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消えた神々と黄昏の都
港町サロネ
しおりを挟むなだらかな坂で車輪が音を立てた。湊は街道の人々を眺めながら馬車にゆられる。
勇ましいヒギエアが先行し、ラルフと護衛も馬へのって隊列をくむ。兵士が巡回してるとはいえ暗くなれば賊が出没する。ヴァトレーネから持ってきた樽も荷車にのせられて港町をめざす。
ブドウが段をつくる畑は港町へ近づくにつれて小麦へ変わった。収穫が終わって耕され、小作人が新たな作付けをしている。
「このあたりは見晴らしがいい、山の街道とくらべたら安全なのさ」
スピードを落としたラルフは馬車へ横づけして声をかけた。
湊が顔を出せばヴァトレーネの見張り塔から見えていた海はすぐそこ、島と海岸線のあいだを大きな船がゆっくり通過した。
そびえる石積みの壁にかこまれた町は要塞のようだ。沿岸の岩をけずって構築された囲いは敵の侵入をふせぐ。壁のうえから兵士たちが見下ろす門をくぐり、大通りを進んで中央広場へ到着した。
円柱に支えられた建物から帝国兵が出てきて整列した。緋色のマントに黒鉄の甲冑をまとう指揮官が先頭で出迎える。まちがいなく手練れにみえる兵士の眼光に湊はおもわず身を低くして隠れた。
指揮官と握手を交わしたラルフが馬車へ戻ってくる。
「ミナト、私は兵舎に用事がある。ヒギエアと屋敷へ行ってくれ」
馬から降りたラルフは兵舎へむかった。湊もヒギエアの後をついていく、石レンガのマンションみたいな建物が隙間なく並び、港町の人口の多さがわかる。
ヒギエアが門兵へ話しかけると、鉄柵の扉がひらき屋敷へ通された。客人を迎えるフロアの装飾や調度品はヴァトレーネの邸宅よりずっと豪華だ。
「あっちは別邸、こっちが彼の本宅になるわね」
湊が視線をさまよわたらヒギエアは肩を抱いてフロアを案内した。港町サロネは一帯を管轄する軍の本拠地であり、ラルフの本宅はさまざまな要人を迎えいれる。もっともラルフ本人は訪問客の多さに辟易してヴァトレーネへ入り浸ってるらしい。
ヴァトレーネも港町も帝国の属州、海の対岸に本国があって海岸線の要所へ帝国軍が配置されている。とくに交易が盛んな港町は軍以外にも各地から人があつまる。
使用人のシハナが挨拶する。ルリアナとおなじ髪の色だが言葉はすくなく礼儀正しい。ヒギエアはいったん自宅へ帰り、シハナが案内を引き継いだ。
「それではミナト様はこちらへ」
ゲストルームのある2階へ――と思ったら3階へ案内された。屋上の部屋はきらびやかな下の階とは異なり、庭園があって悠々としてる。しかし1人で滞在するには広すぎてシハナを呼び止めようとしたが、彼女はすぐにいなくなってしまった。
ぽつんと残された湊は、しかたなくカバンを下ろす。
ヴァトレーネの邸宅と比較したら都会的なビルディング、豪勢だけど実用性を重視した建物だ。
屋上からながめると壁のうえの通路と兵士の駐在する塔が見えた。町の中心を通る主要な道路、路地はクモの巣みたいに張りめぐらされ住居や店がひしめく。船の停泊する港はたくさんのテントが建ち、ひっきりなしに荷車が行き来している。
湊の世界とくらべて異文化、まるで古い外国の映画を見ているようだ。
「すげ~」
「ここから帝国本土へ船が出てる」
「うわっ、ラルフ!? 」
頬杖をついてつぶやいたら、いつのまにかラルフが真後ろにいてビックリした。帝国へは陸路でも行けるけど、湾を迂回すれば何日もかかり船で移動するほうが早い。
「帝国ってどんなところ? 」
ここから帝国は見えなくて大きな海が広がっている。
火を吹く山のふもとにある温泉地、人が豆粒にみえる競技場、歌劇をおこなうホールと巨大な入浴施設。地域にもよるが中心部はとにかく人が大勢いて娯楽もたくさんある。手をひろげてオーバーに語ったラルフは石積みの柵へ腕をおろした。
