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第六章
#残された者1
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#……九郎サイドの話です。
月読が御山から居なくなった。
九郎は日課になったコースを駆ける。御山の頂上から禁足地へ、滝が見える崖の道と奥にある暗い森。よく知った声が何事も無かったかのように話しかけてくるかもしれないと、しばらく立ち止まる。滝の神霊は訪問者を見るたび騒めいていた。
御山から戻った九郎は鬼の邸宅へと向かう。広い庭の青々とした草木は揺れ、変わらない御山の日常があった。
居室へ入ると、正面へ座った千隼から仕事の資料を渡されて目を通す。月読が居なくなり、御山の大きな仕事は【烏】と【鬼】が取り仕切っていた。あれからマガツヒも現れていない。
千隼は急激に大人になり、先日【鬼】の当主となった。子供っぽさをいっさい削ぎ落とした眼鏡の奥は冷たく光っている。
「あの人がいなくなって、そろそろ1年になりますね」
資料を見ている九郎へ千隼が話しかけた。
「あなたは平気なのですか? 」
冷静だが若干いらだちを含んだ声、視線をあげた九郎に氷のような視線が刺さる。あの日の出来事を聞かされた後から千隼の人懐っこい笑顔は消えた。月読がいなくなっても、変わらず振舞う九郎に苛立ちを感じている様子だ。
九郎は視線を逸らして薄く笑う。
「……別に平気というわけでも無い」
草木がザァと葉を鳴らし、2人は風の吹いた方向を眺めた。木々が揺れるのをやめて静かになり、千隼は小さく溜息を吐いて仕事の話を進める。
鬼の邸宅を出た九郎は御山を見つめる。あれから1年、彼が居なくなっても舞いこむ仕事をこなし、奈落の情報をかき集めていた。ほとんど進展はなく、月読はいまも行方不明のまま。
資料を鞄へ収める時、綺麗に生えそろった爪が目に入った。地龍にのみ込まれた月読を追って、丙に止められるまで地面を素手で掘り続けた。手の皮膚は裂け、爪も剥がれてボロボロになった。いまやその名残すら無い。
土中からは地龍の頭が発見された。ところが胴体は消え失せ、数十メートル掘り返しても月読はおろか烏達の遺骸も見つかる事はなかった。奈落へ落ちる寸前の月読を思いだす。あと少しで指先が到達したはずなのに、彼は遺骸を投げつけてまで来ることを拒んだ。
手を掴めたなら九郎は死していたかもしれない、けれども月読は助け出せたはずだった。あの時の思いを噛みしめ、彼の言葉を声に出してなぞる。
「お前の元へ必ず戻る、待っていろ」
その言葉を糧に、九郎は今日も動き出す。
そんな折、一軒の電話が掛かってきた。
「ええ、そうなんですよ。数人の御坊様で、大黒主を信仰しているとかで頻繁に来られて父も困っています」
「大黒主? 大物主か大黒天では無いのですか? 」
「私も聞いてみましたが、違うみたいです」
以前マガツヒ討伐で訪れた神社、連絡先を渡していた宮司の娘から連絡があった。社務所は建て直したばかりの新しさがのこり、塵ひとつなく清浄に保たれている。
怪しい僧の集団が出入りして困っていると、渡辺芽衣は話す。僧の集団は半年前に本殿へ入りたいと神社を訪れた。いくら礼儀正しくても、神の御座す社へ部外者を入れるわけにもいかなくて断った。何度か来て同じことを言っていたけど、断っているうち神社には来なくなった。
1カ月ほど経ち、神社の外山で不可解な文字や儀式をした痕跡が見つかった。宮司は張りこみ、おかしなことをしている集団に注意を促した。しかし敷地の外という事もあり、止めることは出来なかった。
僧たちは数週間に1度はひそかに山へ入り、怪しげな儀式を繰り返しているようだ。芽衣はカルト教団ではないかと怖れ、行政に連絡したが徒労に終わってしまい、関わったことのある烏へ連絡してきたという。
「貴女は、確か声を聴けましたね。御祭神は何か仰ってますか? 」
