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いやらし天狗 ~穂波編~
富岡との出会い
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山奥にある敷地は開拓され庭が見わたせる。古い瓦屋根の平屋が建ち、玄関の戸を引いたらガラガラと音がした。仕切り柵の向こうがわで犬たちが警戒して吼えている。
まとわりついた白い秋田犬はふたたび穂波の匂いを嗅ぎ、かるく尻尾をふってから仲間のもとへ走りさった。
廃屋寸前の建物なのに、中は意外ときれいだ。
「富岡さん、こちらの自己紹介を――」
「必要ない、で? 」
ぶっきらぼうで人付き合いの不器用そうな男は、畳の上へどっかり腰を下ろした。無論お茶のひとつも出されることなく、歓迎されてないムードがただよう。
背筋を正して座った桃井は平静さを崩さず、村であった出来事を赤裸々に語った。
「やっぱり天狗がらみか」
男は心底めんどうそうな表情で唸る。
富岡への依頼は谷を越えて、筋蔵の目の届かない隣の県から穂波を帰還させることだった。車ではさっきのように追いかけられるし、山を歩いて越える体力は桃井にはない。
「山川さん、彼なら貴方を無事に送り届けられます」
「はんっ、初めて会ったヤツを信用するってのか? 」
悪態をつかれても怯まない桃井は、富岡の祖父の名前を出して昔世話になったのだと話した。彼が祖父によく似ているそうで、懐かしげに微笑む。
「……爺さんの知り合いか――わかったよ」
ぶっきらぼうに呟いた男は、ななめ下へ目線を逸らした。
息をのんで見守っていた穂波へ桃井が手を重ねた。じんわりと体温が伝わって緊張がゆっくり解けてゆく。
「桃井さん……ありがとうございました」
「安心するのはまだ早いですが、お気を付けて」
巴那河の様子を見に村へ戻るようだ。出入りして筋蔵の部下に後をつけられたら危険なため、ここでお別れとなる。
深く礼をした桃井が乗りこみ、車のライトは山道を照らし小さくなって行く。
「柵、閉めるから早く入れ」
感傷にひたる間もなく、熊男にせっつかれて家の中へ入った。
桃井が居なくなって男と2人残された。会話が交わされることもなく、ぽつんと座った穂波はそわそわと居間をうかがう。
「茶ならそこだ」
落ちつきのない穂波に気が付いた男は、大きな手で棚を指した。べつに茶を飲みたいわけではないが、することもないので棚を開ける。そこそこ整頓された引き出しへパック茶が並んでいる。
2人分用意してテーブルへ持っていくと、熊男は茶を眺めた。
「……もしかして、余計でした? 」
彼は何も言わず、ズルズルと茶を飲みはじめた。
(なんだろう……もっと、こう……いろいろ話を)
経緯を聞いたり、予定を話したり、それ以前に自己紹介もまだであった。湯呑みを眺めながら苦慮していた穂波は顔をあげた。
「あの……」
「腹が減ったのか? 」
否定する間もなく、男は冷蔵庫を開けて茶色い液体へ浸けた塊を取り出した。ガンガン叩く音がして、フライパンでジュウジュウと焼いている。
しばらくしてレンジでチンした白飯と焼いた肉が出てきた。
「あの……野菜とか……」
「……あるぞ」
洗ったサニーレタスを皿へ盛って運んできた。ついでに冷蔵庫のタッパーから、しぐれ煮のような物も持ってくる。
(肉とご飯だけって!? 漢の料理すぎるって)
今日び男でも、もうちょっと凝った料理を作る。腰を下ろした熊男が食べ始めたので、穂波もおそるおそる口をつける。
(あれ……意外においしい……)
牛や豚ではないが、甘みのあるしょうゆダレに浸けられた肉は柔らかい脂身の食感がある。肉をレタスで包み食べる穂波を見た男も、マネしてレタスを手に取った。
「美味しい、何の肉ですか? 」
「アナグマ、そっちの山椒が利いたのはシカだ」
普段口にすることもない珍しい動物で驚いたら、彼は猟師をしているらしい。
「僕、山川 穂波って言います。あなたは? 」
