獣耳男子と恋人契約

花宵

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第十四章 最終決戦

【閑話】こんな俺に抗う術をくれたのは……(シロ視点)

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 力が入らない。今日も酷くやられたもんだな。もうすぐ日が暮れる。またあの恐怖の時間がやってくるのか。

『シロ、ぼくが表に出るよ。かわって』
『ばかいうな。お前じゃこの傷にはたえられない』
『でも……君は今からやって来る恐怖にたえられないよ』
『ぶつりてきにたえられないお前よりマシだろうが!』
『……こういう時、人間にちかい身体ってふべんだね』

 親父への逆恨みで激昂した奴等に散々痛めつけられた後、狭い祠の中で俺達はそうやってよく会話をしていた。
 妖怪の力に特化した俺と、人間の力に特化したコハク。表に出る方に合わせて俺達の身体は変化する。
 深い傷を負った今の俺の身体でコハクにバントタッチしようもんなら、意識すら飛んで大変な事になる。人間の身体は脆すぎて、いつ目覚めるか分からないから。

 基本、妖界に居るときは俺が表に立ち、人間界に居るときはコハクが表に立つようにしている。そうする事で、人間界では以前よりかなり過ごしやすくなった。
 だが、妖界では今までとそう変わらない。以前より少しだけマシになった程度で、元々強くない俺が他の純血の妖怪に敵うはずなどなかった。

「その幸運をわけておくれや……」
「肉体寄越せ……」

 辺りが暗くなってきて、外に悪霊が群がってきたのが分かった。ガタガタと古い祠が震えて音を立てる。ドンドンと扉を叩かれては俺は息を飲み込み、身体を縮こまらせてそれらが去るのを待った。ただひたすら待った。
 実体を持たないそれらは神聖な祠の中に入っては来れない。だから、待っていれば諦めてそのうち居なくなる。だけど、中にはしつこい奴も居て、俺はそんな悪霊にいつも苦しめられていた。
 そんな時、いつも決まってやって来るのが──年上の従兄、クレハだった。

「そこで何やってるの? また酷くやられたみたいだね」

 そう言って、アイツはいつも俺の傷を治してくれた。安心して思わずがしっとクレハの腰にしがみつく。

「ああ、ごめん。この着物汚すと怒られるんだ」

 遠慮がちに引き離された。アイツの格好を見ると、夜王会の最中だったのだと容易に見て取れて俺は慌てて離れた。
 次期妖界を担う若い衆が呼び出され行われるエリートの集まる夜王会。白狐一族からは本家の嫡男であるクレハが招待されている。
 大方、アクラあたりが会場で何か言っていたのだろう。だからわざわざ会場を抜け出して探しに来てくれたんだ。夜王会を勝手に抜け出すと、後で厳しい親父に怒られるのが分かっているのに。

「すまない……俺のせいで……」
「勘違いしないで、面倒だから抜けてきたんだ。そしたら偶然見つけただけだよ。ほら、顔をあげなよ」

 クレハは袖口からお手拭きを取り出すと、俺の顔についた涙や血泥をそれで拭きだした。その手つきはもう手慣れていて、何度こうやって助けてもらったか分からない。
 それなのに、偶然なわけがあるか。お前が袖口にお手拭き用の布をたくさん入れてるのを俺は知ってるんだぞ。

「シロ、今日は何をしていたの?」
「妖術の練習……」
「どこで?」
「外れの林道……」
「一人で里の外に出ては駄目だと言ったよね?」
「それは……」

 里の中に居ても、陰口を叩かかれるだけだった。

『またやってるわ。もう九つなのにそんな事も出来ないのかしら』
『コサメ様はあんなに素晴らしいのに。ほんと才能の無駄遣いねぇ』

 噂好きのババア共がこっちを見てはヒソヒソと話す。悪いかよ。だから必死に練習してんだろうが。

『やーい、落ちこぼれ。目障りだからどっか行けよ。ここは今から俺達が使うんだぞ』

 しまいには俺よりも年下のガキにまでそう言われては練習場を奪われた。ハーフの俺より、純血のそのガキ共の方が強いから。
 里の中に俺の居場所はない。だから里を出た外れの林道で俺はよく特訓していた。すると、親父に恨みを持つ違う一族の奴等が俺をいたぶりに来る。結局どこにも、俺の居場所などありはしないのだと思い知らされるだけだった。
 クレハは俺の表情から事情を読み取ったのかそれ以上言及してくることはなかった。代わりに葉っぱを変化させた一本の竹刀を差し出してきた。

「シロ、どうあがいたって君が今マスターしている以上の難しい妖術は使えない。成長しても体質上……それはきっと変わらない。だから、明日から努力の仕方を少し変えてみないかい? 体術は、努力すればきっと報われるから」

 あの時、アイツがそう言って俺に稽古をつけてくれた。暇な時間を作っては、俺にその基礎を叩き込んでくれた。
 妖術と違って、霊力保有量なんて気にしなくて良い分、俺にとってはこっちの方が性に合ってると感じていた。
 時間の許す限り、俺はひたすら剣術の稽古に励んだ。たまにクレハに模擬戦を申し込んでは負け、それが悔しくてさらに稽古を重ねた。

