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第五章
リハビリちゅう
しおりを挟む通用口の警備員に会釈をしてから階段をのぼる。タンタンタン、足音がコンクリートの壁に反響した。階段を看護師が忙しなく行き来している。
2階で足を止めた月読はリハビリ室へ向かった。広いスペースにリハビリ器具や様々なトレーニングマシンが並び、運動してる人々と機具の摩擦音が聞こえる。見知った男はランニングマシンを降りて、ダンベルで腕を鍛えはじめた。シャツは汗に濡れて湯気がたち、男のいる場所だけ温度が上昇したように感じた。こちらに気がついた男は腕を動かしながら鋭い目をむける。
「そんなに鍛えたら、重くなり過ぎて飛べなくならないか? 」
「だいぶ筋力が落ちている。これでも足りないくらいだ」
退院も近くなり、九郎は自主トレーニングに励んでいた。長いブランクをとり戻すため体を鍛えている。指導士が見守っているものの、無理をしていないかと心配になる。十分な筋量がないと山を駆けるのに体を支えられない、それは月読も身をもって知っている。
「頑張りすぎて疲労骨折おこすなよ。ほどほどにな」
そのあたりは知り尽くしているであろう男へ空しいアドバイスをする。月読はしばらく壁へ凭れて見ていたが、水分補給と休憩のタイミングで邪魔をしないよう退散した。
窓を開け、病室の空気を入れかえる。海でのマガツヒ討伐から2日経った。溺れかけてまだ退院は許されていないが、鬼平の配慮で広い個室を与えられた。長い毛を適当に括り、ゆったりしたズボンと白いTシャツは屋敷にいる時よりリラックスした格好だ。部屋着のようだけど、病院に隣接した公園を散歩するには違和感のない姿だった。
「はあ……最近、ずっと病院にいるなぁ」
マガツヒ討伐で負傷したとはいえ、ここのところ入退院をくり返している。ため息を吐いてソファへ寝っ転がった。顔にかかる日差しは少し眩しい、暇だが九郎みたいにパソコンを持ち込んでまで仕事する気も起きない。ゴロゴロしていると眠くなり目を閉じる。
ドアがバァーンと開き、騒がしく千隼が入ってきた。
「月読さまー? そんな日差しの中で寝てたら、へんな日焼け痕つきますよ」
閉じかけていた目を開けると、満面の笑みの千隼がいた。学校帰りにオレンジを買ってくるよう頼んでいた事を思いだす。いろいろな種類の柑橘、彼は食べ比べにはまっているらしくお勧めのオレンジを差しだす。
月読がオレンジの皮を剥いていたら、冷蔵庫を開けた千隼は声をあげる。
「うわ~、お見舞い品で一杯ですね」
「ゼリーや枇杷好きだったら、持ち帰っていいぞ。そっちに焼き菓子もある」
ただの検査入院だと言うのに、訪問者たちの持参した物で冷蔵庫は満杯だった。食べ物に加え、日用品も使い捨てられるほどある。窓辺や棚もここが病院であるのを忘れさせるくらいの花束で彩られていた。
普段も贈り物はあるが個人的な物を挙げると切りがない、服どころか高価な品を贈ってくる人までいてモモリンに断り行脚をしてもらっている。入院で歯止めがかからず、来る人来る人何かしら携えている。
ただ欲しい物を口にしてしまうと、部屋がオレンジで埋め尽くされるとも限らないので千隼へわざわざ頼むのだ。嘆息した月読は見舞い品で溢れた部屋を見まわした。
「いま御山のなにかを垣間見た気がします」
眼鏡を光らせた千隼はひと言つぶやき、月読の屋敷へ持って帰る物ともらった物を両脇にたずさえて帰った。
食べ終えてソファでうつらうつらしていたらカーテンを閉める音がした。頭を抱え上げられ、その下へ無理矢理何者かが座る。うす目を開けると月読の頭を腿へのせた九郎が座っていた。
「せまい。お前の部屋は向こうだろ」
月読が不満げに鼻を鳴らせば、黒い双眸はチラリと見下ろしただけだった。仕方なく目を閉じると、湯あがりの匂いのする手が髪を梳く。心地好くて為されるままだったが、しばらくして急に起きあがった。
「思い出した。九郎、私は怒っているんだぞ」
九郎は意外だとでも言うように目を丸くした。先日のマガツヒ討伐の際、彼が岩柱の近くへ現れたという目撃談を後から知らされた。当主の行動にしては軽率、ケガが悪化するかもしれないし戦闘に巻きこまれる可能性もあった。砕波により止められ、実際には何も起こらなかったので処遇は不問とされた。
