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第七章 すれ違う歯車
もう一人の彼
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「僕は……君の隣に居てはいけなかったんだ。本当に、ごめんね」
そう言って、コハクはとても悲しそうに笑った。その笑顔に胸がしめつけられる。
何を言っているの? どうして、急にそんな事を……
コハクの言葉に頭と心がついていけていない。そんな中、彼の身体が突如傾いた。
スローモーションで倒れていくコハクに急いで駆け寄り、間一髪の所で何とか支える事が出来た。
その場で仰向けに寝かせて、コハクに呼び掛けるものの意識を失っており返事がない。胸元に耳を当てると心臓の鼓動は聞こえて少しだけ安堵した。
「逢いたかったぜ、桜」
突如聞こえた声に驚き、急いで顔を上げると不敵に笑うコハクと目が合った。
無事でよかったと私が緩む涙腺を必死に堪えていると、コハクは身体を起こし、「ほら、こっちに来いよ」と言って私の手をグイっと引っ張った。
突然の事にバランスを崩した私はそのまま彼の身体の上に倒れ込む。
「いい子だ」と呟いて、クククと喉で笑いながらコハクは私の頭を撫でているが、何か違和感を感じる。
どことなく手付きがいつもより荒い。
それに、彼の纏う雰囲気がいつもの温かくて優しいココアのようなものとは違い、どこか冷めたコーヒーのような冷ややかさを感じる。
「……貴方は誰? 本当にコハク?」
コハクから距離をとり返事を待つと、彼は笑顔で答えてくれた。
「俺? 紛れもなく結城コハクだけど?」
顔は一緒だが、どこか皮膚に無理矢理張り付けたようなその笑顔に底知れぬ不気味さを感じる。
「嘘だ、コハクと雰囲気も喋り方も全然違う!」
「ククク、それはそうだろ。今までのあいつが人間側の表の人格だとしたら、俺は妖怪白狐としての裏の人格だからな」
ニヤリと口角を上げて不敵に笑う男を前に、私は戸惑っていた。
コハクにそんな人格があったなんて……
彼が人間と妖怪白狐のハーフである以上、そのような人格があったとしても不思議ではないのかもしれないが、なぜこのタイミングで別の人格が出てきたのか。
最後に見た悲しそうに笑ったコハクの顔が頭から離れない。
「今までのコハクはどうしたの?」
「お前に傷付けられて相当まいってたから、俺が強制的に眠らせた」
濡れて張り付いた前髪をかきあげながら面倒臭そうに彼は答える。
「私が傷付けた……」
さっきのドライヤーの件で、そんなにコハクを傷付けてしまったのだろうか?
困惑で思考が停滞した私を、彼は驚いたように目をまばたきさせて見た後、呆れたような顔つきで口を開く。
「自覚ねぇの? あいつはお前を傷付けたくなくて、衝動的に動かないように自分を律してひたすら耐えてた。だがお前はあいつを拒絶して、二人で居るときに散々他の男を切なそうに見つめて話題にして、そいつにからかわれて顔赤く染めたり、終いには席外した途端にキスして抱き合ってんだもんな」
やはり、あの時見られてたんだ。
それなのにコハクは、わざと気付いてないフリを……なんてことをさせてしまったんだろう。
「誤解だよ…… あれは違う! 目に入ったゴミをとってもらっただけでキスなんてしてない!」
「事実がどうであれ、あいつはそう思い込んでるから意味ねぇよ。ここでどんだけわめこうが無駄」
誤解を解くべく必死に弁明するも、彼は面倒くさそうに盛大なため息をつくだけだった。
「カナちゃんは大事な友達で、そういう関係じゃない! 全部誤解だよ……ッ! 私が好きなのはコハクだけなのに……」
何とかコハクに気持ちを伝えたくて必死に否定していたら、「あーうるせぇ! あんまりグダグタ言ってると、その口塞ぐぞ」と怒鳴られ、ギロリと鬼のような形相で睨まれた。
「……ッ!」
あまりの迫力にビクッと身体が震えて、その場で固まった。
「別に俺は、お前が誰を想ってようが関係ないね。俺の方しか向けないようにする方法なんざいくらでもあるんだから。なのにあいつは馬鹿だから、お前が他の男を好きだと思い込んで、お前の幸せのためにって自分から身を引こうとして……まったく、笑いを通り越してヘドが出る」
