獣耳男子と恋人契約

花宵

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第三章 悪の女帝の迫り来る罠

独りじゃない

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 只今の時刻、朝の五時。
 気持ちの通じあった私達の関係は、偽物の恋人から本物の恋人へと変化した。

「桜、ちょっと電話してもいいかな?」
「うん、構わないけど……」

 こんな早朝に一体どこにかけるんだろうという疑問は、コハクの第一声でさらなる疑問へと変わって、すぐに謎が解けた。

『もしもし、百合子さんですか?』

 百合子さんって私のお母さんの名前と一緒なんだけど……

『桜無事に見つかりましたので、今からお送りします。安心してください』

 って、いつの間に番号交換したの?

「桜、百合子さん心配してるから家まで送るよ」
「コハク、何でお母さんの番号知ってるの?」
「この前遊園地に行った時に、教えてもらったんだよ」

 ニコニコと微笑みながらコハクはそう言うけど、私が姉にコーディネイトしてもらってるあの短時間でそこまで仲良くなってたとは、夢にも思わなかった。

 確かにその爽やかな笑顔は好青年以外の何者でもなくて、ミーハーな母が目の保養って言って喜んでる姿が容易に想像出来て思わず苦笑いがもれる。

「桜、今日……学校どうする?」

 眉を下げて心配そうに尋ねてくるコハクに、少しずつ明るくなってきた空を眺めながら答えた。

「もちろん行くよ」

 正直あんな事があって気は進まないけど、昔のように家族に変な心配はかけたくなかった。
 
 特にこれからの季節、いつも長袖のシャツを着ている私を、家族は『暑いのに』って訝しげに見てくる。
 一応傷痕が直接目に触れないように包帯を巻いてはいるが、母にそれを見られてひどく心配された事がある。姉にもこの前見られてしまったし、二度目を見せるわけにはいかない。

 高校で私がいじめられている事を、家族には隠している。この一年間バレないように誤魔化してきたのを、こんな所でバレるわけには……っ。

 その時、不意に頭に温かいものがそっとのってきて見上げると、優しく微笑むコハクと視線がぶつかった。

「独りで抱え込まないで。君の笑顔を曇らすものは、僕が全て何とかするよ。だから……頼ってくれると嬉しいな、その……彼氏として」

 少し恥ずかしそうに言った後、コハクは私の頭をポンポンと撫でる。

 胸につかえていた不安がスッとはれた気がした。真っ暗な空間に根差す闇が、光で綺麗に浄化されたみたいに。

「ありがとう、コハク……ッ」

 頼れる人が居るってことが、こんなに心強くて、嬉しいことだった事を忘れていた。
 止まっていた涙が勝手にあふれだしてくる。

『今日一日で何回泣けば気が済むんだよ』

 なんて心の中で自分に悪態をついてみても一向に涙は止まらなかった。

 結局私が泣き止むまでコハクは胸を貸してくれて、大きな身体で包み込むように抱き締めてくれた。
 その優しい感触が心地よくて、幸せすぎてまたほろりとしそうになる。


 しばらくして私が落ち着いた所で、コハクが少し緊張した面持ちで話しかけてきた。

「桃井さん達には気をつけて。桜が意識を失ったのはきっと、飲み物に薬を仕込まれたからだよ」

 確かにあの時、烏龍茶を飲んだ後、身体が思うように動かなくなった。
 それまで平気だったのを考えると、私がトイレに立ってる隙に仕込まれたのだろう。でも……

「コハク、何で分かるの?」

 私は思わず疑問に思ったことを口に出していた。すると、彼は口元に笑みをたたえて答えてくれた。

「桜の口内に僅かに残ってたから」
「口内って……」

 私は言いかけた言葉を思わず途中で飲み込んだ。
 さっきの出来事を思い出して、恥ずかしくてそれ以上口に出来なかったから。
 私の赤くなっているであろう顔を見て、コハクはイタズラな笑顔を浮かべ尋ねてくる。

「勘違いだといけないから、念のためにもう一度確認していい?」

 もう一度ってそれは再び……先程の出来事を思い出し、恥ずかしくて全身の体温が一気に上昇した。
 茹で蛸状態図であろう私の顔を見て、コハクは満面の笑みを浮かべている。

 こいつ、絶対Sだ。
 笑顔で誤魔化すたちの悪いサディストだ。

「だって桜の反応が可愛すぎるからいけないんだよ?」
「……何で私の心の声が聞こえてるの?」
「フフ、愛の力だよ」

 コハクって、呼び掛ける思念だけじゃなくて、実は心の中も読めるんじゃないの?

「ほら、人って成長する生き物でしょ?」
「図星か!」
「とは言っても完璧に分かるわけじゃないよ。桜は顔に出やすいから分かりやすいだけ」

 とりあえず気を付けよう。色んな意味で。

 それからコハクに送ってもらって家に帰った。家族総出で心配され、誤魔化すのに苦労したけど、何とか納得してもらえてほっと安堵の息をもらす。
 シャワーを浴びて朝食を頂き、身支度を整えた。鞄に教科書を詰めながら、自身の手が少し震えている事に気付く。

 学校に行くのは正直怖い。
 でも、今は独りじゃない。
 コハクが隣に居てくれるからきっと大丈夫だ。

 不安で押し潰されそうになる心を励ましながら、私はコハクが迎えに来てくれるのを待った。
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