「……富岡 剛だ」
話の流れでようやく名前を知ることができた。無精ひげが生えていたので大分年上に見えたが、話し方や仕草を見ていると年はそんなに離れていないのかもしれない。じっと見つめていると、富岡は視線をななめ下へ逸らした。
「……明日の朝、出発する。あんた軽装だが山登りの経験はあるのか? 」
穂波は苦笑いした。日帰りで崖登りをする予定だったので、必要最低限の物しか準備してなかった。クライマーであることや村を訪れたいきさつを話せば、富岡は黙ったままじっと聞いていた。
(なんだ……普通に喋れるじゃないか)
ユニットバスへ浸かった穂波は深く息をつく。つっけんどんな物言いだが、相手を突き放す男ではないようだ。向こうも見慣れない穂波を警戒して、緊張していたのだろう。
少しだけ安堵してお湯をすくう。縄目の跡が手首に残っていて憂うつな気分になった。
「おい」
「ひゃっ!? 」
タオルで身体を拭いていると、暖簾から逞しい腕が伸びた。大きな手のひらに畳まれたTシャツとジャージのズボンがのせられている。
「着替えだ」
着替えを受け取れば、礼を言う間もなく腕は廊下へ消えた。
穂波が居間でぼんやりしていたら、富岡が新しいシーツを出して寝床の用意をしてる。風呂から上がったばかりの彼の上半身は裸で湯気が立っていた。はんれい岩のようにどっしりした体に、荒削りでムダのない筋肉がついている。
「俺はとなりの部屋で寝る。アンタはここで寝ろ」
富岡は隣部屋のソファーで早々と横になり、タオルケットを被った。
明朝は日が昇ってから出発だ。
山越えの時、小さな天狗にも気を付けるよう桃井に忠告された。筋蔵の追手も来るかもしれない、穂波は不安いっぱいになって布団へ潜る。
微かに富岡の匂いがして、深呼吸したらちょっとだけ安心した。
―――――――――――――――
お読み頂きありがとうございます。
生で食べろと言われないだけマシな漢の料理!
筋蔵邸を抜け出した穂波は無事に帰れるのでしょうか、まだ続きます。
※せっつく……責付く。急き立てたり、催促すること。
※はんれい岩……火成岩。マグマが地中深くで固まった粒の粗い岩。
まとわりついた白い秋田犬はふたたび穂波の匂いを嗅ぎ、かるく尻尾をふってから仲間のもとへ走りさった。
廃屋寸前の建物なのに、中は意外ときれいだ。
「富岡さん、こちらの自己紹介を――」
「必要ない、で? 」
ぶっきらぼうで人付き合いの不器用そうな男は、畳の上へどっかり腰を下ろした。無論お茶のひとつも出されることなく、歓迎されてないムードがただよう。
背筋を正して座った桃井は平静さを崩さず、村であった出来事を赤裸々に語った。
「やっぱり天狗がらみか」
男は心底めんどうそうな表情で唸る。
富岡への依頼は谷を越えて、筋蔵の目の届かない隣の県から穂波を帰還させることだった。車ではさっきのように追いかけられるし、山を歩いて越える体力は桃井にはない。
「山川さん、彼なら貴方を無事に送り届けられます」
「はんっ、初めて会ったヤツを信用するってのか? 」
悪態をつかれても怯まない桃井は、富岡の祖父の名前を出して昔世話になったのだと話した。彼が祖父によく似ているそうで、懐かしげに微笑む。
「……爺さんの知り合いか――わかったよ」
ぶっきらぼうに呟いた男は、ななめ下へ目線を逸らした。
息をのんで見守っていた穂波へ桃井が手を重ねた。じんわりと体温が伝わって緊張がゆっくり解けてゆく。
「桃井さん……ありがとうございました」
「安心するのはまだ早いですが、お気を付けて」
巴那河の様子を見に村へ戻るようだ。出入りして筋蔵の部下に後をつけられたら危険なため、ここでお別れとなる。
深く礼をした桃井が乗りこみ、車のライトは山道を照らし小さくなって行く。
「柵、閉めるから早く入れ」
感傷にひたる間もなく、熊男にせっつかれて家の中へ入った。
桃井が居なくなって男と2人残された。会話が交わされることもなく、ぽつんと座った穂波はそわそわと居間をうかがう。
