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第三章 悪の女帝の迫り来る罠
変化する距離
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荷物を持つと、その部屋から逃げるように飛び出した。
取り返しのつかない事をしてしまったんだと、涙がポロポロとあふれてくる。
好きでもない人と一晩共にしてしまった。その事実がズンと私に重くのしかかってくる。
その時、コハクの顔が浮かんだ。
恋人のフリだとはいえ、彼を裏切る行為をしてしまった。
このことを知ったら、彼はどうするのだろうか。きっと、恋人のフリも終わってしまうのだろう。その事に酷く落ち込む自分に気付いた。
この一週間コハクと過ごして、遊園地に行ったり、DVDを見たり、たとえそれが偽物の関係だっとしても、私は心地よかった。
一緒に登下校して、お昼は屋上でご飯食べて、前より何倍も学園生活が楽しいって思えた。
もうあの笑顔で私に微笑みかけてはくれる事はないと思うと、悲しくて仕方なかった。
太陽が登り始めようとする早朝、あの部屋から逃げ出した私は無我夢中で走り、気が付けは自宅近くの聖奏公園まで来ていた。
考えれば考えるほど、涙があふれ出して止まらない。
必死に袖で拭っても、びしょびしょの布はもう水分を含んではくれなかった。
「……桜? やっと見つけた」
息を切らしてこちらに走ってくる人影。それは今、一番逢いたくて、でも一番会いたくない人だった。
「僕を呼ぶ声を感じて、必死に捜したよ」
何で、貴方はいつもそんなに優しいの?
今、何時か知ってる? 朝の4時だよ。
偽の恋人のために、どうしてそんなに必死になれるの?
「桜、泣いてるの?」
そんなに優しく涙を拭わないで。
そんなに優しく抱き締めたりしないで。
気付いてはいけない気持ちに気付いてしまう。
「大丈夫、たとえ何があったとしても、僕は桜の味方だよ」
コハクは優しすぎるよ。
私は貴方に優しくしてもらえる価値なんてない。
これ以上、彼の負担になりたくない。
「コハク、聞いて欲しい事があるの」
近くにあったベンチに腰掛け、私は昨日起こった出来事を全て彼に話した。
全てを話し終わった後、コハクは俯いたまま地面を見つめていた。
「……桜はその男が好きなの?」
今まで聞いたことのない程、低く冷たい声でコハクが呟く。
「好きとか嫌いとか判断できる程、その人の事知らない」
いつもとは違うコハクの様子に戸惑いながら、私は正直に答えた。
「知らない人と、一夜限りの関係を結べるんだ……」
なにも映っていないかのような虚ろな瞳で、コハクは私の方を見る。
「だったら、相手が僕でも桜は受け入れてくれる?」
次の瞬間、ひんやりとしたベンチの感触を背中に感じて、コハクが私の上に覆い被さってきた。
呼吸をするだけで息がかかりそうな程近くに、彼の端正な顔がある。
「コハク、何を言って……」
私の言葉は最後まで発せられることなく、コハクの唇によって遮られた。
唇を割って滑り込んできた彼の熱い舌が、震える私の舌を絡めとって容赦なく口内を犯していく。
獣のような荒々しい口付けに、脳がとろけたように頭が真っ白になって、身体の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
今まで感じたことのない不思議な感覚に、尋常ではない程心臓がバクバクと激しく脈動している。
どれくらいの時間、そうしていたのか分からない。
拒否しようと思えば出来たのに、私はそれをしなかった。逆に、彼が私からそっと離れていくのが名残惜しい……。
柳原君に感じたような嫌悪感はなく、もっとコハクを肌で感じていたいと思ってしまった。
その時、気付いた隠していた本当の気持ち──私、コハクの事が好きなんだ。
唇をキッと噛み締めて、今にも泣き出しそうなほど、ひどく悲しげなコハクの眼差しが私を捉えている。
その顔を見て、胸がキュっと締め付けられるように苦しくなって切なさが込み上げてきた。
「ごめん……」
