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10.おやつ
しおりを挟む「はぁ。ちょっと買い過ぎた……」
富士見の丘で千勢は両手の手提げ袋と背中のリュックを下ろしてひと息ついた。朝とは違って太陽も見えず富士山には雲がかかっている。
荷物を運ぶ小型のカートが必要かもしれない。それよりなにより、毎日のようにこの坂を上り下りしていたら、かなり足腰が鍛えられるんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、楠に守られるように建っている新居が見えてきた。
玄関の前で、昨日の男の子がしゃがんでいた。千勢に気づいて勢いよく立ち上がる。
「ちーちゃん!」
手を上げて駆け寄ってくる。
「将太君、こんにちは。どうし……」
「みーちゃん、どこ? 会いに来たの」
「あれ、いない? お庭で遊んでいると思うんだけど」
「みーちゃん、どこにいるのー?」
庭から境目なく続く奥の雑木林に向かって大きめの声で呼びかけた。
「みーちゃーん! みーちゃーん!」
将太も真似してミルクの名前を叫ぶ。
しばらくすると、カササッ、カササッと雑草を揺らしながら仔猫が姿を現した。
ミィー。ミィー。
「みーちゃん、いた!」
将太が喜んでミルクに駆け寄る。
1日中ほったらかしの状態だったから、無事に戻ってきて千勢はちょっと安心した。田舎とはいえ家の前の道は登山道になっているので日中は意外と人が通る。誰かが何かいたずらをしないとは言い切れない。
ミィー。
ミルクが千勢の足元にすり寄ってきた。グルルルルルゥ。
「みーちゃん、1人にしてごめんね」
そのまま玄関の鍵を開けて家に入る。
よく見るとミルクの体には枯葉や泥が付いていた。千勢はタオルを濡らして手早く汚れを落とした。
「あ、ごめん。将太君、あがって」
玄関で突っ立って中を見ていた将太に声をかける。
「あ、おじゃましまーす」
そこで千勢は将太がビニル袋を手にしているのに気が付いた。
「将太君、何持ってるの?」
「あ、これ、みーちゃんにあげようと思って。給食のパン」
「優しいんだね、将太君。でもね、まだみーちゃんは小さいからパンは食べられないと思うよ」
「え? そうかぁ……」
ショボーンという効果音が聞こえそうなくらい分かりやすく落ち込んだ。
「ねぇ、牛乳があるから、将太君、ミルクにあげてみない?」
「え! いいの? あげてみる」
今度は、パァーっという効果音が付きそうな表情だ。
スーパーストーンで買った1リットルの牛乳を「どうぞ」と将太に手渡す。新品の猫用食器を開けて床に置く。
あ、いけないと思って千勢は牛乳パックの口を開けてあげた。両手でパックを持つ将太にそっと手を添える。
「ゆっくり、注ごうね」
ミルクが興味津々という感じで見ている。
「はい、どうぞ」
ミルクがペロッ、ペロッと牛乳を飲み始めた。上手く飲めているようだ。将太はしゃがんで仔猫の様子を見ている。
「ミルクのみーちゃんが~、ミルクを飲んで~、ミルク~、ミルク~」
何だか意味がよく分からないが、変なリズムで歌を歌っている。よほど嬉しいのだろう。
グゥーーーーーー!
ミルクがノドを鳴らしたのではなかった。
「今の、お腹の音、将太君?」
「えへへへ。僕もお腹すいちゃった。パン食べようかな」
「そうだ。その食パンを使って、おいしいおやつ、作ろうか?」
「おやつ! 食べたい!」
「じゃぁ、ちょっとだけ、待っててね」
まずは食パンを一口大に切る。ボウルがないから丼茶碗に卵を割り入れ、牛乳と砂糖を加えてよく混ぜる。そこへ食パンを入れて、しばらく浸す。
その間に千勢は購入した食材などを手際よく片付けた。将太はまだミルクを見ながら歌を歌っている。
お気に入りのグラタン皿を取り出す。捨てないでよかった。
卵液を吸い込んだ食パンを皿に入れて、オーブンで15分~20分ほど焼く。
「うわぁ、いいにおーい! ちーちゃん、何作ってるの?」
将太が立ち上がって聞いた。ミルクも牛乳を飲み終わったようだ。
「パンプティングっていう、おいしーいお菓子」
本当はバニラエッセンスを使った方が香りがよくなるし、バナナやレーズンなどを入れた方がスイーツ感がでるがウチにはないので、ごくシンプルな作りになった。
「はい、召し上がれ」
「うわぁー。ちーちゃん、すごーい! いただきまーす」
「まだ熱いから気を付けてね」
将太はパンプティングをスプーンいっぱいに取って、大きな口をあけて頬張る。
「んー! おいしーい!」
また、パクッと。もう一口。
「おいしーい。ちーちゃん、おいしいよ」
「ふふ。よかった」
ポロッ。あれ、なんだろう。目からこぼれ落ちたのは、涙?
自分が作った料理をおいしいと言ってもらえるのが、こんなに嬉しいなんて。
稔は何でも「おいしい、おいしい」と言って食べてくれた。それが嬉しくて料理を頑張った。しかし、稔が亡くなってからというもの、まともに料理をしなくなっていた。 朝食はパン、昼食はおにぎり、夕食はお茶漬け。即席ラーメンで済ませることもあった。
「ちーちゃん、悲しいの? 大丈夫だよ。これ食べて?」
将太がスプーンをこちらに向けた。アーンと食べると、甘くて、トロトロで、なんて懐かしい味。
「おいしい……」
「おいしい時は、こうするんだよ」
将太が両手をほっぺに当ててスリスリした。
「母ちゃんがいつも言ってる。おいしいもの食べると笑顔になるって」
「本当だね。笑顔になるね」
そう言って千勢は笑ったが、目からはもう一粒、涙がこぼれた。
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