「茶ならそこだ」
落ちつきのない穂波に気が付いた男は、大きな手で棚を指した。べつに茶を飲みたいわけではないが、することもないので棚を開ける。そこそこ整頓された引き出しへパック茶が並んでいる。
2人分用意してテーブルへ持っていくと、熊男は茶を眺めた。
「……もしかして、余計でした? 」
彼は何も言わず、ズルズルと茶を飲みはじめた。
(なんだろう……もっと、こう……いろいろ話を)
経緯を聞いたり、予定を話したり、それ以前に自己紹介もまだであった。湯呑みを眺めながら苦慮していた穂波は顔をあげた。
「あの……」
「腹が減ったのか? 」
否定する間もなく、男は冷蔵庫を開けて茶色い液体へ浸けた塊を取り出した。ガンガン叩く音がして、フライパンでジュウジュウと焼いている。
しばらくしてレンジでチンした白飯と焼いた肉が出てきた。
「あの……野菜とか……」
「……あるぞ」
洗ったサニーレタスを皿へ盛って運んできた。ついでに冷蔵庫のタッパーから、しぐれ煮のような物も持ってくる。
(肉とご飯だけって!? 漢の料理すぎるって)
今日び男でも、もうちょっと凝った料理を作る。腰を下ろした熊男が食べ始めたので、穂波もおそるおそる口をつける。
(あれ……意外においしい……)
牛や豚ではないが、甘みのあるしょうゆダレに浸けられた肉は柔らかい脂身の食感がある。肉をレタスで包み食べる穂波を見た男も、マネしてレタスを手に取った。
「美味しい、何の肉ですか? 」
「アナグマ、そっちの山椒が利いたのはシカだ」
普段口にすることもない珍しい動物で驚いたら、彼は猟師をしているらしい。
「僕、山川 穂波って言います。あなたは? 」
「……富岡 剛だ」
話の流れでようやく名前を知ることができた。無精ひげが生えていたので大分年上に見えたが、話し方や仕草を見ていると年はそんなに離れていないのかもしれない。じっと見つめていると、富岡は視線をななめ下へ逸らした。
「……明日の朝、出発する。あんた軽装だが山登りの経験はあるのか? 」
穂波は苦笑いした。日帰りで崖登りをする予定だったので、必要最低限の物しか準備してなかった。クライマーであることや村を訪れたいきさつを話せば、富岡は黙ったままじっと聞いていた。
(なんだ……普通に喋れるじゃないか)
ユニットバスへ浸かった穂波は深く息をつく。つっけんどんな物言いだが、相手を突き放す男ではないようだ。向こうも見慣れない穂波を警戒して、緊張していたのだろう。
少しだけ安堵してお湯をすくう。縄目の跡が手首に残っていて憂うつな気分になった。
「おい」
「ひゃっ!? 」
タオルで身体を拭いていると、暖簾から逞しい腕が伸びた。大きな手のひらに畳まれたTシャツとジャージのズボンがのせられている。
「着替えだ」
着替えを受け取れば、礼を言う間もなく腕は廊下へ消えた。
穂波が居間でぼんやりしていたら、富岡が新しいシーツを出して寝床の用意をしてる。風呂から上がったばかりの彼の上半身は裸で湯気が立っていた。はんれい岩のようにどっしりした体に、荒削りでムダのない筋肉がついている。
「俺はとなりの部屋で寝る。アンタはここで寝ろ」
富岡は隣部屋のソファーで早々と横になり、タオルケットを被った。
明朝は日が昇ってから出発だ。
山越えの時、小さな天狗にも気を付けるよう桃井に忠告された。筋蔵の追手も来るかもしれない、穂波は不安いっぱいになって布団へ潜る。
微かに富岡の匂いがして、深呼吸したらちょっとだけ安心した。
―――――――――――――――
お読み頂きありがとうございます。
生で食べろと言われないだけマシな漢の料理!
筋蔵邸を抜け出した穂波は無事に帰れるのでしょうか、まだ続きます。
※せっつく……責付く。急き立てたり、催促すること。
※はんれい岩……火成岩。マグマが地中深くで固まった粒の粗い岩。
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