25 / 53
いやらし天狗 ~穂波編~
ちいさな村と未踏の崖
しおりを挟む――――それは大原海斗が鼻高山へ来る十数年前の出来事。宿の主人、山川穂波が村へ来たときの話。
よく晴れた朝、町をでた。アスファルトの道路を歩いていると、見渡すかぎりの青空と山あいに田んぼがちらほら見える。
めったに車も通らない道に無人のバス停が立ち、その奥には村がある。
「やっと着いたぁ」
穂波は未明に町を出て歩きつづけ、日が昇った頃ようやく村へ到着した。
ザックにはロッククライミングの用具一式が入っていて、いまから目的の山で崖登りをする予定だった。古い建物がのこる山の奥地に、人知れず崖がそびえ立つのを観光雑誌の写真で知った。
申請していた登攀の許可が出て、穂波はウキウキした気分で向かう。
朝陽の降りそそぐ林道を歩いていたら、こんもりとそこだけ円錐形に高くそびえた山がある。この山は神聖な場所なので登らず眺めるだけだ。ふもとに鼻高神社と書かれた鳥居が目にうつった。
竹ぼうきで砂利を掃く音がして、目をむけると作務衣を着たお爺さんが掃除をしていた。
「おはようございます」
目が合って互いに挨拶を交わす。
山川が持ちまえの柔らかい表情で笑いかけたら、竹ぼうきを掃く手を止めた爺さまは鳥居の外へ出てきた。無地で淡い色の作務衣は折目がついている。
「山登りですか? 」
清楚な印象のお爺さんは、興味深そうに笑いかける。
穂波は動きやすい格好をしていた。ストレッチ性のあるTシャツを着て、鍛えた筋肉が服ごしでもわかる。
市に許可を取っていて崖の登攀をすることを伝えた。近年、クライミングによる環境破壊が問題にもなっている。アンカーを打ち込まないフリークライミングであることを説明する。手に付けるチョークも粉の跡が残らないものだ。しっかり説明して地元住民との摩擦が起きないよう心がける。
交流も早々に切り上げ、穂波は谷へ向かおうとした。お爺さんは別れ際に鼻高山の裏へ、むかし橋の架かっていた崖があることを教えてくれた。崖は垂直に切り立っていて危険なので注意を促すための忠告だが、目的地ではなかったので聞きながす。
鼻高山脇の整備された林道を登っていると、お爺さんの言っていた谷が視界へ入った。
「へぇ~、思ったよりいい崖だな」
下へつづく道には柵がしてあったものの、反対側を回れば崖のふもとへ行けそうだ。穂波は頭の片すみでそんなことを考えながら通りすぎる。
谷の奥地、木々の合間に剥きだしの岩場が見えた。さっそく準備をおこない、液体チョークを手へすりこむ。
掴めそうな所へ指をかけバランスを取りながら足をのせた。難所のネズミ返しの岩につかまり、体を上へ引き上げる。背中が熱くなって肩甲骨をつたい汗が流れおちた。
そう高くない岩場を何本か登り、ひと息ついてスポーツドリンクを飲んでいると茂みがカサカサ動いた。山では獣と遭遇することもある。警戒して茂みを見ていたけれど獣の姿は見えず気配も消えた。
「タヌキかな? 熊だったらやだな……」
穂波はさっき見た崖を思い出し、そちらへ移動することにした。鼻高山へつづく林道とは違う獣道を歩き、谷の下へ辿り着く。
「けっこう高いね~」
手をふって液体チョークを乾かしながら、穂波は登れそうなルートを探して切り立った崖を眺めた。ふとお爺さんの忠告が頭をよぎったけれど、ふりきって崖の亀裂へ指をかける。
「おっと」
つかんだ岩が外れて指が抜けた。岩の落ちた先になにもいない事を確認して、ふたたび手をかけた。垂直に平らな壁が現れたので、足を崖の亀裂へ置いて登れる場所まで平行移動する。
「ああ……最高だ」
眼下に広がる景色は美しく、地平線に山の背が続いている。見下ろせば崖が崩れて大岩の転がる谷底があった。ここで落ちたらひとたまりもないだろう、しかし高所が得意な穂波は物ともせず岩の出っぱりへ指をかけてぶら下がった。
途中休憩しながら崖を登りきれば、腕がしびれて小刻みにふるえる。朝から登っていたので腕に限界がきたようだ。穂波は崖の上にあった道沿いに山を下りはじめる。
歩いて数分もしないうちに古い寺を見つけた。
崖の上は隣の村へつづく道があったと聞いている。それも昔の話で、今は通る者すらいない。
「廃寺かなぁ? 」
建物が老朽化しているのか、全体が歪んでいるように見える。人のいない寺のわりには、柱が腐っている様子もないしホコリも積もっていない。
「こんな辺鄙なところへ通う人がいるのか……」
苔むした灯籠の前を過ぎ、お堂まで行く。大きな木の看板に名前のような跡があった。
「なになに……イン獄……修……ョウ寺? ……読めないな」
