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第九章
軌跡
しおりを挟む月読は建物の裏から天狗達が飛び去った方向を眺めた。雲が空をおおって、見わたすかぎり真っ暗な闇だ。
「明、こっちだ」
暗視のついた烏面を装着した九郎が導く、目視でも追えるように背中へライトを点けている。光の動きを寸分たがわず追って暗い山道を走り、崖を下りて森林の奥へ入る。
森を駆け、見晴らしの良い場所へ出た。九郎の指差す先に飛翔している影が2つ見えて、月読は大声を張りあげ天狗を呼んだ。
「天狗殿!! 聞きたき事あり候ふ! 」
こっちへ飛んで来た天狗は、頭上を旋回して地面へ降りた。
「今しがた送りとどけた者達か、忘れ物か? 」
「な――んじゃあっ! わっしを呼んだか!! 」
「ひいっ」
何所からともなくでかい天狗がドッスンと着地して、地上に降りていた天狗は情けない声を出した。
「む、武蔵坊殿ではありませぬか。長元坊様に叱られて懲りてないのですか! 」
「反省しておる! 然ぁし、天狗と呼ばれて出て行かぬ訳にも行くまい!! 」
武蔵坊は月読の前にいた天狗の鼻を掴んで押しのける。天狗同士の争いに溜息を吐いた月読は、行方不明になっている少年について聞いた。
「天狗隠しではない……? 武蔵坊殿の仕業では無いのだな? 」
「わっしはそんな事はせぬ!! 」
月読を攫った前歴のある天狗は、腕を組んで自信ありげに鼻を天へ向ける。
「まあ、童が迷いそうな所など大体察しは付いておる。わしの神通力でなんとかしてみせようぞ! 」
武蔵坊は木の葉天狗を呼び寄せる。集まった木の葉天狗たちは、命を受けて森の奥へ分散した。
「神通力じゃないのか……」
「今からじゃ、今から見せるぞ! そこで見ておるがいい!! 」
小さな嘆きを耳聡く捕らえ、ぶるぶる震えた面が近づいて月読の頬へ振動が伝わる。月読に近づきすぎた天狗は、後ろから伸びた九郎の手にむんずと掴まれ押し返されている。
咳ばらいをした武蔵坊は団扇を取り出した。ふんふんと鼻息荒く、空を団扇で仰いでいたら雲は散らばり月が一帯を照らす。暗かった山は月光に照らされて、うっすら見えるようになった。
月読が感嘆の声を上げると、武蔵坊は腕を組んで鼻を高々と天へ向けた。そうしている内に木の葉天狗も戻ってきて、天狗の森とは反対の南側に子供がいると告げる。
地面がよく見えて走りやすい、木の葉天狗に案内され子供のいる所まで駆ける。南の崖の麓に応毅がうずくまっていた。
「応毅! 」
「あんたは……? それに天狗!? 」
あちこち擦り傷だらけの応毅が驚いている。月読が他に怪我はないか確かめると、足を捻挫している。
「怪我しているな、崖から落ちたのか」
「…………」
「痛むか? どうしてこんな無茶したんだ? 」
「……うるさいっ! 放って置いてくれよっ! 」
足首へ触れようとしたら応毅がふり払う。九郎が反応したが、先に武蔵坊がズイッと前へでる。
「かぁーっ黙って見ておればウジウジ、ウジウジと陰気な奴じゃのうっ!! まるで雨が降った後の歩きにくい泥んこのようじゃ! 」
突然しゃしゃり出てきた赤ら顔に驚いて言葉を失くした応毅だったが、天狗をまじまじと見て叫ぶ。
「あーっ! いつも見てた天狗だな、何で付きまとうんだよっ!! おまえのせいで俺はっ」
怒りを露わにする少年に、武蔵坊は付きまとっていた理由を話す。
応毅はいつも寂しい場所で独り物思いにふけっていた。奥ノ坊の宿舎を抜け出しては、誰にも見つからない様に人けのない建物の隅や杉の根元へうずくまっていた。
「飢饉で口減らしが多かった頃があってな、ヌシのような奴は昔から知っておる。わしは童が無茶なことをしないか、見守っておっただけじゃ」
武蔵坊の答えに応毅は力が抜けたように下を向いた。
「じゃあ、どうして逃げるんだよ」
「わしが話しかけると童は怖がって泣くからのう。それにわしと話しておったら、見えぬ者から変な奴じゃと思われる。人は人と話すのが一番じゃ」
「……話す友達なんていない、誰も見えるやつなんかいねぇよ」
膝を抱えた応毅は顔を埋めた。
ハッキリ見境なく見えてしまう事で悲劇は起こった。応毅にとって日常的に見えるもの、何気なく言葉に出したら家へ潜む影に母は怯えてノイローゼになった。
悪い事は重なる。妖に飛び掛かられた友人を助けるため手で突き放したら、コンクリートの壁で頭と腕を怪我してしまった。応毅が友人を故意に怪我させたと問題になり、母親の事もあって親元を離され祖父の地元へ来た。
「……知ってるんだ。本当は爺さんとは血も繋がってねえ……俺……俺は」
法印は応毅の祖父の従兄だと、倉庫に置かれていた書物で偶然知った。血も繋がっていないのに引き取ってくれた法印の期待には応えたかった。なのに天狗が現れるようになって修行も出来なくなった。親に捨てられ期待にも応えられなくて、価値も必要も無くなったのだと応毅は呟く。
ボロボロと膝の間から涙がこぼれ落ち、少年は泣いていた。
困った顔の天狗は、大きな掌で赤茶色の髪をグシャグシャと撫でる。
「わしは何百年も人を見ておるが、繋がりと言うのは血だけでは無いのじゃ」
突然つながることもあるけれど、何年も何十年もかかって紡いでいくもの。繋がらなかったり糸が切れてしまう者もいて、そんな時は糸を紡ぎ直せばいい。それをするのは他人では無く、自分自身なのだと武蔵坊は説く。
「繋げられないかもしれないじゃないか……」
「最初から諦めておっても、望むものは手に入らぬぞ。おヌシは見えぬものばかりを見ようとしている。少し肩の力を抜いて、周りや足元を見まわしてみるのも良いかもしれぬのじゃ」
何もない空中へ糸を放ってもどこにもくっ付かない、糸を放つ方向をまずは探すのが先なのだろう。応毅は泣き止んでいた。長い道のりだが、彼の道は他の誰でもない彼自身が作るのだ。
「帰ろうか? 」
眉頭を上げた月読が言うと、応毅は目をこすってから頷いた。
九郎が応毅を背負い、岩を跳んで崖を登った。舗装された道路へ出てから天狗達と別れる。武蔵坊は別れ際にふところから小さな壺を取り出して月読へ渡した。
「わっぱの挫いた足に塗るとよかろう」
「武蔵坊は良い天狗なんだな」
天狗が足を挫くことは無い、武蔵坊は足を挫く誰かのために薬を持ち歩いている。応毅の居場所がすぐ見つかったのも、日頃から子供が迷い込まないか見回っているのだろうと感心する。
「あったりまえじゃ! そこな飛べぬ烏天狗と違うて空も飛べるのじゃ! わしを敬う酒なら、いつでも奉じるがよいっ」
武蔵坊は木の葉天狗を引き連れて、高らかな笑い声と共に飛び去った。
舗装された道を歩き、ほどなく集落に着いた。晴れていた夜空はふたたび曇り、ポツポツと雨が降る。道の向こうから懐中電灯の群れが近づいて来た。
「応毅っ!! 」
既に連絡を受けていた法印が、血相を変えて走ってきた。
「この大馬鹿者っ! 」
「……ごめん、ごめんなさい」
見たこともない法印の剣幕に応毅が謝る。法印が赤茶色の頭を抱きしめて、少年はまたボロボロと涙を流す。無数の提灯と懐中電灯の明かりが周りを取り囲み、皆口々に見つかった事を喜んでいた。
「見つけて下さって、ありがとうございます! 本降りになる前に帰りましょう。ここからは私が背負います」
押井が応毅をおぶって宿舎へと帰る。
奥ノ坊へ着く頃には深夜を回った。雨でびしょ濡れだが皆の声は弾んでいる。
月読は武蔵坊から預かった塗り薬を渡す。法印が改めて礼を述べ、押井は応毅を休ませるため早々に奥の部屋へ向かう。解散して各自部屋へ戻った。
風呂から上がった月読は、布団へ寝ころんで身体を伸ばす。
「色々あって、疲れたなぁ」
布団へ顔をくっ付けてウトウトしていると、隣へ座った九郎がタオルで髪を拭いている。
「九郎はどうして天狗の棲み処が分かったんだ? 」
月読が列から消えた後、薄ぼんやりした光が見えて匂いがしたので追ったという。移動の速い提灯の光を追っていたら、小さな木っ端天狗に姿を変えて逃げた。追跡している内に月読のいるお堂へ辿りついたらしい。
「匂い? 離れているのに? 」
「おぼえている感覚のようなものだ」
姿は見えなくても軌跡がわかる。
その様な特殊能力が何時からあるのか尋ねれば、オオマガツヒの欠片を封じる結界を九郎の内へ作った頃から繋がっている感覚があるという。今ならGPSなど無くても月読を見つけられると宣う。
九郎の腕が伸びて、ぎゅうと抱きしめられる。
「この匂いだ」
「何だよ、その変態的な能力。もう1回霊山の護摩行で煩悩燃やしてこいよ」
何か言いたげな目付きの烏を見ているうち、ほどよい疲れと眠気がやってきて月読は目を閉じた。
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