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第五章

鎮魂

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 大豆や米・麦など五穀ごこくささげ、水晶や五宝ごほうつぼへ入れて深く埋めた土地が整備され、新たに小さなやしろが建てられる。

 おもむろに流れた風は前髪をくすぐり、眺めたさきに大きな木材が通りすぎる。討伐の時は大きな槍を持っていた男達、今はつちを持ち木材を叩いている。男たちの野太いかけ声で、組み立てられた鳥居とりいが縄に引かれ道の真ん中へった。門が出来ていよいよ社は完成、注連縄しめなわ紙垂しでが鳥居へけられた。



 地平線へ日が沈み、敷地のすみへ置かれた焚松たきまつはパチパチとぜる。

 火明かりに月読が照らされた。長い髪をまとめ上げ黒い冠をかぶる。黒紫色のほうに白いはかま束帯そくたい姿、白絹しらぎぬの袴は光の加減でうっすら月紋が浮かびあがった。暗闇のなか神饌しんせんなどが並ぶ祭壇さいだんの前で祭祀さいしり行う。闇の静寂しじま、凛とした祝詞のりとは響きわたる。

 全てを終えたのち、社の扉は閉じられた。

 酒の入った大樽おおだるをかついだ猿達が行き来し、大きな影が社前にいる月読へ近づく。

「終わったみてえだな。今からうたげをはじめるぜ」

 大樽おおだるふたが開けられ、酒を柄杓ひしゃくみあげる様子を見守る。

 【猿】の男たちが猿楽さるがくのまねごとを始めて歌いおどりだす。松明たいまつの明かりのもと、手拍子と笑い声があたりへひびく。布の折りたたみ椅子へ座った月読は口を付けたさかずきを隣へまわし渡す。ひのえが大きな盃を飲み干せば拍手がおこり新しく酒がそそがれる。盃は隣の者へと渡っていき、手の甲で口元をぬぐった丙はたずねる。

「ずいぶん古い社なもんで、色々調べて復元に手間取てまどっちまった。でもよ、なんでちた社を建て直そうと思ったんだ? 」

 月読の面貌めんぼうを火明かりがゆらゆらと照らす。屋敷で茫洋ぼうようとしている時とは違って、目元も上がり冷徹れいてつとした雰囲気をたたえている。

「ここは元々ヒルコ神をまつっていたが、たたり神をふうじた地ともわれている」

 ヒルコ神はエビス神として海の沿岸部などで信仰されている。神話の時代に蛭児ひるこを船で流したとしるした文書もある。ひるの形は胎盤たいばんを表しているとも云われ、いまだ謎多き神だ。このすたれた土地はいわくがあり、大昔に産まれてこなかった胎児を供養していた寺もあった。飢饉ききんや戦時中は、多量の遺体が遺棄いきされた土地でもある。

 マガツヒと化した祟り神はめっしたが、土地にはまだ多くの念が混ざり合って渦巻うずまいている。討伐時にちぎれてらされたけがれも残り、依頼してきた地主に許可を取り鎮魂のまつりをおこなって新たなやしろを建立する事にしたのだ。

しずめの祭りはおこなった。後の管理は地主とからすに任せている」

 穢れが浄化される頃には土地へ残る人々の思いも消えゆくことだろう。

 話を聞き終えた丙は猿楽に加わり舞いはじめた。大柄な男の踊りが滑稽こっけいに見えて、辺りに老若男女ろうにゃくなんにょの笑い声が木霊こだまする。鈴と笛の音、暗闇で立ち昇る火に照らされて踊る人々の影を月読は見つめた。



 宴も終わりしらみはじめた空の下、猿達は道具をまとめて次々と下山を開始する。

「月読様」

 テントで動きやすい洋服に着がえ靴を履いていると大伴おおともが呼びにきた。荷物を背負せお真新まあたらしい鳥居をくぐる。鳥居の脇には修復された地蔵菩薩じぞうぼさつが置かれていた。

 資材を入れる為、猿たちにより整備され格段に歩きやすくなった山道を下る。途中、登山者とすれ違った。深いがさを頭へかぶり、袈裟けさ脚絆きゃはんを着けて山々を歩く修行僧のような風貌だ。声を発さず礼をしてきたので此方こちらも礼を返す。僧は改めて開かれた山道を登って行った。

 ふもとの空き地を整備しただけの駐車場へトラックが停まり猿達は道具を積んでいる。月読は丙と言葉を交わし、大伴の手配した車へ乗って帰途きといた。



***************

 大きなため息を吐いた月読は、落ちた前髪を後ろへ撫でつける。

 九郎の位置が近い。試しに指2本分の隙間すきまをあけて座れば、いつの間にかピッタリ張り付いている。だからと言って特に嫌というわけでもないが、体温の高い壁が真横にいるのは暑苦しい。月読は本日2回目の溜息を吐いた。

「2人とも近くないですか? 」

「そ、そうか? 」

 おかしな距離感にかんづいた千隼ちはやは、メガネに手をそえてジィィと見てくる。月読がひじでドスドスと隣の脇腹をつつくけれども、怪我が完治した九郎は微動びどうだにしない。
なんともふてぶてしい態度の烏は、月読の隣へ陣取じんどっていた。

