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第六章
奈落
しおりを挟む――――痛い、痛い。
食い千切られる肉、かみ砕かれる骨、血は止めどなく流れて地面へ広がった。
「――――っ」
静けさに満ちた暗闇で月読は瞼を開けた。久しぶりに酷い夢を見て、心臓の鼓動が跳ねている。
深夜の森でトラツグミが悲しげに鳴き、洗面所の鏡には憔悴しきった顔が映る。鏡の背後へ別の顔が浮かびあがり、ビクリと身を竦ませ振り向くと九郎が立っていた。怪訝な顔つきの九郎が目元を指でなぞり、泣いていた事に気づいた月読は引き寄せられた。
「くろっ……っ……ふ」
唇は重なり洗面台へ体重が掛かる。啄ばんだ唇で優しく吸われ、ようやく動悸が治まり月読は静かに息を吐いた。
「奈落が発見されました」
吉報は朝一番で届き、烏たちと慌ただしく連絡を取りあう。遠方へ出ていた者が調査の報告書を送ってくる。討伐したマガツヒの出現場所を照らし合わせ、元凶となる奈落の入り口を探す為に調査をおこなっていた。
長雨がつづいて地盤はゆるみ、地滑りを起こした場所へそれは現れた。人が足を踏み入れない山間部だったのはせめてもの救いだ。すぐに御山へ招集をかけて対策会議を開いた。マガツヒの出現がなかったのと御山の守りのため鬼達は待機、烏と猿で編成された部隊が出発する。
現地へ到着して隣に立つ九郎の声がする。
「いよいよだな」
「ああ。これで奈落の穴を塞げば、今期の新たなマガツヒは生まれなくなる」
案内の烏と月読が先行し、残りは後方を進む。武装した者らが列を成して山域の奥へと足を踏みいれる。ここはかつて甲羅のマガツヒが出現した場所から遠く離れていない。雨で地面がぬかるみ、腐った土の匂いが強く漂う。
「月読様、あれです」
烏が指をさした所は地すべりで大きく抉られ、山の3分の1が崩れている。崩れた土砂と枯れた木々がまざり、肌を刺す禍々しい気があふれている。『穴』といっても直接見えないけれど、空間の歪む御山の奈落とおなじ感覚。案内者の持つアンテナ機器が中心へ向かうほど異常な磁場の数値を示した。
周囲にはマガツヒの存在はなく静寂に包まれる。土砂くずれで部隊が無闇に災害に巻き込まれないよう待機させ、月読は少人数で中心部へと向かった。目に見えない穴の近くまで来たとき残骸を目にした。爪痕のようなひび割れが無数にあり、なにか建っていたと思われる土台が転がっていた。古い縄と紙垂がぐちゃぐちゃになって土へ埋もれている。
「ここか……思ったより小さい穴だな……」
古の封印地かもしれない、それが建っていた中心に奈落の入り口はあった。なかなか見つからなかった理由なのか『穴』も大きいものではなかった。
奈落へ通じる空間を閉じるため、月読は印を結び術式を練る。烏と猿は周辺を警戒して計画は順調に進んでいた。
『月読っ』
九郎から通信が入り同時に地響きがあった。足元がグラリと揺れて土石が崖の斜面から降りそそぐ。
「地震か!? 」
『いったん退避しろ! 』
土砂の下から地鳴りがして地面が揺れた。膝をついていた月読はそこから離れようとして体勢を立て直す。
目の前で土砂が間欠泉のように噴きあがった。腐った土の臭気が充満し、泥にまみれたミミズのごとき長ものが現れた。大部分は地中へ埋まっているが胴体は数千年生きた杉みたいに太く、出ている長さだけでも人の2倍以上はある。
先端が大きく裂けて、開けた部分からソレは吼えた。
「地龍だと!? 」
現れたのはマガツヒではなかった。吼え声をとどろかせた地龍は土砂を巻きあげ見境なく襲いかかってきた。長い胴体を大地へ叩きつけのたうつ。
地面のヒビは地龍が這った時にできた跡だった。地龍が人目につくことは滅多にない、通常は地脈の深い場所へひしめき合って存在する。地震の影響で地表へ出てくることもあるけれど好戦的な性格ではない。地龍の異常な様子を月読は訝しむ、目をこらせば人為的にやったと思われる杭が何本も刺さっていた。長い体はところどころ腐り落ち、臭気が発せられている。
暴れる地龍に烏たちが鋼索を巻きつけ、地上へ引きずり出した。動きを封じられ、丙らの投げ放った呪槍で止めを刺される。断末魔をあげた地龍はゆっくり倒れて横たわった。
長い体の倒れた衝撃で土砂が巻きあがり、月読は落ちてくる石を避けて移動した。
烏達とも分断されて姿は見えない、着地した所で泥の臭気がただよう。立っていたのは土砂くずれの中心地、足元へ縄と紙垂の残骸が転がる。
――――罠!?
