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9.土産
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夕方と呼ぶには少し早い午後。高台にある墓地を下りて境内に来ると和尚に話しかけられた。
「こんにちは。楠木さん、引っ越しは済みましたか?」
茶色い作務衣を身に着け、剪定バサミを持っている。草木の手入れをしていたようだ。
「はい、おかげさまで。今回は色々とお世話になりました」
「ちょうど今、本堂のほうに家を売ってくださった石田さんがいらっしゃっているんですよ。ご挨拶されますか?」
そこへグレーの作業ズボンに白いTシャツというより肌着を着た高齢の男性がやって来た。頭は丸坊主で、足には草履。
肌は浅黒く焼けていて、一目で農業か何か屋外で仕事をしている人だと分かる。
「あ、石田さん。ご苦労さまです。ちょっといいですか?」
「なんだ、忙しいんだけどな」
老人の声はしゃがれていて無意味に大きい。それだけで威圧感がある。
「こちら、丘の上の家に引っ越しされてきた、楠木さんです」
「はじめまして、楠木千勢です。今後ともよろしくお願いいたします」
「ふーん、あんたが。不動産屋が言ってはいたけどねぇ……」
石田という老人は挨拶もせず、千勢に上から下まで舐めるような視線を向けてきた。
なんか嫌な感じかも。
「こんなド田舎に、よくもまあ」
「あ、いやいや、石田さん」
和尚が取り繕う。もしかして昨日、男の子が「キテレツって言っていた」というのは、この人なのかもしれない。
「はっ。どうせすぐに飽きて、どっか行っちまうだろうよ」
初対面なのに、なんて失礼。千勢は笑顔が引きつるのを感じていた。
「石田さんはですね、瑞雲寺のはす向かいに住まわれていて、この地域の主のような方です」
「うん? 何だよ、主って」
普段は穏やかな和尚を慌てさせるなんて、相当な「頑固じじい」なのだろう。だとしたら、余計に機嫌を損ねてはならない人だ。
人生で何度も転居を繰り返した経験から、人間関係のツボはよく理解している。
「石田さん。この後、ご挨拶に伺おうと思っていたところなんです。ここでお会いできて良かったです。ちょっとお荷物になってしまうかもしれませんが、お近づきの印です。よろしかったらお召し上がりください」
引っ越しの挨拶用に準備してきた東京・浅草「舟和」の芋ようかんを差し出した。
「おぅ。これ、大こうぶつ……。ゴホッ、ウゥン。ぶ、仏壇にでもお供えするか。しょうがない」
やはり。渋々という口調とは裏腹に、口元がほころんでいるのを千勢は見逃さなかった。甘い物が好きなのだ。
石田は紙袋を受け取ると「じゃあな」とスタスタと行ってしまった。
「ぶっきらぼうですけど、本当は情に厚くて頼りになる方なんですよ」
和尚のフォローに、千勢は笑顔をかえした。
「ええ、そうですね。大丈夫ですよ」
そう言ったものの、苦手な部類の人間だ。なるべく近づかないでいることがストレスを溜めない最善の方法となる。
駅前行きのバスに乗って、5つ目の停留所で降りた。山あいではあるが少し開けていて、20~30戸ほどの集落だ。
バス停から徒歩1分くらいの所に、家から一番近い商店「スーパーストーン」がある。
コンビニに毛の生えたような店構えだが、ホームセンターをコンパクトにしたような品揃え。要するに、広くはない店内に雑多な商品が詰め込まれている。
便利そうな店なのだが場所が場所だけに、中に入ると他に客はいなかった。
日用品のコーナーで商品を物色していると、棚の陳列が終わった店員が近づいてきた。
「ペットフードをお探しなんですか?」
20代くらいの小ざっぱりとした青年だ。コンビニなどでは店員に話しかけられることは皆無だから、千勢は少なからず驚いた。
「ええ。仔猫なんですけど」
「生まれてどのくらいですか?」
「たぶん1カ月くらいだと思うんですけど……。昨日、拾ったばかりで、よく分からないんです」
「昨日ですかぁ。ウチには仔猫用のキャットフードは置いていないんですけど……」
仕方ない。駅前にあるドラッグストアに行けばあるだろうか。でも今日は時間を考えると無理かもしれない。
「あの、猫の目はしっかり開いていますか?」
「ええ、ぱっちりです」
「声をかけて反応しますか?」
「はい。なんかお利口さんで、呼ぶと返事をします」
「歯は生えてきてますか?」
「歯ですか? いや、ちょっと。あ、でも噛まれても痛くはありません」
「エサは何をあげてますか?」
「あ、牛乳をストローで吸って、垂らしながら飲ませました」
「排泄はしましたか?」
「えっと。見ては、いません……」
店員に次々と質問されて、それにきちんと答えられず、猫を飼う資格がないのではないかと不安になった。
「聞いた感じだと、やっぱり生後3週間から4週間ってところですかね。牛乳だと下痢をしやすいので、栄養のある仔猫用のミルクの方がいいです」
「え、下痢ですか? みーちゃん、どうしよう」
「多少は大丈夫ですよ。仔猫用ミルク、ウチでは取り扱いがないんですけど、2、3日あれば取り寄せられます。それまでは、そうですね、常温の牛乳をあげてみてもし下痢をしたら止めてください。ダメならそろそろ離乳期になるので、これを水でふやかして食べさせてみてください」
説明し終わると店員は、棚にあったキャットフードを手渡してくれた。仔猫に関する知識が全くなかった千勢は、心底感心していた。
「ありがとうございます。すごい詳しいですけど、獣医か何か……?」
「ははは。いえいえ。実家で猫を飼っていただけですよ。動物は大好きですけどね。ただの店員です」
ただの店員に、こんなに親切にしてもらったのは初めてだ。その他、猫を飼い始めるためのアドバイスを聞いて猫用の食器とトイレシートを買うことにした。
「何か、お礼をしないと」
「じゃあ、常連さんになって頂けると嬉しいです」
「えぇ、はい。もちろん。また来ますね」
その後、ペット用品の他に食材や日用雑貨を購入し店を後にした。帰りのバスで千勢は、久しぶりにじんわりと温かな気持ちになったと感じていた。
「こんにちは。楠木さん、引っ越しは済みましたか?」
茶色い作務衣を身に着け、剪定バサミを持っている。草木の手入れをしていたようだ。
「はい、おかげさまで。今回は色々とお世話になりました」
「ちょうど今、本堂のほうに家を売ってくださった石田さんがいらっしゃっているんですよ。ご挨拶されますか?」
そこへグレーの作業ズボンに白いTシャツというより肌着を着た高齢の男性がやって来た。頭は丸坊主で、足には草履。
肌は浅黒く焼けていて、一目で農業か何か屋外で仕事をしている人だと分かる。
「あ、石田さん。ご苦労さまです。ちょっといいですか?」
「なんだ、忙しいんだけどな」
老人の声はしゃがれていて無意味に大きい。それだけで威圧感がある。
「こちら、丘の上の家に引っ越しされてきた、楠木さんです」
「はじめまして、楠木千勢です。今後ともよろしくお願いいたします」
「ふーん、あんたが。不動産屋が言ってはいたけどねぇ……」
石田という老人は挨拶もせず、千勢に上から下まで舐めるような視線を向けてきた。
なんか嫌な感じかも。
「こんなド田舎に、よくもまあ」
「あ、いやいや、石田さん」
和尚が取り繕う。もしかして昨日、男の子が「キテレツって言っていた」というのは、この人なのかもしれない。
「はっ。どうせすぐに飽きて、どっか行っちまうだろうよ」
初対面なのに、なんて失礼。千勢は笑顔が引きつるのを感じていた。
「石田さんはですね、瑞雲寺のはす向かいに住まわれていて、この地域の主のような方です」
「うん? 何だよ、主って」
普段は穏やかな和尚を慌てさせるなんて、相当な「頑固じじい」なのだろう。だとしたら、余計に機嫌を損ねてはならない人だ。
人生で何度も転居を繰り返した経験から、人間関係のツボはよく理解している。
