60 / 141
第五章
鎮魂
しおりを挟む大豆や米・麦など五穀を捧げ、水晶や五宝を壺へ入れて深く埋めた土地が整備され、新たに小さな社が建てられる。
おもむろに流れた風は前髪をくすぐり、眺めたさきに大きな木材が通りすぎる。討伐の時は大きな槍を持っていた男達、今は槌を持ち木材を叩いている。男たちの野太いかけ声で、組み立てられた鳥居が縄に引かれ道の真ん中へ建った。門が出来ていよいよ社は完成、注連縄と紙垂が鳥居へ架けられた。
地平線へ日が沈み、敷地の隅へ置かれた焚松はパチパチと爆ぜる。
火明かりに月読が照らされた。長い髪をまとめ上げ黒い冠を被る。黒紫色の袍に白い袴の束帯姿、白絹の袴は光の加減でうっすら月紋が浮かびあがった。暗闇のなか神饌などが並ぶ祭壇の前で祭祀を執り行う。闇の静寂、凛とした祝詞は響きわたる。
全てを終えた後、社の扉は閉じられた。
酒の入った大樽をかついだ猿達が行き来し、大きな影が社前にいる月読へ近づく。
「終わったみてえだな。今から宴をはじめるぜ」
大樽の蓋が開けられ、酒を柄杓で汲みあげる様子を見守る。
【猿】の男たちが猿楽のまねごとを始めて歌い踊りだす。松明の明かりのもと、手拍子と笑い声が辺りへひびく。布の折りたたみ椅子へ座った月読は口を付けた盃を隣へまわし渡す。丙が大きな盃を飲み干せば拍手がおこり新しく酒が注がれる。盃は隣の者へと渡っていき、手の甲で口元をぬぐった丙は尋ねる。
「ずいぶん古い社なもんで、色々調べて復元に手間取っちまった。でもよ、なんで朽ちた社を建て直そうと思ったんだ? 」
月読の面貌を火明かりがゆらゆらと照らす。屋敷で茫洋としている時とは違って、目元も上がり冷徹とした雰囲気を湛えている。
「ここは元々ヒルコ神を祀っていたが、祟り神を封じた地とも云われている」
ヒルコ神はエビス神として海の沿岸部などで信仰されている。神話の時代に蛭児を船で流したと記した文書もある。蛭の形は胎盤を表しているとも云われ、いまだ謎多き神だ。この廃れた土地は曰くがあり、大昔に産まれてこなかった胎児を供養していた寺もあった。飢饉や戦時中は、多量の遺体が遺棄された土地でもある。
マガツヒと化した祟り神は滅したが、土地にはまだ多くの念が混ざり合って渦巻いている。討伐時にちぎれて撒き散らされた穢れも残り、依頼してきた地主に許可を取り鎮魂の祭をおこなって新たな社を建立する事にしたのだ。
「鎮めの祭りは行った。後の管理は地主と烏に任せている」
穢れが浄化される頃には土地へ残る人々の思いも消えゆくことだろう。
話を聞き終えた丙は猿楽に加わり舞いはじめた。大柄な男の踊りが滑稽に見えて、辺りに老若男女の笑い声が木霊する。鈴と笛の音、暗闇で立ち昇る火に照らされて踊る人々の影を月読は見つめた。
宴も終わり白みはじめた空の下、猿達は道具をまとめて次々と下山を開始する。
「月読様」
テントで動きやすい洋服に着がえ靴を履いていると大伴が呼びにきた。荷物を背負い真新しい鳥居をくぐる。鳥居の脇には修復された地蔵菩薩が置かれていた。
資材を入れる為、猿たちにより整備され格段に歩きやすくなった山道を下る。途中、登山者とすれ違った。深い編み笠を頭へかぶり、袈裟と脚絆を着けて山々を歩く修行僧のような風貌だ。声を発さず礼をしてきたので此方も礼を返す。僧は改めて開かれた山道を登って行った。
麓の空き地を整備しただけの駐車場へトラックが停まり猿達は道具を積んでいる。月読は丙と言葉を交わし、大伴の手配した車へ乗って帰途に就いた。
***************
大きなため息を吐いた月読は、落ちた前髪を後ろへ撫でつける。
九郎の位置が近い。試しに指2本分の隙間をあけて座れば、いつの間にかピッタリ張り付いている。だからと言って特に嫌というわけでもないが、体温の高い壁が真横にいるのは暑苦しい。月読は本日2回目の溜息を吐いた。
「2人とも近くないですか? 」
「そ、そうか? 」
おかしな距離感に勘づいた千隼は、メガネに手をそえてジィィと見てくる。月読が肘でドスドスと隣の脇腹をつつくけれども、怪我が完治した九郎は微動だにしない。
なんともふてぶてしい態度の烏は、月読の隣へ陣取っていた。
遊びだと勘違いしたのか、千隼も反対側に腰を下ろして間を詰めてきた。おしくらまんじゅうの如くギュウギュウと月読を挟みこむ。
「暑い……せまい……」
男と男の隙間に挟まれ、月読はげんなり嘆く。
座卓へ置いていた電話が鳴って九郎は呼び出された。黒い双眸がチラリとこちらを見てから屋敷を出ていくので本日3回目のため息を吐く。