嘲るように笑う裏人格のコハクの言葉に私は絶句した。
「そんな……ッ」
いつの間にか、コハクをそこまで思い詰めさせていたなんて微塵も思わなかった。
今思い起こせば、時折彼が見せた切な気な表情はそのためだったのかと知り、心を引き裂くような後悔の念に駆られた。
「まぁそのおかげて、表に出てこられて俺はラッキーなんだけどな」
そう言って裏人格のコハクは立ち上がると、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
反射的に私は距離を取るように後ずさった。
「どうした? ほら、俺はお前の大好きなコハクだろう? 何故逃げる」
満面の笑みを浮かべて近付いてくる彼に、「貴方は確かにコハクかもしれないけど、私の好きなコハクじゃない」と畏怖の念から背中に嫌な冷や汗を感じながらも、はっきりとそう告げた。
「ククク、言っておくが普段俺はあいつと意識を共有しており、言わば一心同体。俺を拒絶するって事は、あいつを拒絶するのと一緒ってことだが、それでもお前は逃げるのか?」
「……ッ、ごめんなさい」
コハクが人間と妖怪白狐のハーフである以上、紛れもなく彼もコハクの一部だと思い知らされた私は、後ずさるのを止めた。
「素直な奴は嫌いじゃない。まぁ、妖怪はそもそも畏れられる存在だからな……お前が怖がるのも無理はない」
裏人格のコハクは身体から眩い光を発すると、綺麗な着流しを身に纏った美しい銀色の長髪姿へと変わった。
頭の上に白いもふもふの耳、腰の辺りにはふさふさの白い尻尾があり、雪のように白い肌と端正な顔立ちが相まって浮世離れした美しさが際立ち、一目で人間では無いことが分かる。
人間の姿時より少しだけ切れ長になった瞳が、本当にコサメさんにそっくりで、妖艶な笑みを浮かべて微笑む姿が似合い過ぎて、これが裏人格のコハクの本当の姿だと容易に理解できた。
初対面のはずなのに、何故かそんな感じがしない。
気のせいだろうか? どこかで会った事があるような……しかし、思い出そうとしても何も思い出せなかった。
「そんなに熱い視線を注がれると、思わず味見したくなるな」
裏人格のコハクはそっと私の頬を撫で顎に手をかけて上を向かせると、顔を寄せてきた。そして金縛りにあったかのように動けなくなった私の唇を、彼は犬のようにペロッと舐めとって呟いた。
「甘いな」
恥ずかしさで一気に顔が熱を帯びるのを感じ、離れようもするものの体が動かない。
彼はその様子をクククと喉を鳴らして、おかしそうに眺めた後、首筋に下からスーっと細い指を這わせた。
「羞恥に耐え忍ぶ顔ってそそるよな。ほら、もっと恥じらえよ」
徐々に上がってきたそれは、私の横髪を耳にかけるとうなじをそっと撫でて後頭部で止まる。
次の瞬間、耳に生温かいぬるっとした感触と卑猥な水音が響いてきて、ゾクゾクと背中に感じた事のないような甘い痺れが走った。
執拗に耳を這いずり回るそれに耐えて、やっと離れたと気を抜いた瞬間──フーッと息を吹き掛けられ、ゾクリと全身を駆け巡るような言い表せない感覚に襲われる。
膝がガクガクと震える感覚があるのに、身体はピクリと動かすことも出来ず、何がどうなっているのか分からない。
私の瞳から生理的な涙がポロリと流れ、彼がそれを満足そうに舐めとると、金縛りが解けたかのように身体が動いて先程の感覚が一気に身体に押し寄せた。
立っていられずその場にへたりこみそうになった私の身体を、裏人格のコハクが優しく抱き止めた。
「どうして……こんな事するの?」
「忘れたか? 俺もあいつと同じ意識を共有していると言っただろう。俺はあいつと違って、好きな女ほど……苛めたくなるんだよ」
コハクと同じ声なのに、何倍も色気を含んだその囁きに一気に耳が熱を帯びた。
私の好きなコハクとは違う……でも、彼もコハクの一部であり、複雑な思いが胸の中をぐちゃぐちゃにかき乱す。
でもただ一つ分かっているのは、私が表人格のコハクを酷く傷付けてしまったと言う事で、今私がすべきなのは彼にきちんと謝って誤解を解くことだ。
裏人格のコハクから身体をそっと離し、「表人格のコハクに会わせて欲しい」と、真っ直ぐに彼を見据えてお願いする。
