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第九章
大天狗
しおりを挟む山中を2人の男が音もなく駆けぬける。
時は深夜をまわり活動していた獣も棲みかへ帰る未明の夜闇、木の葉をゆらしたふたつの影は獣を跳びこえた。
黒い烏面の修験者の軌跡をたどり、白衣をまとった男が走る。沢を下りて暗い森を抜ければ、大岩の剥きだした崖へ着いた。満天の星空も静まり、西の月も姿を潜めようとしている。
空中からすぃっと現われた夜鷹が目の前へ降りた。
「月読様で御座いましょうか、お迎えにあがりました」
大きなくちばしを開けて話す夜鷹は、黒々とした目をこちらへ向ける。目を凝らせば羽根と同じ色の鈴懸をまとい、頭襟をつけた木の葉天狗だ。
うなずいた月読は、木の葉天狗に導かれて黒い森を駆ける。天狗の結界が張り巡らされた森は、人を迷わせ天狗達のいる堂を隠秘する。
森の中に不自然なほど大きな伽藍堂が出現して、だいだらぼっちが入れそうなくらい巨大な扉がそびえている。周りはパズルのごとく小さな堂が積み重なってまるで要塞に見えた。
「こちらです」
1階からは入らず、ちいさな堂の屋根へ上がるよう指示される。
ひらりと舞う木の葉天狗に案内され、積み上げられた屋根を登ったら木廊のつづく場所へたどり着いた。
「長元坊様」
「うむ御苦労、月読待っていたぞ」
木彫り面で背の高い天狗が待っていた。案内を終えた夜鷹の天狗は、未明の暗闇へ音もなく飛び去った。
長元坊に案内されて廊下を進み、天狗達の出入りする木枠の扉をくぐる。
お堂の中も木の回廊と階段が多い、鬼火の提灯が漂い月読のまわりを照らす。欄干の外側は、上から下まで無限の暗闇が広がっている。
上階の板間へ着くと、畏怖で毛羽立つ気配がした。
暗さに目が慣れてきて、大きな天狗の存在を認識する。大仏を思わせるほど巨大な顔から長い髭が白滝のように垂れている。伽藍を登ってきたはずなのに、顔を見るためには更に見上げる必要があった。
「金光坊様、御初にお目にかかります」
月読は頭を下げて挨拶をする。初見だが羽州の大天狗だと瞬時に理解した。大天狗のことは聞きおよんでいたけれど、実際目にすると畏怖と安心の入り混じったような得も言われぬ感覚におそわれる。
「そうか、ヌシが今代か」
大天狗はつぶやくように話すものの、空気がふるえ伽藍全体に響きわたる。
「金光坊様」
「うむ、そうだな」
長元坊の声に金光坊はうなずく。付いて来ようとする九郎を止め、月読は真正面の板間へ上がった。大天狗が動いて風が起こり、大きな手のひらが月読へ翳される。
背中から引き抜かれる感覚を伴い意識を失った。
ハッと気がついた月読は、目だけで周囲を見回す。立ったまましばし気を失っていたらしい、先程と変わらない光景があった。
「ふぅむ」
金光坊は白滝のような髭に手を当てて、うなった声でお堂の空気が震動する。
内在する散らばった器の欠片を集めれば、ある程度の復元は可能だった。しかし月読の内を見ている時に、煌めく器の下から白い龍がにゅっと出てきて大天狗へ告げたという。
「絶え間なき流れがあるかぎり新しき器は時と共に形成される、いま修復は必要ない。それから帰った時にヌシへ伝える事があるそうだ……白霧の龍神にそう言われては、儂が出来るのはここまでだ」
風のうねりのような声が轟く。大天狗の言葉に気落ちして肩を落とした月読だが、何処か安心した表情をのぞかせる。
その様子を見ていた大天狗は、ふたたび髭をなで下ろす。
「のう月読よ、せっかく来たのだから其処な烏を伴って、我らの仲間と修行していくがよい」
ひと言ひと言が波紋のごとく広がり空気をふるわせ、身体の内側にまで静かに伝わった。