「こら、お前もわざとくっ付くんじゃあない」
月読は千隼の頬を指でグイグイ押す。
「九郎さんのこと気にしてます? いいじゃないですか~。月読さまって、こうしてくっ付くと気持ち良いんですよね。温かくてスベスベして~」
ほっぺたを指で押された千隼は顔がくぼんでもめげずに寄ってくる。月読のことを子供の頃に水族館で触れたイルカの手触りに例えてきた。
「知ってますか? イルカって強い茄子なんですよ! 月読さまはちょっと柔らか茄子――」
「茄子って……私を一体なんだと思っている」
優しく頬を押していた月読の手は顔面をつかむアイアンクローへと変わった。腕をバタつかせて逃れた千隼は、口を3の形にして不貞腐れてる。しかし九郎の目を気にしていたのは事実、お道化た性格をよそおって人をよく見ていることに感心する。
「ねえ、月読さま。僕も明って呼んでいい? 」
離れたはずの千隼は腕へ抱きついて見上げ、冗談めかして訊いてくる。眼鏡の奥で薄茶の瞳が爛々と光を帯びていた。
「あとついでに、雄っぱい揉んでもいい――」
「どっちも駄目に決まってるだろう」
「ちょ、痛たたたっ。冗談、冗談ですって! 」
全くもって油断ならぬ鬼の子だ。あきれた月読はぷにぷにした頬を両手で押さえてから引っぱる。ゴムのように頬が伸びた青年は手をバタバタさせて藻掻いた。
夕食を食べた千隼は邸宅へ帰り、九郎も仕事から戻ってきて端末をいじっている。いつもどおり穏やかな時間だけれど、月読は黙ったままの男を見遣った。何か思うところがあったり、怒っていたりすると九郎は輪をかけて口数が少ない。
――――面倒くさい男だ。
人の事は言えないけれど、なぜこうも面倒な男にばかり惹かれるのだろうかと月読は苦笑する。会話の呼び水になる事をぼんやり考えていると、九郎から話しかけてきた。
「縛るつもりはないんだ。だが他者と共にいるお前を見ると心がざわつく……お前の事になると俺は心がせまくなる」
独占したいが縛る枷にはなりたくない、九郎は矛盾した心を吐き出し自身の度量の小ささに怒りを感じている様子だ。一途な男がロクでもない男と一緒にいる限り、ジレンマは取り払えないだろうという懸念は的中して月読は困ったように眉を上げる。
「お前さぁ、今からでも遅くないぞ。誰か良い子を紹介――」
「いらない」
言い終わる前に、九郎はきっぱりと断わった。
「九郎の意地っぱり」
「うるさい」
子供の頃から変わらない喧嘩、頑固になった九郎はこちらの言う事を聞かなくなる。やっと手に入れたのに離すつもりはないと双眸がこちらを見据える。些か塗り潰されて黒味を帯びた瞳。
兄弟よりも強く、恋人よりも深い絆、言い表せない多くの思いが交錯する。
「拗らせてるなぁ」
頬杖をついた月読は、ため息をついて隣へ座る男を見た。ジレンマを感じているのは九郎だけではない、整理が追いつかない頭の中身と思い通りにならない状況は月読も同じ。長い沈黙の後、九郎の頭を手繰りよせ唇を重ねる。唇を離して精悍な男の顔を指でたどると、真っ黒い瞳がこちらを見つめていた。
「こんな男でいいのなら、この先も一緒にいてくれるか? 」
「っ……無論だ」
九郎の肩へ頭を預けた月読はポツリと告げる。何となく一緒に人生を送るのだろうという、淡い感覚はハッキリと輪郭を成していく。嗅ぎなれた匂い、こうして顔を埋めれば目を閉じていても九郎の匂いだとわかる。衣服を皺くちゃになるまで握りしめ、月読はこの時間がずっと続けばいいと思った。
草木もゆれぬ夏の夜、窓辺から鵺鳥の鳴き声が抱きあう2人の耳へ響いた。
―――――――――――――――
お読み頂きありがとうございます
千隼は雄っぱい探偵(ちがいます)
もろもろの用語説明です。
※焚松…松明。松の樹脂が多い所を細かく割って束ねた物。
※五穀…米、豆、麦、粟、ひえ等。地鎮祭で土地神へ捧げる物。
※五宝…金、銀、真珠、サンゴ、水晶または琥珀など。宝の代表なので内容は変化する。五穀と同様、土地神へ捧げる物。
※袍…装束の表着。衣冠束帯で着る上衣。
※衣冠束帯…古代日本(おもに平安時代以降)における朝服。衣冠は衣服と冠、宿直装束【束帯より軽装】。束帯は公家の正装。
※猿楽…散楽。曲芸や軽業や狂言に似た寸劇。後に能楽に近い歌舞劇になった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
56
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる