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第四章
平常運転に戻そうとしたけれど
しおりを挟む緊張感を欠いた顔の月読は居間でニュースを読んでいた。
着衣の袖が隣の男に触れる。力なく嘆息して、落ちた前髪をうしろへ撫でつけながら隣をうかがう。
精悍な顔つきの男は座卓へおいた画面に向かって黙々と作業をしている。そんなに鋭い目で見てたら画面へ穴が開くんじゃないかと思うけれども、男は普段からこの顔つきだった。長い指はせわしなく動き、小むずかしいレポートを作成している。
午前中は【烏】が忙しなくに行き来して書斎で仕事をしていた。烏たちの出入りがなくなり、タブレットとキーボードを携えた男は月読のとなりへ陣取った。キーボードをながめていた視線を上げると、黒い双眸はこちらを見ていた。ドキリと心臓が跳ね、そそくさと手元のニュースへ目を戻す。
「なにか飲むか? 」
横から低音ボイスが響く。ついでに頼むとはちみつレモンを淹れて戻った。まったりした甘さに爽やかな檸檬の香りがただよう。
九郎は真横へ腰をおろす。さっきよりも距離が近くて、ほとんどくっ付いた。子供の頃からこんな感じ、昔はただ無愛想で距離感のない奴だと思っていた。
近接距離に慣れるため、意図的にされていたようにも感じる。
――――『お前らって、たまにスゲー距離ちかいよなぁ』
ふと友人の台詞を思い出した。
「なあ九郎、ちょっと近くないか? 」
高校のころ友人に指摘されてから幾度か口にした言葉だが、隣の男はわずかに眉を上げるだけだった。
先日から日は経つが特に変化はなかった。月読が受け入れなかったため進展もない、それにも拘わらず九郎の態度はいつもとおなじ。モヤモヤした心中の月読は、彼を真っ当な道へ引き戻すべく試みる。
蜂蜜レモンのカップを置き、静かに言葉を放った。
「お前をそんな目で見た事はない。思ってくれるのは嬉しいが、ひとつ問題がある……私達は男同士だ」
「……お前が言うのか? 」
「うっ」
痛いところを突かれる。最後の『男同士』を思い切って強調したけど逆効果になってしまった。
「男同士は大問題だろう? 跡継ぎとかどうするんだよ」
「烏は世襲制ではない。前ノ坊家の心配なら不要だ」
食い下がってもまったく動じない。どうやら性別は九郎にとって問題ではない様子、話の切り口を間違えたかもしれない。ならばと月読は女の素晴らしさを語った。しなやかで柔らかい身体つき、気遣いの良さや内へ秘めたる強さを笑顔で力説した。
「猿女にとても器量のいい娘がいて紹介を――」
「要らん」
「街に良い大人の社交場が――」
「興味がない」
あれこれ話を持ちかけるものの、ことごとく一蹴される。撃沈した月読は蜂蜜レモンをズルズルすすった。
その様子をずっと見ていた九郎は、ついと顔を近づけてこめかみの上へ触れる。髪の中でちゅと音を立てはなれた。
――――あれ? いまキスされなかったか。
一線を踏みこえなかったはずの九郎の行動が変化して、月読は突飛に叫んだ。
「そ、そういうのはセクハラって言うんじゃあないか? 」
「唇がぶつかっただけだ」
「聞こえたぞ、ちゅって音がしてた! 」
何事も無かったかのごとく微動だにしない男は図々しい理由を述べる。子供の頃から幾度も体験しているやり取りに若干悔しさを感じた月読は唇を噛んだ。
「だいたいなんでこっちで仕事するんだ! 鬱陶しいから向こうの部屋でやれよ」
仕事が終わるまで向こうの部屋から出ないよう言い渡した。九郎は画面を閉じて仕事を終わらせ、涼しい顔で隣へ座っている。互いに大人になったけど相容れない関係は学生時代の懐かしさも呼び起こす。
「俺を見てくれ」
戯れていた九郎は真剣になり、まっすぐこちらを見た。
マガツヒを打ち倒すために存在する重責、目の前で消えてしまった大切な人。役目を終えれば何時でも消えていい生き方をして、空虚な心を抑え何事もなく振舞っているに過ぎない。半分は使命、残りの半分は復讐を誓って辛うじて立っている。そんなロクでもない男に九郎を付き合わせるわけにはいかない。理由はそれだけに留まらない、自身を取りまく煩雑な事情のもつれに雁字搦めになる。
月読は言葉を紡げなくなり目を伏せ、居間へ静けさが漂う。
