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第五章

隼英の息子2

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 重たい、まるで上から何かがおおかぶさって圧迫している。目を開けると千隼ちはやがグーグーと寝息を立てていた。月読は死体のごとく眠る青年へ声をかける。

「おはよーございます。起こそうとしても起きないし、ぬくいから眠くなっちゃって……」

 寝ぼけまなこの青年はろれつの回らない口でしゃべった。浮かれて早起きしたもののここで眠くなってしまったようだ。朝食を作るだけなのでお手伝いを連れず1人だけど、初日から寝てしまうとは先が思いやられる。



 月読はなるべく自然体で千隼と接した。

 道場で体を動かした後、汗を流してダイニングへ行けば朝食が用意されていた。月読の分だけ用意していた為、余分に作っていたものを盛って一緒に食べるように誘う。人参にんじん椎茸しいたけの汁物は煮干にぼしでとった出汁だしの味だ。他にとろろや昆布の煮物がならび、意外いがいにしっかりした和食で月読は驚いた。

「味くないですか、口に合いました? 」

 おわんを持った千隼が首をかしげたので美味しいと伝えた。料理屋でバイトでもしていたのか訊けば、小さい頃から料理していて仕事から帰ってきた母にも作っていたと話す。モチモチした食感の団子だんごを食べていると薄茶の瞳がこちらを見つめる。

「月読さま、いつもどんなの食べていたんですか? 」

 月初つきはじめや祭事さいじの前後は潔斎けっさいのため山菜や精進料理が多いけれど、普段は肉も魚も食べて酒も飲んでいる。御山の龍神は食には寛容かんよう、禁じる食物はまつる神にもよるのかもしれない。

 朝食が終わったあともしょくについて千隼と意見をまじえる。

「僕も好きです総菜そうざいパン、じゃあ今度カレーヤキソバコロッケパン作りますね! ソーセージとザワークラウトも入れます? 」

「詰めこみ過ぎだろ」

 洋食や総菜パンの話に興味を示した千隼は、笑顔で高カロリーそうな食べ物の名をとなえていた。



 分からないことは素直に聞いてくる性格だったので教えつつ打ち解けていく。

 体は成長途中のようだ。細身だが中学まで空手をしていて、そこそこ鍛えられてる。切れ長な目元は鷹揚おうようさは感じられず黙っていればクールな印象、千隼は容姿もあわせ隼英とは似ていなかった。

 常に微笑ほほえんでいるけれど、どこか冷めた目をする瞬間があり月読は気になっていた。まだその部分へは踏み込めない。それなりに友人も出来て遊びに行ったりもしている様子だ。逆に月読の学生生活のことを聞かれ、情けない修羅場しゅらばの連続だった話を包み隠さず話した。

 千隼は目を丸くして笑いはじめた。

「おい……笑うなよ」

「だってギャップ激しすぎですよ。僕初めて面会したとき、緊張してドコで息吸えば良いか分からなくて酸欠になりそうだったのに~」

 がっくり項垂うなだれる月読の側で腹をかかえた千隼はあやまり、月読の正装した時とダラけている時の落差らくさを語りだした。『月読』は集落の伝説的な存在と聞きおよび、もっとキチンとして堅い人物だと思っていたらしい。

「じゃあ『月読様』がこんな男でがっかりしただろう? 」

 千隼は首を左右にブンブン振り、むしろ落ち着いてなごむと答えた。伝説なんて噂話とたいして変わらない、理想と現実にギャップはつきものだと月読は説明する。縁側えんがわへ寝ころがった千隼は大きく深呼吸して薄雲を見上げていた。

 仰向あおむいてゴロゴロしていた千隼が起きあがり、モバイル端末を触る月読の手元をのぞきこむ。

「なにしてるんですか? 」
千隼おまえの育成記録、画像付きで入院してる奴に送ってる」
「月読さまプライバシー、プライバシーですよ!」

 さわいでいたけど、カッコイイ写真を撮ろうかとカメラを向ければちゃっかりポーズをとった。たくさんスタンプを張り付けて送った千隼は満足げに笑った。





 開花しかけの石楠花しゃくなげ庭師にわしに頼んで切ってもらい、持参して病室の扉を叩く。

「それで、どうなんだ? 」

 花瓶からしおれた葉を取りはらい鮮彩せんさいな石楠花を差していると、後方の椅子イスから声がした。リハビリの一環として九郎は椅子へ座って過ごすようになっていた。

「どうって送ったまんまさ」

 うすく微笑んだ月読は花を包んでいた包装紙を折りたたむ。肋骨を固定するバンドを着けた男は、いつの間にか後ろへ忍び寄っていた。背中に重みがかかり両腕は腰へまわされ熱い唇が耳朶じだへ触れる。

「すんなり受け入れられて……少しけるな。俺はまだ返事も聞いていない」

 その言葉に肩先を見れば黒い双眸そうぼうと目が合った。しばらく見つめ合っていると九郎は唐突とうとつに返事を要求しだした。しらばくれてかわそうとしたが、ガッチリ組まれた腕は納得するまで外れそうにない。肩先にいる目付きの悪いくろうが顔を寄せてくる。