そう言って私の上から退いた彼は背を向けて立つと、拳を強く握りしめて苦しそうに気持ちを吐き出した。
「冷静に考えたら分かる事なのに……桜が泣きながら逃げてきた時点で、相手に気持ちがないことぐらい。むしろ、怖い思いをしたのは桜の方なのに……僕はなんてことを」
その時、コハクの頭の上に乗った獣耳がしゅんと垂れ下がっているのが見えた。
彼の獣耳が出ているのは、感情が激しく高ぶっている証拠。コハクにこんな辛い思いをさせているのは、全部私のせいだ。
偽の恋人とはいえ勝手にこんなことをして、もし悪い噂が広がったらコハクにまで迷惑をかける。
「コハク。私、もう貴方の負担になりたくない。だから……恋人契約は、終わりにしよう」
これで、いいんだ。
コハクのためにはこの方がいいんだと、心の中で必死で自分に言い聞かせた。
私の言葉に大きく肩を震わせたコハクが、振り返って悲しそうにこちらを見ている。
「桜……どうしてそんな事言うの? いつ僕が負担なんて言った? 勝手にキスしたから怒ってるんだね、ほんとにごめん……ッ!」
動揺しているのか、彼はひどく焦ったように一息で捲し立てるように言った。
『そうじゃない、怒ってないよ』って伝えたくて私は首を小さく左右に振って否定する。
そしてコハクを落ち着かせるように、私はあくまで冷静に理由を述べた。
「毎日コハクは私に気を遣って優しくしてくれる。だけど、そのせいでコハクは……自由に好きなこと出来ないでいるように思えるんだ。それにもし、コハクに好きな人が出来たら私の存在は重荷でしかない。優しい貴方は、そのことできっとまた苦しんでしまうと思うから。だから、この関係は終わりにしよう。秘密は絶対に誰にも言わないから……」
引き裂かれる思いで、私は言葉を口にした。
コハクの傍に居られなくなるのは辛いけと、彼には幸せになって欲しい。
私みたいな足枷が傍に居て、これ以上迷惑をかけたくなかった。
「分かった。それなら恋人契約は、もう終わりにしよう」
コハクの言葉がグサッと胸に突き刺さる。
自分で言っておきながら今更なんて思うけど、はっきりそう言われてしまうのはやっぱり辛いものだった。
「桜」
透き通ったコハクの声が耳に届く。
こうして彼に名前を呼ばれるのも最後だと思うと、鼻の奥がツーンとなって思わず涙があふれそうになり、必死に堪えた。
耳に優しく馴染んでくるコハクの声が心地よくて、誰も私に声をかけてこない教室で、彼が話しかけてくれるだけですごく幸せな気持ちになれたのを思い出す。
せめて最後くらい良い印象を持たれたくて、私は震える唇で必死に笑顔を作って彼の言葉の続きを待った。
「僕は君が好きなんだ。あの日からずっと。片時も忘れたことはなかった」
刹那、信じられない言葉が聞こえた。
コハクが私の事を好き……
そんなこと、あるわけない。
彼は恩返しのために、私に優しくしてくれただけなんだから。
「全然重荷なんかじゃない。桜と一緒に居たいから、僕はずっと君の側に居たんだ」
琥珀色の綺麗な瞳が、真っ直ぐと私を捉えている。
「だから、本当の恋人になって欲しい」
コハクの真剣な眼差しが、嘘ではないと教えてくれて、止まっていた涙がまたポロポロとあふれだしてくる。
悲しくて泣いているんじゃない。
今度は嬉しくて涙が止まらないんだ。
「いきなりこんなこと言ったら迷惑だよね。まずは友達からでも、ダメかな?」
泣き出した私を見て、コハクは獣耳をピクピクとさせながらあたふたしている。
その姿が可愛くて私は思わず笑ってしまった。
耳が出てる事を伝えると、彼は慌てて獣耳を隠して照れたように頬をポリポリとかいている。
そんな何気ない仕草さえ愛おしいと思えてしまう私は、本当にどうしようもないくらい彼の事が好きなようだ。
ゆっくりと深呼吸して息を整えると、コハクの瞳を見て私は自分の気持ちを伝えた。
「コハク、私も貴方が好きだよ」
瞳を大きく見開いた後、コハクは嬉しそうに微笑んでくれた。
「夢みたいに嬉しいよ……ありがとう、桜」
そう言って彼は、私の身体をギュッと抱き締めた。
