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1.富士
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「いい天気ー! なんて引っ越し日和なんだろう!」
見上げた青空は、宇宙まで突き抜けそうなほどの五月晴れだった。
楠木千勢は両手を上に掲げ、伸びをしながら深呼吸をした。胸いっぱいに新鮮な空気が満たされ、体中を血が駆け巡る。
千勢は手に持った紙袋を置き背中のリュックを下ろして、正面の雄大な富士山に見入った。
快晴のおかげで、頂に雪を残す富士山には雲一つかかっていない。ただ、惜しむらくはこの位置からだと五合目辺りまでしか姿が見えないことだ。
手前には波を打つかのように丹沢山塊の尾根が広がっている。まるで富士山の美しい稜線を隠すみたいに。
それでも千勢はこの「富士見の丘」からの眺めを一目見た時から好きになった。
富士山の眺望が素晴らしい名所は数多ある。
麓からパノラマで見る富士山の壮大なシルエットには誰もが惹きつけられるだろう。紙幣に描かれた本栖湖のように、周辺に点在する湖との共演もそれは見事だ。世界遺産に含まれる三保の松原から海越しに望む富士山も趣がある。
確かに神奈川県西部や東京都多摩地区などでは角度によって富士山が見え隠れするから、周辺の山々が邪魔だと思う人もいるだろう。
しかし千勢には、丹沢が富士山を守っているように見えたのだ。
標高3776メートル、日本一の高さを誇る名峰。そして独立峰であるがゆえ、千勢には富士山が孤高の横綱のように感じられたのだ。
だから丹沢の山々は土俵入りする横綱の露払いと太刀持ち。そう想像すると、富士山にとって丹沢はなくてはならない存在に思えるのだった。
その露払いと太刀持ちがザザァーッと動き出した気がした。眼下に広がる海のような雑木林を、緑色の透明な風が泳いでいるみたいだ。
足元の先にあるクマザサの群生をカサカサと音を立てながら薫風が駆け抜けていく。
「はぁー、風が気持ちいい~!」
カラッと乾いた空気が、じんわり汗ばんだ体に心地良い。
今日は千勢の60歳の誕生日。残念ながら赤いちゃんちゃんこを贈ってくれるような人はいない。
干支・十干が一巡するのが還暦。人生の区切りをつけるため、この日の引っ越しを決めたのだった。
午前中に住んでいた家を引き払い、1時間ほど電車に乗ってお昼ごろ最寄駅に着いた。そこからバスに揺られ約40分、瑞雲寺バス停からはなだらかな坂道を上ってきた。
登山道へと続く道は、かろうじて舗装されてはいるが車が1台通れるくらいの幅しかない。雑木林の中を15分ほど歩いて、急に視界が開けてきた所が富士見の丘だ。
年齢による老化は認めたくはないが、日ごろの運動不足に陽気も手伝って、かなりくたびれた。
富士山を眺めながら休憩して、ようやく弾んでいた息が落ち着いてきた。
ここから新居まであと数100メートル。千勢はリュックを背負い紙袋を持った。
「よし! あともうひとふんばりー!」
ミィー。ミィー。
どこからか猫の鳴き声が聞こえる。こんな所でなんで…。千勢は辺りを見回した。
ミィー。
足首に柔らかな感触。下を見ると小さな仔猫が千勢の足に頭をスリスリと撫でつけている。
千勢はしゃがみ込んで「仔猫ちゃん、どうしたの?」と声をかけた。
言葉が通じるはずもないが、ミィー、ミィーと何かを訴えかけているように見えた。
猫を飼ったことがないから分からないが、生後1カ月くらいだろうか。
黒色と灰色が縞模様になっていて鼻の周りとお腹が白い。いわゆるサバ白という種類かな。尻尾は長めで、耳もピンとしている。