「俺個人の行動だった。不服があるなら長老会にでも処分を申請しろ」
月読をなだめるため九郎はキスしようとする。瞬間にぶい音がして鉄面皮の目は痛さで閉じられた。もちろん頭突きした月読のおでこも赤くズキズキとしている。
――――そういう事じゃない。
月読の憤りは治まらなかった。しなくてもいい命のやり取りをあの場へ持ってきた彼に怒りを感じたのだ。
「すまない。お前が海にいると思ったら、居ても立ってもいられなかった」
真摯な顔になった九郎はつぶやいた。隼英が亡くなった直後ずっと月読の傍へ寄り添い、あのマガツヒ討伐を間接的に経験したうちの1人。トレーニングで擦れた指は月読の頬へふれ、唇の啄ばみはやがて深い口づけへと変わった。
***************
「月読さま、黒い道着のお兄さんが来てますよ~」
慌ただしく走ってきた千隼が告げ、学校へ飛びだして行った。何事かと玄関へ向かえば、退院したばかりの九郎が道着姿で玄関に立っていた。
調整がてら稽古をしたいと言われて軽い手合わせをする。烏たちの道場もあるけど、月読との手合わせのほうが身体の状態が分かりやすいと説明された。なるほど組手の動きに若干ズレがあって本調子ではない事はわかった。軽いはずの稽古は白熱して汗が湯気となって立ち昇る。
手合わせがおわり息を整えた九郎が無言だったため側へ寄ると、腰へ手がまわり引き寄せられた。冷めきっていない汗ばんだ身体が密着する。隙間から熱い舌が侵入して、下腹部へ硬いものが当たった。
焦った月読は身体に障ると行為を禁止した。硬いものを押しつけたままの九郎は、沈痛と憂いを含んだ目つきで見つめている。
「そ、そんな顔してもダメだからな! 」
月読は逃げるように、そそくさと道場を後にした。
風呂で汗を流したあと九郎へ声をかける。世話役の任を解かれ、大きな荷物は烏たちにより運び出された。マグカップや歯ブラシなどの私物は残り書斎の段ボールへまとめた。九郎は何も言わず、まとめられた物を眺めていた。
夕刻、九郎の退院祝いの宴へ同席する。
「内輪だけの方が良いんじゃあないか? 」
「俺は明に祝ってもらいたい」
2人連れ立って烏の屋敷で夕食を共にする。あっという間に時間は過ぎ去り、お祭り騒ぎを後目に宴を退席した。
「お前は主役だろ、いいのか? 」
「あとは若衆が勝手にさわぐ、これ位がちょうどいい」
烏の屋敷を出て言葉すくない九郎と並んで歩く。
靴を脱いだ九郎は何時までたっても帰らない、しばらく穏やかな沈黙が流れた。月読はたまにチラリと見やるが、お互い何を話すでもなく時は過ぎる。一向に帰る気配がないので月読は風呂へ入った。居間でゆっくりしていると湯から上がった彼も隣へ腰をおろした。
「……?、? 」
風呂あがりに気付いたのだが、持ち帰れるように纏めていたコップと歯ブラシは洗面所にあった。隣の居室にはすでに布団も敷かれている。
「九郎……伝えたと思うけど、世話役の任期は終わったのだぞ」
嫌な予感がして月読は口を開いた。さっさと帰れとまでは言わないものの、遠まわしに烏の屋敷へ帰るよう促した。あちらの方が九郎を世話する者がたくさんいて日常生活の負担も減るからだ。
「今日から、ここが俺の部屋だ」
「えっ? 」
幾度となく、このやり取りをしてきたように思う。間をおいて月読は再度「えっ」と声を発するけれど図太い男は同じやり取りを行う。
理解しかねうんうん唸っていたら、九郎はこめかみへ口を寄せてキスをした。いつの間にか腰へ回された腕に引き寄せられ隣の男へもたれかかる。月読はぼんやり抱かれていたがハッとなり身を離す。
「いやいやダメだろう!? もう他の世話役がいるし、さっさと帰れよ」
ふてぶてしい烏は千隼には明日伝えると宣う。ふたたび引き寄せられ心地のいい体温が密着した。なんと入院中にしっかり根回しして、両人の了承さえあれば同居を許可されたようだ。月読は前例のない出来事に困惑する。
「同居? 別にいいんじゃないですか? 」
当の千隼も慣習に囚われていない。こうして九郎は烏の屋敷へ出勤して、こちらへ帰ってくるという奇妙な生活を送るようになった。そしてそれを許してしまう月読の姿もあった。
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