耳元でコハクの心臓の鼓動が早鐘のように鳴っているのが聞こえる。その鼓動の速さが、私と同じようにコハクもドキドキしていると教えてくれて嬉しくなった。
取り返しのつかない事をしてしまったんだと、涙がポロポロとあふれてくる。
好きでもない人と一晩共にしてしまった。その事実がズンと私に重くのしかかってくる。
その時、コハクの顔が浮かんだ。
恋人のフリだとはいえ、彼を裏切る行為をしてしまった。
このことを知ったら、彼はどうするのだろうか。きっと、恋人のフリも終わってしまうのだろう。その事に酷く落ち込む自分に気付いた。
この一週間コハクと過ごして、遊園地に行ったり、DVDを見たり、たとえそれが偽物の関係だっとしても、私は心地よかった。
一緒に登下校して、お昼は屋上でご飯食べて、前より何倍も学園生活が楽しいって思えた。
もうあの笑顔で私に微笑みかけてはくれる事はないと思うと、悲しくて仕方なかった。
太陽が登り始めようとする早朝、あの部屋から逃げ出した私は無我夢中で走り、気が付けは自宅近くの聖奏公園まで来ていた。
考えれば考えるほど、涙があふれ出して止まらない。
必死に袖で拭っても、びしょびしょの布はもう水分を含んではくれなかった。
「……桜? やっと見つけた」
息を切らしてこちらに走ってくる人影。それは今、一番逢いたくて、でも一番会いたくない人だった。
「僕を呼ぶ声を感じて、必死に捜したよ」
何で、貴方はいつもそんなに優しいの?
今、何時か知ってる? 朝の4時だよ。
偽の恋人のために、どうしてそんなに必死になれるの?
「桜、泣いてるの?」
そんなに優しく涙を拭わないで。
そんなに優しく抱き締めたりしないで。
気付いてはいけない気持ちに気付いてしまう。
「大丈夫、たとえ何があったとしても、僕は桜の味方だよ」
コハクは優しすぎるよ。
私は貴方に優しくしてもらえる価値なんてない。
これ以上、彼の負担になりたくない。
「コハク、聞いて欲しい事があるの」
近くにあったベンチに腰掛け、私は昨日起こった出来事を全て彼に話した。
全てを話し終わった後、コハクは俯いたまま地面を見つめていた。
「……桜はその男が好きなの?」
今まで聞いたことのない程、低く冷たい声でコハクが呟く。
「好きとか嫌いとか判断できる程、その人の事知らない」
いつもとは違うコハクの様子に戸惑いながら、私は正直に答えた。
「知らない人と、一夜限りの関係を結べるんだ……」
なにも映っていないかのような虚ろな瞳で、コハクは私の方を見る。
「だったら、相手が僕でも桜は受け入れてくれる?」
次の瞬間、ひんやりとしたベンチの感触を背中に感じて、コハクが私の上に覆い被さってきた。
呼吸をするだけで息がかかりそうな程近くに、彼の端正な顔がある。
「コハク、何を言って……」
私の言葉は最後まで発せられることなく、コハクの唇によって遮られた。
唇を割って滑り込んできた彼の熱い舌が、震える私の舌を絡めとって容赦なく口内を犯していく。
獣のような荒々しい口付けに、脳がとろけたように頭が真っ白になって、身体の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
今まで感じたことのない不思議な感覚に、尋常ではない程心臓がバクバクと激しく脈動している。
どれくらいの時間、そうしていたのか分からない。
拒否しようと思えば出来たのに、私はそれをしなかった。逆に、彼が私からそっと離れていくのが名残惜しい……。
柳原君に感じたような嫌悪感はなく、もっとコハクを肌で感じていたいと思ってしまった。
その時、気付いた隠していた本当の気持ち──私、コハクの事が好きなんだ。
唇をキッと噛み締めて、今にも泣き出しそうなほど、ひどく悲しげなコハクの眼差しが私を捉えている。
その顔を見て、胸がキュっと締め付けられるように苦しくなって切なさが込み上げてきた。
「ごめん……」
そう言って私の上から退いた彼は背を向けて立つと、拳を強く握りしめて苦しそうに気持ちを吐き出した。
「冷静に考えたら分かる事なのに……桜が泣きながら逃げてきた時点で、相手に気持ちがないことぐらい。むしろ、怖い思いをしたのは桜の方なのに……僕はなんてことを」
