富士見の丘で

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17.芸人

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 『二十四節気 夏至 七十二候 乃東枯』

 涼安和尚に二十四節気七十二候の話を聞いてから、墓参り前に山門前の掲示板をチェックするのが日課となった。

 夏至はもちろん分かる。一年で最も昼が長く夜が短くなる日。恥ずかしながら1日だけかと思っていた。二十四節気としての夏至は約2週間あるのだ。

「和尚、おはようございます」

 袈裟に身を包んだ和尚が本堂に入る手前であいさつした。

「おはようございます。相変わらず早いですね」

「早速ですが、乃東枯(なつかれくさかるる)とはどういうことですか?」

「勉強熱心ですね。乃東とは夏枯草(かこそう)のことで、冬至に芽を出して夏至に枯れるといわれています。一般的にはウツボグザと呼ばれていますね」

 和尚は「ちょっと付いてきてください」と言って歩き出した。

「花の形が矢を入れる『うつぼ』という道具に似ていることから名づけられたんですよ」

 境内を抜け霊園の階段まで来た。

「この青紫色の花がウツボグサです。日当たりのいい草地に群生するんですよ」

「これが……」

 足元には可憐な花をつけたウツボグサが風に揺れている。見ると階段の上のほうまで広がっていた。墓参りで毎日、目に入っていたはずの花なのに見ていなかった。

「七十二候では枯れるとありますが、この辺りでは8月くらいまで花が楽しめますよ」

 千勢はしゃがんで「名前も知らなくてごめんね」と小さく呟いた。

 ヨーロッパでの呼び名はヒールオール、全て癒すという意味。だからこそ墓地に続く階段の脇に植えたことを、和尚は「わざわざ言う必要はないな」と黙っていた。



 お昼頃に改めて千勢は和尚にお願いにあがった。

「お盆のことなんですが、夫の新盆になるんですけど、法要をお願いできますか?」

「もちろんです。細かい日程は後ほど調整させていただきますが、ご希望としては盆中の14日か15日にご自宅での法要ということでよろしいですか?」

「はい。お願い致します」

「ちなみに、ご親戚をお呼びして会食などはされますか?」

「お呼びするような親戚はほとんどいないんですけどね」

 結婚直後は稔の実家にも千勢の実家にもまめに帰省していた。

 しかし、あいさつ代わりに聞かれる「子どもはまだか」の言葉に居心地が悪くなり、頻度は減っていった。

 30代も後半になると何も言われなくなったが、逆に何も言われないことが苦痛になった。

ついには出発の朝、千勢は体調を崩すほどに。稔が1人で行くこともあったが、次第にお正月もお盆も自宅で2人きりで過ごすようになった。

 そうして親戚付き合いはほとんどなくなった。

「会食については、ちょっと確認が必要なので後でご相談させてください」


「そういえば、楠木さんは『おしょろ塚』ってご存じですか? スナモリとかボンヅカとか呼ぶ地域もあるらしいですけど」

「いえ……。何ですか? おしょろ?」

「この辺の地域ではお盆にご先祖様をお迎えするために、玄関先に『おしょろ塚』を作る風習があるんです。富士山に見立てて砂を盛ってハシゴをかけるんですよ」

「へぇ、富士山ですか。やってみたいですね」

「それなら石田さんに教わるといいですよ。風習とか歴史とか、すごくお詳しいですから」

「石田さんですか……」

 富士山をかたどるという「おしょろ塚」に興味はあったが、苦手な石田に教わるというのは抵抗があった。

 少し悩んで「和尚は……?」と聞いてみたが「お盆の時期は忙しいので」と返されてしまった。

 千勢の沈黙を了承したと受け取った和尚は「今度、石田さんに話しておきますよ。では」と言い残して社務所に入っていった。

 初めて聞いた「おしょろ塚」に膨らんでいた期待が、みるみるしぼんでいくのを千勢は感じていた。



「いらっしゃいませー! あ、楠木さん、こんちわっす」

 スーパーストーンの自動ドアが開くと、明るく元気な声が耳に届いた。初めて来た時、仔猫のアドバイスをもらった親切な店員だ。

「こんにちは、ゆうきさん」

 ネームプレートにひらがなで「ゆうき」とあったので自然とそう呼ぶようになった。ただ、結城なのか有木なのか、苗字は漢字でどう書くのかを聞きそびれてしまった。

 ゆうきとの約束通り、店にはこの1カ月あまりほぼ毎日のように通っている。他に客がいない時などはレジで世間話をするようになっていた。

 今日は夏至なのでタコの刺身を買う。大阪に住んでいた時に教わった習わしだ。他にいくつか食品をカゴに入れレジに行く。

「みーちゃん、元気っすか?」

 レジで商品のバーコードを読み取りながら、ゆうきが聞いてきた。

「すっごい元気。ミルクもよく飲むし最近はフードも食べるようになってきたんですよ」

 普段は仔猫の話で盛り上がるが、千勢はモヤモヤと抱えているものを吐き出してみようと思った。石田に「おしょろ塚」を教わるのはやはり気が重かったからだ。

「ねぇ、ゆうきさん。例えばなんですけど、苦手な人と何かしなければならないとしたら、どうしますか?」

「えー? 苦手な人ですか?」

 ゆうきは手を止めずに、考えるように首をかしげた。

「あ、ゆうきさんはフレンドリーな感じだから苦手な人なんていないですよね?」

 困らせてしまったのではと、千勢は慌ててフォローした。

「いや、苦手な人はいますよ。ホント嫌だなって思うヤツ。でも、そうゆうヤツは観察というか分析しますね」

「分析ですか……。すごい」

「よく相手のいい所を見つけようとか言うじゃないですか。でも、いい所があったとしても嫌なヤツは嫌なヤツなんっすよ」

「ですよね。嫌いな人とは距離を置いちゃいます」

 うんうんとうなずいたゆうきは、商品を袋に詰め始めた。

「実はオレ、お笑い芸人、目指してるんですよ」

 突然のカミングアウトに千勢は「へっ?」と変な声が出た。

「芸人ってコントにしても漫才にしても、人間観察が重要だと思ってて。だから嫌なヤツでも何かネタになるんじゃないかって、それで分析するんです。そうすると人間って本当におもしろいですよ」

「はぁー。ゆうきさん、すばらしい」

「あ、なんか偉そうでしたね。ちょっと役に立つアドバイスじゃなかったですかね」

「ううん。感心しちゃった。芸人さん、がんばって」

 口ではそう言ったが、石田を分析なんてできるのか、そもそも観察する必要はあるのか、よく分からなかった。

「でも楠木さんのほうこそ、嫌いな人なんていなさそうですけど……」

 確かにあからさまに敵意を剥き出しになんかはしない。当たりの柔らかな性格だと自覚している。しかし、それは表向き。オブラートに包み込むのは得意だ。

「いや、見かけだけですよ。心の中では悪態ついてます」

 今まで衝突しそうな人はなるべく避けてきた。なにより「稔さえいればいい」と思ってきたから、害が及ぶような人間関係は断ち切ってきた。

「まぁ、無理する必要はないんじゃないですか。自分が自分を好きだったら、誰が誰を嫌いでも大丈夫ですからね」

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