「あそこにいる貴族どもは、あるだけの金を自分のために使う事しか考えていない。外側に金箔をはって内側は腐りきった国だよ」
辛辣な言葉が聞こえ、湊はおもわず顔をあげた。いままで見たこともない彼の表情、愁いと黄昏に染まった瞳が海の向こうを見ていた。
湊が無言で見つめていると、笑顔にもどったラルフは湊の手をにぎった。
「せっかくだし、サロネを案内しよう」
階段を駆けくだり、大通りをぬけて船つき場へ到着した。停泊した木造船が荷揚げをおこない波止場へ木箱やツボが積まれていた。近くの広場でテントを張った商人が取引している。木箱やタル以外に水揚げされた魚の店にはイカやタコもならんでる。
市場の片すみに発酵臭のするタルが置いてあった。茶色いうわずみ液が陶器皿へ注がれる。
「頭と内臓をとったイワシを塩漬けにして発酵させた調味料だ。独特の香りだが料理によく合う」
商人から渡されたちいさなスプーンを舐めると魚醤だった。イワシ以外の魚醤もならび、イカの塩辛を思い出してホカホカの白米が食べたくなった。白米はないけど滞在中は新鮮な魚介が食べられそうだ。
東方や砂漠の商人たちの集まるテントを見つけた。細工物、黒糖やスパイス、胡椒などが麻袋へ詰められている。
「ミナトサーン」
「あっ、ナディム!! 」
行商人のナディムは移動して港町まで来ていた。市場の大きさに驚いたというナディムは質がよく安い店を教えてくれた。ツァルニから買いだしを頼まれた湊は教えてもらった店をメモする。
「――――ミナト、知りあいか? 」
ナディムと別れた後、ラルフが背中へぴったり貼りついた。しばらくそのまま移動したけど、答えるまで背中へくっつく気だ。体温も高く暑苦しい、ヴァトレーネで会った行商人だと説明してラルフを背中から引きはがした。
港町の観光は1日では収まらない、太陽もかたむきラルフの屋敷へもどった。
「はぁ~気持ちいい」
湊は浴槽のふちへ腕を重ねアゴをのせた。オイルマッサージされて砂埃や磯の匂いを落として入る風呂は格別だ。ヴァトレーネ邸の風呂よりやや高温で浴室へ湯気がこもる。
「茹でられたタコみたいになってるぞ」
坪庭の石像を眺めていたら背後からラルフが覆いかぶさり、市場の時みたいに背中へ貼り付かれた。オイルマッサージでスベスベした肌の感触がする。
「……ラルフ、近い」
ゼロ距離に抗議したら彼は笑った。上をむくと黄金色の瞳がのぞきこみ湊の心臓は跳ねた。大きな手で顔をはさまれ見つめあう。
ふいに咳ばらいが聞こえ、あわててラルフを押し返した。咳ばらいの方向へ視線をやればチャコール色の髭の貫禄あるオジサンが浴槽へ浸かっている。
「だれっ? 」
おもわず声に出ていた。
おさらいするとラルフは風呂へ入るまえに隣の建物へおもむいた。運動がてら古式の武術で汗をながし、対戦相手といっしょに自宅の風呂へ戻ってきたようだ。
まじまじと見返せば、広場で出迎えた眼光のするどい指揮官だった。
「ツァルニの親父さんだよ」
「ええええ!? 」
衝撃の事実、チャコール髭のオジサンはツァルニの父だった。港町に駐留する軍の指揮官で、帝国の属州になる前はこの地を治めていた部族の血筋だという。
「黒き狼の父、狼たちを率い山岳においては敵なし、だったなバルディ」
「はっはっは、お戯れを仰いますなラルフ様。いまは帝国の兵士、バルディリウスでございます」
ツァルニの時とちがってハラハラしたけど関係は良好な様子だ。数多の傷痕を持つバルディリウスは目元をゆるめて豪快に笑った。
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