「いい大丈夫だ。お前が動けないのなら、俺は勝手に動くだけだ」
若干和らいだ声がする。九郎はすべて承知の上で言っているのだろうか。
「他には、もう渡したくない」
九郎の息が頬へかかり、唇のはしへ口付けられた。寸秒見つめあい、頬へ触れた体温は尾を引く。月読は内心動揺しながら手元のカップを口へ運んだ。
タブレットを起動させた九郎は再び作業をはじめ、何事もなかったかのように最初の状態へ落ちついた。
その日以降、九郎の行動は大胆になった。油断していると引き寄せられて唇を塞がれる。
最初は啄ばみ、それから深くキスをしてくる。決して無理強いはされていないのに月読は捕らえられた獲物みたいに口づけを貪られる。理性は否定するが身体は甘く痺れて反応した。
こういった行為は慣れて躱すことなど造作もないはず、しかし何故か九郎を前にすると経験は役にも立たず途方に暮れる。
口づけが終わったとき彼の体を押してささやかに抵抗する。九郎も心得ていてそこから先へ進まない。月読の態度が軟化するか、折れて求めてくるのを待つ駆け引きのようだった。時間をかけて焦らされ、翻弄される。
仕事の折り返し電話を待つ最中、夜は更けて体感温度は下がる。風呂あがりの月読は眠たい目を擦り上着を取りにいく。カーディガンを羽織り暖かくなった。
寝室の敷居を跨いで廊下へでると、台所からきた九郎と鉢合わせた。
「まだ起きていたのか? 」
九郎も寝る準備をして楽な格好に着替えている。おやすみの言葉を交わして居間へ行こうとしたら、九郎の腕に捕らえられた。
「くろっ……っ」
身をかわすより早く、九郎の唇が触れた。深く吸われ体を仕切り戸へ押し付けられる。拒めずに舌を受け入れてしまい、濡れた音が絡み合って甘い疼きが背骨にそって流れる。
九郎の腿が足のあいだへ割りこみ当たった部分は反応した。月読は逃れようとしたが、九郎は前から体重をかけて押さえる。本気で抵抗すれば逃げられるのに、あたえられる甘い疼きは離れることを拒む。鍛えられた九郎の体が密着して、太腿を強く押しあてられた部分は快感を求めそうになる。熱く昂ったものを九郎に勘付かれないように隠した。
「……っ」
腿のかわりに九郎の下半身が密着する。寝巻のズボンごしに硬い感触があった。キスの合間に時々ぶつかりゾクゾクした快感が湧きあがる。身じろぐと互いの硬くなった昂りがますます擦れあった。
目を伏せてうつむけば、唇を離した九郎にその様子を観察される。
「……くっ……う……」
月読は腕のなかで身体をよじった。瞼はふるえ、抑えても吐息は音になってもれる。腰元へ回された腕に力が入って引きよせられ、九郎の硬いものが当たるたびビクリと身体は反応する。
唇同士が触れそうな位置にある。思わず吸いつきそうになった月読は残った理性で欲望を捩じふせ顔を背けた。滾りを落ちつかせて大きく息を吐いた。震える月読のまぶたへ九郎は唇を落とした。昂りがおさまる頃には、足に力が入らなくなり支えられていた。
「あきら」
身体を預ける月読の唇を九郎が啄ばんだ。密着する熱さは心地よくて軽いめまいを覚える。意思は軟弱になり視線の端へ寝室の敷居が見えた。
居間へおいていた携帯の画面が明るくなり、ヴーヴーと振動して鳴った。
「ああ……仕事の電話だ」
助け舟のごとき着信音、崩れ落ちそうになっていた月読は腕をすり抜けて居間へ向かった。画面を確認して電話に出る。電話が終わるころには九郎は部屋へ戻った。残された静寂のなか、ホッと息を吐く。
筋肉質な身躯を思い出してしまい、痺れるような感覚が襲う。抑えていた情動が渦巻き、月読は苦笑して乱れた髪をかき上げる。もしもあのまま組み敷かれていたら抵抗できただろうかと考え、体内に篭る熱を感じてため息をつく。
「困ったもんだ……異常だな……」
深夜の冷えた部屋にくすぶった身体だけが取り残された。
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お読み頂きありがとうございます。
もろもろの用語集です。
※仕切り戸…部屋を仕切る襖や板状の戸。引き戸。
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