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第八章
猿の里にて1
しおりを挟む打合せで西会館へ訪れると建築士と加茂が話していた。資金の目途がつき、入浴施設の外側へ岩の露天風呂を作る計画が進んでいる。
加茂は多量の温泉資料を嬉しそうに抱える。
「源泉は決まったのですか? 」
山脈西側の奥には源泉がいくつか湧いていて、天然の露天温泉も存在する。
月読が尋ねると、炭酸水素塩泉を引くと言う。ピリッとした酸性泉も捨てがたいが、皮膚への刺激が強すぎるので弱酸性の湯にするようだ。
「炭酸水素塩泉は美肌の湯と言われていて、肌がつるつるになりますよ! 」
湯の質について調べつくしたモモリンが眼鏡をクイッと上げた。入浴後は肌が乾燥するので加茂印の保湿剤や商品も販売するらしく、商売の事までしっかり考えている。
ゆくゆくは温泉施設として西会館を開放して、他の地域や街から訪れる人が御山の神秘を体験できるようにしたいと叔父は語る。
西会館を出ると、九郎が迎えに来ていた。
「順調に進んでいるようだな」
「完成は先だけど、楽しみだよ」
2人並んで歩きながら話す。集落の大門に停車した車の近くで、金村や大伴らが待っていた。
「来た来た! おおーい!! 」
三宅もブンブン手を振っている。丙の家での酒宴だが予想よりも参加者が多く、2台のワゴン車が停まっていた。月読の杞憂を読み取って、参加人数は伝えていると九郎が告げる。
私服で分かりにくいけれど、あきらかに烏ではないメガネの青年がフードを深くかぶって紛れている。月読が近づけば亜麻色髪の青年はススッと白猪の後ろへ隠れた。
「千隼……」
月読のつぶやきに、千隼はわざとらしく唇を伸ばして口笛を吹いている。
「今日は俺の友として行くから大丈夫だぜ! 」
いつの間にか友になった三宅が、親指を立てて自信ありげにサムズアップする。丙も了承していて問題はないそうだ。
相容れない猿と鬼、隼英の時代には無かった出来事で人懐っこい千隼ならではなのだろう。新しい一陣の風は、亜麻色の髪をなびかせて笑った。
「ようこそ、いらっしゃいませ~」
猿の里へ着いたら朗らかな声がして、妻のカトレアが出迎えた。普段は洋服姿が多いけれど、今日のレトロな海老色の着物は赤みがかった髪と雰囲気によく似合っている。久しぶりに会ったカトレアは、挨拶で合わせた月読の頬へちゅっとキスをしてきた。
猿の男達は体が大きい為、木造で趣のある家は全体的に天井が高く余裕を持たせている。初めて訪れた者達が玄関を見まわすなか、さっそく千隼は靴を脱いでもの珍しそうに廊下を歩いて行った。
ぞろぞろ歩く一行は、宿泊できる部屋と大広間へ案内される。
「妖退治の時にも来ましたけど、やっぱり広いですねぇ」
家を見回した大伴が感嘆の息を吐く。
廊下をダダダッと駆ける音がして、桃花が現れた。
「月読さまぁっ!! 」
久しぶりの再会だった。子猿のような素早い動きで、桃花は月読へ抱き付いた。フワフワしたピンクベージュの髪がくすぐったい、相も変わらず甘くいい匂いをふわり漂わせている。
桃花のしなやかな腰に手をまわして挨拶を交わしていると、背後から背筋も凍る視線が浴びせられる。ハッとして振り向けば、後ろに立つ九郎から黒いオーラが滲み出て月読の顔は引き攣った。
「月読さま、どうしたの? 」
無邪気な桃花は九郎の顔をまじまじ見つめ、プルンとした唇でにんまり笑う。
「……あっ! ひょっとして護パパの恋敵ぅ~? 」
丙の呼び方うんぬん、いろいろ小さな爆弾を投下した桃花は宴の準備をするべく早々に台所へ走り去った。
九郎の視線が背中に刺さり、こめかみを押さえた月読は溜息を吐いた。
丙は酒の調達、銅鐸や猿女たちは酒宴の準備で忙しそうだ。カトレアに手土産を渡して宿泊部屋で寛ぐ、酒宴が始まるまでは自由時間だ。
「私は山神へ挨拶に行ってくるよ」
一行に告げてから、月読は山神の社へ向かう。欠片を封じたとは言え、猿の里へ連れて来た九郎のことを伝える為だ。それに山神の意見を聞きたい気持ちもあった。
月読は礼をしてから社へ上がる。
本日は山神の祭りの日、先程まで猿女達が祭祀をしていた様子で果物や餅、山の幸が供えられていた。
酒の入った大きな平盃を白猿は飲み干す。リラックスした体勢で片肘を床へつき、酒をあおる姿は丙そっくりだ。酒臭い息を吐いた白猿は、神饌の置かれていた手ごろな皿へ御神酒を注ぐ。月読は御神酒のおこぼれに与った。
「今日は、よそ行きの格好じゃあねえか」
銀灰の斑に光る虹彩が月読を見つめる。
大昔から人と共に歩む山神は人間の動向に詳しい、まるで昔から懇意にしている友人と話しているような気分になる。
月読は復帰祝いの酒宴に参加する旨と、九郎のことを話す。白猿に敵意や警戒は感じられないので、九郎について訊いてみた。
「大丈夫だろ。ドロリとくっ付いたものは綺麗さっぱり隠れちまったなぁ。でもよ、あいつが黒いのには変わりねえぜ。まあ少し捻くれた烏だからしょうが無え」
白猿から客観的な意見をもらうのは初めてだった。言い得て妙、結界は上手く機能していて拗らせた部分の性格まで言い当てている。山神の言葉が腹へストンと落ちて月読は納得した。
「俺に聞くとは、めずらしいじゃあねえか。不安か? 」
「九郎に関しては、視ても見通せない。私も以前ほど力が無いから、本当にこれで良いのだろうかと悩む時があるんだ」
白猿は御神酒を平皿へ注いで月読へ渡す。
何かに揺れる心はうつろうものが持ち得る独特さ。魂を震わせ活力を与え、時には悪い方向へ進むこともある。善し悪しは紙一重、また受け取り手によっても違う。
「完璧である必要はねえ。その都度、あらため直しゃいい」
時の流れの中にいる以上、変化はつきものだと山神は笑った。
早桜が蕾をつけ、枯草の間から草の芽が頭をのぞかせていた。日の蔭りはまだ早く、山から降りた空気で身ぶるいする。
坂道を下っていると桜と鉢合わせた。宴の準備が出来たので、大広間をカトレアに任せて月読を呼びに来たようだ。
再開の挨拶をして、歩きながら会話を交わす。
「ここへお世話になったのも、ちょうど今頃の季節でした」
「ふふふ、鮮明に憶えてます。つい昨日の出来事のよう、あれから何年も経つのですね」
時の流れは早いものだと、片手を頬にあてた桜がほぅと息をついた。まとめた黒髪の襟元から白いうなじが蔭りの中で浮かびあがる。丙と同じく歳も離れているが、2児の母で活力のある桜はとても美しい。
彼らの子供たちもいつか大きくなって自分の道を歩み、白猿は山の社からその営みを見守っていくのだろう。
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