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第九章
天狗の修行と奥山家2
しおりを挟む瞑想していると、元気のいい足音がバタバタと鳴って床を振動させる。水鉢に止まっていた小鳥が飛び去った。
目を開けてゆっくり伸びをした月読の口から欠伸がでる。
「明って、なんか縁側の猫みたいだな」
「猫みたいに丸まってないぞ、ちゃんと坐禅してただろぅ。それより試験は終わったのか? 」
帰宅した応毅が立っていた。初夏の日差しに白のスクールシャツが眩しく映り、遠い記憶は印象ぶかい出来事のみを想起させる。
「テストはとっくに終わったよ。今日は面談、明日まで実質休みだぜ」
嬉しそうに笑った応毅は親指を立てる。
月読は明朝に山を登るので、一緒に行かないかと持ちかけた。登山では来光を見るため夜中の出発は珍しくない、ついでに会ってほしい者達がいる事を告げる。
会うのが天狗だと知った応毅の目はさらに大きくなった。
「俺を天狗にでもするってのか? 」
「まさか、でも修行をする相手に彼らは最適だ。君が嫌なら勿論行かなくてもいい。彼らと繋がりを持つ機会でもあるけど、どうする? 」
「……あの大きなヤツもいるのか? でも爺さんなんて言うかなぁ」
応毅はあれから武蔵坊には会っていない、礼を言いそびれて心残りを感じているようだ。悩む少年に法印の了解は得たと伝えたら、あやしい術を使ったのではないかと疑われる。
「爺さんになにしたんだよっ。やっぱ天狗の仲間だな!? 」
「だから私は天狗じゃないって……」
問答している内に少年の腹が鳴った。
「やれやれ、とりあえず昼ごはん食べに行くか」
赤い顔の応毅は腹をさすりながら頷いた。
月読も釣られて空腹になったところで金村が歩いてきた。本日の金村の任務は護衛だ。護衛と言っても、月読が奥ノ坊の宿舎にいる間は大してすることもない。
「金村っ! いいところに来た」
期待をこめた視線に金村は立ち止まって、状況を理解するため月読と応毅を交互に眺めている。どちらともない腹の音がして、察した彼は液晶画面を素早く操作して店を示した。
「おっ、中華そばか。うまい蕎麦は食べたけどラーメンは食べてないな~」
「俺、チャーシュー大盛りがいいな」
急遽お守りをすることになった金村は、2人を連れてラーメン店へ出発した。
翌朝山の温度がもっとも下がる時間帯、水垢離を済ませ白衣に着替えた月読は赤い山門をくぐる。
「おはようございます」
見送りにきた法印と押井が立ち、白衣の応毅が待っていた。
月読の後ろを見た応毅が驚きの声を上げたので、振り返ったら烏面をかぶった九郎が立っている。
「九郎さんだったのか……てっきり烏天狗だと思ってた」
応毅がしげしげと見上げ、烏面の男は無言でうなずいた。
石の階段をのぼり、頂上付近で建物の裏へ入る。拓けた場所で待っていたら空中を大きな影がよぎる。
「天狗だっ! 」
長元坊達が目の前へ降り立った。法印と押井には数体の影にしか見えず、目をこすって天狗たちを凝視している。
長元坊の指示で天狗は応毅を抱えて森へ向かう。飛び上がった際、突風が発生して梢がゆれる。
「日の出後に戻ってきます」
月読と九郎も天狗を追って崖を跳び下りた。
まだ暗い森を白衣と黒衣の男が駆けぬけて、天狗達と戦いを繰り広げる。長元坊の羽団扇で指し示された先を応毅が見ると、大胆不敵に笑った武蔵坊が金剛杖を頭上で回して黒衣の男へ振りおろす。
九郎が金剛杖で武蔵坊の攻撃をふせぎ、重くぶつかる杖の音は樹上まで聞こえる。立ちならぶ木々の間をすり抜けて、黒衣の男は武蔵坊と激しく交戦する。
「手がふるえてきた、これが天狗なのか」
息をのみ見守っていた少年は、武者震いを感じた様子だ。
「格闘ばかりではない、術や知識にも長けている。それが天狗だ」
向こうで天狗たちと格闘していたはずの月読が、太い枝へ乗って屈んでいる。長元坊の一声で天狗達は動きを止めて移動を開始する。武蔵坊と九郎も金剛杖を下ろした。
「応毅、ついて来い」
枝の上から降りた月読は、少年の走るペースで森を導く。腕を伸ばして応毅を岩の上に引き上げ、すべり落ちそうになると後ろから九郎が支える。頂へ着くころには、日の昇る直前の空は光の帯が浮かんでいた。
雲の層から顔をのぞかせた太陽は辺りを黄金色に染めて、影一色だった地上を色付かせる。立ちならんだ男達は地平線の彼方を見つめた。
「すっげぇな! 」
手を握りしめた応毅の目は、日をいっぱい吸収して輝く。
「ぬわっはっは! そうじゃ童、お天道様はすごかろう! 」
「童じゃねえ、俺は応毅だ! ……この前はありがとうな天狗」
「わっしは武蔵坊じゃ、ヌシも山で修行したいなら相手してやらぬでもないぞ」
仁王立ちの武蔵坊は、鼻を高々と天へ向けて豪快に笑った。
「ここへ来れるよう、まずは山駆けを覚えようか」
大岩からフラリと落ちたように見えた月読は、手足を使い巧妙な動きで岩場を跳ぶ。笑った顔の輪郭を日の光が照らして、麓へ誘うように下りていく。
「あいつの動きはトリッキー過ぎて参考にならん。俺がサポートする、後をついて来い」
後ろに立っていた九郎が、跳び乗りやすい岩を伝って下りていく。少年は続いて岩を踏み、待っている烏面の男のところへ着くとふたたび駆け下りる。応毅が大岩の頂上をふり返れば、武蔵坊が手を振っている。
「また来るが良い、わっぱ! 」
「童じゃねえ応毅だって!! 」
大きく叫んだ少年は岩場を下りていった。
「応毅! 」
待っていた法印と押井が走り寄る。無事に帰還したことを喜び、荒い呼吸を整える少年の髪をわしゃわしゃ撫でた。
「帰ったら朝茶でも飲むか九郎、次は烏のみんなも連れて行こう」
月読が隣の男を見たら、烏面を外した口元は笑っていた。
朝陽の木もれ日に照らされた石階段を踏み、背筋を伸ばして深呼吸をすれば清涼な空気で肺が満たされた。
月読たちが去った後、天狗達は棲み処へ帰る前に大岩の上で閑談に興じていた。
「くぅぅ~わっしもあの様な誘われ方をして、いっしょに山を駆け下りたいのじゃ! 」
月読の消えた岩場を見ていた武蔵坊は赤い面をぶるぶる震わせる。面のふるえを他の天狗達が目ざとく見つけて揶揄する。
「月読という者、武蔵坊のタイプというやつじゃな。ま、あれだけ美男じゃったら仕様がないかのう」
「昨日など打ち合いの最中に思いの丈を告白しながら突撃して、見事に往なされておったぞ。そのあと烏天狗に滅多打ちにされていたな」
「センスのない奴じゃ、恋が実る以前の問題じゃな! 」
成就しない武蔵坊の恋について天狗達は口々に喋っている。横で長元坊が額に手を当てて項垂れていた。
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