19 / 68
消えた神々と黄昏の都
もうひとつの太陽
しおりを挟む「熱ぅー」
風呂場は蒸気がこもり、熱と湿気が肺へながれる。汚れをとるためオイルへ手を伸ばした瞬間、風呂担当の使用人がさっそうと現れ、湊は大理石の台へうつ伏せにされた。
オイルマッサージで体が温まりよごれも落とされてゆく。オイルを掻くヘラは背中をすべり、最初は恥ずかしかったが至福の時間になりつつある。
「うわっ、前は結構です! 」
目をつむってうつ伏せになっていたら、使用人に体をひっくり返された。慌てた湊はヘラを受けとり自身で隅々の汚れをおとす。オイルを流して熱めの湯につかれば温泉へきた気分、じゅうぶん温まったあと隣の浴室へ移動した。
泳げるサイズのプールを見て心踊る。ぬるめのお湯は火照った体をゆるやかにクールダウンさせる。周囲にだれもいないことを確認し、ここぞとばかりに泳ぎまわった。ひとしきりはしゃいでいたら浴槽の真ん中で足を攣った。心は少年へ帰っても体はおっさんのままだった。
湊は溺れるように水かきして浴槽の縁へ向かった。足が痙攣して沈みかけたところへ誰かが飛びこみ救出された。
「ありがとう、ラ……」
礼を言うため顔をあげるとラルフではなかった。黄金色にかがやく瞳なのに別人が湊を抱きあげていた。ラルフより成熟して雄々しい風体、腕はどっしり重い木材みたいで指も節くれだっている。
「これはこれは、風呂で黒真珠を発見したようだな」
節くれだった指は湊のアゴへ添えられ、黄金色の瞳が細められた。日に透けて金色になるラルフの髪とはほど遠い栗毛の短い髪、湊とおなじくらいか年上の男が見下ろしてる。不敵に笑った男は湊の体を引きよせた。ビックリして押し返したけど、ぶあつい胸板と丸太のような腕はビクともしない。
「放せっ! 」
男の顔が近づき、湊は両腕を突っぱねて抵抗した。男はやや不満そうな表情で首をかしげる。
「溺れるふりは斬新だったが、ずいぶん跳ねっかえりだな。それとも、そのような演技か? 」
か細い体に興味をそそる黒真珠の瞳、そう言って笑った男の手は湊の首すじを伝う。湊が華奢なわけではなく、この国の人間が頑強でデカいだけ。自国では標準的な体格にめずらしくもない黒い瞳だとアンチテーゼを唱えたくなった。
以前うんざりした顔のラルフから、帝国の大衆浴場にはそれ目的の男女が待ちかまえてると聞いた事があった。思いだしてきっぱり否定したが、湊を捕らえた男は獲物を品定めしている。
「アレクッ! ミナトをはなせ! 」
険しい声で叫んだラルフがプールへ飛びこんだ。
今度はラルフの腕へ捕えられ、黄金色の瞳をもつ者同士が相対した。牙をむくラルフに対して相手は余裕の笑み、獲物を奪われた男は肩をすくめ大げさに溜息をつく。
「じつにおまえ好みの色だな。帝都の邸宅へ招待したらどうだ? 愛しい弟よ」
「彼はそんな相手じゃない! 」
ラルフは獅子のまえで虚勢をはる若い狼のようにアレクへ食ってかかる。獅子の瞳はこちらを値踏みしながら見ていたが、ラルフが本国へ戻ることに難色をしめすと口から笑みは消えた。
「いい加減もどってきて我がもとで功績をあげろ。日和見の老人どもを蹴散らして共に栄光をつかむのだ! 」
節くれだった指をラルフの頬へそえた男は尊大にささやく。獅子の口元はふたたび笑みを浮かべ、去りぎわに湊を横目で一瞥した。ラルフは厳しい表情でうつむいていた。心配になって名を呼ぶと、いつもの顔付きになって湊の髪をなで梳く。いままでビクともしなかった彼の足元をあの男が揺るがした気がした。
豚もも肉がハム状にうすくスライスされテーブルへ運ばれる。向こうの席ではキャベツ爺さんとラルフ、加えて風呂で会った男が会話を繰りひろげる。ぼんやりテーブルを眺めていたらヒギエアの声がきこえた。
「カエサル・フラヴィオス・アレクサンドロス」