 遊びだと勘違いしたのか、千隼も反対側に腰を下ろしてあいだを詰めてきた。おしくらまんじゅうのごとくギュウギュウと月読を挟みこむ。

「暑い……せまい……」

 男と男の隙間に挟まれ、月読はげんなり嘆く。

 座卓ざたくへ置いていた電話が鳴って九郎は呼び出された。黒い双眸そうぼうがチラリとこちらを見てから屋敷を出ていくので本日3回目のため息を吐く。



「こら、お前もわざとくっ付くんじゃあない」

 月読は千隼の頬を指でグイグイ押す。

「九郎さんのこと気にしてます? いいじゃないですか~。月読さまって、こうしてくっ付くと気持ち良いんですよね。温かくてスベスベして~」

 ほっぺたを指で押された千隼は顔がくぼんでもめげずに寄ってくる。月読のことを子供の頃に水族館で触れたイルカの手触りに例えてきた。

「知ってますか? イルカって強い茄子なすなんですよ! 月読さまはちょっと柔らか茄子――」

「茄子って……私を一体なんだと思っている」

 優しく頬を押していた月読の手は顔面をつかむアイアンクローへと変わった。腕をバタつかせてのがれた千隼は、口を3の形にして不貞腐ふてくされてる。しかし九郎の目を気にしていたのは事実、お道化どけた性格をよそおって人をよく見ていることに感心する。

「ねえ、月読さま。僕もあきらって呼んでいい? 」

 離れたはずの千隼は腕へ抱きついて見上げ、冗談めかしていてくる。眼鏡の奥で薄茶の瞳が爛々らんらんと光をびていた。

「あとついでに、っぱい揉んでもいい――」
「どっちも駄目に決まってるだろう」
「ちょ、痛たたたっ。冗談、冗談ですって! 」

 全くもって油断ならぬ鬼の子だ。あきれた月読はぷにぷにした頬を両手で押さえてから引っぱる。ゴムのように頬が伸びた青年は手をバタバタさせて藻掻もがいた。



 夕食を食べた千隼は邸宅へ帰り、九郎も仕事から戻ってきて端末をいじっている。いつもどおり穏やかな時間だけれど、月読は黙ったままの男を見遣みやった。何か思うところがあったり、怒っていたりすると九郎は輪をかけて口数が少ない。

――――面倒くさい男だ。

 人の事は言えないけれど、なぜこうも面倒な男にばかりかれるのだろうかと月読は苦笑する。会話の呼び水になる事をぼんやり考えていると、九郎から話しかけてきた。

しばるつもりはないんだ。だが他者と共にいるお前を見ると心がざわつく……お前の事になると俺は心がせまくなる」

 独占したいが縛るかせにはなりたくない、九郎は矛盾した心を吐き出し自身の度量どりょうの小ささに怒りを感じている様子だ。一途いちずな男がロクでもない男と一緒にいる限り、ジレンマは取り払えないだろうという懸念けねんは的中して月読は困ったように眉を上げる。

「お前さぁ、今からでも遅くないぞ。誰か良い子を紹介――」
「いらない」

 言い終わる前に、九郎はきっぱりと断わった。

「九郎の意地いじっぱり」
「うるさい」

 子供の頃から変わらない喧嘩けんか、頑固になった九郎はこちらの言う事を聞かなくなる。やっと手に入れたのに離すつもりはないと双眸がこちらを見据える。いささか塗りつぶされて黒味をびた瞳。

 兄弟よりも強く、恋人よりも深い絆、言い表せない多くの思いが交錯こうさくする。

こじらせてるなぁ」

 頬杖をついた月読は、ため息をついて隣へ座る男を見た。ジレンマを感じているのは九郎だけではない、整理が追いつかない頭の中身と思い通りにならない状況は月読も同じ。長い沈黙の後、九郎の頭を手繰たぐりよせ唇を重ねる。唇を離して精悍せいかんな男の顔を指でたどると、真っ黒い瞳がこちらを見つめていた。

「こんな男でいいのなら、この先も一緒にいてくれるか? 」
「っ……無論むろんだ」

 九郎の肩へ頭を預けた月読はポツリと告げる。何となく一緒に人生を送るのだろうという、淡い感覚はハッキリと輪郭りんかくを成していく。ぎなれたにおい、こうして顔をうずめれば目を閉じていても九郎の匂いだとわかる。衣服をしわくちゃになるまで握りしめ、月読はこの時間がずっと続けばいいと思った。

 草木もゆれぬ夏の夜、窓辺から鵺鳥ぬえとりの鳴き声が抱きあう2人の耳へひびいた。





―――――――――――――――
お読み頂きありがとうございます

千隼は雄っぱい探偵(ちがいます)

もろもろの用語説明です。

焚松たきまつ松明たいまつ。松の樹脂じゅしが多い所を細かく割ってたばねた物。

※五穀…米、豆、麦、あわ、ひえ等。地鎮祭じちんさいで土地神へささげる物。

※五宝…金、銀、真珠、サンゴ、水晶または琥珀こはくなど。宝の代表なので内容は変化する。五穀と同様、土地神へ捧げる物。

ほう…装束の表着うわぎ衣冠束帯いかんそくたいで着る上衣うえのきぬ

衣冠束帯いかんそくたい…古代日本(おもに平安時代以降)における朝服ちょうふく衣冠いかんは衣服と冠、宿直装束とのいしょうぞく【束帯より軽装】。束帯そくたい公家くげの正装。

猿楽さるがく散楽さんがく。曲芸や軽業かるわざ狂言きょうげんに似た寸劇すんげき。後に能楽のうがくに近い歌舞かぶ劇になった。
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