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第四章
その後の話
しおりを挟むパチン。
ポキッ、ポトリ。
「はっ!? 」
花鋏で切断に失敗した枝が落ちる。夜空で輝く月のごとく美しい男の口から似つかわしくない間の抜けた声がでた。鬢のほつれなくキッチリまとめられた端麗な出で立ちには、いつも居間で茫洋としている不躾な面影はない。
シャツへ花器の水が跳ね、脇へ置いていたタオルで拭く。襦袢の代わりにハイネックシャツを着た姿は、ひと昔まえのレトロな服装を彷彿とさせる。その膝元には晩秋の草花がならんでいた。
美しい所作で伸びた手は転がった枝を拾い、花鋏で白枝の根元を形よく切る。
白枝を持ったまま月読はため息を吐いた。どうやら花を生けながら別の事を考え、まったくの上の空のようだ。
「花とは珍しいな」
廊下から聞こえてきた低い声に月読はビクリと反応した。
客間の外へ仕事を終えた男が立っている。九郎は邪魔をしない程度の場所へ腰をおろした。とは言っても手元を覗きこめるくらい近く、月読は後ろをつい意識してしまう。
――――なぜ、そこへ座る?
怪しい薬で起こった悲劇のあと、何となしに避けて生活をしていた。気持ちよくなかったとか、身体の相性が悪いというわけでもなく――――寧ろ好い方だった。思い出しそうになった月読は、記憶を忘却の彼方へ押しやる。往生際が悪いと丙に言われそうだ。
心と身体が散り散りで、対処しきれずに困っている。
パサリ。
「あっ」
手元が狂って落ちた野バラの紅い実が転がる。もちろん九郎にもしっかり見られているが、やや後ろにいるため表情は分からない。こういう時、寡黙な男の無口さは実に呪わしい。
「毎月龍之介さんに頼んでいるのだけど、たまには自分で生けるのも良いかと思ってな」
月読は場を和ますため口をひらく。さっきまで元世話役の龍之介の家へ花を受け取りに出向いていた。華道は龍之介に手ほどきを受け、今でも彼は定期的に屋敷の花を生けに訪れる。
白枝と紅い実のついた野バラの蔓を花留めへ差し込めば、濃茶の蔓が面白い曲線を描いた。赤と白のケイトウは鮮やかに目立ち、草物を花留めのうえへ覆い足す。
「もともとは陰と陽の調和や天地人をあらわした謂れだが、最近は自由なものも増えてる。来月は12月だからクリスマス用の花を使ったり、飾りをつけてド派手にも出来るぞ。……そちらの方が良かっただろうか? 」
白枝に深みのある赤色が映えて、シンプルで落ち着いた配色はド派手にはほど遠い。渋い色だけど赤と白の組合せはクリスマスのように見えなくもない。月読は床の間へ花器を置いてしばし眺め、気になる部分を手直しした。出来上がった花器を九郎が眺めていたので出来を聞く。
九郎は首を横へふり、月読は眉毛をあげた。
後片づけを終え客間の縁側でくつろぐ、見ごろを過ぎた紅葉が葉をおとす様を見渡せる。
「もうすぐ師走だ。お前が御山へ帰るまえ訪れたのは、去年の正月頃だったか? 」
「そうだな」
他愛もない話をして、窓から差し込む仄かな陽だまりで茶を飲む。会話は続かず九郎は物言いたげに此方を見つめている。その様子にしびれを切らせて先に尋ねた。
「なんだ?」
「俺の事、避けてるか? 」
――――はい。いきなり本題きた。
平静を装っていた月読の片眉はピクリと動く。
流石にストレート過ぎないかと思い視線を向けると、いたって真剣な眼差しだった。怪しい薬を飲んだがため起こった一夜の出来事、そう片付けるには2人の繋がりは強くなり過ぎてしまった。もはや、はぐらかす事もできない。
「う……その……薬であんな状態になって心疚しいと言うか……心の整理がついていない。どういう顔でお前と対面したらよいのか分からないのだ」
ばつが悪くてもぞもぞしながら答える。これが散々遊んできた男の名折れ、情けなくて大きく息をつく。しかし真摯な男へ応えた。
「あんな怪しい薬は2度と食べない、安心していいぞ! 」
「……そうか? 」
――――あれ?
九郎はなぜか若干残念そうな顔をして月読は頭をひねる。拳を握りしめた九郎は決意した表情で前を向いた。
「わかった。薬はなしで身体の関係を築けばいいのか」
「ん? んん? ちょっっと待って」
築く物の前提が間違っている気がする。呼び止める前に納得した顔の九郎は行ってしまった。ぽつねんと縁側へ取り残され、陽だまりで茶をすする。
窓の外は烏羽を広げたような密度の濃い闇におおわれる。暖房を切るとひんやりした風が足元へ流れた。洗面所から廊下を早足で歩き、寝室の扉をひらけば予め暖めていた空気に包まれる。
足元に布団が一対敷かれていた。しかもピタリとくっ付いている。
月読は立ち止まって、しげしげ一対の布団を見下ろした。深く考えず広いベッドだと思うようにしたが、扉から流れる冷気と共に大きな影がぬっと入って来た。
「九郎……これは……」
ざわつく心をひた隠し、月読は声をかける。
「今日からここで寝る」
「えっ? 」
何を言っているのか理解できず、間を置いてふたたび声を上げる。けれど九郎は意に介さず猛猛しい態度だ。彼が屋敷に住みはじめた頃のデジャヴを感じ、月読は深呼吸をして心を鎮める。挙動不審に台所へいき、コップの水を飲んでから寝室へ戻った。
状況は変わらない、九郎はすでに布団へ横になっていた。
――――寝てる……だと!? 落ち着け、どうするんだ、これどうしたらいい?
ちゃっかり寝ている男を後目に月読は思索する。とりあえず布団の端を引き布団同士を離した。何事も無かったように掛け布団をかぶり、枕元の灯りを消して目を瞑る。
やはり寝つきは悪く、月読は夜中に目を覚ました。となりはすっかり寝た様子でホッとして布団へ潜ろうとした。ところが離したはずの布団がくっ付いている。そっと敷布団を引っぱって隙間を開けるけれど、目を開けると布団のすきまは埋められてる。目覚めるたび謎の攻防はつづき、気になって仕方がない。とうとう最後は眠気に負けて泥のごとく眠ってしまった。
落ちつく匂いがする。熱い身体に包まれて心地いい夢を見ていた。腕に抱いた柔らかい女は、絹のように滑らかな肌で微笑んでる。
豊満な胸に触れ――あれ? 硬いな……。
しなやかな背中を撫で――ずいぶん広背筋が発達して、結構ゴツイ女だ。
熟れた桃尻――硬っ! カッチカチじゃないか。
月読はうんうん唸って、手をガサゴソと動かした。
「……ら」
よく分からない夢にうなされる月読を呼ぶ声がする。どうやら体温の高い誰かの腕の中にいる。頑張って重い瞼をこじ開けるものの、ぼんやりして物凄く眠い。夢の続きを見るべく、硬い物へ顔を押し付けて唸っていると額へ熱い唇が触れた。
「ん……」
口付けた唇は離れた。夢と現の間で月読は再び半眼を閉じる。
「あきら」
今度はハッキリ聞こえた。はっとして目をひらき、寝ぼけた頭で状況を確認する。いつの間にか布団へ入っていた九郎に抱きしめられていた。本当の状況は逆だ、月読が九郎の布団へ侵入していた。ぴったりと絡まりあい、腕も背中へまわされていた。キスされて熱い舌が月読の口内を思うさま弄る。
「う……んぅ」
朝っぱらから布団の中で濡れた音がする。アラームがけたたましく鳴り、起床時間を知らせる。ようやく目の焦点が合い、目つきの悪い烏の顔が正面にあった。
「九郎。お、おはよう! 」
「……おはよう」
先制して声を発すると、少々不機嫌な低い声が返ってくる。月読は鳴り続けるアラームを止め、そそくさ九郎の腕から抜け出て急ぎ風呂場へと消えた。
九郎と同じ部屋で寝ることになった数日後、その幕はあっけなく降ろされる。原因は月読の寝相の悪さだった。相手を蹴ったり暴れたりはしない、ただ朝起きると必ず抱きついている。律儀な九郎が睡眠を妨害することは決してなかった。隈が日に日に濃くなっていく男は、とうとう屋敷を訪れる部下から心配されていた。
「お前さ、ちゃんと眠れてるのか? 」
なんとなく理由に心当たりのある月読が気遣って尋ねる。
「明……ひとつ頼みがある……寝てる間に襲ってもいいか? 」
かすれてドスの効いた声がひびき、じっとりとした九郎の視線が突き刺さった。目の隈は烏羽のように青黒く、目つきの悪さに拍車をかける。
「ぜったいダメ、駄目に決まってるだろうっ」
月読は飲んでいた茶でムセて即答した。こうして寝室の攻防戦は月読の不戦勝で幕を閉じて、九郎は自分の部屋へ帰り日常が戻ってきた。
かわりに居間や風呂あがりに目付きの悪い烏に襲われるようになったのは、また別の御話。とっぴんぱらりんのぷう。
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お読み頂きありがとうございます。
昔話につきものの「とっぴんぱらりんのぷう」は「はいおしまい」や「めでたしめでたし」という意味だそうです。
秋田の方言だそうで締めの言い方は地域によって違います。絵本や昔話の影響などで知っている方は多いかもしれませんね。
応援ありがとうございます!
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