私の言葉に彼は眉をひそめ考える素振りをした後、「無理だ」ときっぱり告げた。
そう言って、コハクはとても悲しそうに笑った。その笑顔に胸がしめつけられる。
何を言っているの? どうして、急にそんな事を……
コハクの言葉に頭と心がついていけていない。そんな中、彼の身体が突如傾いた。
スローモーションで倒れていくコハクに急いで駆け寄り、間一髪の所で何とか支える事が出来た。
その場で仰向けに寝かせて、コハクに呼び掛けるものの意識を失っており返事がない。胸元に耳を当てると心臓の鼓動は聞こえて少しだけ安堵した。
「逢いたかったぜ、桜」
突如聞こえた声に驚き、急いで顔を上げると不敵に笑うコハクと目が合った。
無事でよかったと私が緩む涙腺を必死に堪えていると、コハクは身体を起こし、「ほら、こっちに来いよ」と言って私の手をグイっと引っ張った。
突然の事にバランスを崩した私はそのまま彼の身体の上に倒れ込む。
「いい子だ」と呟いて、クククと喉で笑いながらコハクは私の頭を撫でているが、何か違和感を感じる。
どことなく手付きがいつもより荒い。
それに、彼の纏う雰囲気がいつもの温かくて優しいココアのようなものとは違い、どこか冷めたコーヒーのような冷ややかさを感じる。
「……貴方は誰? 本当にコハク?」
コハクから距離をとり返事を待つと、彼は笑顔で答えてくれた。
「俺? 紛れもなく結城コハクだけど?」
顔は一緒だが、どこか皮膚に無理矢理張り付けたようなその笑顔に底知れぬ不気味さを感じる。
「嘘だ、コハクと雰囲気も喋り方も全然違う!」
「ククク、それはそうだろ。今までのあいつが人間側の表の人格だとしたら、俺は妖怪白狐としての裏の人格だからな」
ニヤリと口角を上げて不敵に笑う男を前に、私は戸惑っていた。
コハクにそんな人格があったなんて……
彼が人間と妖怪白狐のハーフである以上、そのような人格があったとしても不思議ではないのかもしれないが、なぜこのタイミングで別の人格が出てきたのか。
最後に見た悲しそうに笑ったコハクの顔が頭から離れない。
「今までのコハクはどうしたの?」
「お前に傷付けられて相当まいってたから、俺が強制的に眠らせた」
濡れて張り付いた前髪をかきあげながら面倒臭そうに彼は答える。
「私が傷付けた……」
さっきのドライヤーの件で、そんなにコハクを傷付けてしまったのだろうか?
困惑で思考が停滞した私を、彼は驚いたように目をまばたきさせて見た後、呆れたような顔つきで口を開く。
「自覚ねぇの? あいつはお前を傷付けたくなくて、衝動的に動かないように自分を律してひたすら耐えてた。だがお前はあいつを拒絶して、二人で居るときに散々他の男を切なそうに見つめて話題にして、そいつにからかわれて顔赤く染めたり、終いには席外した途端にキスして抱き合ってんだもんな」
やはり、あの時見られてたんだ。
それなのにコハクは、わざと気付いてないフリを……なんてことをさせてしまったんだろう。
「誤解だよ…… あれは違う! 目に入ったゴミをとってもらっただけでキスなんてしてない!」
「事実がどうであれ、あいつはそう思い込んでるから意味ねぇよ。ここでどんだけわめこうが無駄」
誤解を解くべく必死に弁明するも、彼は面倒くさそうに盛大なため息をつくだけだった。
「カナちゃんは大事な友達で、そういう関係じゃない! 全部誤解だよ……ッ! 私が好きなのはコハクだけなのに……」
何とかコハクに気持ちを伝えたくて必死に否定していたら、「あーうるせぇ! あんまりグダグタ言ってると、その口塞ぐぞ」と怒鳴られ、ギロリと鬼のような形相で睨まれた。
「……ッ!」
あまりの迫力にビクッと身体が震えて、その場で固まった。
「別に俺は、お前が誰を想ってようが関係ないね。俺の方しか向けないようにする方法なんざいくらでもあるんだから。なのにあいつは馬鹿だから、お前が他の男を好きだと思い込んで、お前の幸せのためにって自分から身を引こうとして……まったく、笑いを通り越してヘドが出る」
嘲るように笑う裏人格のコハクの言葉に私は絶句した。
「そんな……ッ」
いつの間にか、コハクをそこまで思い詰めさせていたなんて微塵も思わなかった。
