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4.少年
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尾根に沿った緩やかな坂道を下っていくと、仔猫がいた場所に男の子が立っていた。
年齢は5、6歳くらいだろうか。青いTシャツにデニムのハーフパンツ、野球帽を被っている。ヒョロヒョロと手足が長くて細身だが、日に焼けているせいか軟弱な感じはしない。
何とはなしに様子を伺っていると、男の子がパッとこちらに顔を向けた。
「あっ!」と言って近づいてくる。
「おばちゃん、ありがとう! みーちゃん飼ってくれるんだね」
「え?」
いきなりお礼を言われて千勢は面食らってしまった。
「いや、ち、ちょっと……。これは」
しどろもどろになった。飼うと決めた訳じゃなくて……。
男の子の黒目がちの瞳が真っ直ぐで、真っ直ぐ過ぎて、仔猫を戻しに来たとは言えなくなってしまった。
先に「ありがとう」と言われると「違う」なんて否定が出来なくなる。
例えば、公衆トイレで「きれいに使ってくれてありがとう」というポスターがあると、汚してはいけないと思ってしまう心理と一緒だ。
抱えていた仔猫を降ろすと、ヨタヨタと男の子のほうに近づいていく。
男の子は「触っていい?」と言いながら、仔猫をなで始めた。
とりあえず、仔猫を飼うかどうかは置いておいて。
「えっと、この猫は君が捨てたの?」
「違うよ! 僕はみーちゃんを飼いたかったんだ」
男の子は立ち上がって力強く言った。そして一呼吸おいて続ける。
「でも、母ちゃんが猫アレルギーだから駄目だって。かゆくなってじんましんができて、もしかしたら死んじゃうって言うんだ。僕、母ちゃんが大好きだから……」
途中からは何とも悔しそうな悲しそうな顔になった。本当に飼いたかったのだろう。
「そう、猫アレルギーじゃあ、仕方ないかもしれないね。ねぇ、みーちゃんって名前、君がつけたの?」
「ミィーミィー鳴くからみーちゃんって呼んでる」
ぶっきらぼうに言うが、あまりに単純な由来なので思わず笑ってしまった。
「ふふ。みーちゃん、さっきミルクをいっぱい飲んだのよ。だからミルクのみーちゃんね」
「ミルク! ミルクのみーちゃん! かわいい!」
男の子の顔が弾けるようにパァーッと明るくなった。そして男の子は地べたに胡坐をかいて、ミルクを抱きかかえた。
「みーちゃん、みーちゃん」
仔猫が可愛くて仕方ないという様子の男の子を見ていると、千勢も温かな気持ちになってきた。
「ねぇ、おばちゃん。またみーちゃんに会いに来てもいい?」
こんなキラキラした瞳で見つめられたら嫌と言える訳がない。
「いつでも、いらっしゃい」
まだ飼うかどうかも決めていないのに。何を言っているんだ、千勢。内心で自分に突っ込みを入れていたが、男の子には笑顔を向けた。
頼まれると断れないお人よしの性格はイヤというほど自覚しているのに、いくら年を重ねても直せない。
「おばちゃん、〝突きあたり〟に越してきた人でしょ?」
「え? 突きあたり?」
確かに新居は車道の突きあたりになっていて、その先は登山道が続いている。
「うん。大きな木がある家」
「そうね。今日、引っ越してきたんだよ」
「おばちゃんって、キテレツな人なんでしょ?」
キテレツって、奇天烈? 初対面なのに何なんだろうと不思議に思った。
「よくそんな難しい言葉、知っているね」
「母ちゃんと石田のじいちゃんが言ってた。キテレツってテレビに出てるんでしょ?」
「ううん、アニメには出てないよ」
ちょっと勘違いがあるようだが、確かに周りの人から見たら珍妙なのだろう。60歳の女性が一人でこんな山奥へ越してくるなんて。
「しょーたぁー」
遠くで女性の声がした。
「あ、母ちゃんだ。僕、帰らないと」
男の子が懐で撫でていたミルクを地面に下ろした。
「みーちゃん、またね。そうだ、僕、山崎将太です。小学1年生です。おばちゃんは?」
「私は楠木千勢です。将太君、よろしくね」
「じゃあ、ちーちゃんだね。じゃあ、みーちゃん、ちーちゃん、また明日ね」
「じゃあね」
将太に手を振りながら、千勢は胸が張り裂けそうだった。ちーちゃん。小さな男の子に仔猫と同じような感じで呼ばれたからではない。
ちーちゃん。稔の声が聞こえる。
ちーちゃん。稔の笑顔が見える。
「稔さん……」
千勢はたまらずしゃがみこんだ。ミィーと寄ってきたミルクを両手で抱きしめる。苦しかったのか、暴れて千勢の腕から逃げ出した。
「どこにも行かないで……」
壊れそうな気持ちをどうすることもできず、千勢は膝に顔を埋めた。
結局、仔猫は飼えないとは言えなかった。
「さて、仔猫ちゃん。どうしよっか?」
千勢は立ち上がって、切り替えるように声を出した。しばらく座っていたせいで足がしびれている。
ミィー。草むらで遊んでいた仔猫が、こちらに顔を向けた。
「あ、みーちゃんだったね。みーちゃん、ウチくる?」
ミィー。
「そうね。一緒に行こうか」
そうだと思って、段ボール箱の中を見た。先ほどは気づかなかったが、バスタオルが敷かれている。
