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第八章

花と匂いと1

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 客間の縁側えんがわに座っていると、暖かい風が真綿色まわたいろの毛束をいてゆらす。

花鋏はなばさみがパチンと音を立てて、切られた花軸かじくが包装紙へ落ちた。白い芍薬しゃくやく花留はなどめにさし華やかな生け花ができあがり、瑞々みずみずしい葉と大輪たいりんの花冠が目を引く。

月読は芍薬をもう一輪いちりん手に取り、花器を眺めながら思案する。



 いつの間にか周囲の音は消えて、鳥の声もんでいた。

 ふと気配がしたので動きを止めると、人の立つ姿が視界に入る。

月読はゆっくり顔を上げて立っている者を見た。見覚えのある赤毛あかげの男は随分ずいぶんと若くハタチを越えたばかりであろうか、薄茶色の瞳と目が合って月読はやわらかく微笑んだ。

「――――隼英はやひで

 どこかで見た事のある光景だった。隼英のもつ未来視と月読のもつ過去視がもつれあい、出会うはずのない所で出会ってしまった。

警戒して動かない赤毛の男と視線が交差こうさする。

「月読様っ、どうされました~? 」
 遠くから陽太ようたの声がして、こちらへ走ってくる足音がした。白昼夢はくちゅうむのように止まっていた時間は進みはじめて、庭に立っている男の姿はかすんだ。

「お前に会えて私は幸せだった」

 言いたいことは多々あったが、言い終わるまえに隼英の姿は消えていた。庭の片隅でライラックのつぼみが風にれる。名残惜なごりおしむ視線を向けたまま、月読は縁側へ差すまぶしい光りに目をほそめた。

「月読様? お花、出来上がったのですか? 」
 おぼんを持った陽太が不思議そうな顔で声をかける。

「いや……ああ、これで出来上がりだ。丁度ちょうどお茶も来たから休憩にしようか」

 手に持っていた白い芍薬を花留めに挿して、月読は笑った。



 休憩後、陽太の結界術けっかいじゅつの練習に付きあう。

月読の力は依然いぜんとして弱いので、もしもの時にそなえて練習するのに越したことはない。陽太も意欲的いよくてきに結界術を使いこなそうとこころみるものの、複雑な構造だとくずれて維持できなくなる。

 月読は小さな丸い結界を見本で3つ作って並べた。陽太も真似して結界を作って目の前へ浮かべる。見た目がカクカクとしている。

「僕はこれが限界です~」

 支えていた腕がふるえて、12面体のサイコロのような結界が地面へ転がった。

「私の弱い結界に比べれば、陽太の方があつみと強度はあるぞ」

 【月読】の使う白色結界はくしょくけっかいは、面を細かくつなげて配置することで円形に近づける。丸くなるほど崩れにくく強度も上がり複雑な構造になる。
母のあおいみやこなら真円しんえんの形成はお手の物なのだが、月読家の他の者が同じ事をしようと思ってもそうそう簡単には出来ない。

陽太の結界は強度はあるのに、目があらく衝撃に弱い。



「ちいさな6角形の結界を並べて……ほらハチの巣みたいにな。この部分は5角形にして、ここと繋げて丸くしていくんだ」

「あうう、5角形が出来ました~」

 月読が作りながら解説すると、またもや大ぶりな5角形の12面体を作り出す。重い結界を支えていた陽太の細い腕は、ぷるぷると痙攣けいれんしてから落ちる。サイコロ結界はゆるやかな坂をゴロゴロ転がっていった。

「……まずはサッカーボールの形を作れるようにしようか、うすく張る練習も必要だな」

 厚みがあるのは悪いことではない。面が少ない結界は構成時間も早く、とっさに防いだりつぶすのに適している。

サッカーボール型結界の作り方を説明すれば、陽太は悪戦苦闘あくせんくとうしながら練習する。

「月読様っ! で、できました! 」
「偉いぞ、なかなか良いな! さあ、そこからさらに薄くしようか」

 月読がにっこり笑うと、陽太はふええと声を上げる。



 くたびれた布のようになった青年は、月読にかつがれ北のはなれへ運びこまれた。キッチンからイチゴ大福と白桃のゼリーを持ってきたら、陽太が飛びついた。

「結界疲れには、糖分がちょうど良いだろ? 」

 月読も使える力のストック少なくなっていて、日に何度も結界を作るとたくわえていた力を使い切ってすぐガス欠になってしまう。イチゴ大福を口にふくめば、甘さが舌へ吸いこまれて倦怠感けんたいかんがやわらぐ。

陽太も夢中でイチゴ大福とゼリーをたいらげ、満足そうにお腹をさすった。


「あんな丸いの簡単に作るなんて、やっぱりスゴイなぁ~。月読様が15才の時には、すでに塵旋風じんせんぷうを使えたのですよね」

 空間をへだてることや守りがおもな結界術のなかで、攻撃型に改良された塵旋風じんせんぷうは月読が初めて前線でマガツヒをめっした術だ。

塵旋風はちりのような3角形の面を何十層にも積み上げる。外はすきまなく螺旋状らせんじょうに構成して、内側は鋭利えいりな結界で削りとる。見た目は竜巻みたいで派手はでだが、小さな3角形の面を素早く羅列られつしていくだけなのでそこまで難易度は高くない。

術の説明をしている内に、陽太は眉と目がハの字になってしなびている。

「そんなの無理ですよう。内側と外側で動かす速度も変化させるのですよね? 」

「ははは、今はあの規模きぼの物は出来ないよ。陽太も挑戦してみるかい? 」

「ふええ」
 陽太は小鹿こじかのようにプルプル震えていた。

 彼に結界術を教えていたら、力が弱くなり然程さほど役に立たないと思っていた月読自身の価値観も変わり、まだまだする事は数多あまたにあるのだと気づかされる。



 練習を終えた後、月読はひと息ついてカフェオレを口へ運ぶ。

 ガラガラと戸の開く音がして九郎が帰宅した。普段なら居間へ直行するのに、屋敷内を歩き回ってから来た。

「屋敷の力場りきばが乱れている」

「陽太の練習にとことん付き合ったからなぁ、たぶんそれじゃあないか? 」

 群れからはぐれたからすは『月読の烏』として飛び回り、月読の元へ帰ってくる。

月読は温かいコーヒーを持ってきてテーブルへ置き、九郎がおもむいていた仕事の話を聞く。退魔師たいましとしてのかんを取り戻し、他の烏達とも上手くやっている様子だ。



「今日はやけに機嫌が良いな」
 他愛もない会話をしていたら九郎がかすかに笑う、いつもと変わらない態度なのに違うらしい。真顔になった月読は1日を振り返った。

「そうだな……、きっと良い日だったんだよ」

 なつかしそうに目を伏せた月読は微笑み、視線の向こうには花々が静かにゆれていた。
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