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いやらし天狗 ~穂波編~
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枝葉の先から朝つゆが垂れ、活発になった小鳥の声が森へコダマする。
ここから東へ歩き、山中で1泊して越境する。必要な物を受け取った穂波は自分のザックへ詰めて背負い、入りきらない物は富岡の背嚢へ収納した。
走ってきた白い犬が穂波へ体をよせる。
「真っ白くてスレンダーなのがユキで、大きい方がトラだ」
人懐っこそうに手を舐めるユキと対照的に、大きい黒まだらの方は耳を立てて堂々としている。同じ犬種らしいが体格に差があった。
いつも猟へ同行させているのだと、富岡が顔をほころばせた。
犬たちは広範囲で走りまわり、危険が無いことを確認して戻ってくる。小高い山を越えると見覚えのある分岐があった。マエ様と会った崖上の道と鼻高神社のある村へ続く道があり、穂波は不安になって身ぶるいする。
「そっちじゃねぇ、こっちだ」
背後から声が聞こえて、ユキが先導して草木のおおう獣道を進んだ。行く手をふさぐ倒木を斧で叩き折る男の背中はとても頼もしい。
陽が落ちるころ野営の予定地へ着いた。不自然に拓けた場所は、森の木々が避けるように茂っている。近くに苔むした石垣があり、石碑も確認できる。
背負っていた荷物を下ろした富岡は小さなテントを立て、ガス缶バーナーで水を温めはじめた。ついでに虫よけ線香へ火をつけて容器へ入れる。
穂波も腰をおろし、バナナ風味のブロック栄養食を齧った。山では獣が寄って来るので、なるべく匂いのない食事を出発する時に渡されていた。
「それだけじゃ、味気ないだろ」
アルミ製のコップに入ったカップスープを渡された。小さな石碑のところへ歩いて行った富岡は、近くに落ちていた陶器を洗って水をそそいだ。食べていたブロック栄養食も同じ場所へ供える。
犬たちもモフモフした体をよせて、切り分けたソーセージのような物をもらい尻尾をふっていた。
食べ終えた犬たちはテント脇へ寝そべった。周辺はすっかり暗くなって、ライトの光が穂波を照らす。
「……ここって何か建ってた? 」
ラジオを聞いている富岡に尋ねると、ライトで陰った眼窩がこちらを向く。
「むかしな、村があったと曽爺さんに聞いた」
富岡は曽祖父から聞いた話を語った。大昔ここに村があったことや、飢饉で生活できなくなって村を捨てた話だ。鼻高山の村人たちは現在でも近づかない。石碑へ水と食べ物を供えたのは、父や祖父たちがしていたことを倣っているそうだ。
すっかり緑におおわれ山へ還った土地は、人の住んでいた痕跡をわずかに残すのみ。
「俺はもう寝るぜ」
大あくびをした富岡は、テントを開けて中へ入った。
静寂の中で、ジージーと虫の鳴き声が響いている。コーヒーを飲みながらラジオを聞いていたら、誰かに見られている感じがして辺りを見まわした。
犬たちは耳をピクピクさせながら目を瞑っている。
「富岡っ、ぼくも寝る」
急に心細くなった穂波も、慌ててテントへ入った。
薄っすら明るくなった山は霧がかかり、日が昇ると次第に晴れて青空が見えた。
「――ったくよぉ、ピッタリくっ付いて寝やがって、寝返りが打てなくて肩が痛いったらありゃしねえ」
テントを片付ける富岡が悪態をつき、穂波は手伝いながら体を縮ませた。
昨晩村にまつわる話を聞いてしまった為に、ささいな物音にも怯えて明るくなるまでトイレも我慢して富岡にくっ付いていた。おかげでちょっぴり寝不足だが、熊男の機嫌はもっと悪い。
「だ、だって……怖いんだからしょうがないだろ? 」
「はあぁ? 崖登り出来るほど鍛えた成りの男が、何言ってやがる」
「ううっ……」
「なんでそこで泣くんだ! 都会のヤツは分けわかんねぇ」
富岡は頭をグシャグシャかき回してため息を吐き、気を取り直してザックを背負う。
「難所を越えりゃあ、後は下るだけだ。準備はいいな? 」
穂波がうなずくと、ユキとトラも返事をするように吠えた。
野営した場所から見えていた山は、高くそびえて岩肌が剥きだしている。しかし登るのは横の急斜面のエリアだ。土砂崩れで埋まった崖へ土が積もり、木が生えてる。
「崩れやすいから、気ぃつけろよ」
斜面に生えた木の根をたどりジグザクに登ってゆく。足元は土と礫ですべりやすく、油断していると下へ落ちそうだ。それでも切り立った崖を登るより危険は少ない。
