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いやらし天狗 ~穂波編~
峠を越す
しおりを挟む穂波はトラの傍へ屈んだ。腹部の下へ血だまりが出来ていて、耳をピクリピクリと動かし微かに息がある。
「どうしよう……どうしよう、血が止まらない……」
「……」
遠くから呼び声がして、桃井が息を切らせて走ってきた。筋蔵の部下がワゴン車から猟銃のケースを持ち出した為、トラを放して後をついてきたという。
「なんてことだ!? とにかく病院へ連れていきましょう。穂波さんっ、タオルで腹部を押さえてください」
腹から血を流すトラの姿を見て、桃井は車から持ってきた毛布で包んだ。皆でトラを持ち上げて運び、動物病院へ電話を掛けた。
寂しい廊下の長椅子へ腰を下ろす。
桃井は巴那河への連絡と、筋蔵の動きをさぐるため鼻高神社へ戻った。2人は病院の長椅子へ座り結果を待った。閉められた扉の先で緊急手術が行われている。遅い時間だったこともあって、他の診察客はいない。
「富岡……血が出てる……」
彼の左肩は衣服が裂けて、火傷のような裂傷を負っていた。受付の人に相談したら医療センターへの受診をすすめられたけど、富岡が頑なに断わった為ガーゼとテープで応急処置をした。
「……ごめん。僕のせいだ……僕が君のところへ行かなければ……」
去りぎわの筋蔵の様子では、なんらかの報復をしてくるだろう。巻き込んだ上にトラまで生死の境を彷徨っている。
頭を抱えていると、富岡は負傷した左腕で穂波を引きよせた。
「お前のせいじゃない。トラは飼い主に忠実だっただけだ」
密着した肌から体温がつたわり身を預ける。時計の音がチクタクと響き、誰もいない廊下で無言のまま寄りそう。
「……ユキ達、大丈夫かな? 」
「アイツらは辛抱強い、帰りを待っているはずだ」
置いてきた犬達が心配になってつぶやけば、もたれた身体から静かな声が聞こえた。彼に信頼されている犬達が頼もしくもあり、すこし羨ましくも感じる。
数時間たって、医者が手術室から出てきた。
呼吸器をつけて台へ乗せられたトラが運ばれる。麻酔が効いてよく眠っていた。富岡も手伝い犬用ベッドへ移動する。状態を伝えられ、経過観察のためトラは入院することになった。
富岡が手続きをしていると、駐車場へ1台の車が停まり桃井が飛びこんだ。
「よかった! まだここに居られたのですね。巴那河さんに連絡が付いて帰ってきます。それと……いいえ、今日は遅いのでとりあえず富岡さんの家へ」
憔悴した2人を気遣ったのか、詳しいことは明日話すと約束して家まで送ってくれた。明朝、迎えに来ることを言いのこし桃井は帰宅した。
柵の向こうで何かを察した犬たちが興奮して鳴いている。玄関へ入ったとき富岡の足元がフラつき、穂波は肩をかして居間へ運んだ。
「やっぱり病院へ行ったほうが……」
「そこの棚に薬を置いてる」
救急病院なら遅い時間でも開いてる、しかし富岡は首を横へふった。洗面器とタオルを用意して傷口を洗い流せば、裂傷は赤くなって肩全体が腫れていた。指定された軟膏を肩全体へ塗り、ガーゼと木綿のサラシを巻く。
お椀を持った穂波へ近づいたユキが、心配そうに鼻をならした。
「ユキ……彼は大丈夫だよ」
ユキは手を舐めてから、細かく切った鶏肉や茹でニンジンを食べはじめる。吠えていた犬達も落ちついた。空になったお椀を洗い、水を飲む犬たちをひとしきり眺めて平屋へ戻った。
外灯は家の玄関だけ照らし、野外は真っ暗だ。シャワーを浴びて出てくると、犬たちへゴハンを与えるように頼んだ男は寝息を立てていた。
泥だらけだった服は着替えたものの、たくさん汗をかいてる。穂波は洗面器に冷たい水を入れて、富岡の服を脱がせた。ひたしたタオルを絞って身体を拭く、薄く湯気が立ちそうなほど体温が上がって熱い。
「う……」
ふたたび服を着せてタオルケットをかけた。保冷剤を巻いたタオルを額へ当てると寝ていた男がうめいた。
「アイツのとこへ行くんじゃねえ……」
穂波の手をにぎった富岡は朦朧として呟く。視線が定まってなくて、昼間の夢を見ているのかもしれない。
あの男の元へ行って赦しを請えば丸く収まるのではないか、そんな考えが頭の片すみにあった穂波の指先は、動揺したようにピクリと動いた。
「富岡……」
「俺は……剛だ」
「……剛……」
温まった保冷剤を替えているうち、穂波もかたわらで横になった。
(もしも筋蔵が、彼にこれ以上の危害を加えるなら――その時……僕は――)
瞳が揺れうごく、穂波はなにかを決心したように熱い手を握りかえした。
肌寒くて目を開けたら、昨日の状態で寝ていた。隣で眠ってた男の姿はなく、タオルケットは穂波へ掛けられている。
カラカラと音がして平屋の玄関がひらき、シャツを羽織った富岡が洗った野菜をバケツで運ぶ。
「剛っ! 」
駆けよっておでこへ手を当てようとしたら逃げられてしまった。肩のサラシも新しい物へ取り替えられている。
「昨日は世話になった。……ありがとう」
照れて口ごもった熊男は、肉とキャベツを細かく切って大きな鍋へ放り込む。犬たちのゴハンを作りを手伝うため台所へ行くと、目の前へジャガイモが並べられた。
「昨日の……芋サラダだったか? うまかった」
「ポテトサラダだって」
どうやら朝食を作れという事らしい、ニッコリと笑った穂波は隣でジャガイモの皮をむき始めた。
肉と白飯だけだったテーブルへ色とりどりのおかずが足された。ポテトサラダの器はすでに空だ。富岡は青菜の煮びたしを箸でつついて口へ運び、頷いている。
「剛、体は大丈夫なの? 」
「熱は下がったし、鎮痛剤が効いて痛みも治まってる」
昨晩は肩が腫れあがって苦しそうだったのに、何事もなかったかのようにケロリとしている。根本的に身体の丈夫さが違う気がして、穂波は生暖かく見守った。
「それから、お前……名前で俺を? 」
歯切れ悪そうに富岡が口をひらく、うなされてる時に口走っていたので他人に呼ばれるのは嫌なのかもしれない。
「……ごめん。名前……呼ばれるの嫌だった? 」
「そうじゃねぇんだ。名前で呼ばれんの親父や母ちゃん以来でな。なんつーか、照れるっていうか……」
「じゃあ2人だけの時に呼んでいい? 」
「……ああ」
がっしりした体格で肝が据わった雰囲気なのに、どこか青臭さを残している。ほほえんで見つめたら、富岡は照れたように視線を下へそらす。
「そういえば、剛っていくつ? 」
「今年で25だ」
「ふぅーん……って僕とそんなに変わらないの!? 」
見た目や落ちつき具合は25どころか30~40歳くらいに見える。いろいろと打ちのめされて、コーヒーカップを持った手がふるえた。
「猟師歴は18年だ! 」
「猟師歴って何のアピールだよ」
オッサン感に満ちているのは猟師歴が長いからか、どっしり存在感を増した富岡は太々しい態度を崩さない。穂波が上目づかいにコーヒーを飲んでいると、呼び出しブザーが鳴り桃井が迎えに来た。
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