ボコッと音を立てて地面はへこみ、足元に大きな口を開けた地龍が潜んでいた。奈落への入り口が埋まった地龍の口だと理解した時、立っていた地面ごと呑みこまれて落ちた。
「月読様!! 」
とっさに滑り込んできた烏が月読の腕をとる。地龍の口の中から空気のしなる音が聞こえ、叫び声をあげる間もなく腕をとった烏たちは裂けてバラバラになった。烏たちを引き裂いた触手の無数の牙は月読の足へ食らいつき、巻きついて奥へと引きずり込む。
頭上から射しこむ光は減り、地龍が口を閉じていく。
泥と土煙の舞う合間をはしる影を認めた。しかしこのスピードでは地龍の口へはさまれ真っ二つになるのが目に見えてる。それでも九郎は手を離さない、走馬灯のごとき予見が月読の頭をよぎる。
――――駄目だ、来るな
死地へ赴くのは1人でいい。月読は共に落ちゆく烏の一部を手に掴んだ。既に絶命した烏の上半身を閉じていく光へ向かって投げる。力をふり絞って投げた遺骸は地龍の口先で手を伸ばす九郎とぶつかった。
「お前の元へ必ず戻る、待っていろ!! 」
「月読っ……明!? あきら――っ!! 」
弾き飛ばされた男の叫び声が聞こえ、重い音とともに地龍の口は閉じられた。
間髪入れず印を結び、中断していた強力な結界を放つ。ブツンと地龍の頭が切れる音がして地表へつながる穴は塞がれた。
地上と隔てられた月読は光もない奈落の暗闇へ落ちて往く、耳元でザーザーと音を立てていた通信機は切れた。足へ巻きついた触手を切り裂き、束の間の自由を取りもどす。
光球を灯せば細い空間は下へ続き、地龍の体内はトンネルと化していた。うっすら照らされた壁には巻きついていた触手と同じものが無数に蠢いている。嘆息した月読はふたたび印を結び臨戦態勢をとった。
暗闇で把握しにくいが物凄いスピードで落下している。襲いくる触手を切り裂いていると下方から圧迫感があった。月読は足もとへ結界を張り、何枚も踏みやぶり衝撃を和らげる。
地龍の胎の行き止まり、暗闇の底へ着地した。
触手以外の何かがこちらへ忍び寄った。地龍の臭気の元、月読は弱まっていた灯の明かりを一帯へ広げる。光球に照らされた塊は眩しさに蠢いてうめき声を上げた。ところどころ人の形をしていて、顔に見える眼窩の窪みに目玉は無かった。目は黒くどこまでも暗い。
光を見つけた塊は呻きながら這いずって来る。足元へ薄汚れた面が転がった。ひび割れて茶色くなった古い烏面、過去奈落へ行き戻らなかった者達がマガツヒと化して融合した成れの果て。
「……帰りたかったのだな」
骨だけの太さの細い腕が何本も伸び、縋ろうとする。
「すまぬ」
嘆いた月読は印をかかげた。白い光が辺りをつつみ破裂し、黒い塊は霧散して消滅していく。悪意は感じず、只々悲しみが伝わってきた。
破裂した煽りで地龍の底が抜け、月読の体は更に落下する。
粉々になった残骸のうえへ落ちた。どうやら地龍の胎を破って奈落へ辿り着いたらしい。視界は明るくなったが、喉が灼けつくほど濃い瘴気が渦巻く。空は赤黒く澱み、あたかも重い液体で満たされているようだ。草木もない乾いた岩石だけ、灰色の荒野は地平線まで続いている。
首元へ痛みがはしり傷口から血があふれた。払いのけて見上げると、地龍に巣くっていた小さなマガツヒが腐った肉片とともに落ちてきた。頭上を覆うマガツヒの群れに思考を捨て、ひたすら落ちてくるものを滅する。気づけば無数の死体のうえに立っていた。マガツヒの黒い血だまりが広がり、乾いた灰色の地面へ吸いこまれて染みをつくる。
荒く呼吸する喉は灼け、左肩も裂けてぶら下がった腕の骨が見える。足の肉は喰い削がれ走る事すらままならない、噛み裂かれた首を押さえた手の隙間から赤い血が止めどなく流れる。
月読は満身創痍で動けず、その場へ立ち尽くした。
荒野の向こうから奇声をあげたものが這い寄る。まわりを囲んで蠢くのは奈落の住人、智慧も慈悲もなくただ自身の渇きと飢えを満たすだけ。
「……九郎……すまない」
約束は守れない、月読の瞳に絶望の色が混ざった。戻れぬことを覚り掠れた声でつぶやく。群れはすぐそこまで迫り、動かない身体は多量の出血で冷えていく。
キィキィと鳴いたマガツヒがこちらへ腕らしきものを伸ばす。
「少し疲れたな……」
目を伏せた顔へ陰が差した。
顔を上げた月読は意を決して印を結ぶ。手から強烈な光が放たれ、命を燃やした術が発動しようとしていた。
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