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第七章

丙と山神の大喧嘩2

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 応接室へ案内されると、さくらが深々と礼をする。
本来なら猿女さるめが間に入って山神との仲裁をしなければならなかったのに、月読に任せてしまった事をびていた。

先刻の状況で山神に近づくなど、常人なら恐怖を感じて出来ない事を月読は理解している。桜には気にしないよう伝えてからひのえの状態を尋ねる。まだ意識が戻らず、打ち身とすり傷だらけだが問題は無さそうだ。

「月読さま~」
 銅鐸どうたくが半泣きで、やしろから戻った月読の無事を確認している。デカい成りの男が、長い腕を伸ばしてペタペタ触るので暑苦しい事この上ない。

「ええい泣くな銅鐸どうたく。詳しい成行なりゆきを話すから、主要な者達を集めてこい」

 暑苦しいので追いはらうため役割を与えた。情けない声で返事をした銅鐸は、のっそり立ち上がって部屋を出ていった。
月読は九郎にも粗方あらかたの事態を説明して、武装したからすの派遣と世話役の陽太ようたを連れて来るよう言付ことづける。

みやこ様ではなく、陽太を? 」

「見たかぎり、陽太はかなりの結界術を使える。九郎おまえの術でカバーすれば、今回のあやかしには十分対応できる」

 陽太には結界術の訓練に付き合ってもらっている。戦闘に不向きな月読家の男子にしては優秀だ。みやこは奈落の結界を維持いじしているのもあって、危険な場所へ連れ出して負担をかけたくないのが本音でもある。

うなずいた九郎は指示を出し、周りの烏達はあわただしく動きはじめた。

集結した者達へ、妖の存在を説明した月読は退治の作戦を立てた。決行は明朝になり、参加者の一部は丙の家へ泊まりこむ。



 社で白猿はくえんに作戦を伝えた月読は、丙の家へと戻ってきた。

 賑やかな家の廊下を渡って、宿泊する部屋へ戻るとさくらが待っていた。丙が目を覚ましたらしく、月読はその足で居室へ向かう。
案内した桜は扉を閉めて退室した。傷口をおさえる包帯ほうたい湿布しっぷだらけの男は、敷布団へ横になって片腕で頭を支えていた。背を向けているので表情は分からない。

月読が黙って眺めていると、先にしびれを切らした丙はゴロリとこちらを向く。口をへの字に曲げ、不貞腐ふてくされた表情をしていて愛嬌の欠片かけらもない。

「おぇ、しゃしゃり出てくんなよ。力もえクセになんで来ちまったんだ」

 顔を見るなり悪態あくたいをつく男に、月読はおどけて肩をすくめる。男の言葉から、山神と喧嘩にいたった理由がなんとなく分かった。
丙達を思って白猿が月読を呼んだ事や、皆で考えれば安全な対処方法もあるとさとす。皆で話し合った明朝の作戦も伝えた。

「ちなみに派手はでなケンカで負傷したお前は、家で待機だからな」

 勝手に【猿】を動かすなとごねている丙へ、月読は少し意地悪くげる。

「んだと!? ふざけんな、俺も行くぞ」
 急激に身体を起こした丙が痛みに呻いているので、大人しく療養りょうようするように言い渡す。

「うるせえ。かすり傷の俺より、力使えねぇテメエの方が危ねえだろうがよ」

 この男なりに心配しているらしい。丙をなだめながら作戦について話した。白猿が参加することを知った男はますますあくたれる。
こんなに面倒くさい丙は見たことが無い、困った月読はゴツゴツした顔を両手で挟み口づけた。への字口も元に戻り、硬骨漢こうこつかんの目はつか月読を見つめる。

だがしかしゴロリと背を向けた。

「これでもダメか……」
 色仕掛いろじかけも効かなかったと、月読は眉頭を上げてため息を吐いた。
「馬鹿野郎、色仕掛けならもっと勉強してこい! 」
 怒っているのか照れているのか、大きな背中から悪態をつく声が響いた。



 翌朝になり、家の前へ皆がつどう。ごねていた丙も結局、月読の言うことを呑んでいた。猿女さるめ達とともに包帯と湿布だらけで見送りに来た男は、相変わらず口をへの字に曲げている。

 白猿が姿を現わし、初めて山神を見た陽太ようたがぴやっと奇声を発した。

「大丈夫か? 陽太」
「だだだ、大丈夫です。頑張りますぅ」
 陽太を九郎に任せて、月読は白猿の背へ乗った。

これから九郎達は妖を待ち伏せるポイントへ移動する。猿たちが山を案内して陽太は結界術を使い、九郎がサポートする。妖が逃げる可能性もあるので月読はおとりとなり、結界を張りやすいひらけた場所まで誘導する。月読が囮なら多少食いつきもいいだろう。

当初、眼光をけわしくさせた九郎は反対していたけれど、白猿が一緒に行くということで納得した。心配して身代わりの符呪ふじゅまで持たされた。



 白猿に乗って渓谷の崖を下りて、森深い場所で妖を発見した。

強い山神が側にいると警戒して出て来ないかもしれない、月読は白猿の背から降りた。1人歩いて妖から少し離れた位置へ立つ、黒ずんだ猿の干からびた眼球がこちらをじっとうかがっている。

 月読は小刀で指を切って、先からしたたる血を見せ挑発した。

「さあ来い。お前にとって私はさぞかし美味い獲物だ」

 妖が月読へ向かって走りだす。猿とは思えない奇妙な走り方で、開けた口から黒くぬめったものがはみ出ている。

白猿はくえん

 妖が触れる直前、毛むくじゃらの大きな腕は月読を引きよせて保護した。赤いしずくは空中を舞い、黒い口がパクパク動いて血を舐め取った。干からびたはずの目の色が変わった。

山神が目の前へ現れたのに、血の味を知った妖は襲いかかってくる。付かず離れず、白猿は速さを調節しながら森を駆けた。妖が月読へ向かって飛びかかれば、スッと後ろに避けて森の外へとおびき寄せる。



 木々のないひらけた場所まで来た。白猿が大きな岩を跳び越えると、大岩の脇へひそんでいた陽太と九郎が飛び出す。

封縛ふうばく! 」
「結っっ」
 声が同時に聞こえて妖を白色結界が包み、その外側を九郎の結界が包んだ。妖はギィィと鳴き声を上げて、ゴムのような皮の指で2重の結界を引掻ひっかいている。

 結界の内側で妖がベタンベタンと暴れだした。

「うわわっ」

 結界をゆり動かされ陽太が狼狽うろたえて、白色結界に亀裂が入った。見逃さなかった妖は、皮の穴や隙間からドロリとしたものを流出させて亀裂へ流れ込む。

ぬめった液体が地面へしたたり落ちようとしている。しかし、もう1つの結界にはばまれた。意思を持った液体は、どうにか結界から抜け出そうとうごめいている。

「陽太! 」
「は、はいっ」
 鋭い声にハッとなった陽太はふたたびいんを結び、四角い白色結界を張った。九郎も印をき外側へ結界を張り直す、液体は皮ごと白色結界の中へボトリと落ちる。

陽太の印を結んだ手は、妖の動きに引っぱられて震えている。

「落ち着け、お前なら出来る」
 いつの間にか白猿から降りた月読が真後ろへ立っていた。陽太の手に月読の手が重なる。

陽太の震えは、ピタリと止まった。

「断」

 月読と共に陽太がスッと印を引き上げれば、皮ごと妖は断たれた。切れた断面が泡立ち、水蒸気のごとく白い湯気を上げて蒸発する。小さい個体だったので、またたく間に消えた。

妖が消滅した事を確認した陽太は結界を解く。まわりに張っていた封縛の結界も解かれた。

「よくやったな」
 月読は細い肩へ手を置いた。陽太は照れと驚きが入り交じり、百面相ひゃくめんそう披露ひろうしている。

白猿が大岩の上へドスンと降り立ち、陽太は悲鳴を上げて月読の背中に隠れた。

「無事に終わったみてえだな。俺は帰るぜ、うちのバカ息子どもをよろしくな」
 唸った白猿は、さっさと山頂へ去ってしまった。



 烏面からすめんを外した九郎が側へ来て、月読の手首をつかんだ。

「怪我をしたのか? 」

 妖をおびき出すため咄嗟とっさに切ったので、刃が深く入り月読の指は血が出たままだった。

「まったく、お前は俺の言うことを聞かないな……」
 しばらく九郎は険しい目で傷口を見ていたが、血の出た指へ口をよせてチュと血を吸った。思わぬ行動に慌てた月読は声を上げる。

「九郎っ!? 」
「驚いたか、すまん」

 九郎は傷口を水筒の水で洗い流し、ガーゼで止血した。その後なにも無かったかのように他の烏へ指示を出している。まん丸い瞳でまばたきをする陽太と目が合って月読は苦笑した。

 烏達は調査のため残るので、先に帰るよう指示されて現場を後にする。月読は渓谷の深い森へ消えてゆく烏を見送った。
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