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閑話 ~日常や裏話など~
#金村の御山日誌「月読様と出会う2」
しおりを挟む御山の谷は霧海におおわれ、頂上の岩山が黄金色の曙光に照らされていた。霧の漂う裾野は、青々とした葉が美しく生命力にあふれている。御山には龍神が住まうと聞いていたものの未だ見たことは無い。
金村は当番の掃除をしていた。
修練後、朝早く人気のない玄関先を清掃する。ついでに石畳の一帯を箒で掃き、見わたす部分すべて綺麗になり金村は気持ちの良い達成感にふーと深呼吸する。
霧の濃い早朝にも拘わらず大柄な人影が歩いてきた。
御山から来たその人は白地の浴衣に脚絆だけの軽装、金村はその容貌を見て記憶を呼び起こしたけれど憶えのない顔だ。ゆるくうねる髪の毛が風に吹かれてなびき、穏やかな雰囲気を醸し出す。
白い人は通り過ぎる直前、柔らかくニコリと微笑む。
金村は深く礼をして、姿を直視しなかった。霧深い山から来た者が人に思えず、畏れを感じたからだ。通り過ぎた白い人は中央に建つ屋敷の方角へ歩き去った。
――――祖霊? 屋敷神だろうか? 西洋の言い伝えでは古い家に妖精が住み着くと云う。
金村は白い人が歩き去った石畳を眺めた。
掃除当番の朝に遭遇することが多かった。金村は山から降りてくる白い人を烏の七不思議のひとつ、『小さいおっさん妖精』にちなんで『大きな妖精』と呼称するようになった。
大きな妖精は山でも見かけた。
金村は山駆けを2往復した後に登山道の下で休んでいた。兄弟子に比べると体力はない、足の筋肉が攣って柔軟運動でほぐす。
山道の奥から白い男が歩いて来る。奥は勝手に行かないように注意されている場所、禁足地で踏み入ると強すぎる力で障りが出ると聞いている。
初めて会った日と変わらず、新芽萌える春山のごとくふんわりした空間が、人の形をして近づいてくる。今日はまぶしく光を放つ2体の神霊が周りをビュンビュン飛んでいる。
――――ひょっとしたら山神なのだろうか、あの奥に祠があるのか?
山祠から集落へ降りてきているのかもしれない、金村は礼をして頭を下げたまま直視しないように努めた。
通りすぎた後ろ姿を横目でチラリと確認した。
大きな妖精は山門で立ち止まり、手をヒラヒラさせて御霊を追い払った。光り輝く神霊はぴゅーっと物凄い速さで禁足地の方角へ飛び去り、白い人も集落の中へ歩き去る。呆然と見つめていると、御山から下ってきた兄弟子たちが不思議そうな顔で金村を取り囲んでいた。
6月から九郎が月読の屋敷に住まう事になって、それに伴い金村も屋敷へ出入りする。
初日は月読にいつ遭遇してもいい様に心構えしていた。けれども現れることは無かった。
2日目。仕事の資料を持って訪れると、見た事のある者が坪庭の岩へ腰掛けて小さな池をのぞいている。大きな妖精、今は屋敷に居るので大きな屋敷妖精だ。金村はとっさに仕事部屋へ視線を送ったけれど九郎は机のパソコンに向かい、大伴も隣に座って仕事を手伝っている。ふたりとも庭を気にしていない。
もしや意識しては駄目なのかと思い、金村は坪庭を目に留めず通り過ぎた。
横目でチラリとのぞけば、屋敷妖精は菜の花畑のような鷹揚さを坪庭へまき散らしている。季節外れの蝶が数匹まわりをヒラヒラ飛んで、そこだけ春の陽気がただよう空間になっている。時々透ける美しい蝶々は普通は見えない霊的な蝶だろう。
屋敷妖精は、訪れるたび居場所が変わる。
客間の縁側で生け花を眺めたり、居間でぼんやり座っていたり、御山の見える北庭をフラフラ移動していた。屋敷妖精について誰も触れないので、口に出してはいけないのだと思い金村は黙っていた。
1週間もすると屋敷妖精の存在にも慣れた。仕事で九郎の元を訪れたら屋敷妖精は依然として坪庭へ腰掛け、ふんわりと陽気な空間を広げている。
九郎と決算について会話を交わしていた。
「――月読」
決算書を手に取った九郎は、不意に月読の名を呼んだ。
――――今日は月読様が居るのか。
金村は現れるのを待ったが一向に出てこない。
九郎は再度大きめの声で呼ぶ、大きな声にビックリした顔の屋敷妖精が反応してこっちを見ている。困惑した金村が大伴を見れば、仕事を中断して何事かという表情で見ている。
小さく溜息をついた九郎は立ち上がり、坪庭にいた屋敷妖精の袖をつかんで連れてきた。
屋敷妖精は九郎の隣へ座らされ、月次決算書を渡されていた。まとう空気が少し変化して先程までぽやっとしていた顔は、眉間にシワをよせ真面目に決算書を確認している。
「修繕費はこっちで落としてくれ。あとはこれでいいんじゃないか? 」
――――しゃべったっ!?
屋敷妖精だと思っていたものは野太い声を発し、金村は人間だと気付いた。
九郎へ決算書を返した男は、ふたたび仕事場に似つかわしくない緩い陽気をまき散らす。
冷然とした月読を思い出し、九郎の横に座る男をよくよく見つめる。
柔らかそうな髪の毛にふんわりした雰囲気、さらに坪庭からついてきた蝶々が周りを飛びまわりユルさに拍車をかけている。挨拶の時と同じ人物に見えなくて金村は何度も見返す。
冷然とした方を夜空に浮かぶ月と例えるなら、眼前の男は草花の生える春先の御山のようだ。やはりここにいる男は妖精にしか見えない。金村がチラチラ盗み見ていると屋敷妖精はふらり立ち上がり、今度は居間へ座りこんで欠伸をしていた。
大伴は笑った顔で仕事に戻り、九郎は表情を変えず仕事を続けていた。
――――本当に同一人物なのか、仕事は何時しているのだろう?
謎が謎を呼び、そして謎のままだった。
ある日、資料を持って月読の屋敷へ行くと不在だった。金村の確認不足なのだが烏の家には戻らず門で待っていた。
ふらりと歩いて来た屋敷妖精――もとい月読に声を掛けられる。
月読は金村をうながし屋敷の廊下をスススと歩き、九郎の仕事部屋まで案内して部屋を出ていく。なにげに人生最大のピンチに陥ったのかもしれないと、金村は案じて立ち尽くした。
戻ってきた月読は、お茶と最中がのったお盆を持っていて屋敷妖精らしい事をしている。
金村が座るとなぜかテーブルの前に月読も腰を下ろしてジッと見てくるので、金村は目を逸らして最中を口に入れた。
動物をかたどった可愛らしい最中は意外に上品な甘さだ。美味いのでメーカーを確認したいが、月読には到底聞けない。小さい最中はすぐ無くなり惜しんでいるのがバレたのか、箱からもう1つ出して置かれた。ひと口で食べると皿はまた空になって、椀子ソバのように最中が足されていく。
月読に遊ばれているのだろうか、神がかり的なミステリーだと金村は思った。
玄関先で声がして九郎が戻ってきた。大伴がこちらに気が付いて素っ頓狂な声を上げる。金村は怪異を乗りこえ胸中ホッとしていた。しかし部屋へ近づいた九郎が黒々としたオーラを放っていて、やはり人生最大のピンチに変わりないようだ。
金村は動揺を隠すべく、美味い最中を全力で味わってその場を切り抜けた。
心を見通すような月読の澄み切った瞳とは怖くて目を合わせられないけれど、覚られないように観察を続けた。合間に九郎も月読をチラリと見ていて、いつも鋭い目はその時だけ和らぐ。
昔日の夕空を眺めている目だった。金村は九郎があの時見ていたものを理解した。
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