歴史は苦手だったので寺などには疎く、いまいちピンとこない。意外にきれいな所だったので、軒を借りて休憩することにした。木造の階段を登った先の軒へ腰を下ろし、ザックから水筒を取りだす。
冷たい飲み物で喉がスッキリして、ひと息ついた。
「はあ、美味っ」
ただの水道水で作ったスポーツドリンクなのに、自分の家の水道で作るより何倍も美味しく感じる。
静かな場所ですっかり気に入り、くつろいでいたらキィと背後で音が鳴った。ふり返ればお堂の扉が開いている。風のしわざだと思い、扉をしめるためデッキへ上がった。
足もとが引っ掛かって、穂波はお堂の中に手をついて倒れた。
「あいたた……」
身体を起こして座ると、お堂の奥が鈍い光を放っている。足元が暗かったので四つん這いで近づいた。
外からの光で反射する黒塗りの仏像だった。暗い部屋なのに仏像の後ろのレリーフまで確認できる。
「うわぁ……これって」
写実的ではないが、男子と鼻の大きな人がまぐわう絵になんとなく寒気を感じた。早くお堂を出ようと思った矢先、背中から覆い被さるように影が重なった。
なにかいびつな形のものが顔の横からニョッキリ伸びている。穂波が恐る恐る視線を横へやると、鼻の大きな顔が真横にあった。
危険を察知して本能的にうごけなくなった。心臓が跳ねるほど波打っている。
静止したまま息を殺していると、しゃがれた低い声が耳元の空気を振動させた。
「崖を登ってきた何年ぶりの修行者か……ここは修行寺ぞ」
ゾワリと背筋が毛羽立った穂波は、被さる者の下から抜けて走り出した。だが足を引っかけられお堂の床へ転がった。
「往生際が悪いのう」
黒い影が転がった穂波を覆う。暗闇でもはっきり見える顔には、尋常ではない大きさの鼻が生えている。まるで観光パンフレットに描いてあった天狗のような風貌だ。
「だれかっ――」
「元気な口だのう、そうれワシの鼻を咥えよ! 」
大きな鼻を口へ突っ込まれ声が出せなくなった。弾力のある鼻は穂波の喉を突き、吐き気をもよおしたがそれを押しもどすように喉の奥を突かれる。
「咥えかたをじっくり覚えるがよいぞ」
「んぐぅっ――ぁぐっ! 」
何度も喉奥を突かれて、穂波の目尻から涙が落ちた。
崖登りができるほど穂波は体を鍛えている。襲いかかられたとしても大概は跳ねのける自信があった。しかし大きな天狗に押し倒されて為すすべなく身体を探られた。
―――――――――――――――
お読み頂きありがとうございます。
宿「天の狗」の主人、山川の過去話です。
またもや黒天狗がやらかします。
本編にてニエだと明かされた穂波の身に起こったハプニング、そして海斗の時よりエロー成分が多めです。
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ハルとアキ
花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』
双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。
しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!?
「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。
だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。
〝俺〟を愛してーー
どうか気づいて。お願い、気づかないで」
----------------------------------------
【目次】
・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉
・各キャラクターの今後について
・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉
・リクエスト編
・番外編
・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉
・番外編
----------------------------------------
*表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) *
※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。
※心理描写を大切に書いてます。
※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる