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第五章
前線2
しおりを挟む――――同刻、社跡地にて。
辺りは薄暗くなり、薪が燃えてパチパチと爆ぜる。静寂を打ち破って見張りの声がこだまする。鈍くぬめって黒光るソレはまるで巨大な蛭、マガツヒは灯火を胴体で踏みたおし社へ近づいた。
「早く撤退した方が良いですが、すぐには動かせない怪我人も……」
「そこまでマガツヒが来ているんだぞっ!! 」
朽ちかけた建物の中には、数人の負傷者が寝かされていた。現場は混乱し、焦燥感にかられて怒鳴る烏の肩へ手が置かれた。烏が驚いて振りかえると九郎がゆっくり身を起こす。
「大丈夫だ……俺が時間をかせぐ内に負傷者を運びだせ」
低くかすれた声は建物にいる者達へ響いた。
「九郎殿、その怪我では……」
「急げ」
石垣をこえたマガツヒはすぐ其処、来島の静止をふりきった九郎は苦しそうに呼吸を吐きだした。烏達へ負傷者の運びだしを命じ、縁側からおりて印をむすび結界を張った。
結界へ触れた瞬間バチッと音をたてマガツヒは波打つように仰け反った。しかし痛覚がないのか厭わず巨体を傾け、土石流のごとく結界を圧しはじめた。押し返された九郎はうめき、ふたたび吐血して膝をつく。消えかかった結界の上層へ軟体生物の一部が伸び、口らしきものが嗤う。
「九郎様! 逃げてっ!! 」
負傷者を運んでいた烏が叫ぶ、まだ全員退避してないため九郎は引かない。血を吐き荒い呼吸のまま、鋭い双眸で前方を睨みつける。頭上まで伸びた口はひらき、ひしめき合って生えるマガツヒの歯が見えた。
刹那、伸びた口へ真横から呪槍が突き刺さる。
ズドンッ!
グギャアアァッッッ!!
マガツヒの長い口から叫び声があがる。槍を放った大きな影は苦悶にのた打つマガツヒの上空を跳びこえた。社の屋根へ着地した影につづき、後方から走ってきた2体目の白い影が上空を舞う。
怒りで唸ったマガツヒは触手状の口を上へ伸ばした。素早く印を結んだ月読は、盾のごとき六角の結界を叩きつける。幾重にも重なった結界は回転しながらマガツヒを圧し潰す。
空中で体をねじり反転した白い影は視界に九郎を見つけた。血を吐いて膝をつく姿を見た月読の目尻は吊りあがり、表情が険しく変化する。
「雷振!!! 」
野太い声に応じて屋根から雷振が跳ぶ。
跳んだ雷振は体を丸め、両方の前腕をピタリと合わせて足場になった。空中で雷振の腕へ着地した月読は間髪いれず結界術を発動した。結界は地面ごと抉って弾きとばし、マガツヒはもんどりを打って垣根を転がり落ちる。術を放った衝撃で月読も弾きとばされた。ぶつかって跳ねた体を雷振が受け止め損ね、逆さに落ちていく。
「頭ぁっ!! 」
雷振の雄叫びが耳を劈き、ギリギリのところで滑り込んできた丙が受け止めた。
「頭に血が昇りすぎだっ、馬鹿野郎! 後先考えずに術放つんじゃあねえ! 」
月読を地面へおろした丙は怒鳴った。地面へ投げ出した呪槍を拾い、頭を冷やせと言い捨てる。垣根の向こうでは追いついた猿と烏たちがマガツヒを包囲していた。途中九郎を一瞥し、槍を担いだ丙はマガツヒの方角へ歩いていく。
「おめぇが死ぬのは、まだ早え。次に命張るのは俺だ」
九郎を安全な場所へ下がらせ社を背に立つ。今度こそ仕留めるため、月読は印を結んで結界の術式を練りはじめた。
黒い軟体生物は殊の外巨大だ。泥状の黒い体へ触れるとひとたまりなく、水ぶくれした様な体は穢れた禍を地面へ擦りつけズルリズルリと這いずる。硬い甲殻に覆われていないが、先ほどのマガツヒと同じ存在。泥状の軟体も厄介で呪槍や鋼索は刺さるものの足止めできない、規模の小さい術ではぬめった体表面をすべり禍を散らせるだけだった。
その執念は凄まじく呪槍の刺さった体を引き千切りながら進み、予想より早く社へ到達しようとしていた。丙の怒号が暗闇へ轟き、巨大な蛭は倒壊した石垣を越えた。
――――早く! もっと早く!!
月読は神経が焼き切れそうなほどフル回転させて結界式を完成へ導く。視界で沢山の文字列が発生して術式を構築してゆく。
黒々とした巨大な蛭はうねって細い口を伸ばした。九郎が這いつくばりながら前へ出て月読を庇った。手足を動かすたび、彼の口から鮮血がながれる。
月読のなかで何かが切れた。ビシリという音と共に亀裂は広がり力があふれ出す。瞳にゆれる金砂の量が突如増え、視界の結界陣は読めない文字へと変化した。いつか見た記憶の文字で埋めつくされる。
口が言霊を発する。
光りかがやく球体は巨大なマガツヒを包みこんだ。結界表面は回転して少しずつ膨張する。まわりの空気は熱で渦巻き、大風が起こって丙達を吹き飛ばす。一部の者達はそれを知っていた。かつて海の上で見た金色の真円、太陽を彷彿とさせる巨大な結界、宵闇に覆われていた空は真昼のごとく明るくなった。
しばらくして、ベクトルが変わったように内側へ収縮され始める。
ボコッ、ボコン。
周囲と遮断された結界内部は見えない、圧がかかって空間がひしゃげる。中心は結界のすべてを吸い込み、光の粒になって蛍のように儚く消えた。
地表は半円形に削り取られていた。見ていた者達は息を呑み、呆然とした九郎がふり返れば闇夜のなか金眼輝く月読が立っていた。その鼻から生ぬるい液体が流れおち、喉の奥へ血の味がひろがる。視界は金色に染まったまま九郎の様子はよく見えない。
「明っ、あきら――――っっ」
悲痛な掠れ声が聞こえ、月読の意識はぷっつりと途絶えた。
********************
月読は暗いところへ寝そべっていた。
岩屋のような空間、果ては見当たらない。見上げた先に夜空の月のごとき曇りのない玉が光り輝いている。内側は綺麗な水で満ち、大きな真円の玉が浮かんでいた。
右肩に気配がして首を動かせば、見覚えのある白い龍がいる。首の後ろからシメジ頭を沢山生やした闇龗はいつものようにたゆたう。
『ダメだヨゥ。あんな使イ方シタら、ヒトのカラダはコわれちゃうヨ』
複数の頭をワサワサしながら騒ぐ龍をしばらく眺めた。
ふと左脇腹に重みを感じ、そちらへ視線を向ける。重く黒い靄が腹へ乗っていて、目を凝らすと黒い龍の頭だった。黒い龍は眠っていた様子だったけど白い龍の騒ぎに起きて瞼をひらき、燃えさかる炎の目が月読を見た。
『何をしている。こヤツ、覚醒シテいるぞ』
『知ってるヨ。チョットくらい良いじゃナイ』
口論してる黒い龍と白い龍を交互に眺めていたら、黒い方が大きく鼻息を吐いた。噴煙のごとき鼻息で月読は遠く飛ばされて、また意識を失った。
奇妙な夢から醒めた月読は頬をやわらかい風に撫でられる。窓辺の日差しは眩しく、清潔なベッドへ横たわっていた。
周りはカーテンで仕切られ、身を起こした月読はベッドをおりて仕切りのカーテンを開けた。隣のカーテンも開いていて、クッションへ凭れていた人物が此方へ顔を向ける。月読はおぼつかない足を踏みだす。たどり着いたところでバランスを崩し、座っていた人物に支えられた。支えた体勢が体に響いた様で男は小さな呻き声をあげた。
クッションに凭れかかる男の名を呼び、彼の表情はわずかに綻ぶ。
「俺が希望して相部屋にしてもらった。個室の方が良かったか? 」
傷だらけの手が月読の頬へ触れ、聞きなれた低い声が耳へ届く。月読は首を横へ振った。
おかしな夢前後の記憶は些かあやふや。マガツヒがどうなったのか尋ねると、九郎に引きよせられた。怪我に障るので離れようとしたら強く抱き締められる。
「あまり……無茶をするな……」
「無茶をしたのはお前だろ、私の所為でいつも傷ついて……」
絞り出すように嘆いた月読の頭を九郎が手繰りよせる。なるべく体重をかけずに胸元へ顔を埋める。体温と鼓動それに匂い、生きていることを実感する。九郎は小さく息を吐いてほほ笑むけれど、わずかな振動が肋骨へ響いて痛むのか時おり呻いた。無事を確認してゆっくり身を起こすと、暖かい風が2人を包んで通り抜ける。
身を起こした月読はしばらく何かを思案し、うめく男の胸元へ手を当てて呪を唱える。九郎が不思議な顔つきになった。
「痛みがマシになったろう? 結界術はこういう風にも使えるんだ」
九郎にかけた術は、もともとマガツヒとの戦いで負傷しても動けるように編み出されたもの。例えば足の骨が折れても、結界で骨を囲い固定することで立つことが出来る。術の原型は欠陥があり、痛みを抑えても血流も全て妨げ壊死してしまう一時的な凌ぎに使われる術だった。
そこまで聞いた九郎は眉間に縦ジワをよせる。
「安心しろ、改良して神経や血流の働きは妨げないようにしてる――もっとも改良の実験段階だけどな」
告げたらますます彼の眉間ジワが深くなり、あとでキッチリ臨床試験の報酬はもらうとドスの効いた声で囁かれた。日常の風景が戻ってきて安堵した月読は、まぶしい陽光の下でふわりと微笑んだ。
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