もうすぐ尾根へ着く、ふり向いた先に鼻高山の頂上が見えた。遠く霞んだ山は広大な風景の一部に溶けこんでいて、穂波は魅入られたように眺めた。
「おいっ! 」
気を抜いてしまい、踏んだ岩が転がってバランスを崩した。浮遊感があって身体が後ろへ傾く。
「あ……」
このまま終わるのだろうかと思った矢先、富岡の大きな手が伸びて腕をつかみ、肩が抜けそうなくらい強い力で引きもどされた。
気がついたら富岡の腕の中にいた。一晩中、シーツに隠れて嗅いでいた男の匂いがする。
「バカ野郎! だから気ぃつけろって――」
安全な所まで引きあげ、歯を剥いて怒鳴った富岡は途中で言葉を止めた。
「……うん……ごめん」
穂波の瞳からポロッと涙がこぼれた。体温のぬくもりを感じて緊張が解けたせいで、次から次へと涙があふれてくる。わけの分からない経験と監禁された恐怖、これまで堪えていたものが堰を切って流れでる。
「う……うぅっ……」
嗚咽を上げる穂波を富岡は無言で抱きしめた。
「歩けそうか? ……そろそろ行くぞ」
「うん……」
子供の頃でもこんなに感情的に泣いたことはなかった。気恥ずかしくなった穂波が鼻を啜っていたら、富岡は首に巻いていたタオルを渡した。顔を拭いて彼の後を歩く、気まずくて記憶はあやふやだが町に着くまで黙々と歩いたのは覚えている。
山麓の舗装された道路へでた。富岡は穂波を呼び止め、タバコを1本吸う。
「狐や山怪が煙を嫌う」
ひと息ついた富岡は吸殻を胸ポケットの灰皿へ入れて、ユキとトラを紐で繋ぐ。しばらく歩いたら大型のショッピングセンターと駅が見えた。
「俺が送ってやれるのはここまでだ。後は自力で帰れるな? 」
「うん……」
礼を言って駅へ入ろうとしたら呼び止められた。富岡は内ポケットから小さな木札を取り出す。
「曽祖父さんから教えてもらった厄除けのお守りだ。1年くらい身に着けとけ、山へ戻るんじゃねーぞ」
念押しされて渡された木札は麻の紐がついてる。首へかけた穂波は木札を握りしめた。目が潤んで鼻水が出てくると、呆れた表情の熊男にタオルでゴシゴシ拭かれた。
電車が走りだし座席から振動が伝わる。泣き疲れた後のようにぼんやりして、富岡のタオルを握りしめていた。
「あ……返すのわすれた」
送り返そうにも住所もわからない。もう会うことも無いのだと考えたら、胸にぽっかりと穴が開いて寂しい気持ちになった。
陰りはじめた空を眺めると、スマートフォンへ友人からの着信が届いた。
ここから東へ歩き、山中で1泊して越境する。必要な物を受け取った穂波は自分のザックへ詰めて背負い、入りきらない物は富岡の背嚢へ収納した。
走ってきた白い犬が穂波へ体をよせる。
「真っ白くてスレンダーなのがユキで、大きい方がトラだ」
人懐っこそうに手を舐めるユキと対照的に、大きい黒まだらの方は耳を立てて堂々としている。同じ犬種らしいが体格に差があった。
いつも猟へ同行させているのだと、富岡が顔をほころばせた。
犬たちは広範囲で走りまわり、危険が無いことを確認して戻ってくる。小高い山を越えると見覚えのある分岐があった。マエ様と会った崖上の道と鼻高神社のある村へ続く道があり、穂波は不安になって身ぶるいする。
「そっちじゃねぇ、こっちだ」
背後から声が聞こえて、ユキが先導して草木のおおう獣道を進んだ。行く手をふさぐ倒木を斧で叩き折る男の背中はとても頼もしい。
陽が落ちるころ野営の予定地へ着いた。不自然に拓けた場所は、森の木々が避けるように茂っている。近くに苔むした石垣があり、石碑も確認できる。
背負っていた荷物を下ろした富岡は小さなテントを立て、ガス缶バーナーで水を温めはじめた。ついでに虫よけ線香へ火をつけて容器へ入れる。
穂波も腰をおろし、バナナ風味のブロック栄養食を齧った。山では獣が寄って来るので、なるべく匂いのない食事を出発する時に渡されていた。
「それだけじゃ、味気ないだろ」
アルミ製のコップに入ったカップスープを渡された。小さな石碑のところへ歩いて行った富岡は、近くに落ちていた陶器を洗って水をそそいだ。食べていたブロック栄養食も同じ場所へ供える。
犬たちもモフモフした体をよせて、切り分けたソーセージのような物をもらい尻尾をふっていた。
食べ終えた犬たちはテント脇へ寝そべった。周辺はすっかり暗くなって、ライトの光が穂波を照らす。
「……ここって何か建ってた? 」
ラジオを聞いている富岡に尋ねると、ライトで陰った眼窩がこちらを向く。
「むかしな、村があったと曽爺さんに聞いた」