 人間界にもそういった体術があると知り、研究して稽古に入れ込んだりもした。
 そうして励むうちに、俺はただ一方的に虐められるだけだった生活から、一矢報いる事が出来るようになった。たとえ勝てなくても、一瞬でも相手を怯ませる事が出来る。三下妖怪ならそれで追い払う事も出来た。
 妖術を鍛えていた頃はそれさえ出来なかった。でも今は違う。クレハが言ったように、確かに努力すれば結果が出てきた。それが嬉しくて仕方がなかった。

 だけど結局俺は、クレハには一度も勝てないまま妖界を去ることになった。
 コハクがほぼ完璧に人間界に順応出来るようになり、桜に恩返しをするため本格的に人間界で暮らすことになったから。
 元々強くなりたかったのも、桜を守れるようになりたかったからでそれは全然構わなかったけど、しばらくクレハに会えなくなる。それが寂しくて仕方がなかった。
 別に今生の別れになるわけではない。でも、本家の跡取りであるクレハは次期当主として妖界から出ることは出来ない。
 次会えるのがいつになるか、本当に分からなかった。

 最後ぐらい勝ちたい。成長した所を見て欲しい。お前のおかげで俺にも一つ、誇れるモノが出来たんだと知って欲しい。
 そう思って、俺は妖界を去る前にクレハに最後の模擬戦を申し込んだ。しかし、結果は惨敗。最後まで勝つことが出来なかった。

「はっ……くそっ、結局……勝てなかった……ッ」

 竹刀を放り投げて、その場に太の字に寝そべり肩で息をしながら俺は悔しくてそう叫んだ。

「腕を上げたね、シロ。油断してると、持ってかれそう、だったよ」

 そう言いつつも実に涼しい顔をしてクレハは答える。
 くっ、このハイスペック野郎め。俺にそこまでの才能があればもう少しマシな人生になったのだろうか。

「次……つぎは、俺が……勝つ。絶対に……」
「そう……楽しみに、してるよ」
「ったく……余裕面、しやがって……絶対、見返してやるからな!」
「これでも……お兄ちゃんだからね、そう簡単に負けるわけにはいかないよ」

 いつの間にか俺の身長は、クレハとそう変わらない程まで伸びていた。隣に並ぶと少しだけクレハが高い程度で、見方によっては同い年ぐらいに見えないこともない。その事を気にして『これでも』なんて言ったんだろうが、たとえこのまま俺がクレハの身長を超してしまったとしても、アイツが俺にとって大きな兄貴的存在であることには変わりない。

「忘れた頃に、絶対勝負、挑みに来るから……首を洗って待ってろよ!」

 負け犬の捨て台詞みたいですごく格好悪かったけど、それくらい俺は悔しかった。その約束を果たせるのがいつになるかは分からないが、次こそは絶対勝ってやる。そう心に誓った。

「いつでもおいで、待ってるよ」

 そう言って笑ったクレハの顔は、少しだけ寂しそうに見えた。

***

 人間界に来てから俺は、コハクが寝た後にこっそりと剣術の稽古を続けていた。竹刀を振るわないと身体が鈍って仕方がない。
 次の日コハクに、「何だかすごい筋肉痛なんだけど?」と嫌味を言われようがそれだけは譲れなかった。

 それからコハクは紆余曲折しながらも順調に桜との距離を縮めていった。俺はその様子をただ眺めている事しか出来なかった。
 羨ましくないと言ったら嘘になるが、俺はコハクのように優しくも出来ないし、守り抜くことも出来ないだろう。それに落ちこぼれでどこにも居場所のなかった俺が、コハクのように好きになってもらえるとは到底思えなかった。
 それなら、こうやって隠れている方が楽で良い。たとえこちらに向けられる笑顔が俺自身に向けられたものじゃないとしても、そういう気分の余韻に浸っていられるから。


 その後、屋上から飛び降りた桜を救うために無理して力を使い果たして記憶喪失になって、知らず知らずのうちに俺は一度桜の前に姿を晒していた事を後から知る。
 親父が与えてきた霊力があまりにも多すぎて体内に滞り、制御がうまく出来なくて夜の公園で発散していた時のことだ。折角のチャンスに覚えてないとか、どんな嫌がらせだよ。絶対あの時変な奴だって思われてたに違いない。まぁ、その時の記憶は桜から消してるからセーフだろう。

 ただ一つ物凄く残念なのは、記憶を失った俺が気まぐれに与えた祝福のせいで、桜を本当の運命の相手と再開させる事になってしまったことだ。
 西園寺が現れて、桜に笑顔が増えた。その分、コハクに向ける笑顔の時間が減っていくのを感じていた。その事実をコハクは受け入れられなくなってきて、限界がきた。

『僕には桜の傍に居る資格がない。彼等の絆は強すぎる。本来の……あるべき姿に戻してあげるべきなんだよ』
『何馬鹿なこと言ってんだよ! 俺は認めない。そんなこと、絶対に認めねぇからな!』
『シロ……僕は、父さんのようにはなれないよ。たとえ一時でも、桜は僕の傍に居てくれた。それだけで、もう十分だよ。僕は、桜の足枷にはなりたくない』

 ここに来て、人間に近くなったコハクの心が仇になるとは思いもしなかった。優しさの塊になったアイツは、過去に犯した非人道的な行為を認めることが出来ずにいた。

 そしてコハクは桜に別れの言葉を告げた。

 許せなかった。一番近くで愛情を注いでもらっていたくせに、立ち向かう事もせずに逃げるコハクが。消え入りそうな程弱ったアイツを、俺は幻術空間に閉じこめた。
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