フワフワした毛をそっと撫でてみた。柔らかくて、なんて小さい。触り心地が良くて、千勢はしばらくの間、仔猫を撫でていた。
見上げた青空は、宇宙まで突き抜けそうなほどの五月晴れだった。
楠木千勢は両手を上に掲げ、伸びをしながら深呼吸をした。胸いっぱいに新鮮な空気が満たされ、体中を血が駆け巡る。
千勢は手に持った紙袋を置き背中のリュックを下ろして、正面の雄大な富士山に見入った。
快晴のおかげで、頂に雪を残す富士山には雲一つかかっていない。ただ、惜しむらくはこの位置からだと五合目辺りまでしか姿が見えないことだ。
手前には波を打つかのように丹沢山塊の尾根が広がっている。まるで富士山の美しい稜線を隠すみたいに。
それでも千勢はこの「富士見の丘」からの眺めを一目見た時から好きになった。
富士山の眺望が素晴らしい名所は数多ある。
麓からパノラマで見る富士山の壮大なシルエットには誰もが惹きつけられるだろう。紙幣に描かれた本栖湖のように、周辺に点在する湖との共演もそれは見事だ。世界遺産に含まれる三保の松原から海越しに望む富士山も趣がある。
確かに神奈川県西部や東京都多摩地区などでは角度によって富士山が見え隠れするから、周辺の山々が邪魔だと思う人もいるだろう。
しかし千勢には、丹沢が富士山を守っているように見えたのだ。
標高3776メートル、日本一の高さを誇る名峰。そして独立峰であるがゆえ、千勢には富士山が孤高の横綱のように感じられたのだ。
だから丹沢の山々は土俵入りする横綱の露払いと太刀持ち。そう想像すると、富士山にとって丹沢はなくてはならない存在に思えるのだった。
その露払いと太刀持ちがザザァーッと動き出した気がした。眼下に広がる海のような雑木林を、緑色の透明な風が泳いでいるみたいだ。
足元の先にあるクマザサの群生をカサカサと音を立てながら薫風が駆け抜けていく。
「はぁー、風が気持ちいい~!」
カラッと乾いた空気が、じんわり汗ばんだ体に心地良い。
今日は千勢の60歳の誕生日。残念ながら赤いちゃんちゃんこを贈ってくれるような人はいない。
干支・十干が一巡するのが還暦。人生の区切りをつけるため、この日の引っ越しを決めたのだった。
午前中に住んでいた家を引き払い、1時間ほど電車に乗ってお昼ごろ最寄駅に着いた。そこからバスに揺られ約40分、瑞雲寺バス停からはなだらかな坂道を上ってきた。
登山道へと続く道は、かろうじて舗装されてはいるが車が1台通れるくらいの幅しかない。雑木林の中を15分ほど歩いて、急に視界が開けてきた所が富士見の丘だ。
年齢による老化は認めたくはないが、日ごろの運動不足に陽気も手伝って、かなりくたびれた。
富士山を眺めながら休憩して、ようやく弾んでいた息が落ち着いてきた。
ここから新居まであと数100メートル。千勢はリュックを背負い紙袋を持った。
「よし! あともうひとふんばりー!」
ミィー。ミィー。
どこからか猫の鳴き声が聞こえる。こんな所でなんで…。千勢は辺りを見回した。
ミィー。
足首に柔らかな感触。下を見ると小さな仔猫が千勢の足に頭をスリスリと撫でつけている。
千勢はしゃがみ込んで「仔猫ちゃん、どうしたの?」と声をかけた。
言葉が通じるはずもないが、ミィー、ミィーと何かを訴えかけているように見えた。
猫を飼ったことがないから分からないが、生後1カ月くらいだろうか。
黒色と灰色が縞模様になっていて鼻の周りとお腹が白い。いわゆるサバ白という種類かな。尻尾は長めで、耳もピンとしている。
フワフワした毛をそっと撫でてみた。柔らかくて、なんて小さい。触り心地が良くて、千勢はしばらくの間、仔猫を撫でていた。
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