湊が覚えきれずに聞きかえせば、葡萄を口へ放りこんだヒギエアは説明をつづける。年の離れたラルフの異母兄、いままさに分裂の危機にある帝国において強大な軍事力を所有する男。古代の英雄の名を冠したアレクサンドロスは野心的で策略家、冷酷さも兼ねそなえている。
「どうしてあんな男と鉢合わせちゃったのかしら? ラルフがあとで荒れなきゃいいけど」
ヒギエアの話を聞くかぎり兄弟仲はあまり良くなさそうだ。ディオクレスを取り巻いた席では和やかな交流がおこなわれている。ふだんと変わらない様子のラルフにもやもやした湊は目の前にあったワインを飲み干す。
ディオクレスの招いた劇団は歌や踊りを披露して客人のいるフロアはにぎやかだ。万年雪の山から運ばれた氷が展示され、使用人がテーブルをまわり氷をワインへ投入する。冷えて喉ごしのよくなったワインがすすみ、酒に強くない湊はあっというまに酩酊して眠たげな顔になった。
「ご婦人はうわさ話かな? 」
バリトンより低音の声が近づき、ラルフと同じ瞳をもつ男がヒギエアのとなりへ腰を下ろした。ソファーへ片肘をつき、もたれる姿は堂々としたライオン。ヒギエアの片眉はわずかに動いたが社交的な会話を交わしている。
西海諸国の情勢に帝国の行事、湊には理解できない話がつづく。ヒギエアと杯を合わせたアレクサンドロスは、遠征後の凱旋で馬に引かせる戦車競技へ出ないかと誘った。
「わが弟も戦車の強者で熱烈な支持を得てる。君が参加すれば、大会はさぞ華やかになるだろう」
「遠征は終わっていないのでしょう? すでに正帝の座へついた気でいるのね」
棘のついた言葉にアレクサンドロスは唇のはしを上げた。黄金色の瞳は野心的な笑いをふくませ、自信に満ちた姿でソファへ横たわる。
「来たるべき未来の話だよ。となりの君もラルフの勇姿を見たくはないかね? 」
高慢な男の瞳から黄金が流れ出しまとわりつく、年数を経たオリーブ幹のような腕がこちらへ伸びる。
「ミナトは私の大切な友人だ。ぞんざいに扱うな」
口を真一文字に結んだラルフがアレクの手を払いのけた。斯くして酔った湊は宴のフロアから無事連れ出された。
度数の強いワインでまともに頭がまわらない、宴の会場から抜け出せたのはありがたかった。ゲストルームで就寝準備をした湊はベッドの上でかるく伸びをする。ラルフのことが気になってマクラへ突っ伏しながら考えてると、入り口付近に人の気配がした。
立っていた気配はすぐ無くなり、いそいで後を追う。
「ラルフ! 」
暗い廊下で大きな背中が動きを止め、ヘーゼルナッツ色の髪がふり向いた。
「夜遅くにすまない、ちょっと顔が見たかった」
さっき会ったばかりなのにラルフの瞳は暗闇にかげっていた。憂いの原因となる人物はわかる。湊は大きな手を引っぱって部屋へ連れていき、ひとつベッドへ横たわる。本宅とおなじ体勢で彼と見つめ合う。
「ミナト……私が帝都に嫌気がさして逃げてきた、と言ったら軽蔑するか? 」
息子には無関心だった父、功績を挙げのし上がることに必死な兄、自分への票にしか興味はなく隙あらば優位を保つため利用しようとする貴族たち、そんな帝都が嫌になってプラフェ州へ移動したとラルフは話す。
「この瞳の色や戦車に乗る私を太陽だと称える者もいるが本当はちがう。はやく沈んでしまいたい、夜の静かな場所へ」
言葉は夜の闇へ深く吐かれた。湊が伸ばした指先は大きな手のひらへ触れる。向こうから握りかえされて脈打つ血汐が伝わる。湊は只々息づき眠る正面の闇を見つめた。
103
お気に入りに追加
326
あなたにおすすめの小説
【奨励賞】恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する
SKYTRICK
BL
☆11/28完結しました。
☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます!
冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫
——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」
元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。
ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。
その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。
ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、
——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」
噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。
誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。
しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。
サラが未だにロイを愛しているという事実だ。
仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——……
☆描写はありませんが、受けがモブに抱かれている示唆はあります(男娼なので)
☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!
嫌われ公式愛妾役ですが夫だけはただの僕のガチ勢でした
ナイトウ
BL
BL小説大賞にご協力ありがとうございました!!
CP:不器用受ガチ勢伯爵夫攻め、女形役者受け
相手役は第11話から出てきます。
ロストリア帝国の首都セレンで女形の売れっ子役者をしていたルネは、皇帝エルドヴァルの為に公式愛妾を装い王宮に出仕し、王妃マリーズの代わりに貴族の反感を一手に受ける役割を引き受けた。
役目は無事終わり追放されたルネ。所属していた劇団に戻りまた役者業を再開しようとするも公式愛妾になるために偽装結婚したリリック伯爵に阻まれる。
そこで仕方なく、顔もろくに知らない夫と離婚し役者に戻るために彼の屋敷に向かうのだった。
出戻り聖女はもう泣かない
たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。
男だけど元聖女。
一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。
「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」
出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。
ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。
表紙絵:CK2さま

それ以上近づかないでください。
ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」
地味で冴えない小鳥遊凪は、ある日、憧れの人である蓮見馨に不意に告白をしてしまい、2人は付き合うことになった。
まるで夢のような時間――しかし、その恋はある出来事をきっかけに儚くも終わりを迎える。
転校を機に、馨のことを全てを忘れようと決意した凪。もう二度と彼と会うことはないはずだった。
ところが、あることがきっかけで馨と再会することになる。
「凪、俺以外のやつと話していいんだっけ?」
かつてとはまるで別人のような馨の様子に戸惑う凪。
「お願いだから、僕にもう近づかないで」
【完結】僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました
楠結衣
BL
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたエリオット伯爵令息。可愛らしい見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とバッサリ切り捨てられ、婚約解消されてしまう。
ショックのあまり実家のハーブガーデンに引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。
喜ぶ家族を見たら断れなくなったエリオットは筆頭魔術師のジェラール様の執務室へ向かう。そこでエリオットがいつものようにハーブティーを淹れたところ、なぜかプロポーズされてしまい……。
「エリオット・ハワード――俺と結婚しよう」
契約結婚の打診からはじまる男同士の恋模様。
エリオットのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。
⭐︎表紙イラストは針山糸様に描いていただきました
期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています
ぽんちゃん
BL
病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。
謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。
五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。
剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。
加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。
そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。
次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。
一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。
妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。
我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。
こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。
同性婚が当たり前の世界。
女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

学園の俺様と、辺境地の僕
そらうみ
BL
この国の三大貴族の一つであるルーン・ホワイトが、何故か僕に構ってくる。学園生活を平穏に過ごしたいだけなのに、ルーンのせいで僕は皆の注目の的となってしまった。卒業すれば関わることもなくなるのに、ルーンは一体…何を考えているんだ?
【全12話になります。よろしくお願いします。】
すべてを奪われた英雄は、
さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。
隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。
それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。
すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる