104 / 141
第九章
束縛と自由
しおりを挟む一夜明けて奥ノ坊の様子も落ちつき、昨晩中断されていた修行の続きが行われた。
「いやだ、私は参加しないぞ! 唐辛子部屋だけは絶対にいやだぁっ」
叫びも空しく九郎に引きずられていった。十数分後、煙にいぶされ目と鼻から液体を流した月読が出てきた。
「火渡りなんかしないぞっ、人間の体は燃えるんだ#$%&っ! 」
九郎にじりじりと追い立てられて、赤い火の残る炭の上を歩く。
「…………ちょっと熱かったです……」
萎びた顔の月読は、虚脱した足取りで修験者の波に浚われた。読経が終わり法螺貝が吹き鳴らされ、山の頂上で修行終了の奏上が述べられる。
解散後、しぼんだ月読は近くの祠の横へぼんやり座っていた。白装束だったので坐禅瞑想だと思われたのか、観光客が集まってきてお供え物を置いていった。
月読はお供えを持って立ち上がり、石の長い階段を下りて奥ノ坊へ向かう。
「あんた、こんなトコ歩いてたのか! 」
石段を駆けのぼった赤髪の少年が溌剌と話しかけてくる。下りてくる山伏の集団に月読がいないので探しに来たらしい。
見ていた天狗が無害だと分かって、応毅は山への立ち入りを許可された。昨日とは打って変わって、憑き物が完全に落ちたようだ。足を捻挫も、法印に塗ってもらった薬で痛くないと少年は屈託なく笑う。
「一時的に治まっているだけだろ? 無茶したら、また痛めるぞ」
「大丈夫だって! それより何持ってるの? 」
応毅が不思議そうにこちらを眺める。月読はさっき観光客に渡された菓子などの供え物を両手に抱えていた。
「座ってるだけでお供えなんて、さすが天狗の仲間だな! 」
応毅から放たれた言葉に、月読の頭の中はハテナマークが飛び交う。改めて少年へ尋ねたら天狗の仲間だと勘違いされている様子だ。
「様付けで呼ばれてるし、爺さんも敬語だからおかしいと思ったんだよな……昨日あんた以外は天狗しかいなかっただろ? 崖を跳んで登るなんて、爺さんにも出来ねぇよ」
周囲を見まわした応毅の声が小さくなり、コソコソ耳打ちして話す。
あの場には九郎も居たが烏面をかぶっていた為、烏天狗だと勘違いしている。あわてて月読が否定すると、いまいち納得しない少年は懐疑的な眼差しを向ける。
ひととおり説明をおえた月読は、眉頭をあげて深くため息をついた。
「それから私の名は『あんた』じゃない。明だ、宜しくな」
「明? 爺さんに月読って呼ばれてなかったっけ? 」
「それは名跡だよ」
名跡は代々受け継いでいる名だ。応毅は首を傾げながら聞いていたけれど、その内に理解出来る日が来るだろう。
「あきら……明さんか、その……昨日は、ありがとう……ございます」
赤髪の少年は照れたように俯き石段を見ている。
「別に呼び捨てでもかまわない、育ちざかりはこれでも食べてろ」
月読は手に持っていた胡桃ゆべしを渡す。もっちりして胡桃の沢山入ったゆべしは甘じょっぱくて山の携帯食にもちょうど良い、受け取ってはにかんだ少年と会話しながら緩やかな石段を下りる。
麓と山を隔てる赤い山門で、九郎がじっと腕を組んで待っていた。
山駈けの修行が終了すれば、ゆったりとした時間が流れる。朝の御勤めはあるけれど、ひとときの静養も旅の計画に含まれていた。
月読は唐辛子と炭で燻された身体を洗い流し、宿舎の縁側にぼんやり座る。九郎は予定通り、この地域での依頼へ赴いた。
「やあ月読殿、涼んでいるのかい? 」
廊下を歩いていた西之本が縁側へ腰を下ろした。西之本は雄々しい風体だが、都の父として月読家へ頻繁に出入りしているため優雅に振舞う。
月読が天狗隠しにあった際、一進への報告が大変だったと西之本は溜息を吐く。
「ひょっとして、昔も何かあったのかね? 」
