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5.写真
しおりを挟む家に戻った千勢はリュックから雑巾を取り出し、部屋の隅々まで水拭きをした。掃除をしながらミルクをどうしようとグルグル考える。
飼うのか、飼わないのか。飼うとしたら、どうすればいいのか。飼わないとしたら、どうすればいいのか。
ハウスクリーニングのおかげで部屋はあまり汚れていなかったが、それでも家の中がさっぱりした。頭の中は全くまとまっていないが。
夕方になって宅配便に依頼した引っ越しの荷物が届いた。
段ボール箱を開封する。1人分の洋服、1人分の食器……。今まで何回も引っ越しを経験してきたが、こんなに荷物が少ないのは初めてだ。
1人分の荷物はものの数十分で片付いた。
「そりゃあ、1人だもんね……」
自嘲ぎみに独り言ちたけれど返事をする人はもちろん誰もいなくて、より独りであることが際立った。
ミィーィーー。
掃除の間、箱の中で眠っていたミルクが起きたようだ。
「あぁ、ごめん。そうだね。みーちゃんがいたね」
箱をのぞくと前足をぐーんと伸ばして、あくびをした。
猫の寿命は十数年。千勢の余命を考えると、最後まで面倒を見ることはできないだろう。かといってもう一度捨てるなんて絶対できない。
とりあえず数日は世話をするとして、やはり里親を探そうか。でも探すってどうやって? 手続きや申し込みなど、さっぱり分からない。
それと、あの男の子。仔猫がいなくなったら将太は悲しむだろう。でも、きちんと話せば分かってくれるはずだ。
「ねぇ、稔さん。どうしたらいい?」
茶箪笥の上に飾った写真立ての稔に尋ねる。位牌と一緒に置いてはいるが遺影ではなく、3年前に北海道旅行で撮った2人の写真を入れている。晴天のラベンダー畑を背景に、顔を寄せて笑う稔と千勢。クシャっとなる稔の笑顔が、大好きだった。
それにしても。簡易的な仏壇とはいえ、殺風景だなと思った。
千勢は外に出て庭を見渡した。登山道へ続く道沿いにオレンジ色のツツジが咲いているのを見つけた。
キレイに剪定されている市街地や公園のツツジとは違い、枝は不揃いに茂っている。野性味がある分、色が鮮やかな気がする。
「1本だけ、くださいね」
花盛りのツツジの枝をポキッと1本手折る。
背の高いグラスに挿して茶箪笥に飾ると、稔も喜んでいるように思えた。
ミィー。ミィー。
「え? これは誰かって?」
ミィー。
勝手に「聞きたい」と解釈して話を続けた。
「この人はねぇ。楠木稔さん。私の旦那さま。かっこいいでしょ?」
ミィー。
さっきはミルクが人間の言葉を理解しているのかもと思ったが、話しかけると条件反射でミィーと鳴くクセがあるのだろう。
それでも千勢は誰かに、例え人間じゃなくても、話を聞いてもらえるのが有り難かった。
「でも、交通事故でね……、突然……」
そこまで話して、千勢はまだ「稔さんが死んだ」と平静な気持ちでは言えない自分に気がついていた。
「みーちゃん、おいで」
ミルクを抱きかかえる。写真立てを持って、木製のローテーブルの前に座った。
「みーちゃん、稔さんとの出会い、知りたい?」
ミィー。
「私、稔さんに一目惚れだったの」
千勢は短期大学を卒業後、食品メーカーの営業部で事務員として働いていた。そこに異動してきたのが稔だった。
「最初に挨拶する時にね、立ち上がった姿がすらーっとしてて。私、うわぁ~って思ってね」
あの時の胸の高鳴りは40年近く経った今でも心に残っている。
仕事中に稔の姿を見つけると目で追っていた。不意に目が合うとドギマギして顔が火照った。
「結婚した後で、稔さんに『好き好きビームが出てたよ』って笑われたから、恋する気持ちはバレバレだったみたいだけどね」
しばらくして部署の歓送迎会があった。偶然、同じ路線に住んでいることが分かり、なりゆきで一緒に帰った。
「この後、2人で二次会しない?」
稔の突然の誘いに千勢は舞い上がった。何を話したかはもう忘れてしまったが、稔の話が面白くてずっと笑っていたことは覚えている。
そして、別れ際――。
「千勢さん、好きです。付き合ってくれませんか?」
稔らしい真っ直ぐで男らしい言い方だった。もう嬉しくて、嬉しくて。涙が溢れてきて、千勢は頷くのが精いっぱいだった。
「そうしたら稔さんがそっと抱きしめてくれてね。その時、私、この人とずっと一緒にいるんだろうなって思ったのよ」
思い出のノロケ話を夢中でしていた。はっとして下を見ると、ミルクは膝の上で丸くなって眠っていた。
千勢は仔猫を起こさないように、持っていた写真をテーブルに置いた。
「稔さん、会いたいよ……」
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