上 下
94 / 141
第八章

猿の里にて1

しおりを挟む

 打合せで西会館へ訪れると建築士と加茂かもが話していた。資金の目途めどがつき、入浴施設の外側へ岩の露天風呂ろてんぶろを作る計画が進んでいる。

加茂は多量の温泉資料を嬉しそうに抱える。

源泉げんせんは決まったのですか? 」

 山脈西側の奥には源泉がいくつか湧いていて、天然の露天温泉も存在する。
月読が尋ねると、炭酸水素塩泉たんさんすいそえんせんを引くと言う。ピリッとした酸性泉さんせいせんも捨てがたいが、皮膚への刺激が強すぎるので弱酸性の湯にするようだ。

「炭酸水素塩泉は美肌の湯と言われていて、肌がつるつるになりますよ! 」
 湯の質について調べつくしたモモリンが眼鏡めがねをクイッと上げた。入浴後は肌が乾燥するので加茂じるしの保湿剤や商品も販売するらしく、商売の事までしっかり考えている。

ゆくゆくは温泉施設として西会館を開放して、他の地域や街から訪れる人が御山の神秘を体験できるようにしたいと叔父は語る。



 西会館を出ると、九郎が迎えに来ていた。

「順調に進んでいるようだな」
「完成は先だけど、楽しみだよ」
 2人並んで歩きながら話す。集落の大門に停車した車の近くで、金村かねむら大伴おおともらが待っていた。

「来た来た! おおーい!! 」

 三宅みやけもブンブン手を振っている。ひのえの家での酒宴だが予想よりも参加者が多く、2台のワゴン車が停まっていた。月読の杞憂きゆうを読み取って、参加人数は伝えていると九郎が告げる。

私服で分かりにくいけれど、あきらかに烏ではないメガネの青年がフードを深くかぶってまぎれている。月読が近づけば亜麻色あまいろ髪の青年はススッと白猪しらいの後ろへ隠れた。

千隼ちはや……」

 月読のつぶやきに、千隼はわざとらしく唇を伸ばして口笛を吹いている。

「今日は俺の友として行くから大丈夫だぜ! 」
 いつの間にか友になった三宅が、親指を立てて自信ありげにサムズアップする。ひのえも了承していて問題はないそうだ。

相容あいいれない猿と鬼、隼英の時代には無かった出来事で人懐ひとなつっこい千隼ならではなのだろう。新しい一陣いちじんの風は、亜麻色の髪をなびかせて笑った。



「ようこそ、いらっしゃいませ~」

 猿の里へ着いたらほがらかな声がして、妻のカトレアが出迎えた。普段は洋服姿が多いけれど、今日のレトロな海老色えびいろの着物は赤みがかった髪と雰囲気によく似合っている。久しぶりに会ったカトレアは、挨拶で合わせた月読の頬へちゅっとキスをしてきた。

 猿の男達は体が大きい為、木造でおもむきのある家は全体的に天井が高く余裕よゆうを持たせている。初めて訪れた者達が玄関を見まわすなか、さっそく千隼は靴を脱いでもの珍しそうに廊下を歩いて行った。

ぞろぞろ歩く一行は、宿泊できる部屋と大広間へ案内される。

あやかし退治の時にも来ましたけど、やっぱり広いですねぇ」

 家を見回した大伴が感嘆の息を吐く。



 廊下をダダダッとける音がして、桃花ももかが現れた。

「月読さまぁっ!! 」

 久しぶりの再会だった。子猿のような素早い動きで、桃花は月読へ抱き付いた。フワフワしたピンクベージュの髪がくすぐったい、相も変わらず甘くいい匂いをふわり漂わせている。

桃花のしなやかな腰に手をまわして挨拶を交わしていると、背後から背筋も凍る視線が浴びせられる。ハッとして振り向けば、後ろに立つ九郎から黒いオーラがにじみ出て月読の顔は引きった。

「月読さま、どうしたの? 」
 無邪気な桃花は九郎の顔をまじまじ見つめ、プルンとした唇でにんまり笑う。

「……あっ! ひょっとしてもりパパの恋敵らいばるぅ~? 」
 丙の呼び方うんぬん、いろいろ小さな爆弾を投下した桃花はうたげの準備をするべく早々に台所へ走り去った。