「あー……はは、山道を逸れてしまった事がありまして」
むかし黒い山で迷子になり天狗に送られて頂上付近を歩いていたら、血相を変えた一進が走って来たのを憶えている。あとで心配しているであろう一進へメールを送ろうと月読は思った。
月読家の内情に詳しい西之本と御山の祭祀などについて意見を交わす。
【月読】の当主は潜在的な力が強く、龍姫と親和性の高い者が選ばれる。そうして代々龍姫の力を借りながら御山の結界を維持してきた。
月読が弱体化している現在、奈落の結界を維持できるのは前当主と都だけだ。力だけのピークで言えば都は1番強いが、来年卒業してやっと高校生になる。彼女はまだ若く自由にふるまいたい年頃だろう。
「都の力は幼い頃からあらわれていた。次代の月読に選ばれる事は覚悟していました」
本来は前当主の葵から都へ継がれる【月読】、しかし白の存在により異例の代がわりが起こっている。力の保持者が複数いることにより、負担は大きく減っていると西之本は言う。
葵の妹である結衣は結界術には長けていない。若い頃に先々代の月読が逝去し、1人で苦労してきた姉の姿を妹は知っていて夫の西之本にも伝わっている。
「君が月読であるうちは、都は身を犠牲にしたり矢面に立つこともない。そう思うのは打算的だが、父親の本音でもありますよ」
今のところ都は不自由ない生活を送っていると、西之本は素直に喜びを述べる。少し安心した月読は瞼をふせて微笑んだ。
「こうして見ていると、君も良く似ていますね」
月読の横顔を眺めていた西之本はフゥとため息を吐く。
家族で過ごす時間を奪ってしまったのではないかと、心配したけれど彼の反応は少々違った。
再びふぅと溜息の音が聞こえる。
「都は麓の海へ泊まりで遊びに行っているよ……この間なんて頬っぺたスリスリしようとしたら、面と向かって断られてしまったんだ……あんなに小さくて可愛かったのに……うううぅ」
さめざめと嘆いた西之本は、年頃の娘を持つ父親の悲しみを伝える。妻の結衣はどうしているのか尋ねたら、最近は姉にベッタリで一緒にヨガ教室へ通っているらしい。
月読が眉頭を上げて苦笑していたら、大伴が廊下の向こうから歩いてきた。
「月読様、西之本さん! 見て下さいよ~、うちの娘がこれ作ったのですよ! 」
暢気な大伴がデレデレ顔で小さな娘の動画を見せるものだから、西之本は小刻みに震えている。
「君も旅を終えて帰ったら、愛娘に『おじさん誰? 』って聞かれるのだよ。ククク、きっとな……」
「えっ!? うちの娘はそんなことっ、ごっ御冗談は止めて下さい」
西之本が予言めいた呪詛を吐いて、大伴は本気で慌てていた。
親バカたちの攻防を眺めていると、小さく月読を呼ぶ声がしたので辺りを見まわした。木陰から山伏姿の雀が飛びだし、短い手足をバタバタさせて頭上を旋回する。
「つくよみ様、つくよみ様」
武蔵坊が連れていた木の葉天狗とは違うタイプの可愛らしい天狗がチュンチュンと声音高く喋っている。月読が手を伸ばせば、手の平へ降りてずんぐりした丸い体をふくらませている。
雀の天狗は長元坊からの言伝をつたえ、ヒラヒラと飛び去った。
「……月読様、いつから天狗まで使役する様になられたのですか? 」
傍から様子をうかがっていた西之本が訝しんでいる。天狗隠しの詳細は話していないので、天狗に知り合いがいるとは思ってもなかったのだろう。唐突なやりとりを目撃されて月読は気を揉む。
「使役してるわけじゃあなくて、え~と……なんだ」
「大天狗がどうのと、言ってませんでしたか? 」
しどろもどろに発言したら西之本に詰め寄られる。月読は数分を置かず、洗いざらい天狗との出来事を話す羽目になった。