 眉頭を上げた月読は大きく息をつく。

「ああ、はいはい、好き好き。まったく、お前は私に何を言わせるつもりだ」
「……心がこもってない」

 不満げに黒々としたオーラを放っていたが、ほどなくリハビリの時間が来たので見送る。



 見舞いを済ませて屋敷へ帰ると、連絡があり千隼が訪れた。

 レストランで夕食を食べて他愛もない話をしながら広い石畳を歩く。早いもので千隼が来てから1ヵ月が過ぎようとしていた。彼は御山の生活にも慣れ、次の世話役候補こうほも決まってもうすぐ任もかれる。

 温かくなる季節、日のびた空にだいだいの夕焼けがひろがる。千隼がなにか言いたそうな素振そぶりを見せたため月読は家へ誘った。酒とさかなを用意して北のはなれへ腰かけた。酒のグラスを覗くのでポテチとイチゴをテーブルへ並べたら、食欲旺盛しょくよくおうせいな若者は手をのばした。

 邸宅での悩みごとかと聞いても黙っていたが、少しして話しはじめる。

「月読さま……僕って迷惑じゃなかったですか? 」

「ん? いいや迷惑じゃないよ。最初はビックリしたけどね」

 千隼は桃色に染まる雲をながめた。

「僕、古い考えの集落なんてってバカにしてたんですよ。顔も知らない父に思い入れもありませんし……父が関わっていた『月読様』っていうのをちょっとだけ見て、てきとうに遺産で楽して暮らそうかなって考えてました」

 眼鏡めがねが夕焼けを映し、ポツリと独り言のようにこぼした。

 彼は本当にここへ来て良かったのだろうか。千隼の母の墓は育った土地にあり、連絡のやり取りを見ていても向こうの友達は多そうだ。それを置いて来るほどの理由が此処ここにあったのだろうかと月読は感じた。

「育った所では可もなく、不可もなくって感じです。でも何か物足りなくて、ずっとそらの向こうを見ているような子供でしたよ」

 母が夜なべして子供を見守る絵にかいた家庭ではなかった。仕事で帰って来ない母は家をけがちで千隼はいつも1人だった。それでも子供の頃はお金には困らなくて、学生生活もそれなりに楽しんでいた。
おととしガンが見つかり母親は半年ほどで他界した。それまで関わりの薄かった母方ははかたの祖父母は遺産いさん目当てに千隼を引き取った。母の両親は父を嫌っていたので葬式に【鬼】の関係者が来ていたことは後から知ったという。

「癌になってから知ったのですが、母には新しい婚約者がいました」

 記憶の中にいる母は優しくてよく笑う女性だったと、千隼ははかなく微笑む。

「ひょっとしたら僕ってお荷物だったのかなって、だから磐井いわいの爺ちゃんが来た時はビックリしたんですよ」

 父方からもうとまれていると思っていたそうだ。鬼平と母方の祖父母の修羅場しゅらばは凄まじく、最後の判断は千隼にゆだねられて父の故郷を見たくなったのだと話した。

 月読はグラスを傾けながら静かに聴いていた。へだたり、隙間すきま凸凹でこぼこ。物と物、人と人のずれ・・。千隼はここへ来て、自分の居場所を見定めていたのかもしれない。

 風が出てきたのでガラス戸を閉め部屋の中へ入った。

「そんな大事な話を私にして良かったのか? 」
「あっちの邸宅じゃこんな話はできませんよ! デリカシーのない荒くればっかりですし」
「まあ、たしかに多いな荒くれ。いざという時は頼りになるから悪い面ばかりでもないが……こんど私があっちへ訪問したとき、来島くるしまを紹介しようか? 」

 鬼の邸宅内をうろつく武闘派ぶとうはの若衆を思い浮かべて月読は嘆息した。だが【鬼】といっても邸宅は広いので様々な者達がいる。巣からでた若鳥が飛び立てるように新たな出会いのきっかけを作る。

 月読は話をひとつ思い出した。千隼が赤ちゃんの頃に会いに行き、たずねた向こうの両親にほうきで追い返された【鬼】の話だ。千隼は目をパチクリさせながら聞き、祖父母ならやりそうだと笑った。

「他にも面白い話はあったなぁ、思い出したら教えるよ」
「でも……世話役、終わっちゃいますよね」

 眼鏡の奥にある薄茶の目は下を向く。出会った人とのつながりが切れてしまう事をいていた。

「……千隼が希望するなら、延長できるように長老会へ進言してみるけど? 」
「えっ、ホント!? もうちょっと、もうちょっとだけ続けていいですか? 」

 任期を延ばしても構わないと月読が言えば、彼は何回も確認して聞きかえす。学業の優先が条件だと釘を刺し了承した。



 南の邸宅まで千隼を送り届けると、湯谷ゆやが驚いて玄関先まで出て来た。

「月読様! 連絡頂けたら其方そちらまで参りましたのに! 」

 別れぎわ薄茶色の瞳は月読の顔をじっと見つめる。

「月読様、すぐほだされたら駄目ですよ。話が嘘だったらどうするのですか? 」
「そうだな、でも私は千隼を信じるよ。仮に嘘だったとしても、それはそれで構わないさ」

 亜麻色の髪をなびかせた青年は満面の笑みを浮かべ、かがやく放射状のオーラは虹色の光彩こうさいを放つ。

 隼英との関係は話さなかったけれど、いつか千隼も知る時が来るのだろうか。見上げた濃紺の空にひときわ明るいオレンジの星がまたたいていた。


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