「それがここ数日、まったく御姿が見えないんです。なんだか怖がっているみたいで……社も落ちつかず、ざわざわしています」
「分かりました。こちらでも調べてみます」
顎へ手を当てて唸った九郎は、部下の烏たちに指示して周辺を探索させた。
探索を終えた烏達がもどり、調べてきた物をまとめる。僧の集団は見かけず有益な情報もあまりなかった。
九郎は並べられた物の1つに目を止めた。茶色く汚れた和紙が巻かれ、呪いはないか確認してから和紙を慎重に解く。包みの中には尖った金属の杭があり、曲がりくねった文字が羅列してる。甲羅のマガツヒに浮かび出た文字にも似ていた。発見した烏に訊くと、地面へ躓いた時に見つけたと報告された。漠然と嫌な予感がする。
「大伴、引きつづき周辺を調べてくれ。俺は2人連れて社へ向かう」
九郎は部下の金村と大和をともない、神社へ向かった。
芽衣に案内されて社務所へ入れば、宮司の渡辺がいた。彼は深々と礼をする。
「娘が勝手に連絡をしたようで、申し訳ありません」
「いえ大丈夫です。こちらも気になりまして……渡辺さん、幣殿へ伺っても構いませんか? 」
「あなた方は御祭神に呼ばれた方々なので構いませんよ。さささ、案内します」
宮司のオオヌサによる祓いを受け、幣殿へ足を踏みいれた。木製の階段があり、美しい装飾の本殿が見える。静まった社の内部に異常は見当たらない。
「ど、どうですか? 」
心配そうな顔つきの親子が尋ねてくる。九郎が安堵の息をつく直前、本殿の扉が勢いよく開かれた。皆一斉にそちらを向くと社全体が揺れた。
社が落ちる。
親子の悲鳴が聞こえる。社の柱は亀裂が入り、音をたてて歪む。
本殿から緑青に輝くものが飛びだし、ヒラヒラした体は滑らかにまっすぐ伸びる。緑青の姫神が発する光の結界が社を包んで崩壊は止まった。浮遊感を感じた瞬間、空間ごと下へ落ちた。
ひと際大きく上下にゆれて浮遊感がなくなり、社を包んでいた翡翠色の結界も薄くなった。浮いていた姫神の光は小さくなり、羽虫のようにフラフラ本殿へと姿を消した。
月読が御山から居なくなった。
九郎は日課になったコースを駆ける。御山の頂上から禁足地へ、滝が見える崖の道と奥にある暗い森。よく知った声が何事も無かったかのように話しかけてくるかもしれないと、しばらく立ち止まる。滝の神霊は訪問者を見るたび騒めいていた。
御山から戻った九郎は鬼の邸宅へと向かう。広い庭の青々とした草木は揺れ、変わらない御山の日常があった。
居室へ入ると、正面へ座った千隼から仕事の資料を渡されて目を通す。月読が居なくなり、御山の大きな仕事は【烏】と【鬼】が取り仕切っていた。あれからマガツヒも現れていない。
千隼は急激に大人になり、先日【鬼】の当主となった。子供っぽさをいっさい削ぎ落とした眼鏡の奥は冷たく光っている。
「あの人がいなくなって、そろそろ1年になりますね」
資料を見ている九郎へ千隼が話しかけた。
「あなたは平気なのですか? 」
冷静だが若干いらだちを含んだ声、視線をあげた九郎に氷のような視線が刺さる。あの日の出来事を聞かされた後から千隼の人懐っこい笑顔は消えた。月読がいなくなっても、変わらず振舞う九郎に苛立ちを感じている様子だ。
九郎は視線を逸らして薄く笑う。
「……別に平気というわけでも無い」
草木がザァと葉を鳴らし、2人は風の吹いた方向を眺めた。木々が揺れるのをやめて静かになり、千隼は小さく溜息を吐いて仕事の話を進める。
鬼の邸宅を出た九郎は御山を見つめる。あれから1年、彼が居なくなっても舞いこむ仕事をこなし、奈落の情報をかき集めていた。ほとんど進展はなく、月読はいまも行方不明のまま。
資料を鞄へ収める時、綺麗に生えそろった爪が目に入った。地龍にのみ込まれた月読を追って、丙に止められるまで地面を素手で掘り続けた。手の皮膚は裂け、爪も剥がれてボロボロになった。いまやその名残すら無い。
