富士見の丘で

らー

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2.仔猫

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「ねぇ、捨てられちゃったの?」
 千勢は大人しく撫でられている仔猫に聞いた。

 ミィー。
 そうだというように鳴いて、仔猫が見上げてきた。クリっとした瞳で見つめられてドキッとした。遠い昔の初恋のような、甘酸っぱい感じを思い出した。

「でも、駄目ダメ! 猫なんて飼えないから」

 ミィー。
「ごねんね、仔猫ちゃん」

 千勢は立ち上がって、親猫や他の仔猫がいないか草むらを探してみた。木の根元にお決まりのように段ボール箱が置いてあった。

「捨て猫かぁ。人けのない山道じゃなくて、もっと人通りの多い所へ置けばいいのに」

 こんな山中に置いていくなんて、今のご時世なら動物虐待だって愛護団体から訴えられるんじゃないだろうか。

ミィー。ミィー。
 千勢は仔猫の小さな体を両手で包み込み、そっと段ボール箱に戻した。

ミィー! ミィー! ミィー!

 置いていかれると察知したのか、激しく鳴きだした。カシャカシャカシャと段ボールを爪で引っ掻く音もする。

 後ろ髪を引かれながらも千勢は歩き出した。

ミィー! ミィー!
「なんか、すごい罪悪感……」

 10歩ほど行ったところで猫の鳴き声が聞こえなくなった。不安になって振り返る。すると、仔猫がヨタヨタとこちらへ向かってくるのが見えた。

 産まれたばかりの仔猫って、こんなにもぎこちない歩き方なの。千勢は気持ちが揺れ動くのを感じていた。

「でも、飼えないから!!」

 千勢は自分に言い聞かせるように大声で叫んだ。仔猫をもう一度段ボール箱に入れ、今度は早足で歩きだした。

 新居にある大きな楠が見えてきた。少し歩いただけなのに息が上がっている。

 もう大丈夫だろうと立ち止まって後方を見てみた。やや上りになっているが真っ直ぐの道。仔猫の姿はどこにもなかった。

 半分、安心。半分、残念。


 ミィー。

 えっと驚いて目を下にやると、仔猫が足にすり寄ってきた。
「うそ! 早い! 必死に走ってきたの?」
 ミィー。

「でも、本当に飼ってあげられないのよ。私、もうすぐ死んじゃうんだから」
 分かっているのかどうかは分からないが、今度は鳴かなかった。

 この位置からだと富士見の丘に戻るより、新居のほうが近い。

 体中から汗が吹き出していた。歩き疲れて早く休みたかった。
 根負けした千勢はふぅっとため息をついた。

「しょうがないな。ちょっとだけだよ」
 ミィー。

 千勢が歩き始めると仔猫も右斜め後ろをヨタヨタとついてきた。千勢は新居までの残り数十メートルを、ゆっくりと歩いた。



「これが私の新しい家だよ」
 ミィー。

 裏庭には大きな楠が茂っている。遠くから見ると屋根の上へと伸びた枝が、まるでこの家を守っているような感じが気に入っている。

「すごいでしょ、この楠」
 誇らしげな気持ちで仔猫に話しかける。

 樹齢は不明だが、幹まわりは両腕で抱えるくらいの太さだ。青々とした新葉が風に吹かれ、木漏れ日がキラキラと揺れる。

「ご神木みたいでしょ。私の苗字も楠木だからね、ふふ」

 新居は木造の平屋建て、築40年。不動産屋の案内では2LDKとなっていたが、広めのお勝手に6畳の和室が2部屋という感じ。それでも1人で暮らすには十分な広さだ。

 しかも居抜き状態で、テーブルや冷蔵庫、洗濯機などの家具・家電が付いている。

 これで購入価格は税込100万円ちょっと。なんて優良物件。おそらく交通の便がすこぶる悪いから敬遠されるのだろう。

 一般の人には不便でも千勢には願ってもいないほど好都合な場所だった。

 こんな山里に引っ越すことにした最大で唯一の理由は「少しでも稔さんのそばにいたい……」。

 最愛の夫が眠るのは、最寄のバス停の前にある瑞雲寺。新しい家からは徒歩で約20分の距離だ。


 稔が交通事故で突然亡くなって、もうすぐ8カ月。千勢は文字通り晴れの日も雨の日も、毎日お墓参りに来た。

 今まではドアtoお墓まで、待ち時間を含めて2時間以上かかっていた。夫に会いに出掛けるのは苦ではなかったが、日に日に近くへ行きたいという想いが強くなった。

 瑞雲寺の和尚に相談して檀家である地主さんを紹介してもらい、すぐに転居を決めた。

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