今思い起こせば、時折彼が見せた切な気な表情はそのためだったのかと知り、心を引き裂くような後悔の念に駆られた。
「まぁそのおかげて、表に出てこられて俺はラッキーなんだけどな」
そう言って裏人格のコハクは立ち上がると、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
反射的に私は距離を取るように後ずさった。
「どうした? ほら、俺はお前の大好きなコハクだろう? 何故逃げる」
満面の笑みを浮かべて近付いてくる彼に、「貴方は確かにコハクかもしれないけど、私の好きなコハクじゃない」と畏怖の念から背中に嫌な冷や汗を感じながらも、はっきりとそう告げた。
「ククク、言っておくが普段俺はあいつと意識を共有しており、言わば一心同体。俺を拒絶するって事は、あいつを拒絶するのと一緒ってことだが、それでもお前は逃げるのか?」
「……ッ、ごめんなさい」
コハクが人間と妖怪白狐のハーフである以上、紛れもなく彼もコハクの一部だと思い知らされた私は、後ずさるのを止めた。
「素直な奴は嫌いじゃない。まぁ、妖怪はそもそも畏れられる存在だからな……お前が怖がるのも無理はない」
裏人格のコハクは身体から眩い光を発すると、綺麗な着流しを身に纏った美しい銀色の長髪姿へと変わった。
頭の上に白いもふもふの耳、腰の辺りにはふさふさの白い尻尾があり、雪のように白い肌と端正な顔立ちが相まって浮世離れした美しさが際立ち、一目で人間では無いことが分かる。
人間の姿時より少しだけ切れ長になった瞳が、本当にコサメさんにそっくりで、妖艶な笑みを浮かべて微笑む姿が似合い過ぎて、これが裏人格のコハクの本当の姿だと容易に理解できた。
初対面のはずなのに、何故かそんな感じがしない。
気のせいだろうか? どこかで会った事があるような……しかし、思い出そうとしても何も思い出せなかった。
「そんなに熱い視線を注がれると、思わず味見したくなるな」
裏人格のコハクはそっと私の頬を撫で顎に手をかけて上を向かせると、顔を寄せてきた。そして金縛りにあったかのように動けなくなった私の唇を、彼は犬のようにペロッと舐めとって呟いた。
「甘いな」
恥ずかしさで一気に顔が熱を帯びるのを感じ、離れようもするものの体が動かない。
彼はその様子をクククと喉を鳴らして、おかしそうに眺めた後、首筋に下からスーっと細い指を這わせた。
「羞恥に耐え忍ぶ顔ってそそるよな。ほら、もっと恥じらえよ」
徐々に上がってきたそれは、私の横髪を耳にかけるとうなじをそっと撫でて後頭部で止まる。
次の瞬間、耳に生温かいぬるっとした感触と卑猥な水音が響いてきて、ゾクゾクと背中に感じた事のないような甘い痺れが走った。
執拗に耳を這いずり回るそれに耐えて、やっと離れたと気を抜いた瞬間──フーッと息を吹き掛けられ、ゾクリと全身を駆け巡るような言い表せない感覚に襲われる。
膝がガクガクと震える感覚があるのに、身体はピクリと動かすことも出来ず、何がどうなっているのか分からない。
私の瞳から生理的な涙がポロリと流れ、彼がそれを満足そうに舐めとると、金縛りが解けたかのように身体が動いて先程の感覚が一気に身体に押し寄せた。
立っていられずその場にへたりこみそうになった私の身体を、裏人格のコハクが優しく抱き止めた。
「どうして……こんな事するの?」
「忘れたか? 俺もあいつと同じ意識を共有していると言っただろう。俺はあいつと違って、好きな女ほど……苛めたくなるんだよ」
コハクと同じ声なのに、何倍も色気を含んだその囁きに一気に耳が熱を帯びた。
私の好きなコハクとは違う……でも、彼もコハクの一部であり、複雑な思いが胸の中をぐちゃぐちゃにかき乱す。
でもただ一つ分かっているのは、私が表人格のコハクを酷く傷付けてしまったと言う事で、今私がすべきなのは彼にきちんと謝って誤解を解くことだ。
裏人格のコハクから身体をそっと離し、「表人格のコハクに会わせて欲しい」と、真っ直ぐに彼を見据えてお願いする。
私の言葉に彼は眉をひそめ考える素振りをした後、「無理だ」ときっぱり告げた。
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