土中からは地龍の頭が発見された。ところが胴体は消え失せ、数十メートル掘り返しても月読はおろか烏達の遺骸も見つかる事はなかった。奈落へ落ちる寸前の月読を思いだす。あと少しで指先が到達したはずなのに、彼は遺骸を投げつけてまで来ることを拒んだ。
手を掴めたなら九郎は死していたかもしれない、けれども月読は助け出せたはずだった。あの時の思いを噛みしめ、彼の言葉を声に出してなぞる。
「お前の元へ必ず戻る、待っていろ」
その言葉を糧に、九郎は今日も動き出す。
そんな折、一軒の電話が掛かってきた。
「ええ、そうなんですよ。数人の御坊様で、大黒主を信仰しているとかで頻繁に来られて父も困っています」
「大黒主? 大物主か大黒天では無いのですか? 」
「私も聞いてみましたが、違うみたいです」
以前マガツヒ討伐で訪れた神社、連絡先を渡していた宮司の娘から連絡があった。社務所は建て直したばかりの新しさがのこり、塵ひとつなく清浄に保たれている。
怪しい僧の集団が出入りして困っていると、渡辺芽衣は話す。僧の集団は半年前に本殿へ入りたいと神社を訪れた。いくら礼儀正しくても、神の御座す社へ部外者を入れるわけにもいかなくて断った。何度か来て同じことを言っていたけど、断っているうち神社には来なくなった。
1カ月ほど経ち、神社の外山で不可解な文字や儀式をした痕跡が見つかった。宮司は張りこみ、おかしなことをしている集団に注意を促した。しかし敷地の外という事もあり、止めることは出来なかった。
僧たちは数週間に1度はひそかに山へ入り、怪しげな儀式を繰り返しているようだ。芽衣はカルト教団ではないかと怖れ、行政に連絡したが徒労に終わってしまい、関わったことのある烏へ連絡してきたという。
「貴女は、確か声を聴けましたね。御祭神は何か仰ってますか? 」
「それがここ数日、まったく御姿が見えないんです。なんだか怖がっているみたいで……社も落ちつかず、ざわざわしています」
「分かりました。こちらでも調べてみます」
顎へ手を当てて唸った九郎は、部下の烏たちに指示して周辺を探索させた。
探索を終えた烏達がもどり、調べてきた物をまとめる。僧の集団は見かけず有益な情報もあまりなかった。
九郎は並べられた物の1つに目を止めた。茶色く汚れた和紙が巻かれ、呪いはないか確認してから和紙を慎重に解く。包みの中には尖った金属の杭があり、曲がりくねった文字が羅列してる。甲羅のマガツヒに浮かび出た文字にも似ていた。発見した烏に訊くと、地面へ躓いた時に見つけたと報告された。漠然と嫌な予感がする。
「大伴、引きつづき周辺を調べてくれ。俺は2人連れて社へ向かう」
九郎は部下の金村と大和をともない、神社へ向かった。
芽衣に案内されて社務所へ入れば、宮司の渡辺がいた。彼は深々と礼をする。
「娘が勝手に連絡をしたようで、申し訳ありません」
「いえ大丈夫です。こちらも気になりまして……渡辺さん、幣殿へ伺っても構いませんか? 」
「あなた方は御祭神に呼ばれた方々なので構いませんよ。さささ、案内します」
宮司のオオヌサによる祓いを受け、幣殿へ足を踏みいれた。木製の階段があり、美しい装飾の本殿が見える。静まった社の内部に異常は見当たらない。
「ど、どうですか? 」
心配そうな顔つきの親子が尋ねてくる。九郎が安堵の息をつく直前、本殿の扉が勢いよく開かれた。皆一斉にそちらを向くと社全体が揺れた。
社が落ちる。
親子の悲鳴が聞こえる。社の柱は亀裂が入り、音をたてて歪む。
本殿から緑青に輝くものが飛びだし、ヒラヒラした体は滑らかにまっすぐ伸びる。緑青の姫神が発する光の結界が社を包んで崩壊は止まった。浮遊感を感じた瞬間、空間ごと下へ落ちた。
ひと際大きく上下にゆれて浮遊感がなくなり、社を包んでいた翡翠色の結界も薄くなった。浮いていた姫神の光は小さくなり、羽虫のようにフラフラ本殿へと姿を消した。
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