「とりあえず、これがみーちゃんのお家ね」
ひょいっとミルクを段ボール箱に入れる。箱を抱えながら千勢はゆっくりと歩きだした。
年齢は5、6歳くらいだろうか。青いTシャツにデニムのハーフパンツ、野球帽を被っている。ヒョロヒョロと手足が長くて細身だが、日に焼けているせいか軟弱な感じはしない。
何とはなしに様子を伺っていると、男の子がパッとこちらに顔を向けた。
「あっ!」と言って近づいてくる。
「おばちゃん、ありがとう! みーちゃん飼ってくれるんだね」
「え?」
いきなりお礼を言われて千勢は面食らってしまった。
「いや、ち、ちょっと……。これは」
しどろもどろになった。飼うと決めた訳じゃなくて……。
男の子の黒目がちの瞳が真っ直ぐで、真っ直ぐ過ぎて、仔猫を戻しに来たとは言えなくなってしまった。
先に「ありがとう」と言われると「違う」なんて否定が出来なくなる。
例えば、公衆トイレで「きれいに使ってくれてありがとう」というポスターがあると、汚してはいけないと思ってしまう心理と一緒だ。
抱えていた仔猫を降ろすと、ヨタヨタと男の子のほうに近づいていく。
男の子は「触っていい?」と言いながら、仔猫をなで始めた。
とりあえず、仔猫を飼うかどうかは置いておいて。
「えっと、この猫は君が捨てたの?」
「違うよ! 僕はみーちゃんを飼いたかったんだ」
男の子は立ち上がって力強く言った。そして一呼吸おいて続ける。
「でも、母ちゃんが猫アレルギーだから駄目だって。かゆくなってじんましんができて、もしかしたら死んじゃうって言うんだ。僕、母ちゃんが大好きだから……」
途中からは何とも悔しそうな悲しそうな顔になった。本当に飼いたかったのだろう。
「そう、猫アレルギーじゃあ、仕方ないかもしれないね。ねぇ、みーちゃんって名前、君がつけたの?」
「ミィーミィー鳴くからみーちゃんって呼んでる」
ぶっきらぼうに言うが、あまりに単純な由来なので思わず笑ってしまった。
「ふふ。みーちゃん、さっきミルクをいっぱい飲んだのよ。だからミルクのみーちゃんね」
「ミルク! ミルクのみーちゃん! かわいい!」
男の子の顔が弾けるようにパァーッと明るくなった。そして男の子は地べたに胡坐をかいて、ミルクを抱きかかえた。
「みーちゃん、みーちゃん」
仔猫が可愛くて仕方ないという様子の男の子を見ていると、千勢も温かな気持ちになってきた。
「ねぇ、おばちゃん。またみーちゃんに会いに来てもいい?」
こんなキラキラした瞳で見つめられたら嫌と言える訳がない。
「いつでも、いらっしゃい」
まだ飼うかどうかも決めていないのに。何を言っているんだ、千勢。内心で自分に突っ込みを入れていたが、男の子には笑顔を向けた。
頼まれると断れないお人よしの性格はイヤというほど自覚しているのに、いくら年を重ねても直せない。
「おばちゃん、〝突きあたり〟に越してきた人でしょ?」
「え? 突きあたり?」
確かに新居は車道の突きあたりになっていて、その先は登山道が続いている。
「うん。大きな木がある家」
「そうね。今日、引っ越してきたんだよ」
「おばちゃんって、キテレツな人なんでしょ?」
キテレツって、奇天烈? 初対面なのに何なんだろうと不思議に思った。
「よくそんな難しい言葉、知っているね」
「母ちゃんと石田のじいちゃんが言ってた。キテレツってテレビに出てるんでしょ?」
「ううん、アニメには出てないよ」
ちょっと勘違いがあるようだが、確かに周りの人から見たら珍妙なのだろう。60歳の女性が一人でこんな山奥へ越してくるなんて。
「しょーたぁー」
遠くで女性の声がした。
「あ、母ちゃんだ。僕、帰らないと」
男の子が懐で撫でていたミルクを地面に下ろした。
「みーちゃん、またね。そうだ、僕、山崎将太です。小学1年生です。おばちゃんは?」
「私は楠木千勢です。将太君、よろしくね」
「じゃあ、ちーちゃんだね。じゃあ、みーちゃん、ちーちゃん、また明日ね」
「じゃあね」
将太に手を振りながら、千勢は胸が張り裂けそうだった。ちーちゃん。小さな男の子に仔猫と同じような感じで呼ばれたからではない。
ちーちゃん。稔の声が聞こえる。
ちーちゃん。稔の笑顔が見える。
「稔さん……」
千勢はたまらずしゃがみこんだ。ミィーと寄ってきたミルクを両手で抱きしめる。苦しかったのか、暴れて千勢の腕から逃げ出した。
「どこにも行かないで……」
壊れそうな気持ちをどうすることもできず、千勢は膝に顔を埋めた。
結局、仔猫は飼えないとは言えなかった。
「さて、仔猫ちゃん。どうしよっか?」
千勢は立ち上がって、切り替えるように声を出した。しばらく座っていたせいで足がしびれている。
ミィー。草むらで遊んでいた仔猫が、こちらに顔を向けた。
「あ、みーちゃんだったね。みーちゃん、ウチくる?」
ミィー。
「そうね。一緒に行こうか」
そうだと思って、段ボール箱の中を見た。先ほどは気づかなかったが、バスタオルが敷かれている。
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