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第四章

軟化

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 九郎と暮らしはじめ月読は悪夢にうなされていた事に気づく。しかかる黒い影、得体えたいの知れないものは月読の内側へ侵入する。身体は悦楽えつらくひたされ苦悶くもんに身をよじる。
ひとりだった頃は、目を覚ましてもすぐ寝てしまい夢など覚えていなかった。九郎に揺さぶり起こされるようになってから、少しずつ夢の内容が明確になっていく。知らない内にトラウマになっていたのだろう、身の内をいまわる感触は今でも思い出したくない。

「っ……う……」

 苦しく真っ暗闇の中、ぬめる軟体生物なんたいせいぶつはが這いまわりおかされる。奥でのたうつ冷たく重い塊に身体がはねた。

「――――っ」

 呼ばれて目を覚ませば九郎に両肩を揺さぶられていた。月読のうめき声が聞こえたので心配になったらしい、荒い息を整えると暗闇より黒い双眸そうぼうはこちらを見つめていた。明かりのともらぬ部屋でもよく分かる。

 夢は生々しくよみがえり、内側をむ感覚が残っていて身震いする。体は汗で濡れていたが、この不快さは汗ばんでることだけが理由では無い。

――――どうして今更いまさら

 体の傷は治るけれど心の傷はえてない、傷だらけで立てなくなるのがいとわしくあきら月読つくよみの仮面をかぶる。月読である間はどのような傷も記憶も踏み越えられる。

 過去の記憶にむしばまれる理由はひとつ、月読をあきらと呼ぶ男。複雑な面持ちで九郎を見つめる。その腕は安心できる場所だと知っている。だが月読にもプライドがあって、この男にだけは弱みを見せたくなかった。

 お互い知らないうちに大人になった。もうベソをかいていた幼い頃とは違う。

あきら
「やめろ……。を明なんて呼ぶな……」

 顔を見られるのが嫌で月読は手でおおった。

 今尚いまなお心の読めない未知な男は、闇から掘り起こすように月読へ触れる。息遣いきづかいがすぐ側で聞こえた。反射的に避けようとした唇は重なり、歯列しれつをなぞった舌がそろりと侵入してくる。優しいキスをされてから解放され、月読は息を吸って空気を取りこんだ。

 ふたたび九郎についばまれ舌の裏側までゆっくりなぶられる。

「……ん……」

 息が苦しくなれば唇は離され、息を吸うために口を開くとまたふさがれた。唇で柔らかくなぞられついばまれる。

「はっ…………」

 水面で口を動かすこいのように酸素を取り込もうとしたらキスされる。いつしか口は酸素ではなく与えられる唇を欲していた。陶酔とうすいにも似た感覚に頭の芯はグラグラする。今度は深く混ざりあった舌が口内を動きまわり奥へ入る。

「んん……」

 何度も繰り返し行われる口づけに酔いしれ目を閉じる。優しいキスをかさねる行為は、まゆに包まれたような安らぎを感じる。そのまま月読の意識は沈み、次に目覚めたら朝になっていた。体を起こすと汗で濡れた浴衣は取りかえられていた。九郎がどうやって浴衣を替えたのか考え、後ろめたい気持ちに頭を悩ませる。

 月読は自身の弱さにうんざりした。節操せっそうなんて元々ないに等しいが、九郎相手では他人とは心情が異なる。

 そして昔と同じようで違う2人の関係に戸惑とまどった。





「んで、どうなった? 」

 大きな手は陶器のコップを持ち、なみなみとがれた琥珀こはく色の液体を口へ運ぶ。ひのえ家への用事ついでに夕食を世話になっていた。

 っ気なく返事し、月読は茶わん蒸しの銀杏ぎんなんをスプーンですくった。

「嘘つくの下手へただな。おぇちょっと見ねえ間にいろっぽくなりやがって、ほれオジサンに話してみろ」

 感のいいゴリラにそく見抜かれてしまう。なまめいていると指摘された事を不服に感じて抗議したけど、あっさり棄却ききゃくされてきわどい事情まで巧みに聴取ちょうしゅされる。まるでセクシャル取調室とりしらべしつだ。

 今のありさまで煮え切らない関係を続けるつもりなのかかれ、こちらにも男としての矜持きょうじがあると言い訳する。

「男のプライドってか……そんなつまらねえもの粉々にしてやろうか? 」

 物騒ぶっそうな言葉に月読がブルリと身震いすると、丙は低く笑ってコップの中身を飲み干した。いつのまにか帰宅した桃花ももかも嬉しそうに会話に加わり、和気わきあいあいと穏やかな時間を過ごす。

 夕食も終わり酒をくみ交わしていると電話が鳴った。九郎の名が画面へ表示され、受話器のボタンを押して応答する。

「……ああ、今日は帰るよ。……え? いや迎えに来なくていい。大丈夫だって」

「お、なんだ? あいつの方がえらく積極的せっきょくてきじゃねえか、嫉妬しっと深い男を相手にすると大変だな」

 聞き耳を立てていた丙がニヤリと笑い、桃花ももか興味津々きょうみしんしんな表情をする。大きな背中にぶら下がっていた桃花はちゅっと可愛らしくキスした。

ぁれ? 」
「まあ俺の恋敵ライバルだな」
「適当なこと言うな」
「本当のことだろう? おめぇ俺のプロポーズ忘れてねえだろうな」

 月読が目を閉じ、眉間へしわを寄せたら大笑いが聞こえる。やりとりを見ていた桃花は目をクルクルさせて嬉しそうに厚めの唇をにんまりさせる。

「月読さまもパパと結婚するの? 」

 額に手を当てた月読はうなだれた。



 いつも通り丙の部下に送られ大門へ降り立つ。深々しんしんと冷える季節、雲ひとつない宵闇よいやみの空下で外灯は石畳を青く照らす。暖かさが恋しくなって家路を急いだ。

 玄関の明かりは灯っていて家に人の気配がする。カラカラと戸を開けたら九郎が玄関で出迎えた。

「おかえり」
「……ただいま」

 月読は気恥ずかしそうなそぶりで靴を脱ぐ。九郎はきびすを返し廊下を歩いて行った。電話までしてきたクセに随分ずいぶんあっさりした男の態度に拍子抜ひょうしぬけする。べつに何かを期待していたわけではない、背中を見つめながら後ろをついて歩く。

 九郎は急に立ち止まり、背中へぶつかった。うめいて鼻をさすると、彼は無言で振りかえり向き合う形になった。

「急に止まるなよ!? 」

 言い終わる前に九郎は月読をぎゅうと抱きよせる。突然の出来事に狼狽うろたえた。

「何してる? 」
「こうして欲しそうに見えた」
「そんなわけあるかっ! 」

 ガッチリ組まれた腕から逃れるため出口を探す。しばらく抵抗して藻掻もがいていたが、逃げられない事をさとった月読はあきらめて九郎に抱きしめられる。密着する身体は温かく心地いいが、そのようなことは絶対に言わない。

 月読はなげかわしい体勢でズルズルと居間へ引きずられていった。
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