その時、コハクの頭の上に乗った獣耳がしゅんと垂れ下がっているのが見えた。
彼の獣耳が出ているのは、感情が激しく高ぶっている証拠。コハクにこんな辛い思いをさせているのは、全部私のせいだ。
偽の恋人とはいえ勝手にこんなことをして、もし悪い噂が広がったらコハクにまで迷惑をかける。
「コハク。私、もう貴方の負担になりたくない。だから……恋人契約は、終わりにしよう」
これで、いいんだ。
コハクのためにはこの方がいいんだと、心の中で必死で自分に言い聞かせた。
私の言葉に大きく肩を震わせたコハクが、振り返って悲しそうにこちらを見ている。
「桜……どうしてそんな事言うの? いつ僕が負担なんて言った? 勝手にキスしたから怒ってるんだね、ほんとにごめん……ッ!」
動揺しているのか、彼はひどく焦ったように一息で捲し立てるように言った。
『そうじゃない、怒ってないよ』って伝えたくて私は首を小さく左右に振って否定する。
そしてコハクを落ち着かせるように、私はあくまで冷静に理由を述べた。
「毎日コハクは私に気を遣って優しくしてくれる。だけど、そのせいでコハクは……自由に好きなこと出来ないでいるように思えるんだ。それにもし、コハクに好きな人が出来たら私の存在は重荷でしかない。優しい貴方は、そのことできっとまた苦しんでしまうと思うから。だから、この関係は終わりにしよう。秘密は絶対に誰にも言わないから……」
引き裂かれる思いで、私は言葉を口にした。
コハクの傍に居られなくなるのは辛いけと、彼には幸せになって欲しい。
私みたいな足枷が傍に居て、これ以上迷惑をかけたくなかった。
「分かった。それなら恋人契約は、もう終わりにしよう」
コハクの言葉がグサッと胸に突き刺さる。
自分で言っておきながら今更なんて思うけど、はっきりそう言われてしまうのはやっぱり辛いものだった。
「桜」
透き通ったコハクの声が耳に届く。
こうして彼に名前を呼ばれるのも最後だと思うと、鼻の奥がツーンとなって思わず涙があふれそうになり、必死に堪えた。
耳に優しく馴染んでくるコハクの声が心地よくて、誰も私に声をかけてこない教室で、彼が話しかけてくれるだけですごく幸せな気持ちになれたのを思い出す。
せめて最後くらい良い印象を持たれたくて、私は震える唇で必死に笑顔を作って彼の言葉の続きを待った。
「僕は君が好きなんだ。あの日からずっと。片時も忘れたことはなかった」
刹那、信じられない言葉が聞こえた。
コハクが私の事を好き……
そんなこと、あるわけない。
彼は恩返しのために、私に優しくしてくれただけなんだから。
「全然重荷なんかじゃない。桜と一緒に居たいから、僕はずっと君の側に居たんだ」
琥珀色の綺麗な瞳が、真っ直ぐと私を捉えている。
「だから、本当の恋人になって欲しい」
コハクの真剣な眼差しが、嘘ではないと教えてくれて、止まっていた涙がまたポロポロとあふれだしてくる。
悲しくて泣いているんじゃない。
今度は嬉しくて涙が止まらないんだ。
「いきなりこんなこと言ったら迷惑だよね。まずは友達からでも、ダメかな?」
泣き出した私を見て、コハクは獣耳をピクピクとさせながらあたふたしている。
その姿が可愛くて私は思わず笑ってしまった。
耳が出てる事を伝えると、彼は慌てて獣耳を隠して照れたように頬をポリポリとかいている。
そんな何気ない仕草さえ愛おしいと思えてしまう私は、本当にどうしようもないくらい彼の事が好きなようだ。
ゆっくりと深呼吸して息を整えると、コハクの瞳を見て私は自分の気持ちを伝えた。
「コハク、私も貴方が好きだよ」
瞳を大きく見開いた後、コハクは嬉しそうに微笑んでくれた。
「夢みたいに嬉しいよ……ありがとう、桜」
そう言って彼は、私の身体をギュッと抱き締めた。
耳元でコハクの心臓の鼓動が早鐘のように鳴っているのが聞こえる。その鼓動の速さが、私と同じようにコハクもドキドキしていると教えてくれて嬉しくなった。
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