「昨日昇さんにも、まさか知らないのって顔されました。まだ田舎の暮らしに慣れていないんですから。言ってよーって感じ」
「そういえば、ちーちゃんが引っ越してきた時、じいちゃんがシュッとした都会の人だって言ってたな」
「は? シュッとした?」
褒められているのか、バカにされているのか。石田は千勢のことをキテレツって言っていたこともあるから、後者だろう。
「だから、せっかく家を売ったけど田舎暮らしが不便ですぐに出ていくんじゃないかって心配していたんですよ」
都会の人間に田舎の生活は無理だと思われてたから態度が素っ気なかったのか。
「実はあの家、売るか売らないかでお正月に家族で揉めたんですよ」
「えっ、何があったんですか?」
「ちょっと話が長くなるんですが、いいですか?」
佑樹は千勢の買い物カゴを持って、レジ台に置いた。
「もともと丘の上の家はじいちゃんが叔父ちゃん、親父の弟になるんですけど。叔父ちゃんのために建てたんですよ」
「叔父さんのため?」
「叔父ちゃんがね、高校に入学して引きこもりになったらしいんですよ。当時はまだ引きこもりが今ほど認知されていなくて。じいちゃんもあんな感じだから怒っちゃって」
「すごい想像できる」
「でしょ。それで『そんなに独りがいいなら一人で生活してみろ!』って言って、あそこに家を建てて叔父ちゃんを追い出したんです」
ずいぶん乱暴だなとは思うが、石田ならやりかねない。
最初は電気も水道も通っておらず、不便極まりなかったという。
「叔父ちゃんも意地になって生活を始めたけど正直きつくて逃げ出したかったそうですよ。でも、普通に生活することがこんなに大変なことなんだって実感して。生きる力をもらった、人間として成長できた。よく親戚の宴会で『あのとき親父に突き放してもらってよかった』って感謝してますよ」
大きな楠が立つあの家にそんな過去があったなんて。千勢は感心しながら佑樹の話に耳を傾けていた。
「叔父ちゃんはさ、そこから猛勉強して東京の大学の医学部に入って、医者になったんだ ですよ。大学病院に勤めていたこともあったけど、今は小笠原諸島にある離島で診療所をやってます」
「立派な大人になったんですね」
丘の上の家に大学卒業まで住んでいたが、その後は賃貸にして農協の臨時職員や中学校の英語教師の外国人に数年ずつ貸していた。
しかし築年数が増えるにつれて段々と入居希望者が減ってきて、考えた末に家具や家電を揃えるなど設備を整えたのだった。
すると就農を目指す若い夫婦や早期退職した男性が来たが、何カ月かで退去したらしい。
そしてこ何年も誰も住んでいない状態だった。
「そりゃ、あれだけ不便な山の中にあったらね……」
「確かにねぇ」
千勢も稔が眠る瑞雲寺が近くじゃなかったら選んでいないし、生活の不自由さにとっくに根を上げているだろう。
「でね、じいちゃんが管理していたんだけど、あの歳でしょ。親父は店が忙しいし叔父ちゃんは遠すぎるしで代わろうにも管理できない」
息子2人は借り手のいない家屋を売却することで合意していたという。
「やっぱりじいちゃん、思い入れがあるんだろうな、大反対でさ。親子ですごい揉めたんだけど、売り言葉に買い言葉だな、じいちゃんが『売れるもんなら売ってみろ』ってね」
山奥すぎて売れないと思っていたのかもしれない。だから値段は破格だった。
「そこにちーちゃんが現れてあっさり売れたから、みんな驚いた驚いた」
「あら、私? すごいタイミングよかったんですね」
「そうそう。じいちゃん悔しくてはじめは『すぐに出て行くだろう』とか何とか言ってたけどね」
石田が千勢にアタリが強かったのは、そういう理由だったのか。
「でもさ、庭の草むしりとかして丁寧に使っているじゃないですか。長く住んでくれそうだねって最近はじいちゃんも安心してるみたいですよ」
もしかして石田に認められたのだろうか。
「だからちーちゃんも、じいちゃんのこと嫌わないでほしいんですよね」
佑樹に気付かれていたのか。だから家の話をしたのかもしれない。でも、自分で不思議になるくらい素直に聞けた。
「明日、石田さんにおしょろ塚を教えてくださいって頼みに行こうかな」
涼安和尚におしょろ塚の話を聞いて3週間ほど経っていたが、石田に依頼できずにいたのだ。
嫌な気持ちになる人物には近づかない。人間関係を遮断する。そうやって自分を守ってきた。
石田のことも、相手を知ろうともしないで、最初の印象だけで関わりを避けていた。
それが世界を狭めることになっていると千勢は気付きはじめていた。
「昨日も今日も、佑樹さん本当にありがとう」
千勢はありったけの心を込めてお礼を伝えた。
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