「石田さん。この後、ご挨拶に伺おうと思っていたところなんです。ここでお会いできて良かったです。ちょっとお荷物になってしまうかもしれませんが、お近づきの印です。よろしかったらお召し上がりください」
引っ越しの挨拶用に準備してきた東京・浅草「舟和」の芋ようかんを差し出した。
「おぅ。これ、大こうぶつ……。ゴホッ、ウゥン。ぶ、仏壇にでもお供えするか。しょうがない」
やはり。渋々という口調とは裏腹に、口元がほころんでいるのを千勢は見逃さなかった。甘い物が好きなのだ。
石田は紙袋を受け取ると「じゃあな」とスタスタと行ってしまった。
「ぶっきらぼうですけど、本当は情に厚くて頼りになる方なんですよ」
和尚のフォローに、千勢は笑顔をかえした。
「ええ、そうですね。大丈夫ですよ」
そう言ったものの、苦手な部類の人間だ。なるべく近づかないでいることがストレスを溜めない最善の方法となる。
駅前行きのバスに乗って、5つ目の停留所で降りた。山あいではあるが少し開けていて、20~30戸ほどの集落だ。
バス停から徒歩1分くらいの所に、家から一番近い商店「スーパーストーン」がある。
コンビニに毛の生えたような店構えだが、ホームセンターをコンパクトにしたような品揃え。要するに、広くはない店内に雑多な商品が詰め込まれている。
便利そうな店なのだが場所が場所だけに、中に入ると他に客はいなかった。
日用品のコーナーで商品を物色していると、棚の陳列が終わった店員が近づいてきた。
「ペットフードをお探しなんですか?」
20代くらいの小ざっぱりとした青年だ。コンビニなどでは店員に話しかけられることは皆無だから、千勢は少なからず驚いた。
「ええ。仔猫なんですけど」
「生まれてどのくらいですか?」
「たぶん1カ月くらいだと思うんですけど……。昨日、拾ったばかりで、よく分からないんです」
「昨日ですかぁ。ウチには仔猫用のキャットフードは置いていないんですけど……」
仕方ない。駅前にあるドラッグストアに行けばあるだろうか。でも今日は時間を考えると無理かもしれない。
「あの、猫の目はしっかり開いていますか?」
「ええ、ぱっちりです」
「声をかけて反応しますか?」
「はい。なんかお利口さんで、呼ぶと返事をします」
「歯は生えてきてますか?」
「歯ですか? いや、ちょっと。あ、でも噛まれても痛くはありません」
「エサは何をあげてますか?」
「あ、牛乳をストローで吸って、垂らしながら飲ませました」
「排泄はしましたか?」
「えっと。見ては、いません……」
店員に次々と質問されて、それにきちんと答えられず、猫を飼う資格がないのではないかと不安になった。
「聞いた感じだと、やっぱり生後3週間から4週間ってところですかね。牛乳だと下痢をしやすいので、栄養のある仔猫用のミルクの方がいいです」
「え、下痢ですか? みーちゃん、どうしよう」
「多少は大丈夫ですよ。仔猫用ミルク、ウチでは取り扱いがないんですけど、2、3日あれば取り寄せられます。それまでは、そうですね、常温の牛乳をあげてみてもし下痢をしたら止めてください。ダメならそろそろ離乳期になるので、これを水でふやかして食べさせてみてください」
説明し終わると店員は、棚にあったキャットフードを手渡してくれた。仔猫に関する知識が全くなかった千勢は、心底感心していた。
「ありがとうございます。すごい詳しいですけど、獣医か何か……?」
「ははは。いえいえ。実家で猫を飼っていただけですよ。動物は大好きですけどね。ただの店員です」
ただの店員に、こんなに親切にしてもらったのは初めてだ。その他、猫を飼い始めるためのアドバイスを聞いて猫用の食器とトイレシートを買うことにした。
「何か、お礼をしないと」
「じゃあ、常連さんになって頂けると嬉しいです」
「えぇ、はい。もちろん。また来ますね」
その後、ペット用品の他に食材や日用雑貨を購入し店を後にした。帰りのバスで千勢は、久しぶりにじんわりと温かな気持ちになったと感じていた。
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