富士見の丘で

らー

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12.迷子

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 千勢は瑞雲寺の山門で、降り続く雨を恨めし気に見上げた。

 それなりに食料はあるから今日はスーパーストーンへ買い物に行くのはやめておこう。そう思って瑞雲寺バス停を通り過ぎた時だった。

 キキキィー。白い軽トラックが目の前で急停車した。

「すいません! この辺で小1の男の子と3歳の女の子、見かけませんでしたか?」

 30代くらいの女性が軽トラの窓から顔を出して尋ねてきた。目鼻立ちがはっきりしていて美人の部類だ。しかし、子どもたちがいなくなったのか、表情は冴えない。

「いえ、見ませんでしたけど……」

 今日は誰にもあっていない。でも……。
 こんな山里ではめったに人に会わない。子どもならなおさらだ。

「小1の男の子って、もしかして将太君ですか?」

「へ? 将太を知っているんですか?」

「あ、はい。たぶんですけど私の家に来ている気がします」

「本当ですか? 案内してください!」

 女性はそう言って助手席のドアを開けた。
 傘を閉じて車に乗ろうとしたが、一瞬ためらった。レインコートがビショビショだ。

「気にしないで。急いでいるんです!」

「あ、はい」

 女性の気迫に押されて千勢は車に乗り込んだ。初対面の人に対して遠慮するという選択肢はなかった。
 
 ブオオオオオン。エンジンを吹かして車が急発進した。

「家は、そこの道を上がっていった先になります」

 道案内を始めると、女性はすぐに合点がいったようだ。

「あ、丘の上に引っ越されてきた方ですか?」

「そうです。楠木千勢と言います。初めまして」

「初めましてが、こんな形になってすみません。私は山崎佳奈です。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いしますね」

「なんか、すごい出会いですね。あはは」

「確かに。ふふ」

 お互い気まずさをごまかすように笑った。そのおかげで空気が和らいだ。

「でも、なんで将太を知っているんですか?」

 そこで千勢は数日前に富士見の丘で出会ったこと、それから毎日仔猫に会いに来ていることを手短に伝えた。

 佳奈は「ええ!」とか「あぁ、そうかぁ」とか短い相づちを打つだけだったが、顔を見なくても表情が分かるくらいリアクションが大きかった。

「じゃあ将太は毎日おじゃましていたんですね。ご迷惑をお掛けして、すみませんでした」

「いえいえ、迷惑なんてとんでもない。すごく楽しいですよ。猫をすごくかわいがってくれますし」

「それで優愛に、あ、3歳になる将太の妹なんですけど。優愛にも見せたくて連れていったのか……」

 ちょうど富士見の丘を過ぎた。引っ越してきてから色々あって、少年との出会いがちょっと懐かしく感じる。

「あ、正面に見えてきた大きな木の下が家です」

「いたっ!」

 玄関の前に2人の姿があった。優愛がわんわん泣いている。将太がなだめるように妹の顔をのぞき込んでいる。

 将太が車に気づいて右手を上げた。左手は優愛の左手を握っている。

 ギュギュギュ。
 軽トラを停めるのが早いかドアを開けるのが早いか、佳奈は車を下りて息子と娘に駆け寄った。

「将太! 優愛!」

「かあちゃーん!」

 叫んだとたん将太が泣きだした。上を向いてワァーッと声をあげて。それにびっくりして妹のほうは泣き止んできょとんとしている。

 「よかったー」と佳奈はひざまずいて将太と優愛を抱きしめる。

「母ちゃん、母ちゃん」ますます声が大きくなった。

 抱きしめながら、佳奈は2人の頭をなでている。

「もう、将太は。心配したでしょ。なんでこんなことしたの?」

「母ちゃん、ごめんなさい。優愛にみーちゃん見せてやりたくて。母ちゃん、猫はダメだっていうから」

「ごめなちゃい。みーちゃん、みーちゃん」

 優愛も兄を真似て謝る。

 千勢はそっと近寄って、3人が濡れないように傘を差しだした。親子の感動シーンを目の当たりにして、ただ見守ることしかできなかった。

 将太の泣き声が落ち着いたところで、佳奈が振り向いた。

「あ、将太。おば、えっと。楠木さんにお礼を言わないとね。もし楠木さんに会えなかったら、今頃どうなっていたか」

「ちーちゃん、ありがとうございました」

「いえいえ。無事で良かったね」

 叱られなくても謝ることができて、お世話になった人にきちんとお礼が言えて。なんて素直な子なんだろう。佳奈の育て方のおかげか。

 私もこんな子育てをしたかったな。そう思った千勢の胸にチクッと痛みが走った。その痛みは、嫉妬か、未練か、後悔か。名前は分からないが、いずれにしてもマイナスのものだ。千勢は気づかないふりをした。

「え? ちょっと待って。何? ちーちゃんって?」

 佳奈の疑問に千勢が慌てて答える。

「千勢の〝ち〟でちーちゃんなんですよ。猫もみーちゃんですし」

「やだ。ちーちゃん、かわいい」

 将太に「馴れ馴れしく呼ばないの」と叱るイメージをしていた千勢は、意外な反応に拍子抜けした。

「かわいい、ですか?」

「楠木さんだとまどろっこしいし、千勢さんだとよそよそしいし。ちーちゃん、いいですね。私もちーちゃんって呼んでいいですか?」

「ええ。もちろん」

 今日初めて会ったというのに嫌な感じはしない。佳奈といい将太といい、人懐っこいのは遺伝だろう。

「じゃあ、私は佳奈だから、かーちゃん?」

 お互いに目線を合わせて、一瞬間があって、笑いあった。

「あはは。かーちゃんじゃあ、ダメですよね。どっちが母親って」

「ははは、ほんと。じゃあ、佳奈ちゃんって呼びますね」


 気づくと優愛が母親にもたれかかって眠っていた。

「そろそろ、失礼しますね。このお礼は必ずしますから」

 すると将太が「みーちゃんに会いたい」と鼻水をすすりながら言った。千勢が「じゃあ」と玄関の鍵を取り出した。

 しかし佳奈は「今日は帰ろう、ね」と諭した。そして千勢の方に向き直って、申し訳なさそうな表情で言った。

「猫は大好きなんですけど、私、猫アレルギーなんですよ。今度、予防してまた来ますね」

 「えー!」と将太は反対したが、疲れもあってか大人しく帰っていった。千勢は玄関でミルクを抱えて車を見送った。

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