富岡は曽祖父から聞いた話を語った。大昔ここに村があったことや、飢饉で生活できなくなって村を捨てた話だ。鼻高山の村人たちは現在でも近づかない。石碑へ水と食べ物を供えたのは、父や祖父たちがしていたことを倣っているそうだ。
すっかり緑におおわれ山へ還った土地は、人の住んでいた痕跡をわずかに残すのみ。
「俺はもう寝るぜ」
大あくびをした富岡は、テントを開けて中へ入った。
静寂の中で、ジージーと虫の鳴き声が響いている。コーヒーを飲みながらラジオを聞いていたら、誰かに見られている感じがして辺りを見まわした。
犬たちは耳をピクピクさせながら目を瞑っている。
「富岡っ、ぼくも寝る」
急に心細くなった穂波も、慌ててテントへ入った。
薄っすら明るくなった山は霧がかかり、日が昇ると次第に晴れて青空が見えた。
「――ったくよぉ、ピッタリくっ付いて寝やがって、寝返りが打てなくて肩が痛いったらありゃしねえ」
テントを片付ける富岡が悪態をつき、穂波は手伝いながら体を縮ませた。
昨晩村にまつわる話を聞いてしまった為に、ささいな物音にも怯えて明るくなるまでトイレも我慢して富岡にくっ付いていた。おかげでちょっぴり寝不足だが、熊男の機嫌はもっと悪い。
「だ、だって……怖いんだからしょうがないだろ? 」
「はあぁ? 崖登り出来るほど鍛えた成りの男が、何言ってやがる」
「ううっ……」
「なんでそこで泣くんだ! 都会のヤツは分けわかんねぇ」
富岡は頭をグシャグシャかき回してため息を吐き、気を取り直してザックを背負う。
「難所を越えりゃあ、後は下るだけだ。準備はいいな? 」
穂波がうなずくと、ユキとトラも返事をするように吠えた。
野営した場所から見えていた山は、高くそびえて岩肌が剥きだしている。しかし登るのは横の急斜面のエリアだ。土砂崩れで埋まった崖へ土が積もり、木が生えてる。
「崩れやすいから、気ぃつけろよ」
斜面に生えた木の根をたどりジグザクに登ってゆく。足元は土と礫ですべりやすく、油断していると下へ落ちそうだ。それでも切り立った崖を登るより危険は少ない。
もうすぐ尾根へ着く、ふり向いた先に鼻高山の頂上が見えた。遠く霞んだ山は広大な風景の一部に溶けこんでいて、穂波は魅入られたように眺めた。
「おいっ! 」
気を抜いてしまい、踏んだ岩が転がってバランスを崩した。浮遊感があって身体が後ろへ傾く。
「あ……」
このまま終わるのだろうかと思った矢先、富岡の大きな手が伸びて腕をつかみ、肩が抜けそうなくらい強い力で引きもどされた。
気がついたら富岡の腕の中にいた。一晩中、シーツに隠れて嗅いでいた男の匂いがする。
「バカ野郎! だから気ぃつけろって――」
安全な所まで引きあげ、歯を剥いて怒鳴った富岡は途中で言葉を止めた。
「……うん……ごめん」
穂波の瞳からポロッと涙がこぼれた。体温のぬくもりを感じて緊張が解けたせいで、次から次へと涙があふれてくる。わけの分からない経験と監禁された恐怖、これまで堪えていたものが堰を切って流れでる。
「う……うぅっ……」
嗚咽を上げる穂波を富岡は無言で抱きしめた。
「歩けそうか? ……そろそろ行くぞ」
「うん……」
子供の頃でもこんなに感情的に泣いたことはなかった。気恥ずかしくなった穂波が鼻を啜っていたら、富岡は首に巻いていたタオルを渡した。顔を拭いて彼の後を歩く、気まずくて記憶はあやふやだが町に着くまで黙々と歩いたのは覚えている。
山麓の舗装された道路へでた。富岡は穂波を呼び止め、タバコを1本吸う。
「狐や山怪が煙を嫌う」
ひと息ついた富岡は吸殻を胸ポケットの灰皿へ入れて、ユキとトラを紐で繋ぐ。しばらく歩いたら大型のショッピングセンターと駅が見えた。
「俺が送ってやれるのはここまでだ。後は自力で帰れるな? 」
「うん……」
礼を言って駅へ入ろうとしたら呼び止められた。富岡は内ポケットから小さな木札を取り出す。
「曽祖父さんから教えてもらった厄除けのお守りだ。1年くらい身に着けとけ、山へ戻るんじゃねーぞ」
念押しされて渡された木札は麻の紐がついてる。首へかけた穂波は木札を握りしめた。目が潤んで鼻水が出てくると、呆れた表情の熊男にタオルでゴシゴシ拭かれた。
電車が走りだし座席から振動が伝わる。泣き疲れた後のようにぼんやりして、富岡のタオルを握りしめていた。
「あ……返すのわすれた」
送り返そうにも住所もわからない。もう会うことも無いのだと考えたら、胸にぽっかりと穴が開いて寂しい気持ちになった。
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