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第六章

目覚め

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 長い夢を見ていた。さっきまで覚えていた記憶ははかなげに消えた。

 生命は躍動やくどうし笑い合う声が風にのって流れる。

 岩の上ではなく柔らかいマットへ横たわっていた。体を動かすと全身がきしみ、いくつかの針とつながれたくだが外れて月読は痛みにうめく。

 目が見えなくても視えていた世界はいまや無い。上半身を起こし、寝ていた場所を手で探って調べる。右腕は何かに固定されて動かなかった。ひんやりした足を降ろしたけど、力が入らずその場へ座りこむ。打ったところはないかと、心配して走り寄った人から消毒液のにおいがした。ほどなく同じにおいを持つ人々が集まり、身体を持ち上げられベッドへ寝かされる。

 早足で歩いて来た男が話しかけた。

「つくよ……鈴木さん! 分かりますか? 声は聞こえていますか? 」

 月読がうなずくと、集まっていた看護師を解散させた男は静かに名乗った。いつも担当してくれてる【鬼】の先生で月読は病院にいるのだと理解した。

 体の状態について説明した医師は、目に巻いていた包帯を外す。

「見えますか? 」

 視界は全体に白くかすみがかっている。のぞきこんだ医師は、顔のまえへ人差し指を立て、目で追うように指示した。部屋は明るく、光が目に刺さる感じがして月読は目を閉じる。

にごりはほとんど取れましたが、目に負担が掛かっているようですね。しばらくは包帯を外す時間を決めて、目を慣らしていきましょう」

 包帯を巻かれて、ふたたび視界をふさがれる。何がどこにあるのか全く分からなくなった。

 医師の話では2週間ほど眠っていたらしい。瘴気しょうきによる食道や気管支のただれは、治療術との併用でほぼ治っていた。お腹は減ってなかったものの、長いあいだ食べてなかったので医師に励まされてスープを飲んだ。柔らかい具材の入ったクリームスープは、喉に温かさを残して流れ込む。

 何度かむせたけれども飲み終えた。久しぶりの食事で疲れた月読はリクライニングを上げたベッドへ寄りかかる。

 看護師が食事を下げていた時、誰かが扉のところへ立つ気配がした。相手は言葉を発さず、急に近づいてきて手をにぎった。細い指先が少し冷たく、月読は知っている者だと気づいた。

千隼ちはや

 千隼は手を強く握ったまま泣いてる様子だった。看護師が面会は駄目なことを伝え、彼を連れて出ていった。久しぶりに色々なものに触れ、月読は知らない内に眠っていた。



 レントゲン室から出た月読は肌へ触れる。死人のように青白かった肌は血色が戻りつつある。ザラリとしている黒いぎ部分は、時間の経過でがれおち新しい皮膚が見えていた。左脇腹の鱗痕うろこあとは古すぎて治せないが、新しい痕はきれいに消せる技術が出来たのだと医師は言う。
レントゲン写真を並べられて説明を受けた。入院時のレントゲン写真は白く何も見えない状態だったけれど、映っていた影はさっぱり無くなって医師も説明しながら感心していた。



 日課になった病院横の公園を散歩する。

 ベッド棚へ置いた手紙の封筒を手に取れば、ほのかに銀梅花ぎんばいかなつかしい香りがただよう。少し酸味のあった香りは、時が経って調和のとれた良い香りへと変化していた。月読は開いた封筒をぎ、窓の外をながめた。

 目と右腕の骨折以外に擦過傷さっかしょう打撲だぼくは治り、瘴気しょうきもほとんど抜けている。ナースコール代わりの携帯器を持っていれば病院の敷地は自由に移動できた。目はかすんでるけど、だいぶ見えるようになった。
光に当たりすぎ、疲れたのでまぶたへガーゼをあてて包帯を巻く。前は目をつむっても色々と把握できたのに今は気配すらわからない。公園で通り過ぎる人を観察しても何も感知できず、暗闇に包まれてる。

 月読は力を失くしていた。

 ソファへもたれると吹いた風に髪が巻きあがる。窓を閉める音がして、誰かが隣へ腰を下ろした。

「起きていて大丈夫なのか? 」

 低い声は腕を伸ばし、風で乱れた月読の髪をく。

 面会は許可され、朝からひのえや千隼が訪れていた。仕事と称して一進が手紙を届けたことを伝えたら、隣へ座った男は息だけで短く笑った。男の腕にそっと抱きしめられ、たくさん話をしたかったのに心地好ここちよく腕の中で寝てしまった。

 いつの間にか面会時間は終わり、看護師にゆり起こされてベッドで目覚めた。



 入院してから何日か経過した。いつもの昼下がり、目の包帯を外して過ごしているとひのえが居室へ来てソファーへどっかり座った。

「冷えたなしとアイス持ってきたんだが、食うか? 」

 うなずいた月読はアイスクリームを手に取ってすくう、しかしカチカチでさじが入らない。横で笑いながら見守る丙が剥いた梨を差し出したのでそちらをいただく。

 丙は奈落から帰った後のやしろの話をした。現在、土台どだいを強化して崩れた拝殿はいでんを建て直している最中だ。神主親子も無事で周囲の土地も被害がでなかったと聞き、月読は気持ちがやわらいだ。

「しかしよぉ、随分ずいぶんと変わっちまったなあ。うちの山神さんみてえだ」

 大きな手に頭を撫でられ白い毛をもてあそばれる。真綿色まわたいろの髪は、丙の指にクルリと絡まってほどける。月読も初めて見た時は予想以上に白くて、洗面所の鏡などで見るたびに反応していた。ストレスや栄養状態が原因で、そのうち黒い髪が生えて来ると主治医から聞いている。

 会話していたら居室の扉がノックされた。白い髪から指を離した丙は部屋へ入った男の肩をたたき、入れ替わるように部屋を出て行く。代わりに柔らかくなったアイスクリームをスプーンですくう月読を九郎が見守る。
丙に聞いた話を振ると、九郎は奈落から帰ってきた後の事について話した。時々曖昧あいまいになり、まるで何か隠しているような引っ掛かりを感じるがそれに踏み入ることは出来なかった。

――――知ったとして、力を持たぬ私に何が出来ようものか。

 九郎には力を失っている事をまだ話していない、白くかすみの残る瞳はいを帯びた。
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