地平線はかすかな光を帯びて、蒼く映る森を全速力で駆ける。長い金剛杖を持った天狗達に囲まれて、九郎と月読は背中合わせに構えた。
「いざ参る」
振り下ろされた金剛杖を受け止め、かたい杖同士の衝突音がひびく。横から他の天狗が杖先で突いてきたので、足で攻撃をはじき地面へ押さえつけた。
後方で振り下ろされた複数の金剛杖を九郎が防ぎ、月読は下から攻撃してきた天狗達の足を払う。しかし、すぐさま体勢を立て直した天狗達は波状攻撃を仕掛ける。
「――――っ」
九郎の背中にぶつかって支えられる。月読は手数の多い攻撃を払うので精一杯だった。
不意に脇腹をかすめた天狗の杖を蹴って、身体を回転させながら着地する。九郎から離れてしまい1人になった月読を天狗達が取りかこむ。
「わーはっはっ! わっしも混ぜろ!! 」
野太い声が割りこみ、武蔵坊が月読と九郎の間へ立った。引き離された2人はそれぞれ天狗たちと対峙する。
九郎が先に動き、武蔵坊へ向かって金剛杖を突いた。月読は天狗達の繰りだす攻撃を避け、走って間合いをとった。互いに姿が見えなくなり、金剛杖の激しくぶつかる音だけが聞こえる。
「月読殿、油断召されるなっ」
九郎のいた方角へ注意を向けていれば、杖の攻撃が頬をかすめた。同時に繰り出される天狗達の連携攻撃は強力で、一線から退いていた月読はあっという間に手練れの天狗に追いつめられる。
背中へ木の幹が当たり、根に引っ掛かってバランスを崩した。天狗の金剛杖が月読の頭上へ振り下ろされる。
「そこまでっ」
厳めしい声がして、上からバサバサと長元坊が降りてきた。
「油断したな、だが良き戦いだった」
根元へ倒れた月読が上がった息を調えていると、手をつかまれ引き起こされる。
長元坊に促がされ、戦っていた天狗達といっしょに移動して太い枝の上へ立つ。視線の先で九郎と武蔵坊の戦いは続いていた。
「わはははっ、なかなかやるのう! 然ぁしまだまだ! そう言えばヌシの番は、今ごろ天狗達にどんな目に遭わされておるのやら。ぐふふ早うワシを倒さないとなぁ!! 」
武蔵坊に煽られた九郎が殺気立ち、攻防が激しくなる。他の天狗の入る余地が無くなり一騎打ちを見守った。
「なんとも趣味のわるい煽りじゃ」
「見ろ、武蔵坊の面がふるえておるぞ。あれは本気の言葉じゃ! 」
打ち合いのさなか、武蔵坊の声を聞いた天狗達が木の上から口々に嘆く。
「すまぬ月読……あれでも武勇には優れている良き者。だが如何せん、あやつは煩悩に縛られて少々行きすぎた物言いをするのだ……」
長元坊が目頭を押さえてうなだれた。
残像が見えるほど猛然たる金剛杖の打ち合いは、森中に荒々しい音を響かせた。決着はつかず、九郎と武蔵坊は杖を構えたまま睨みあって対峙する。
「今日はそこまで! 皆の者ついて来い」
羽団扇をかかげて2人の戦いを止めた長元坊は、天狗たちを率いて森を駆ける。月読が続き、杖を下ろした九郎と武蔵坊も追いかけた。
天狗のスピードに辛うじて追いつき、後ろを振り返ったら九郎も息を切らして付いて来る。森を風のように走り、大岩を跳び上がって崖を登ると山々を見渡せる高所へ着いた。
地平線は黄金色に輝き、太陽がのぼる。夜明けの強烈な輝きは光の衝撃となって地表を駆けぬける。太陽が昇りきるまで、天狗たちはその光景を見ていた。
月読と九郎も崖の頂から同じ方向を見つめていた。
「良い日の出じゃ! 月読よヌシの烏は強いのう。明日も共に修行をつけようぞ!! 」
豪快に笑いながら、武蔵坊は崖を飛び降り姿を消した。天狗達も次々に山へと帰ってゆく。
「滞在している間は、我らのところへ自由に行き来するとよい。金光坊様のお言葉だ」
大きな翼を広げた長元坊も森へ飛び去った。
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