九郎の視線が背中に刺さり、こめかみを押さえた月読は溜息を吐いた。

 丙は酒の調達、銅鐸どうたく猿女さるめたちは酒宴の準備で忙しそうだ。カトレアに手土産を渡して宿泊部屋でくつろぐ、酒宴が始まるまでは自由時間だ。



「私は山神やまがみへ挨拶に行ってくるよ」

 一行に告げてから、月読は山神のやしろへ向かう。欠片かけらを封じたとは言え、猿の里へ連れて来た九郎のことを伝える為だ。それに山神の意見を聞きたい気持ちもあった。

 月読は礼をしてから社へ上がる。

 本日は山神の祭りの日、先程まで猿女達が祭祀さいしをしていた様子で果物やもち、山の幸がそなえられていた。

酒の入った大きな平盃を白猿はくえんは飲み干す。リラックスした体勢で片肘を床へつき、酒をあおる姿は丙そっくりだ。酒臭い息を吐いた白猿は、神饌しんせんの置かれていた手ごろな皿へ御神酒おみきそそぐ。月読は御神酒のおこぼれにあずかった。

「今日は、よそきの格好じゃあねえか」

 銀灰ぎんかいまだらに光る虹彩こうさいが月読を見つめる。
大昔から人と共に歩む山神は人間の動向に詳しい、まるで昔から懇意こんいにしている友人と話しているような気分になる。

月読は復帰祝いの酒宴に参加するむねと、九郎のことを話す。白猿に敵意や警戒は感じられないので、九郎について訊いてみた。

「大丈夫だろ。ドロリとくっ付いたものは綺麗さっぱり隠れちまったなぁ。でもよ、あいつが黒いのには変わりねえぜ。まあ少しひねくれたからすだからしょうがえ」

 白猿から客観的な意見をもらうのは初めてだった。言いみょう、結界は上手く機能していてこじらせた部分の性格まで言い当てている。山神の言葉が腹へストンと落ちて月読は納得した。


「俺に聞くとは、めずらしいじゃあねえか。不安か? 」

「九郎に関しては、ても見通みとおせない。私も以前ほど力が無いから、本当にこれで良いのだろうかと悩む時があるんだ」

 白猿は御神酒を平皿へ注いで月読へ渡す。
何かに揺れる心はうつろうものが持ちる独特さ。たましいを震わせ活力を与え、時には悪い方向へ進むこともある。しは紙一重、また受け取り手によっても違う。

「完璧である必要はねえ。その都度つど、あらためなおしゃいい」

 時の流れの中にいる以上、変化はつきものだと山神は笑った。



 早桜が蕾をつけ、枯草かれくさの間から草の芽が頭をのぞかせていた。日のかげりはまだ早く、山から降りた空気で身ぶるいする。
坂道を下っているとさくらと鉢合わせた。宴の準備が出来たので、大広間をカトレアに任せて月読を呼びに来たようだ。

 再開の挨拶をして、歩きながら会話を交わす。

「ここへお世話になったのも、ちょうど今頃の季節でした」
「ふふふ、鮮明に憶えてます。つい昨日の出来事のよう、あれから何年も経つのですね」

 時の流れは早いものだと、片手を頬にあてた桜がほぅと息をついた。まとめた黒髪の襟元から白いうなじが蔭りの中で浮かびあがる。丙と同じく歳も離れているが、2児の母で活力のある桜はとても美しい。
彼らの子供たちもいつか大きくなって自分の道を歩み、白猿は山の社からそのいとなみを見守っていくのだろう。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

変幻自在の領主は美しい両性具有の伴侶を淫らに変える

BL / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:62

【完結】華の女神は冥王に溺愛される

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:111

あした、きみと喧嘩する日

BL / 完結 24h.ポイント:1,890pt お気に入り:36

きみを見つけた

BL / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:70

白と黒のメフィスト

BL / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:175

吸血鬼専門のガイド始めました

椿
BL / 完結 24h.ポイント:78pt お気に入り:79

ムキムキ変態騎士団長 ~筋肉無双物語~

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:11

神官さんと一緒

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:4

身代わり羊の見る夢は

BL / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:40

muro - 使われたい男、使う男 -

BL / 連載中 24h.ポイント:1,171pt お気に入り:238

処理中です...