大天狗ともなれば山の主で信仰の対象でもある。月読は妖だけでなく神霊のたぐいにも好まれやすい性質のため、御山以外で出会う神やヌシには気を付けるように言われてきた。祭司や嫁、または月読自身が社として所望されることもあり得る。
「貴方はご自身の価値をもう少し自覚すべきです」
「心得ています。そのくらいの分別はある」
先程まで柔らかかった西之本の口調が冷徹になり、表情が硬くなった月読は抑揚なく言葉を返す。
自覚なく月読が御山の外を歩き回るのはリスクの高い行為だ。他の神に取り込まれ御山の神以外との契約、神の鞍替えは白という存在であっても不可能ではない。
それに於ける損失については、繰りかえし長老会より聞かされてきた。
浅はかな考えは無いけれど、月読という名の玉を奪われた御山の龍神の反応は未知で、殊更注意しなくてはならない立場。西之本が厳しい口調になるのも必然だった。
「羽州の大天狗なら問題ない」
居心地の悪くなった縁側で月読がうつむくと、仕事から戻った九郎の鋭い声が響いた。
「九郎殿……! 」
九郎の早い帰還に西之本は驚く、黒い双眸が一瞬こちらを見てから大天狗について語った。羽州はかつて東北山中に奈落の大穴が開いた時、古の月読が駐留した土地でもある。
「この山に棲む大天狗は、我々よりも月読の事を知っている。俺の言質に信用が無いなら、御当主へ確認して下さい」
鷹のように切れ上がった双眸が西之本を見据えた。【猿】の山神しかり長く存在するもの達は、人の身では到底見れない出来事と世界を知っている。
「大天狗のところへは俺が一緒に出向きます。大天狗は心の奥底まで読む、猜疑心を持っていては失礼にあたるゆえ」
毅然と放たれた言葉に、ぐぅと唸った西之本は了承した。
「九郎……いや何でもない」
先刻の九郎は怒っていた気がして月読は黙りこむ。
2人きりの部屋で月読が湯呑みの中身を眺めていると、木の葉天狗から聞いた言伝の内容を尋ねられた。
「ああ……大天狗が堂へ戻ったから、明日にでも訪ねれば良いそうだ」
ふたたび沈黙がただよい、気まずくなって手元の湯呑みへ視線を落とす。スッと伸びた九郎の指が真綿色の前髪を梳いて月読を引き寄せた。
「どこまでも追いかけて、俺が命を懸け守る。だから明は自由にしていればいい」
「お前に命を賭されると、私が困るのだけどなぁ……まったく」
「……善処しよう」
眉頭を上げておだやかに笑った月読が頭の重みを預けると、間を置いて九郎が返事をする。
「応毅には、明と名乗ったのか? 」
今朝の石段での会話が耳に入ったのか、九郎が訊く。
御山の者でもない少年に月読と名乗るのは気が引けた。彼方がただの応毅なら此方もただの明、それだけの理由だった。明という存在を頑なに否定していた頃と比べて変化したのかもしれない。
「特に理由は無いな……嫌か? 」
「聞いてみただけだ」
もたれていた頭を持ち上げて、九郎の横顔を見つめるがいつも通りの無表情。表情ひとつ変えない男を見ていたら、小憎らしくなり酒をあおりたくなった。
「どうした? 」
「……土産にどんな酒を買おうか悩んでいるだけだよ」
月読はふくれっ面を九郎の肩先へ押しつける。
網戸から涼しい風が流れこみ、もの静かな山に虫の音が響いていた。
―――――――――――――――
※胡桃ゆべし…もち粉や米粉へ黒砂糖や醤油、胡桃を混ぜて作ったものでもちもちしている。名前の由来は柚餅子で、柚子の中に味噌や木の実を詰め蒸して乾燥させた携帯保存食。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
55
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる